時の旅人 二四
翌朝。
尚也と尋人は、母親に見送られて倉橋家を後にした。
さすがに日中は彬も仕事があり、迎えには来れないため、二人は電車でK市に戻ることになった。
今日、中流が帰ってくる。
二人はようやく再会出来る――。
「あいつの飛行機が新千歳に着くのは昼過ぎだし、時間あるようなら野口の見舞いに行くか」
そんな尚也の提案に、尋人は即座に頷いた。
まだ意識が戻ったという連絡はなかったが、自分のせいで負傷させてしまった野口に、せめて直接の言葉で謝りたかった。
「…」
他愛ないお喋りをしながら、尚也と二人、地元を離れた尋人だったが、一つ、気懸かりもあった。
今朝、K市に行くことを菊池にも報告しようと連絡を入れたのだが、何回電話をしてもまるで繋がらないのだ。
昨夜の、彼らしくない態度も気になった。
(…滝岡君がどうかしたのかな…)
尋人は昨夜の電話での会話を思い出しながら小首を傾げる。
菊池は、何を求めていたのだろう…?
◇◆◇
その頃の菊池は、実は尋人よりも一足早く街に出ていた。
数日前にも訪れたK市を過ぎ、その先の北の大都会・S市へ。
その足取りに迷いはなく、ただ足早に目的地を目指していた。
S市の観光地として名高い【大通】と平行し、数区を離れて無数の商店が建ち並ぶ歩行者天国“敷明小路”。
(くそ…っ……!)
背負っていた鞄。
その肩紐を握り締める。
中には、財布などの他に小さめの茶封筒が押し込まれていた。
封筒の中身は写真。
昨晩、写真家を目指す友人に方法を教えてもらい、彼自身の手で現像した十数枚のそれは、従兄から送られてきたフィルムの中身。
あの日の――誰もが尋人に語ろうとしない、失くした記憶の悪夢だった。
(なんでこんなこと…っ…何でこんなことしたんだよ修司!!)
これを従兄が持っていたのは、彼が関っているからに違いなく。
あの頃の彼は尋人を虐めていた張本人だ。
「……っ」
これを、六条中流に渡せという一文だけを添えて送ってきた彼の意図は何だ。
六条中流を、尋人の恋人だった男と知っていてのメッセージか。
知っているのか。
六条中流も。
彼も、この事実を知っているのか……?
(ばか野郎…っ…なんて事しやがったんだおまえ……!!)
――……本当は優しい、いい人なんだけど外見が恐くてよく誤解されていたよ……
尋人にそう思われていたことなど、きっと知らずにいた。
自分が、倉橋尋人という同級生をどう思っているのかすら気付かなかった彼は、決して取り返しのつかない最低な真似をしでかしていた。
(俺は許さない……っ)
尋人が全てを忘れてしまっても、菊池は、自分だけは絶対に従兄を許さないと決意した。
本人を見つけ出し、この写真を突きつけて、尋人に土下座して謝らせてやる。
それが無理ならば、自分が報復してやる。
その強い気持ちで、彼は敷明小路を目指していたのだ。
尋人が以前に住んでいた街。
その近辺で、そういう連中がいるのは敷明小路だという情報は前々から知っていた。
所在不明の従兄だけれど、ここに来れば何らかの情報を得られるかもしれないと思ったのだ。
(絶対に見つけ出してやる…!)
敷明小路に辿り着くと、早速、従兄の情報を求めて動き出した。
この辺りで滝岡修司という名前は聞かないだろうかと声を掛け、本人の写真を出しては見覚えがないかと聞きまわった。
だが有力な情報は何一つ得られず。
――そればかりか、一度は避けた危機を呼び戻してしまった。
「おい、タキオカシュウジ探してるって?」
「!」
背後から声を掛けられ、振り返ると、そこには二人の男が立っていた。
大学生風の、そこそこに長身で、遊び慣れている雰囲気。
菊池にとっては見知らぬ男達だが、彼らは菊池の顔をまじまじと見て表情を変えた。
こいつだ、…とその瞳が告げた。
「!」
菊池が、その変化を目にするまで警戒しなかったのは仕方がない。
彼らは、いつだって菊池達の背後から彼らの動向を見張っていたのだから。
「…っ……!」
「おとなしくしろよ、言うこと聞けば手荒な真似はせずにいてやる」
「おまえら…っ……もしかして倉橋の…っ」
「俺らは何も知らねぇヨ。そのクラハシ? そいつを攫って来いって言われただけだからな」
「誰からだよ…!」
「だから知らねぇって。とにかく俺らはクラハシさえ連れて行けば金貰えンだ。おまえには、呼び出す餌になってもらうぜ」
「誰がそんなこと…、――!」
「大人しくすりゃ手荒な真似はしない、って言ったよな?」
「…っ……」
尋人を庇って、野口が暴行を受けたという報せを、今更ながらに思い出した。
自分の愚かさを悔やみながら、腹部に当てられたナイフの切っ先に、一筋の赤い液体が流れた。
◇◆◇
どうして今までそれを忘れていたのか、思い出した現在でも解らない。
最初に感じたのは違和感。
自分達は、もっと楽に生活していたはずだと思った。
仲間達と始めた“闇商売”は思いのほか巧くいっていたはずだし、毎日毎日、金のためと思わなければ投げ出したくなるような注文メールを処理し、銀行で記帳するたび振り込まれている金額に笑った。
誰が泣こうが喚こうが。
それで誰の人生を狂わせようが。
俺達はそれが楽しかった。
たった一度の人生だ。
自分が楽しまなかったら損だろう。
なのに、これは何だ。
俺達の“店”はどこにいった?
売り上げは?
客の――否、それよりも“商品”達のリストはどこに消えたんだ……?
一度きりの“商品”になった奴もいれば何度も呼び出しイイ金づるになった“商品”もいた。
リストがなくたって思い出せる連中もいて当然なのに、何故か、誰一人として思い出すことが出来なかった。
自分達の記憶に愕然として。
仕方ないから新しい“商品”を手に入れようとすると片っ端から失敗する。
一度は警察沙汰にまでなり危うくブタ箱行きだ。
…何もかもが巧くいかない。
何もかもを失って。
……なんで俺達は楽になれないんだ…?
その答えを得たのは、あの日のテレビ。
昼過ぎの番組に映ったガキの姿に、いきなり閃いた。
こいつだ、と思った。
そいつだけを思い出した。
このガキを犯れなんて依頼さえ来なければ、俺達は今も楽に暮らせていたはずだと、思い出した。
「クラハシヒロトと、タキオカシュウジ」
男は呟き、菊池の鞄から取った茶封筒、その中に入っていた十数枚の写真を眺めながら嘲笑した。
「…そうだよ、こいつらだ。こいつらのせいだ……っ」
「おいエータ。これ」
相棒が投げて寄越したのは、やはり少年の鞄から取った携帯電話。
菊池は両手を縛られ、ガムテープで口を塞がれた状態で、冷たいフロアの上に放置されていた。
意識はあり、必死に声を上げようとするが、それもくぐもった呻きにしかならなかった。
「クラハシヒロトの番号、入ってる」
「OK」
時刻は午前十一時。
尋人と尚也がK市に戻って来る。
中流の乗った、東京・羽田発の飛行機が新千歳に到着するまで、あと一時間――。