時の旅人 二十
例えば、それが二度と重ならない時間でも。
戻れない場所でも。
帰れない二人でも。
「何としてでも六条を呼び戻したい」
そう言った彬の言葉を、尚也は信じる。
あの、バカだけれど最高の親友に、今度こそ逃げずに選んでほしいから。
中流の選択一つで現在が何通りにも変化することを知ってほしい。
倉橋尋人の気持ちは、記憶を失くしてなお、向かう先を変えなかったこと。
「また何を言われたって…誰に否定されたって…俺はおまえに本当に笑って欲しいんだ…」
流れる車窓の向こうに、異国にいる親友の幻影を見ながら尚也は呟いた。
そしていま、貴士に託された願い。
倉橋尋人を守ること。
彼の言う“あの時”のことなど、まだ知る由もなく、誰も教えてはくれないけれど、あの貴士が、尋人に二度とあんな目に遭ってほしくないと訴えたのだ。
それだけで、尚也が動くには充分な理由だった。
真実を知るのは“いつか”でいい。
それでも構わないから――。
「中流…、早く帰って来い……!」
◇◆◇
「まさか君が六条の従弟だったとはね…」
兄・貴士から道を教えられ、訪れた目的地。
六条中流と連絡を取るために面会した大樹裕幸の姿に、彬は遠い面影を見出して表情を歪ませた。
「いや…いまは昔の思い出話に浸っている場合じゃないな」
「…ええ」
自嘲気味に語る彬に、裕幸も複雑な表情で頷く。
初めてこの相手に会ったのは、裕幸が十歳になるかならないかの頃だった。
そして今日が二度目――七年ぶりの再会になる。
「裕幸…」
「大丈夫」
背後から気遣うような声を掛けてくれる従姉に笑んでみせて。
「…では、時枝先生は中流さんを呼び戻すために連絡を取りたいんですね」
「そうだ。これ以上、六条のいないところで何かが起きるのは避けたい」
「これ以上…というと、何かあったんですか?」
「野口という六条の友人が、暴行を受けて病院に運ばれた」
「暴行…?」
その言葉に、彬の目の前にいた人々―裕幸の他には三人の少年少女が同席していた―の表情が一瞬で変わった。
それは「尋人が危ない」と自分達に伝えた時の貴士の表情に重なる。
「…その野口が、意識はないのに六条の名前を呼び続けている。……尋人君が危ないと、何度も繰り返しているんだ」
「! 尋人君が…!?」
「ちょっと! それってなに…っ、その野口って子を襲ったの、尋人君を襲った連中と同じなの!?」
「え――」
「汨歌さん!」
「あ…」
慌てて口元を覆うも、もう遅い。
彬には解ってしまった。
尋人も、過去に襲われていたのだということ。
――野口君は暴力を受けただけだったが……
兄のあの言葉は、尋人が受けたのは暴力だけではなかったということ。
(だから尋人君は自殺したのか……!?)
ようやく判った。
中流が逃げたのも。
尋人が限られた期間の記憶を閉ざしたのも。
貴士が、どんなに問い詰めても真実を語らなかったのも、全てそれが理由だった。
「…っ……、だったら尚更、六条を呼び戻したい。尋人君にまた危険が迫っている。…過去と同じことを繰り返させるわけにはいかない」
「――判りました」
彬の言葉に、裕幸は頷いた。
同じことを繰り返させたくない。
それは、誰もが同じ思い。
裕幸は受話器を取り、二日前と同じ順序で中流の滞在している場所へと回線を繋いでいった。
五分ほど掛かって、ようやくアフリカ・クルーガー国立公園に繋がったが、そうして話す相手は六条中流ではなかった。
「え……?」
戸惑う裕幸の様子に、周りで見守っていた誰もが表情を強張らせる。
「それで中流さんは…、本当なんですか? じゃあ、もう…はい。はい…、ええ、ありがとうございました。…失礼します」
中流と話すことなく受話器を置いた裕幸に彼らは身を乗り出した。
「いま、佐伯さんが電話に出られて…」
アフリカで中流の面倒を見ていた写真家、佐伯幸也。
彼が電話に出て裕幸に告げたのは、にわかには信じられない内容だった。
「それで、六条は…?」
「…アフリカを出たそうです」
「は?」
「今朝方、帰ったと……」
「それって…」
「六条が日本に向かっているってことか……!?」