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貴方の翼が堕ちても 十四

 汨歌がアルバイトとして勤めている探偵事務所を訪れた依頼人は塩木しおきといい、依頼内容は行方不明になってしまった息子・まもるを探し出すことだった。

 この依頼を受けた事務所の青年が調べた内容を、偶然とはいえ中流が目にしたことは、尋人に関る妖の正体を探るうえで非常に重要な意味を持つ。

 何故なら事務所側が調べた息子・衛の交友関係により浮上し、入手された写真に写っていた男達は、二日前の駅前の事故の時に噴水前で見かけた三人の男達であり、尋人が夢に見た、現場を目撃した、異形の獣に襲われていた男達であり、――大樹家の者達が敵とする妖に喰われた人間に違いなかったのだから。



 ***


「はい、お疲れ様」

 大樹家の母・日向に髪を拭かれて、尋人は丁寧に頭を下げた。

 骨折した腕では入浴もままならないだろうと、彼女が全部手伝ってくれたのである。

「ありがとうございます。…ご迷惑ばかりお掛けして…」

「あら、迷惑だなんて思わないで? 裕明も裕幸も、もうあまり世話を焼かせてくれないんだもの。久しぶりに子供と一緒にお風呂に入れたようで楽しかったわ」

 にっこりと微笑む彼女に、尋人は何と返事するのも躊躇われて顔を赤くした。

 もうすぐ五十になる彼女は、しかし大樹兄弟の母親だけあって綺麗な顔立ちをしており、実年齢など想像もさせない愛らしい人物だ。

 もとは大樹総合病院で働く看護婦だったそうで、怪我人の入浴を手伝うのも慣れていた。

「私は夕飯の支度を始めるから、あと何か困ったことがあれば裕幸に言ってね」

「はい。…でも、何か僕にも手伝えることがあれば…」

「いつも早矢さんのお手伝いしているんでしょう? 怪我をした時くらいは人に甘えちゃいなさいな」

「…はい…」

 申し訳無さそうに俯く尋人に、彼女はそっと笑って浴室を後にした。

 尋人も、いつまでもそこにいるわけにはいかず自分に用意された二階の部屋に上がっていったが、不意に呼び鈴が鳴らされた。

「?」

 誰か来客があったのか。

 応答くらいは自分にも出来るかもしれないと思ったが、尋人が階段を下りるより早く裕明がそれに答えた。

 大樹家の長男は居間にいたのだろうか。

 来客が誰なのかを、既に判っているような口ぶりだった。

「はいはい、昨日の今日でどうしたのかな」

「アキ兄! 大発見!!」

「っ…」

 裕明に返された声、それは中流のもの。

 尋人はドキッとし、慌てて階段を上りきった。

「…っ…」

 会いたい、…けれど怖い。

 何も話してくれない中流と平気なフリをして顔を合わせられる自信が、いまの尋人にはなかった。

「ぁ…あのさ、尋人は…」

 中流の、途端に小さくなった声が言う。

「尋人君なら母さんがお風呂に入れているよ」

「そっか…。あ、ところでこれなんだけど…」

 そうして中流は持ってきたものを裕明に手渡して二人一緒にリビングへと移動していった。

「…」

 中流が自分を気にしてくれている事に、複雑な気持ちが胸を過ぎる。

 彼がなんの為に大樹家を訪れたのか知りたい。

 中流は優し過ぎるから尋人に何も話せないのだと、昼間の、裕幸の言葉が思い出される。

 中流が望まないことを知りたいと思うのはいけないことだろうか。

 例えばそれが、中流と尋人の間を裂く内容だったとしても。…尋人は何も知らなかったとしても、この気持ちが中流から離れるわけはないと言いたいのに。

「…」

 尋人は悩んだ末、自分の部屋には戻らずに二階のホールに足音を忍ばせながら近付いた。

 大樹家の屋内は不思議な造りになっていて、わざわざそう見せずとも充分に大きな邸なのに、よりいっそう空間を広く見せる技法が用いられている。

 リビングの天井が三階まで吹き抜けになっているのもその一つで、二階ホールからは居間の光景が見下ろせるようになっているのだ。

 尋人は、しかし姿が見られては怒られるかもしれないと考え、壁に隠れるようにしてホールに座った。

「この写真は?」

「汨歌のバイト先の事務所、あそこで貰ってきた」

「…奪ってきたんじゃないんだね?」

「………まぁ、そうと言わないこともないかもしれない…」

「まったく…」

 裕明の呆れた笑い。

 二人の会話が聞こえてくる。

 ここにいれば、彼らが何を話しても聞くことが出来るだろう――そう思っていたら。

「!」

 背後からフリースの温かな上着を掛けられた。

「ぁ…裕…」

 驚いて顔を上げると、裕幸が口元に人差し指を立てて微笑んでいる。

 静かに、ということだろう。

 お風呂上りにそんな格好では、身体が冷えてしまい、くしゃみでもしてしまったら盗み聞きがばれてしまう――そう言ってくれているのか、ここで聞いていることを許してくれたような、そんな微笑み。

「…」

 中流と尋人、二人が幸せになってくれることが自分の望みだからと告げた裕幸の、この気持ちに、尋人は頭を下げた。

 そうして静かな足取りで裕幸が階段を下りていくと、

「あぁ。呼ばなくても来たね」と声を掛けたのは裕明。

「随分焦った様子の中流さんの気が感じられましたから」

 裕幸が柔らかな口調で返す。

 そんなことも判るのかと、尋人が驚いていると、

「ここに来る前に兄貴にも連絡つけたから、そろそろ来ると思うんだ」

「…だね、来たようだよ」

 中流が言い、裕明が笑う。

 同時、

「仕事中の人間に呼び出しを掛けないで欲しいね」と、どこからか出流が現れて尋人をいっそう驚かせた。

「それで、仕事の方は大丈夫なのかい?」

「風蓮に代わらせた。雑誌の取材くらいなら身代わりでも問題ないさ」

「それはタイミングが良かったじゃないか」

「まったくだね」

 年長者の言い合いに、

「あ、あのさ…それで、兄貴にも来てもらった理由なんだけ…」と、中流は後ろめたそうに話題を逸らさせ、裕幸は声を殺しながら笑っていた。

 どこまでも謎の深まる人達だと、尋人が混乱する頭を必死に落ち着かせようとしていることなど知る由もなく、中流は六枚の写真を兄弟達の前に広げていった。

 その内の二枚は大学のサークルか何かの集合写真で、他の四枚は、四人の男の顔写真だった。

 少年と青年の間を彷徨う微妙な年頃の四人は一見してみればあまり共通点の無さそうな外観だ。

 だがそれらを目にした兄弟達の表情は途端に険しいものになる。

 中流は一枚、一枚を指差して話し始めた。

「二日前…尋人が夢で獣に襲われたのを見てしまったのが、この少し暗い雰囲気のある谷俊介たに・しゅんすけ…間違いないよな?」

 確認した先は裕幸だ。

「…そうです。尋人君の夢を探った時に見た顔です」

「うん。…そして昨日、……尋人が目の前で見てしまったのが柴田航太郎しばた・こうたろうだ」

「確かに。文月サンに見せられたのはこの顔だったな」

「…それに、もう一人、この男…」

 裕幸は、眼鏡を掛けたインテリ風の男の写真を指差して言う。

「この人と、妖に襲われた二人の男性。尋人君が噴水前で見かけたのはこの三人です」

「あぁ。俺も裕幸にあの場面を見せてもらってなかったら気付かなかった。そいつは松本孝雄まつもと・たかお。この三人で間違いないよな?」

 中流の再確認に、裕幸は間違いないと頷く。

 そして、最後の一枚。

 外観をいじることに興味がないのか、素朴というよりも地味な印象を与える容貌は、だがどこにでもいる普通の少年だ。

「…まぁ、眼鏡を取れば人目を引きそうではあるかな」

 出流が他意無く言うと、裕明がほんの少しだけ眉を寄せる。

「出流がそう言うってことは、何か感じるものでも?」

「まぁね。でもまずは中流の調査報告を聞こうじゃないか」

 そうして弟の話を促した。

「じゃぁ…まずこの四人目。名前は塩木衛しおき・まもるって言って、この四人は大学の英会話サークルで一緒だったらしい。でも一週間くらい前から衛が行方不明になっていて、こいつの母親が、汨歌がバイトしている探偵事務所に、息子を探してくれって依頼に来たんだ」

「警察には行かなかったのか?」

「行ったらしいけど、本気で探してくれそうにないって。息子は大学生で、まだ一週間だし…何つーか、家族の関係もあんまり良くなかったみたいだ」

「と言うと?」

「依頼した母親、本当の母親じゃないんだ。父親が二年前に再婚したらしくて、折り合いは良くなかったんだってさ」

「なるほど」

 確かに、昨今の若者ならば家に帰らずとも友人の家を泊まり歩いていることも考えられるし、家族間の関係がうまくいってなければ連絡がないのも、特に不審なことはない。

 何より塩木衛が男なら、警察も「そんなに心配することはない」と思うだろう。

「で、…まぁ俺達は妖のこと知っているからなんだけど…衛の友人の、谷俊介、柴田航太郎、この二人も行方不明になっているってことで探偵事務所の方も関連有りって判断して情報を集め始めていたんだ。最後の一人、松本孝雄は塩木衛の幼馴染で、谷と柴田は高校からの同級生。四人は大学の同じサークルに入ってから親しく付き合うようになったらしい」

 そうして何人かが一緒に映っているもう二枚の写真を示した。

 英会話サークルと言うだけあって、写真にはネイティブスピーカーらしい風貌の大人達も一緒に写っている。

 その周りで、楽しげに笑っている何人もの学生。

 四人の彼ら。

「塩木衛の行方不明から始まり、彼に関連する男達が妖の被害に遭う、か…」

「一番単純なのは衛が彼らに恨みを持っていて妖に魅入られ彼らを殺す、ってところだけれど」

「それはどうかな」

 裕明の推測に、出流が意味深な笑みを添えて口を挟む。

「まぁ、妖が彼らを襲う理由はそれが妥当だろうが、恨む理由はそう単純じゃないかもしれないよ」

「というと?」

「この塩木衛君、幼馴染君とは恋人同士だったんじゃないかな。……まぁ恋人ではなかったかもしれないけれど、身体の関係はあっただろうね」

「―――…は?」

 出流の台詞に、中流は一瞬言葉も忘れて彼を見返し、裕幸も言葉を詰まらせたようだったが、誰より付き合いの長い裕明だけは軽く頭を押さえただけで相手の言葉を受け入れられたらしい。

「それは…また匂いか何かかい?」

「そんなところかな」

「なんで写真だけで判るんだ!?」

「簡単。この塩木君も松本君も女性に興味を持つ顔をしていないんだ。幼馴染って非常に近い位置に自分と同じ嗜好の人間がいたとしたら、二人が関係を持つのは非常に簡単なことだと思うけれど?」

「だから! なんで写真見ただけで…!」

「それが俺だからだよ」

「――」

 あっさり、はっきり。

 何の迷いもなく言い切った兄に、中流は頭痛を覚える。

 階段の上で盗み聞きしていた尋人も、呆気に取られて頭の中がクラクラしてきた。

「…まぁ、出流のこの類の勘は間違いないだろうから、そうなんだろうね、きっと…」

 裕明が中流の気持ちを思い遣りながら遠慮がちに言う。

「じゃあ出流、他の二人はどうだろう。何か感じるものは?」

「さて…、この浅黒い肌の男…柴田と言ったかい? こっちはただのバカだと思うが…谷の方は良くないな」

「良くないとは?」

「闇を背負っていそうだ」

「闇を…」

「……そうですね。この谷さんと言う人…良くないものを持っています」

 裕幸も、出流の感じたものを肯定して表情を曇らせた。

 考えてみれば、最初に襲われた谷俊介。

 通常、妖魔が人を食らえば死臭を纏い、里族に見つけられないはずがないものを、いまだ所在すら掴めずにいるのが事実。

 妖だけでなく闇の気配をも取り入れたのだとしたら、…それはとてつもなく危険なことだ。

「それは、俺達の力じゃ気配を追えなくなるわけだな…」

「文月サンの結界に捕えられなかったのも頷ける。俺達の力は、あくまでも妖に重点を置いているんだから」

 一つ一つ、疑問だった事項の答えが見えてくる。

 なんの確証もない推論だとて、一つ一つの根拠が明確になれば、それは限りなく事実に近付くのだ。

「……中流さん、この写真はしばらくお借りしても大丈夫ですか?」

「ああ、たぶん大丈夫。……裕幸が後で汨歌に電話一本入れてくれれば……きっと…」

「判りました」

 中流の微妙な言い回しに、ある程度の事情を察した裕幸は苦笑交じりに応えた。

「だったらこの件は全面的にこちら側でやるからと元旦さんに話をしよう。これに本当に闇に属する物が関っているなら元旦さんにも手の施しようがないだろう」

「そう、ですね。…だったら、まずは行方不明になった塩木衛さんの所在を突き止めましょう。…せっかくですから文月先生に協力してもらって」

「あいつに!?」

「先生の能力に頼るのが一番の近道ですよ」

「けど…」

 あいつの協力だけは得たくないという中流の気持ちは、出流や裕明も充分に理解していた。

 だが、裕幸が言うことも最も。

「……今回は仕方ないんじゃないか? この妖は尋人君にも何かしらの影響を及ぼしているわけだし、さっさと解決させるに越したことは無いさ」

「…っ…」

 尋人の名を出されては仕方が無い。

 不承不承ながらも、塩木衛の所在を、裕幸が文月佳一に頼んで突き止めてもらうことに決まった。

「あとは松本孝雄だけれど…」

「それは俺が会いに行く」

「中流が?」

「俺にだってそれくらい出来る。……今回は特に、これくらいはやらなきゃ…」

「中流さん?」

 思いつめた顔をしていた中流だけれど、裕幸に呼び掛けられて、一度だけ深呼吸をした後に意を決して顔を上げた。

「裕幸。俺、…この件が片付いたら尋人に全部話す」

「――」

 兄弟達が、彼の突然の決意に目を丸くしたのと同様、二階ホールの尋人も驚いた。

「なんか…もう遅すぎる気もするけど…俺はバカだから…何でもタイミングだ、なんて言って、…あいつを失うかもしれないって可能性から逃げていただけだ…」

「中流さん…」

 違う。

 本当は、彼が尋人に全てを話せずにいる理由がそれだけではないことを皆が知っている。

 中流の図るタイミング――いわゆる直感が持つ正当率も承知している。

 …それでも、ただ彼の言葉を聞いた。

「だから、今回のことに決着つけて、尋人に危険が及ぶ心配なくなって、一緒に家に帰れるようになったら全部話す。…全部話して、それでもあいつが俺の傍にいるって決めてくれたら……、…そしたら、喜んでくれるか?」

 それを聞く。

 確かめたい。

 言葉で聴きたい。

「尋人が本当の意味で家族になったら…、裕幸、喜んでくれるか……?」

「――もちろんです」

 その答えが。

「中流さんが尋人君と幸せになってくれること、それは俺の願いです」

 その言葉が、欲しかった。

「……っ…」

 同時に尋人の欲しい言葉。

 信じた想い。

 話してくれる、今度こそ。

「ぁ…」

 嬉しくて。

 心が温かくなって。

 だが冷えた爪先から震えが来た。

 何故こんな時に思ってみても、もはや遅すぎる。

「っ…」

 だめだ、くしゃみをしたら気付かれてしまう。

 そうと解っていても。

「っ…ぅ…くしゅんっ!」

「!?」

 リビングの彼らは、上方から聞こえてきたくしゃみに驚いて顔を上げた。――否、驚いたのは中流だけだ。

 二階のホールに隠れている少年がいること、出流も裕明も最初から気付いていた。

 裕幸が、靴下も渡しておくべきだったかと少なからず申し訳ない気持ちになりかけたが…。

「――…尋人! もう少し待っていてくれるか!」

 そこに向けて、中流が言う。

「これが終ったらちゃんと話す。全部、おまえの知りたいことは話すから…だから、もう少しだけ待っていてくれ!」

「…っ……」

 真っ直ぐな言葉。

 嘘偽りの無い、尋人にだけ向けられた本当の言葉。

「はい…っ…」

 泣きそうになりながら、それでも出来る限り大きな声で答えた。

 まだ顔は見せられないけれど。

 …立ち上がれないけれど。

「はい…っ…待っています……!」

 尋人の返答に、空気が和らぐ。

 優しくなる。

 それは、家族の気持ちが一つになったからだ。



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