時の旅人 二五
それは悪夢の再来か。
未来への道標か。
望む明日は“幸せ”だけ。
誰と進むかを知るのは“心”だけ――。
その電話が鳴ったのは十一時を過ぎた頃。
尚也と二人、松浦駅に降り立った尋人はコートのポケットに入れてあった携帯電話の振動で着信に気付き、表示された名前が“菊池武人”であることに安堵した。
「菊池君です」
言うと、尚也も「そっか」と笑い、ようやく連絡が取れる事にホッとした様子だった。
だが実際に聞こえてきたのは、友人のものとは似ても似つかない男の低い声。
『クラハシヒロトだな?』
聞いてくる声には不気味な笑いが混じる。
瞬時に顔を強張らせた尋人の異変に気付いた尚也は、足を止めて様子を伺っていた。
『この電話のガキを預かってる。返して欲しけりゃ今すぐに敷明小路に来い。場所はオマエがよぉく知っている場所だ、あの日の続きをしようぜ?』
「あの日の続き…?」
何を言われているのか理解出来ずに聞き返すと、男は笑った。
『心配すンな、今度は声我慢なんか出来ねぇくらいイイ思いさせてやるよ』
「な…にを……」
「ヒロト?」
青ざめた顔の尋人に、尚也は眉根を寄せた。
「何を…言っているんですか………何を貴方と…っ…」
「!」
瞬間、尚也の中で何かが弾けた。
「おい!」
尋人から携帯電話を奪い取り、途端に怒鳴りつけた。
「おまえら野口をやった連中か!」
『誰だてめぇ』
「誰だろうと関係ない! 俺が聞いてンだろ!? 野口をやったのはおまえらか!!」
『ノグチなんか知らねぇなぁ…、俺らがヤッたのは、そこにいるクラハシヒロトだぜ?』
「―――!!」
笑っている。
電話の向こうの男達は、それを楽しんでいる。
「ふざけんな!!」
「尚也さん…?」
「いい加減にしろ! 二度とヒロトに近付くな、こいつは全部忘れてるんだ、もうオマエらとは関係ない!!」
『忘れてる…?』
一瞬の沈黙。
直後。
『あはははははっ!!』
「!?」
『ははっ、忘れてるって!? そりゃいい、俺らの人生ダメにしといて忘れてるってか!? だったら尚更そのガキ連れてこいよ、俺らが思い出させてやるから!』
「…下種が…っ……どっちが人の人生滅茶苦茶にしてンだよ!! おまえのらせいでヒロト達がどんなに苦しんだと思ってんだ!」
親友が――中流が、どんな思いで今までの月日を過ごしてきたか。
「絶対にヒロトは行かせない! 二度とおまえらの好きにさせるか!!」
『だったら、この菊池ってガキが代わりになるぜ』
「―――!」
『今すぐに可愛がってやる。それがイヤならヒロトを連れて来い』
「卑怯だぞ……!」
『ハッ。いいからヒロトを連れて今すぐに敷明小路二丁目のJESSって店まで来い』
「ちょ…っ」
言い返すまもなく切られた電話。
「くそっ……!」
吐き捨て、空を睨み付けた尚也は、尋人の震えた手に腕を握られて、ようやく我に返った。
「ぁ…」
「なお…や…さん……今の、電話の、…男の人……」
「ヒロト…」
「今の人が……言ったこと…」
思い出そうとしても思い出せない。
気付くことを恐怖が拒む。
「…僕は、何をしたんですか……」
「…っ」
「皆は…、尚也さんは、何を知っているんですか……っ!?」
菊池は、どうして自分達よりも早く、この街に来ていたのだろう。
尚也は、どうして今の電話を理解して、怒ったのだろう。
両親は、どうして知っていることを話してくれなかったのだろう。
中流は、どうして何も言わずに別れを告げたのか。
「僕はどうして記憶を失くしたんですか……!!」
「…っ……!」
尚也は尋人に携帯電話を返すと、強引に腕を引き、今降りたばかりのホームとは逆方向に連れて行く。
「ヒロト、おまえはすぐに家に帰れ」
「え…」
「中流は、必ず会いに行く。今日は無理でも、きっとすぐに会いに行く。だから駅から出ずに、すぐに家に帰れ」
「そんな…っ…それじゃあ菊池君が…!」
「菊池は俺が助けに行く」
「だって! それじゃあ今度は尚也さんが」
「俺はいいんだ!」
「良くなんかないです! 尚也さんに何かあったらご家族や彬先生がどんなに悲しむと」
「同じだろ!? ヒロトに何かあったら悲しむ人が大勢いる! 親だって菊池だって…っ……中流だって! また泣かなきゃならなくなる! 俺はっ、もう二度とあいつにヒロトを失わせたくないんだ!!」
「―――!!」
ようやく逢えるのに。
閉ざされた時間が開いて。
置き去りにされた時間に呼ばれて。
やっと、二人の時が重なろうとしているのに。
「俺は中流に救われた。あいつがいたから好きな男と一緒にいられる…っ……、だったら今度は俺があいつの力になる番だ」
「…っ」
「だから帰れ。――心配すんな、野口と一緒で次の日には見つかって病院でまた会えるさ」
尋人が行けばどうなるのか明らかでも、尚也が行けば、それだけで済む。
身体につけられた傷なら、時間が経てば綺麗に消せる。
「いいな、俺の言うこと聞けよ?」
強い口調で言い聞かせる尚也に、これ以上は逆らっても無理だと判断した尋人は、唇を噛みしめながらも、コクンと小さく頷いた。
「…わかりました」
少年の答えを聞き、尚也は満足したように笑った。
「また会おうな」
今度は、中流も一緒に。
そうして走り去って行く尚也を見送り、尋人は顔を伏せた。
このまま帰れと尚也は言う。
言うことを聞けば、今度は必ず中流と会えるから、と。
「………っ!」
だからって、出来ない。
そんなことは、出来やしない。
「これは僕がしなきゃいけないことだ…!」
尋人は尚也から返された携帯電話を握り締め、菊池の番号に掛けた。
どうか電源が切られていませんように。
男達が自分の話しを聞いてくれますように。
コール三回。
電話は繋がった。
「…貴方達の言うことを聞きます。だから、行き先を変えて下さい。僕一人で行きますから――……」