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貴方の翼が堕ちても 十二

 どうして中流は何も話してくれないのか。

 彼が何を隠しているのか。

 …何一つ知ることが出来ないまま、中流は尋人の前から姿を消した。

 あんな場面に遭遇し、怖がらなかったはずのない恋人を抱き締めることも、顔を見せることさえないまま、中流は尋人を大樹家に残して去ってしまったのだ。

 もちろん大樹家が今の尋人にとってはどこよりも――自分の傍よりも安全な場所だからという“理由”はあった。

 しかし結果しか知らされずに、誰よりも信じ、想う相手にこのような態度を取られたということが、どれほど尋人を悲しませたか。



 ガチャ…と遠慮がちな音がして、尋人を休ませた部屋から裕幸が出てくると、その正面ホールのソファで休んでいた竜騎は顔を上げた、

「…」

「…」

 視線が重なり、声には出さずとも伝わる言葉。

「…うん。尋人君、ようやく眠ってくれたよ」

 裕幸が言い、ベランダに向かって歩を進めると、竜騎も立ち上がり、その後に続いた。

 陽当たりを考えて設計された邸は、いま、明かりの消えた屋内に月影を敷く。

 闇に灯る仄かな光りは心安らげる癒しの静寂――それにちなんで“里界の月”と謳われ。夜も太陽を沈ませない“白夜”の名を持つ精霊。

 その魂を継いだ裕幸は、ひどく哀しげな表情で十六夜の月を仰ぎ見た。

「…どんなに気が昂ぶっていても、俺の…“白夜”の力に触れたらすぐに心安らぐはずなのに…。…だけど尋人君は、ずっと泣いていた。……中流さんを信じることが出来なくて、泣いていた……聖霊の力なんて、人の心の前には無力なんだよ……」

「…」

 そうして見せる、自嘲気味な笑み。

 竜騎は何も言わずに聞いている。

「…それに、中流さんが尋人君に本当のことを話せないのは、……たぶん、俺のせい…」

 裕幸の脳裏に思い浮かぶのは、傷ついた顔をした従兄の姿。


 ――……なんで俺には、おまえを守れる能力がないのかな……


 何の力も持たない両手を見つめて悔しそうに呟いた。


 ――……なんで俺は……おまえに護られてばっかりなのかな……


 そんなことはないと言っても、顔を歪めて聞き入れようとはしなかった。

 大樹の血を引きながら、裕幸や、兄達のような能力を持たない身体を悔やんでいた。

「中流さんは…、……優し過ぎるんだ」

「…」

「……本当は、中流さんには…、何も知られちゃいけなかったんだと思う……」

「裕幸」

「…っ…」

 後ろから腕に伸びてきて竜騎の手を避け、距離を取る。

「…ごめん竜騎…」

「…」

 こんなこと、何の意味も持たないのは判っている。

 自分がそれを決めたからといって中流と尋人の間に生じた溝が埋まるわけでは決してない。

 けれど、堪らなかった。

 自分の存在が、大切な従兄の。

 大好きな人達の枷になっていることが――。

「竜騎…」

 もう、全部忘れてしまおうか。

 自分の存在が悲しむ人を増やすなら、現在しがみ付いている全てのものを解放して。

 竜騎を、解放して。

 地球人として生きるのか。

 里族として故郷に戻るのか。

 中流だけじゃなく、大樹の血に連なる家族、兄弟たち皆の未来への方向性を定めることが、白夜の魂を継いだ己のなすべきことではないのか?

「…っ…」

 だって、どう言い繕おうとも、これは間違いだ。

 白夜が、人間としての時間を少しでも長く維持したいと願うことなど許されない。

 白夜は――裕幸は黒天獅に選ばれた贄、それは生まれる前から定められていた、裕幸の役目なのだから。

「…竜騎…」

 考えて、考えて。

 悩んで。

 裕幸は顔を歪める。

 その手に掴まれた腕を、竜騎は引いた。

「…っ…」

 その力に負けて抱き寄せられ、重なる影。

「竜騎…っ…」

「……考えるな」

「――」

 腕の中、竜騎の瞳を見上げた。

 深い闇色の、他に翳りも光りも持たない双眸。

 そこに映るのは、裕幸だけだ。

「……」

「…」

 絡む視線は、言葉よりも雄弁に想いを語る。

 決して叶わぬ幻だと、知っていても。

「許せ――」

 静かな言葉に、重なる唇。

 それ以上にはなれない哀しい触れ合いは、彼らの傷を深めるだけ。

「……っ…」

 いつか白夜は黒天獅のものになる。

 それは決して変えられない未来。

 けれど、それでも願ってしまう。

 願わずにはいられない。


 ――…傍にいたい……

 ――…まだ、一緒にいたい……


 その、たった一つの想いを。



 ***



 六条家のリビングで、中流は何もかも拒むように頭を抱えていた。

 世界はすっかり深夜を迎え、外界には不気味なほどの静寂が広がっている。

 今夜はもう休んだ方がいいと、共に帰ってきた兄・出流に奨められたのが三時間前。

 その間に、久々に実家に帰ってきた出流が何をしたかなど知りたいとも思わないけれど、兄があちらに帰ることなく、今もこの家にいるということが、沈んでいく一方の中流の気持ちをギリギリの所で抑える唯一の光りだった。

「…」

 お休みを言って部屋に入った中流は、しかし眠れるはずもなく、兄が寝静まった頃を見計らって居間に下りてきた。

 電気もつけず、暗い部屋のソファに沈み込んだ中流は、ただ、頭を抱える。

 何を考えればいいのかも解らない。

「…っ…」

 解らない。

 答えようと思えば簡単すぎる答えが目の前にある、それは確かなのに、中流はそれにだけは手を伸ばしたくなかった。

 尋人に全てを話す。

 それだけは絶対に出来ないから。

「尋人…っ…」

 きっと泣いている。

 傷ついている。

 ――自分のせいで。

「尋人…!」

 解っているのに。

 悪いのは自分なのに、それでも、自分の身に流れる血の秘密は語れない。

「…っ…言えるわけない…」

 言えない。

 だって。

「俺にそんな資格ない……っ」

 何を以って資格とするのか。

 否、そもそも資格など存在しないだろう。

 それでも中流には話せない。

 その資格がない。

 もしも自分に、兄達のような能力があれば違ったかもしれないけれど。

「っ…なんで…俺は…っ…俺は聞いてるだけなんだよ…、なんで護られてばっかりなんだよ…!」


 ――…同じことを言わせないでくれるかい? 俺は、君の何だっけ?


「なんであんな奴に好き放題言われて…っ」


 ――…俺は中流さんの意思を尊重します…


「裕幸に庇われて…っ…」



 ――…貴方は俺達の神だ……



「神なんて…っ」

 この血に連なる者の神。

 今は眠りし故郷の主、里界神。

 そして、彼らは。

「なんで…っ…なんで裕幸を贄にするような奴に言い返せないんだよ……っ!」

 里界神は、里界復活のために白夜を黒天獅の贄にすることを決めた。

 大樹家の大事な弟を奪うのは彼らなのに、己が里族の血が神に逆らうことを拒むのだ。

「くそ…っ…」

 だから、もし黒天獅が現れて裕幸を奪いに来ても、この身体はそれを阻止することが出来ない。

 神と黒天獅の契約に、里族の血が介入させないからだ。

「クソ………ッ!」

 何も出来ない。

 護ってやれない。

 そればかりか、自分ばかりが守られている。

 大切な恋人と幸せな時間を過ごせるように。

 誰にも邪魔されないように。

「…っ…」

 護られてばかりだ。

 裕幸が誰と共に在ることを望んでいるのか知っていながら。

 それが決して叶わぬ幻だと、知っていながら、

「俺は何もしてやれないのに………!!」

 そんな自分が、尋人に何と説明出来るだろう。

 あの獣は裕幸たちが戦っている相手で。

 裕幸たちは、宇宙にある故郷を復活させる為に戦っていて。

 裕幸は特別な存在で。

 いつか、ここからいなくなる。

 ――そのとき、中流は…?

「…っ……!!」

 裕幸の言葉が蘇る。

 尋人と二人、幸せになって欲しい。

 それが自分の望みだと、静かに微笑んだ綺麗な存在。

 中流が、尋人と幸せになること。

 それが裕幸の望みだから俺達は必ず幸せになろう、とでも言えばいいのか?

 自分達だけは幸せに?

 裕幸を、神様の言うとおりに犠牲にして――?

「ふざけんな……っ!!!!」

 そんなことが出来るものか。

 尋人に、そんな話が出来るものか。

 だったら裕幸の――白夜の役目だけは秘密にしておけばいいのか?

 裕幸が現実にいなくなる、その日まで。

「――っ」

 その日まで、尋人を騙して……?

「違う……っ!!」

 こんな、普通ではない血と世界の話を信じて欲しいと願うなら、そこにはわずかな嘘もあってはならないのだ。

 だから言えない。

 まだ。

 どう話せばいいのか、中流には適当な言葉がまったく思いつかないから。

「尋人…っ…」

 泣いている顔が浮かぶ。

 自分が傷つけた、大切な恋人。

 すまない、と胸中に謝ることしか、いまは出来ない。

 前に進めない。


 ……それを、黙って見逃すはずのない人物がここにいたのは、幸か否か。


「……おまえが裕幸に負い目を感じる心情は解らないでもないけれど」

「!」

「それで大切な人を悲しませるのは感心しないね。…頼むから、お兄ちゃんを失望させないでくれ」

「…っ…」

 玄関に続く扉に寄り掛かって立つ出流は、いつからそこにいたのか、普段とは異なる笑みを浮かべて弟を見つめていた。

「ついでに言わせて貰えば、俺を甘く見るんじゃないよ?」

「兄貴…」

 掠れた呼びかけに、出流は目を細める。

「おまえは、裕幸のために何も出来ないと思っているんだね。…確かに、おまえにはあの子を護ることなど出来ないし、幸せにするなんて不可能に近い」

「…っ…」

「けれど、あの子を不幸にすることは、おまえにも出来るんだよ」

「――」

 出流の言葉に、中流は息を呑んだ。

 それを理解は出来なかったが、何か鈍くも巨大な凶器で襲われたような。

 …そんな、気持ちの悪い痛みが体内に広がる。

「もう一度言うから、よく聞きなさい。失望させないでくれ。俺や、――裕幸を」

「…」

 目を見開く弟に、出流は小さく笑う。

「おやすみ」

 そうして立ち去った姿は闇の中へ。

 残された中流も、同じに。

 深夜の静寂は、もう誰にも破られなかった。




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