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二度目の楽園 四

 親友の幸せボケが原因でその日の予定が大きく変更し、だがそのおかげで気になっていた少年・倉橋尋人と再会できた中流は、あれから五日が経った今日この日、榊学園中等部の生徒玄関で尋人が来るのを待っていた。

 授業が終わるのは中等部も高等部も同じ時間だったが、その後のSHRは、それぞれの学級事情によって大きな差が出る。

 例えば最後の授業が担任の数学だった中流のクラスは、授業の最後にSHRを終えてしまい、授業終了のチャイムと同時に解散。他のどの学級よりも早く教室掃除に取り掛かった。

 その一方で尋人の学級担任は、中流も中等部時代に世話になったことのある話好きで有名な高齢の女性教諭で、SHRは必ず五分以上かける人物だ。

 今日は特に時間をかけているのか、中流がここに来てから早十分。たくさんの後輩たちが次々と帰って行くのに、待ち人の姿は一向に見当たらない。

(また…。変な事に巻き込まれてないといいけどな…)

 ふと脳裏を過ぎるのは傷だらけの尋人の姿。

 最初に会ったときも、二度目の偶然の再会のときも尋人の全身が傷だらけだったことが、姿が見えないだけでも中流を不安の渦に陥れる。

(本人は大丈夫だって言って譲らないけど、こればっかりはさ……)

 この五日間で中流と尋人は大分親しくなることが出来、こうして中等部の生徒玄関で待つのも今日で三度目。

 一人でいて乱暴な連中に絡まれるのなら「帰りは俺が一緒にいればいいだろ」と中流が自分から申し出たからだ。

 以前は親友の尚也と一緒に帰っていたが、彼に浅見理香と言う恋人が出来てからはそれも無くなり、中流自身が一人で登下校するのに退屈していたからと言うのも立派な理由で、最初は迷惑を掛けたくないと言って拒んでいた尋人も、それを聞いてようやく頷いた。

(ったくな…。迷惑だと思ったら最初から部屋に運んだりしないっての)

 苦笑いの表情で胸中に呟いた中流は、すれ違いざまに「サヨナラ先輩」と頭を下げていく中学生に軽く手を上げて応える。

 中等部の玄関に高等部の先輩がいるという光景はただでさえ目立つのに、それがこの六条中流となれば尚更だった。

 運動神経抜群の本居尚也の親友は有名人だと言った尋人の言葉は事実だったようで、それでなくとも中流の家族や親戚関係のことを知る生徒は少なくない。

 彼が誰かを知っている中等部の――特に女生徒は、チラチラと彼を盗み見ては何事かを囁いて帰っていった。

 気分のいいものでは決してなかったが、父親や兄の仕事関係上、見ず知らずの他人に探られるのは慣れている。

 だから中流は、それら全部を無関心に聞き流し、続々と帰っていく後輩達の中から待ち人の姿だけを探していた。

(教室まで行ったら驚くかな。いや、驚くだけならまだしも嫌がられたら困るしなぁ)

 尋人は目立ちたいタイプの人間ではない…と言うよりも、目立つのをひどく恐れている観がある。

 それに彼がいじめに遭っているのは周知のことなのか、彼を見る目に含まれたイヤな感情や、こそこそと逃げるような態度は中流にも不愉快だ。

 生徒玄関にいるだけでも話題になっている彼が教室まで行ったとなれば、周囲がどんな噂を立て、尋人がどんな思いをするか。

 それを思うと下手に動くわけにはいかなかった。

(待っているしかないか、やっぱ)

 尋人が中等部の三年一組に在籍していることは二度目に会ったときに聞き、同時に彼に怪我を負わせているのが三年三組の滝岡と言う男子生徒を筆頭にした七人のグループだということも判った。

 判ったからにはどうにか出来ないだろうかと悩んだのだが、自分が尋人と同じクラスならともかく、学年も校舎も違ったのでは守れる範囲は限られてしまう。

 にも関わらず高等部の先輩が無神経に口を出せば、それは一番恐れている形で全て尋人に返ってしまうだろう。

 それを思うと、結局、尋人が無事な姿で現れるのを待っていることしか出来ないのだ。

(…俺のエゴなんだろうな……)

 そして同情なのかもしれない。

 それなら尋人を侮辱するのと同じだから、早々に手を引いて見て見ぬフリをする方がよっぽど親切じゃないかとも考えた。

(けど放っておけないんだ…)

 その気持ちだけ。

 尋人を一人にしたくない、その思いだけでこうして待っている。

「――先輩?」

「っと…」

 不意に呼びかけられて、中流は驚きつつ背後を振り返る。

 そこにはすっかり帰り支度を整えた小柄な少年、倉橋尋人が立っていた。

 制服やコートには泥の染み一つ無く、素肌の見えている顔や手足にも心配したような傷はない。

「今日も大丈夫だったみたいだな」

「はい」

 五日前までの怯えた雰囲気はまるで無く、この数日ですっかり中流に親しんだ尋人は無邪気な笑顔で応える。

「彼らだって、そんな毎日、僕に構っているわけじゃないですよ」

「そっか」

 少年につられるようにして微笑して見せた中流だが、内心では尋人に害を及ぼすしか能の無い滝岡たちへの怨みが膨らむ一方。

 この五日間で、尋人がどんなに純真で、真っ直ぐな少年なのかを知ったから尚更だ。

「ところで何で後ろから来たんだ? 一組の教室ならこっちの階段から下りて来るだろうと思っていたのに」

 だから一組側の階段に背を向けていた中流の問いかけに、尋人はわずかに表情を曇らせる。

「その…、三組の方が先にSHRを終えていて…」

 三組という学級に、中流は彼の言わんとしている事を察して眉を寄せた。

「尋人…、やっぱりあの連中に待ち伏せられていたんだろ」

「で、でも大丈夫ですよ、本当に! 先輩が待っていてくれるって思ったら逃げ足も早くなるんです。今だって怪我一つなく来たでしょう?」

 それを証明するかのように両腕でガッツポーズを作る尋人が、中流には心強い反面、ひどく哀れに思えた。

「そうだな」と返しはするものの、尋人の強がりと判るそれを素直に受け止めることは出来なかった。

 例えこれが中流のエゴであったとしても。

 同情から来る哀れみであったとしても、尋人を一人にはしたくない。

 それだけが彼の中で明確になっている彼の意思。

「あ、先輩」

 歩き出し、校舎を出た後で尋人は言う。

「本当にいいんですか? 先輩の仕事を見学させてもらっても」

「ん。友達を見学させて欲しいって言ったら、撮影する親父が快く承諾してくれたんだから問題なし。それに裕幸も会いたいって言っていたしな」

「裕幸さんも一緒なんですか?」

「一緒っていうか…」

 言いながら、意味深な笑みを浮かべる中流。

「今日はKARA.Hの撮影なんだよ」

「KARAの…?」

 聞き返す少年の表情が明るくなるのを見て中流は嬉しくなる。

 尋人が笑ったり、楽しんだりしている姿を見ると、中流の心も軽くなる。

 いじめられている彼が、自分の傍でだけでも元気でいてくれれば、それはひどく喜ばしいことのように感じられた。

 だから中流は(これでいいんだ)と開き直る事にする。

「尋人はラッキーだよ。これがフランスに飛ぶ前の最後の仕事だからな」

「フランス…」

「行ったら一月は戻ってこないんだ。一度日本を離れたらこの時とばかりに世界各国飛び回るから、フランス行って一週間もしたら今度は所在不明だ。どっかで死んでもしばらくは判らないぞ、きっと」

 すごいことを平然と言う中流を、尋人はわずかに気落ちした表情で見上げた。

「先輩…、そんなにお父さんと離れていて、寂しくなったりしないんですか……?」

「え?」

「いつもいる人が家にいないのって、すごく変な感じがしませんか…?」

 自分を見上げる少年の目に不安や戸惑いが見え隠れしているのを知って、中流は自分がまた言葉を誤った事に気付く。

 今まで尋人が安らげたのは家の中でだけ。

 その彼に対して、今の発言はあまりにも無神経だ。

「あぁ…、まあ確かに寂しいと思うこともないわけじゃないけど、親父は写真が本当に好きでこの世界にいるわけだしさ…、その姿を見てきて、俺もこの道を選んだようなもんだし、邪魔なんか出来ないよ」

「…」

「それにほら、俺の親戚関係って結構近所に住んでいて仲も良いんだ、裕幸みたいに」

 中流と、母方の血で繋がっている親戚関係には、大樹総合病院創立者の祖父と北欧出身の祖母、六人の伯父伯母と九人の従兄弟がいる。

 これに両親と兄をプラスした全員がこの近郊に住んでいて、どの従兄弟とも年齢が近く頻繁に連絡を取り合っているから、家族と呼べる人達が本当に大勢いて、最近は父親が居ないからと言って寂しいと思うことはほとんどなくなっていた。

「やっぱ死なれたら困るけどさ。…生きているうちは楽しんで欲しいと思うわけだ」

 尋人の反応を窺うようにして言った中流の前で、少年は急速に顔を赤くした。

「? どうした?」

 また自分が変なことを言っただろうかと内心で焦る中流に、尋人は激しく首を振る。

「あのっ、ごめんなさい…、先輩は僕と違うのに変なこと言って…」

「…」

「…ごめんなさい」

 足を止め、しゅんとうなだれてしまった尋人を、中流は本心から可愛いと思ってしまう。

 謝る必要などない。

 考え方が違うのは当然のことだから。

「いいから行くぞ」

 立ち止まってしまった少年の頭を多少乱暴に撫で回して、中流は明るい声で言う。

「撮影準備に遅れたら給料天引きされるからな」

「先輩…」

 そっと和む少年の表情は、不思議なほど中流の心を和ませた。




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