表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/88

貴方の翼が堕ちても 十三

「―――それで何で私のところに来るのかしらね!」

 来客ベルに応じて戸を開けた江藤汨歌は、ともすればそのまま戸を叩き返しそうな勢いで目の前の意外な来訪者、六条中流に言い放った。

「言っておくけど、こっちだって暇じゃないの! 惚気に来ただけとか、くだらない弱音吐きに来ただけなら今スグに帰った方が身のためよ!?」

 無遠慮に怒鳴り散らした彼女は、だが明らかに気落ちした様子の中流を拒みはしなかった。

「…」

 扉を開け放したまま戸口を離れていく彼女の背中に微かに表情を緩めて、中流は、

「お邪魔します…」と言いながら部屋へと入っていった。

 寝ずの街とも称される敷明小路から一町南に向かった先の四階建てビル、その三階にテナントしている探偵事務所。

 ここが、汨歌のアルバイト先なのである。

 五人分のデスクが並んだフロアを抜けた先の衝立の奥。

 所員が依頼人から内容の説明を受けたりする場所に中流を通し、汨歌は飲み物を持ってくるからと給湯室に姿を消した。

「おぉ? 珍しいお客さんじゃん」

 ここの所長・篠宮元旦しのみや わたるが陽気な声を掛けてくる。

「どうしたのさ、君が一人でイッカちゃんに会いに来るなんて」

「はぁ…ちょっと色々あって…」

「ふぅん?」

 意味深な相槌を打つ篠宮だが、それ以上の追及はしてこない。

 この男も、実を言えば里界の関係者なのだ。

 だから事情有る大樹家のことに深入りしないのが身のためだと知っているのだろう。

「じゃあ俺も少し出てこようか。まぁゆっくりしていってよ」

「…済みません」

「なんの、なんの」

 言って、篠宮はデスクに置いてあった煙草の箱をポケットにしまい、片手を振りながら事務所を出て行った。

 それと入れ替わるように戻ってきた汨歌は、上司の気遣いに、ほんの少しだけ眉を顰め、中流の前に茶を差し出した。

「…いい? くだらない用事だったら容赦なく叩き出すからね」

「…わかってる。……裕幸の、ことなんだ」

「――」

 裕幸の名前に、汨歌は少し驚いた顔をした後で中流の正面に座った。

 どうやら彼の話を聞く気になったらしかった。



 ***



 尋人は小さめの花束を抱えて、昨日の現場へと足を運んでいた。

 どう考えても通常のものではない異形の獣と、駅前の噴水広場で一度だけ見た男の…獣に襲われて無残な姿へと変わり果てた姿を見てしまった住宅街の一角。

「…」

 文月佳一に救われ、竜騎によって遠ざけられたその場所には、もう何も残っていなかった。

 昨夜、この場所に、あのような凄惨な光景が広がっていたなど、何も知らなければ想像も出来ない。

 それくらい普通の時間がここには流れていた。

「嘘、みたいだ…」

 尋人はあの場所に花束を置き、手を合わせる。

 ここで確かに亡くなった人がいたのに、それを知るのは自分が置いた花束一つ。

 それ以外には、本当に、ここには何もなかったかのようだ。

「…」

 それでは、亡くなったあの男性の存在は、どこに消えてしまったのだろう。

「……あれは…何だったんですか…」

 誰も、何も教えてくれない。

 中流が何も話そうとしない。

「先輩…」

 昨夜、自分に声を掛けるどころか顔すら見せずに去ってしまった。

 彼がどれほど自分を想ってくれているか知っている。

 どんなに大事に思われているかも、解っている。

 だからこそ、中流が何も話さないのには理由があるのだろう…と、そこまでは納得できるけれど。

「どうしてですか…先輩…」

 話せない理由がある?

 では、その理由とはどんなもの?

 原因はどちらにある。

 彼に?

 それとも、自分に…?


 ――…オマエ 俺ト 同じ………


「……!」

 瞬間、背筋を強烈な震えが走った。

 あの獣の言葉を思い出す。

 自分は同じ。

「…っ…」

 あの、獣と。

「ああっ…あ……!」

 怖い。

 何がなんて判らないけれど、堪らなく怖かった。

 身体を丸め、自分で自分を抱き締めるようにして蹲る尋人は震えていた。

 怖くて、震えが止まらなかった。

「先輩…っ…」

 会いたい。

 いま、誰よりも彼に会いたい。

「……夏とはいえ身体が冷えるよ」

「!」

 背後から掛けられた声に驚いて顔を上げると、切なげに顔を歪めた裕幸が立っていた。

「……裕幸さん…」

「帰ろう。ここの風は人間の身体には辛いと思う。長くいるものじゃないよ」

「……」

 裕幸の真っ直ぐな瞳に促されて、尋人は立ち上がった。

「…どうして、ここに…」

「…君の居場所はすぐに判るんだ。……中流さんから君を守るように頼まれているから」

「先輩から…?」

 確認するように聞くと、裕幸は静かに頷いた。

 中流が望まないならば裕幸には何も話せない。

 だが、尋人の気持ちも判るから何もかもを隠すことは難しい。

「…」

 裕幸は微かに表情を和らげて口を切った。

 そうして歩き出す先は大樹家。

 尋人は、しばらくの間、大樹家に寝泊りすることになっているのだ。

「……中流さんは、まだ何も話せないと言うけれど、今の尋人君には俺の傍が何処より安全だと思うから家に泊めるように言ったんだ。あの人は…隠し事はしていても、君のことを一番に考えているよ」

「…」

 本当に一番に考えてくれているのなら、全部を話して欲しい…、それが自分の我儘だとは思っても、抑えきれない本音。

「……どうして…先輩は何の説明もなく…僕を裕幸さんの家に…? 裕幸さんの傍が安全って、どういう意味なんですか…?」

 不貞腐れたような物言いになってしまった尋人を、だが裕幸は責めたりなどしない。

「……どう言えばいいのか難しいけれど…、俺の周りに悪いものは近付いて来られないんだ」

「…それって…?」

「うん、…守ってくれる人がたくさん在るから、かな」

「昨夜の…あの獣みたいなものから、ですか…?」

「ん」

 応えて、裕幸は空を仰いだ。

 まるで遠く彼方から適当な言葉を見つけ出そうとするかのように。

「……中流さんは、君にはまだ何も話せないって言っている。……だけど、いつか本当のことを話してもいいだろうか、って…相談を受けたことがあるよ」

「ぇ…」

「俺よりも、君の方がよく知っているとは思うけど…、……中流さんは、優し過ぎる人なんだ」

「はい…」

「優し過ぎて、人のことばかり想って…そうして損をする人なんだよ。誤解、されたりとかね」

「…はい」

 何となく判る気がして、尋人の口元に苦い笑みが浮かぶ。

「それに真っ直ぐで、…それが不器用で、時々とても辛い思いをしている……尋人君、君を失った時のように」

「――」

 驚きに見開いた目で裕幸を見上げると、その人は淋しげに微笑んだ。

「……中流さんは、二度と君を失いたくないんだ。だから話せないと言う……、君を失くすことが怖いのに、…俺達一族の抱えているものは、君を遠ざけてしまう可能性があるから」

「そんな…!」

 自分が中流の傍を離れるなんてありえない、そう言いかけて。

 だが、自分が彼らの抱えている秘密を何も知らないと思い出す。

 あの獣や、殺された男性。

 夢。

 不思議な能力。

 秘密の片鱗には触れていても、その核心には触れさせてもらえない。

 そこに二人の間を裂くものが存在するからこそ、中流はそこから自分を遠ざけようとしているのだと、それに気付いて、尋人の言葉は途切れた。

 そして裕幸にもそれは伝わる。

 同時に、何も知らずに「そんなことはない」なんて言葉を言わなかった尋人の気持ちの正直さが有り難かった。

「…俺達の抱えているものは…正直、大きすぎる。…俺がこんなことを言うのは…本当は許されないけれど……」

「――…裕幸さん…?」

「ごめん。……ごめん」

 呼びかける尋人に、裕幸は謝る。

 何にとは限らずに、何もかもに。

「…ごめんね、今のは忘れて」

「裕幸さん…」

「覚えておいて欲しいのは…中流さんが君に何も話さないのは、君を失いたくないからだってこと」

「…」

「君の傍にいたいから、まだ話せずにいるだけなんだ。それを忘れないで」

 告げて、裕幸は微笑む。

 ……無理に、辛そうに。

 だけど嘘じゃなく。

「俺は、君と中流さんが二人で幸せになってくれることを願っているから、……中流さんの幸せを、祈るから…ね」

「裕幸さん…」

 その辛そうな笑みの理由が知りたかった。

 けれど、聞けない。

 いつも優しく、温かな気持ちが伝わる裕幸が今はとても哀しい存在に見えて、掛けるべき言葉も見つからなかった。

 幸せになってくれなければ困るとも聞こえるその表情に、尋人は、何故だか無性に泣きたくなった。


 ***


「裕幸が俺達の幸せ願ってくれているのは判る……でも、それじゃあ裕幸自身の幸せはどうするんだ? あいつの幸せは誰が守ってやるんだよ…っ…その方法も見つからない内に俺が尋人に全部話せると思うか? そしたら俺は…っ…俺は、尋人になんて説明すればいいんだよ……!」

 必死に訴える中流の言葉を、汨歌は黙って聞いていた。

 決して口を挟むことも、相槌すら打つことなく、ただ静かに。

「俺には力なんかない。兄貴達みたいに妖と戦う術もない…だけどこの身体に流れている血は、裕幸の幸せを願うことすら許してくれない……そんな俺が…俺が、尋人に何をしてやれる……っ?」

 力を持たない自分達。

 何も出来ない、異界の血だけが流れる体。

 一族の中、能力を持つのは出流と裕明の二人だけ。

 その他は二人の母親も、姉兄も、誰も戦う為の能力を持たない。

 中流のこの葛藤は、その皆が抱く、同じ思いだった。

「けど兄貴は言うんだ…俺には裕幸を守ることも幸せにすることも出来ないけど不幸にすることは出来る、って……それは判る。俺がこれで悩んで尋人と距離を置いていたら…それが自分のせいだって裕幸が悲しむのは解ってるんだ! だけど……でも…なんで自分だけ幸せになろうなんて思えるんだよ……!」

 そう。

 昨夜の兄の言うことも理解は出来た。

 裕幸を悲しませることは、何の力も持たない自分にも簡単に出来ることなのだと。

 けれど、それでも。

 判っていても。

 判らなくて。

 思い浮かんだのは、いつも裕幸と三人、たくさんの時間を共有してきた同じ歳の従姉だったのだ。

「笑いたきゃ笑えよ…情けないって嘲笑われても仕方ない…自分でも情けないし、バカだって判ってる…けど……っ…」

「……いくら私だって、今のアンタをバカだとは思わないわよ」

「汨歌…」

 力が無いと嘆きたいのは彼女も同じ。

 いつか裕幸が自分達の前から消えてしまう…それを知っていても何も出来ない事に歯痒い思いをしているのは、彼女だって同じだ。

 ただ、自分のこととなると悩むしか出来ないのに、人を見ていると気付くことがあるのは何故だろう。

 こんな簡単なことにどうして気付かないのかと怒りたくなる、その矛盾が、悔しかった。

「……出流が言ったのは正しいと思うけど、私は、アンタにも裕幸を幸せにすることって簡単に出来ると思う」

「ぇ…」

「さっさと尋人君に全部話して、本当の意味で恋人になっちゃえば? それで「俺幸せだ」って裕幸に言ってやりなさい。そしたらあの子、満面の笑顔になるわよ「良かった」ってね」

「――」

「だってあの子、アンタのこと大好きだもの」

「…って…でも裕幸は…」

「幸せだって色々あるでしょ? 幸せ感じてる証拠が笑顔なら、裕幸を笑顔にさせればいいのよ、その方法なら私達が一番知っているじゃない!」

「…っ…」

「あの子が笑顔になるの、決まって私達が楽しい時よ」

「汨歌…」

「あの子はね! …っ…裕幸は、それこそ本当のバカなのよ! 他人の幸せで自分が幸せになれる子なの! それしか自分の幸せは無いんだって思い込んでいる大馬鹿者なのよ!!」

「だから! それじゃ裕幸自身の幸せはどうなるんだっつってんだろ!?」

「あんたやっぱりバカ!? だからあの子の傍には時河がいるんんでしょ!?」

「――」

「あの子はね! 私達のこと好きなのと同じくらい時河のこと好きなの! そうよ同じくらいね! 私達が幸せなのも大事だけど、同じくらい時河も幸せじゃなきゃダメなの! でも時河が幸せになるには裕幸が幸せじゃなきゃダメなの! どういうコトか判る!?」

「って…裕幸が幸せになるには時河が幸せじゃなきゃならなくて、時河が幸せになるには裕幸が幸せじゃなきゃダメ…?」

「そぉ! 二人して幸せじゃなきゃ、二人とも幸せじゃないの! どっちか幸せに出来るのはどっちかだけなのよ!! そんな都合のいい相手が裕幸の傍にいるの! ぶっちゃけアキ兄も出流も時河利用するために裕幸の傍にいるの許してるのよ!!」

「――」

“利用”なんて物騒なことを言い放った汨歌に、中流は絶句しかけたが、あながち彼女の思い込みだとは思えない。

 なんの能力も持たないどころか。

 一族とはなんの関係もない存在。

 大樹家の秘密を知り、裕幸が一族の贄であると知り、いつか黒天獅のものになると、そこまで知っていながら、何も求めず裕幸の傍に居続ける人間。

 けれど。

 だからこそ。

 なんの関りもない人間だから、一族の者には出来ないことが竜騎には出来る。

 一族が逆らえない神の契約に、竜騎だけは手を出すことが可能なのだ。

「わかった!? 裕幸には時河がいるの! アンタに尋人君がいて何が悪いのよ! 何を遠慮する必要があるわけ? どうせ遠慮するんだったら私に遠慮しなさいよね!」

「…」

 自ら痛いところを突いて言い放つ汨歌に、中流は一瞬だけ呆気に取られたものの、次には思わず笑ってしまった。

「…っ…」

 なんて汨歌らしい言い分だろう。

 …なんて、頼もしい家族だろう。

「……裕幸、幸せになれるんだな…?」

「そんなの時河に言いなさいよ。言っとくけど時河をその気にさせるのは私達の仕事よ。時河も相当のバカだから無駄に理性強いしね!」

 うら若き乙女とは思えない発言をする汨歌に、もう一度笑って、中流は立ち上がった。

「サンキュ。少し気ぃ晴れた。……尋人に会う勇気も出た気がする」

「あっそ」

「余裕ついでに、おまえにも早くイイ男が現れるの祈ってやるからな」

「余計なお世話よ!」

 言い返してくる、彼女らしい態度に、中流の表情は自然と和らぐ。

 普段は口やかましい従姉くらいにしか思えないけれど、今日、彼女のところに来たのは正解だった。

 何だかんだと言いながら、やっぱり血の繋がりは尊いものだと思う。

「じゃ、帰るな」

「お気をつけて」

 フンッとそっぽを向きながら応える彼女に笑って、中流は事務所を後にしようとした。

 と、同時に飛び込んできたのは若い所員。

「所長! …って、あ、失礼」

 中流とぶつかりそうになって慌てて進路を開けた所員は遠回りして事務所に入り、室内を見渡した、

「汨歌ちゃん、所長は?」

「そろそろ帰ってくると思いますけど」

「ぁ、ほんと? 参ったなぁ…これ急ぎだと思うんだけど…」

 慌てている所員は、手にしていた書類をどうにかしようとしながら落ち着かない様子で頭をかき回した。

 同時、手が震えていたせいもあるのか、持っていた書類が床に散らばる。

「ぁ!」

「もぅっ!」

 慌てる所員と、苛立つ汨歌に混ざって、中流も落ちた紙片を拾い集めようとした。

「――」

 だが、紙片にクリップで留められた男の写真に目を見張る。

 その顔には見覚えがあったのだ。


 ――だから、念のために中流さんにも見てもらいたいんです。………どうです? 見覚えのある人達ですか……?


 同時に蘇える裕幸の言葉。

 その男は、尋人が噴水前で見た男達の中の一人だった。

「! おいっ、この男どうしたんだ!?」

「中流?」

「ぇ…あぁ、その男は依頼人の息子さんの友人で…」

「ちょっと!」

 仕事の内容を部外者に話すなと汨歌は声を荒げたが、中流にはそんなこと聞こえていない。

 ここに手掛かりがある、――それは中流の直感だった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ