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時の旅人 一六

 過去の真実を知るのは、わずか一握り。

 中流と、彼の親族の他には、それを起こした張本人である滝岡修司――彼だけが、記憶することを負わされたのだ。

 倉橋尋人は、汚れた自分では恋人の傍にいられない――巻き添えにしたくないと考えたがゆえに自殺を図り、生きる代わりに恋人との記憶を閉ざした。

 榊学園中等部で尋人に度重なる暴力を振るっていた少年達は、自分達の行いが人一人を死なせたのだと言う恐怖・後悔だけを残し、尋人が受けた行為については忘れさせられ、また直接、尋人を襲った男達も、その記憶を抹消された上で、それまでの所業を償うべく、生涯、闇の中を行くことを強いられた。

 記憶を失くした尋人に“そのこと”が決して他人の口から語られることが無いよう、彼ら――大樹一族の面々は図ったのだ。

 そうして祈った。

 中流が尋人の幸せを祈るように、彼の親族達は中流の幸せを祈っていた。

 誰よりも。

 何よりも。

 大きく深い幸せが中流に訪れることを、皆が心から祈ったのだ――……。



 ◇◆◇



「俺は中流にも幸せになって欲しいだけだったんだ……!」

「尚也…」

「なのに…なのに俺…っ…もう判ンねぇよ…なんだってンだアイツは!! ヒロトのこと好きなんじゃないのかよ……っ!」

「…」

 彬の部屋。

 恋人に背中から抱き締められながら、尚也はぐしゃぐしゃになった顔をなおも歪めて声を荒げた。

 何度も、何度も。

 頭の中で中流の言葉と汨歌の言葉が繰り返され、行き場のない怒りと悔しさが胸中で渦を巻く。

「事故って記憶失くしたって…っ…それだってヒロトは中流が好きだって言ったンじゃんか…なのになんで駄目なんだよ…っ…どうして逃げなきゃならない……!!」

「……」

 尚也の怒りに、彬は抱き締める腕に力を込めることで応えた。

 尚也の気持ちも判る。

 それこそ、機会されあれば彬も同じ言葉を中流に向けたかもしれなかった。

 …倉橋尋人の記憶が途切れた原因が、ただの事故ではなかったのかもしれないと疑う前ならば。

「…今日、学園で聞いたんだが…」

「…ンだよ」

「尋人君は中等部でイジメに遭っていたらしいよ」

「――え…?」

 目を瞠って聞き返してくる尚也に、彬は固い表情のまま頷いた。

「当時の同級生達は皆が知っていたことだそうだ。…だが尋人君を庇えば、その矛先は自分にも向いてくる…だから、誰一人、尋人君に声を掛けることすら出来なかったそうだ」

 今日の昼前に、階段の踊り場で、かつて尋人の同級生だったと名乗った少年達から聞いた話を、彬は正確に伝えた。

 電話で尚也と話しながら口にした“尋人”の名前に反応した少年達は「彼は自分達を恨んでいないだろうか」「挨拶もなく転校してしまったけれど、今どうしているのだろうか」と、心から気に掛けているようだった。

「尋人君が転校するのと同じ時期に、イジメグループの主格だった同級生は学校を辞めた…そのせいもあって、尋人君の転校には妙な噂がつきまとったらしい」

「噂…?」

「…つまり、尋人君の事故は、事故ではなくて自殺だったんじゃないか、ってね」

「――!」

「イジメが始まったのは彼が中一の後半頃からだったそうだ…、丁度、記憶が無い時期と一致するんじゃないのか?」

「…って……」

 だから?

 …だから、中流は尋人に本心を告げられないのか?

 自殺が本当ならば、そんな酷い過去を思い出させたくないから?

 忘れた記憶の一部に、二人が付き合っていた時期が重なるのは、それが原因の一つでもあったから…?

「…って、自殺…って、あくまで噂だろ…? そんな…」

「だがそう考えれば、それを尋ねた時に兄貴があれほど取り乱したのも頷けるんだ…」

「…」

「何にせよ…俺達は何も知らな過ぎるんだよ…。六条の従姉が言ったことは正しい」

「…っ……」

「尚也は早まりすぎたのかもしれない…、もしかすると俺達は、決して開けてはならないパンドラの箱に触れてしまったのかもしれないな……」

「…」

 三月の末、暖房器具の働きは上々で部屋の中は心地好く暖まっているはずなのに、不気味な寒さが全身を震わせた。

 自分達は何を知らないのか。

 誰が、なにを知っているのか。

 二人の脳裏には、六条中流の淋しげな微笑が浮かんでいた…。



 ◇◆◇



「…このまま帰っていいのか?」

 菊池の問い掛けに、尋人は静かに首を振った。

「…判らない……何も考えられないよ…」

「倉橋…」

「どうしたらいいのか…何も判らない……」

 菊池の祖父母の家。

 二人が寝室として借りている部屋で、尋人の声は震えていた。

「先輩は…」

 言いかけ、だが躊躇うように口を閉ざす。

 中流の言葉が思い出される。

 彼は自分を想ってくれているけれど、もう会いたくない…自分達は関係ないと、言い切った。

「…なんで…記憶がなくなったんだろう…」

「…」

「僕に…何があったのかな…」

 まるで独り言のような尋人の言葉に、菊池は無意識に自分のバッグを見た。

 その袋の底に、隠すように。

 誰の目にも触れぬように押し込んである一本のフィルム。

 どこに居るのかも不明な従兄が送って寄越したそれなら、もしかすると、尋人の身に起きた何らかの事態を教えてくれるだろうか…?

「…倉橋」

「――え…?」

 自分のバックに手を伸ばす菊池。

 呼ばれた尋人は答え、その視線を友人のバックに移す。

 それが、なにかと。

 口を開き掛けたそのとき。

「武人」

 不意に祖母が部屋を訪ねてきて、二人は弾かれるように顔を上げた。

「武人、起きてる?」

「なに祖母ちゃん」

 ちょっと待って、と尋人に手で合図しながら立ち上がった菊池は祖母の話を聞くために襖を開けた。

 寝巻き姿で立っていた彼女は、妙に不安そうな顔をしている。

「どうした?」

「…あのね、外にずっと人が立っているの」

「人?」

「二人か三人…たぶん男の人よ。気のせいかしらと思ったんだけれど、…何だか家の中を覗き見られているようで怖くて…」

「何だよ、それ。俺ちょっと言ってくる!」

「ダメよ武人! そんな危ない真似したらダメ!」

 息巻き、外に出て行こうとした孫を必死で止めて、彼女は早口に告げた。

「そうじゃないの、そんな危ないことしないで。今、お爺ちゃんが警察に電話してくれたから、そのうち、いなくなるわ。ただ、そういう人達がいるから、絶対に外に出ちゃダメよって言いに来たの。まさか窓を開けて寝たりはしないでしょうけど…戸締りはちゃんと確認してね」

「…わかった」

 不承不承ながらも頷く。

 危ない、心配、そう言われてしまっては無茶するわけにはいかなかった。

「それじゃあね、おやすみなさい」

 彼女は最後にそう言い、尋人にも笑んで、自分の部屋に戻っていった。

 その背を見送りながら、二人はふと、昼間の野口の言葉を思い出した。


 ――…君、この辺に知り合いとかいるのかな…

 ――…さっき。後ろに座っていた男二人が、君たちの事を盗み見ていたから……


 まさか、と思う。

「まさかね…」

 実際に声にして、二人は乾いた笑いを零す。

「ぁ…そろそろ寝るか」

「う、うん…寝ようか…」

 何となく、それが一番良いような気がして、二人は寝る準備をする。

 いつもより、窓の鍵、廊下の窓にも気を配り、床に就いた。

 電気の消された暗い部屋で。


 何か、悪い予感がしていた――……。



 ◇◆◇



 過去の真実を知るのは一握り。

 尋人に、尋人が忘れた過去を誰一人漏らさずに済むよう、それだけの能力を持つ大樹家の面々は図った。

 尋人が襲われた事実を、忘れさせることで無かったことにし、誰の口にも上らないよう施したのだ。

 そうして祈った。

 尋人の幸せ。

 中流の幸せ。



 中流の幸せ。

 尋人の幸せ。――そのために、尋人が記憶を取り戻すことを願ったならば……?




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