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時の旅人 一四

『先輩…、ぁ、あの……倉橋尋人…です…』

 ひろと。

 あぁ、尋人の声だ。

 間違いなく彼の声。

 忘れたことなどなかった。

 先輩、と遠慮がちに呼ぶ声も。

 僕…と緊張気味に自分の言葉を口にする話方も。

 何もかもが、切り捨てたはずの想いの中、色鮮やかに繰り返された。

 夢の中、幾度も求めた、その瞬間。

『…先輩……?』

「……っ」

 受話器を握り締める手が震えた。

 もしその場に誰もいなければ、きっと自分は正気でいられなかっただろう。

 どうして、おまえが。

 どうして尋人、おまえが俺に電話なんかしてくるんだ。

 電話で、そんな声を聞かせて。

 切り捨てるしかなかった想い。

 忘れられた悔しさ。

 ……死を選ばせてしまった罪。

 それらを再び突きつけて。

 おまえは、何を望むんだ……?

『先輩…? 僕…、倉橋尋人です…』

 あぁ、判ってる。

『尋人です。……先輩……?』


 判ってるんだ。

 だからもう、呼ばないで。

 聞かせないで。

 言ってはならない言葉を引き出させるな―――。


「……かわってくれ…」

『ぇ…』

「他に誰かいるだろう…? 裕幸か、兄貴か…誰かいるなら、そいつに代わってくれ…」

『でも』

「代わってくれ……!」

『……っ』

 必死に感情を抑えながら、…それでも抑えきれない声で告げる中流に、電話の向こう、尋人が息を呑むのが判った。

 自分の言葉が尋人を傷つけている。

 知っている。

 …だからこれ以上、近づくな。


『……中流さん』

「!」

 不意に届いたのは一つ下の従弟の声。

 やはりそうだった。

 尋人自身が自分への連絡方法を知っているわけがないのだから、そこには必ず、自分の親族が関っているはずだった。

「…裕幸……っ、なんで…! なんで尋人が…尋人に電話なんて…裕幸……!」

 もしも、そこにいたのが兄貴でも。

 両親だったとしても。

 …誰であっても、知っているはずじゃないか。

 判っているはず――解ってくれていたはずじゃなかったのか。

「どうして…っ……裕幸どうして…!」

『中流さん、落ち着いてください。…辛いのは判ります。でも…尋人君の気持ちも、…彼がどんな気持ちでこの街に帰ってきたのか』

「尋人を俺に近づけちゃいけないって…俺は二度と尋人の傍に行っちゃいけないって! おまえだって…っ……おまえなら、ちゃんと判ってるだろ……!?」

『…』

 判らなかったなんて言わせない。

 それこそ、裕幸ならば。

「どうしてだよ裕幸……っ!」

『……』

 あの日、尋人の記憶を消したのは自分だと裕幸は言わなかったか。

 尋人に生きて欲しかったから願ったのだ、と。

 尋人が生きるためには、中流への想いが何よりの障害だったのだ、と。

 だから彼らは離れた。

 別れを告げて、二度と交わらない時を進んだのだ。

 近付いて、…近付かれて。

 万が一、あの日の記憶を取り戻すようなことになってしまったら、そのとき、尋人はどうなってしまうのか。

 消さなければ生きられなかった記憶を、もう一度得てしまったら。

 その命は――心は、どうなる………?

「俺が尋人に会えるわけないの知ってるだろ…っ…だから予定を早めたんだ…って…、おまえなら気付いただろう……っ?」

『……気付きました』

「だったら…っ…」

『中流さんの気持ちは判っていました。…でも、尋人君が貴方と話したいと言ったんです』

「…っ……」

『貴方の言葉を、貴方自身の口から聞くことを尋人君自身が望みました。…それなら、直接、会うことは出来なくても、せめて電話で話しをさせてあげたいと思ったんです、……貴方のためにも』

「裕幸…っ…」

『お願いします。話してあげて下さい…そして伝えてあげて下さい。中流さんの、今の気持ちを』

「……っ…!」

 従弟の静かな声が響く。

 頭では受け入れようとする。

 だが、最初に聞いた尋人の声が、それを拒んだ。


 ――……先輩……僕…尋人です……


 その声が。

 呼び声が。

 どうしたって、声にしてはならない言葉を引き出させる。

「…っ…ダメなんだ…俺は…、俺には、出来ない…っ」

『中流さん…』

「俺…っ……俺は、まだ…頭では判ってたって…尋人の声を聞いたらたまらなくなる……っ」

『――』

「たまらないんだ…っ…今だって、そこにいると思うだけで……っ…あの日になんか二度と戻れるわけないのに……戻っちゃいけないのは解ってるのに…っ……だから日本離れたのに……っ……!」

 たまらないんだ。

 …好きで。

 好きで、好きで。

 欲しくて。

 いますぐ、抱き締めたくて。

 決して、願うことすら許されないのに。

「…っ…」

 会えない。

 話せない。

「…俺…俺は…っ…まだ尋人を忘れられてないんだ…っ……!」

 今も、まだ。

 これからも、ずっと。

「忘れられないんだ……!」

『――!』

 中流の、悲痛とも言える叫びを。

 苦しみを。

 日本で耳にしたのは誰だっただろう。

『ぁ、本居先輩…!』

『中流このバカ野郎!!!!』

 唐突に乱入してきた怒声。

 その主は。

『いい加減にしろよ黙って聞いてりゃ一人で辛いの背負ったみたいな言い方しやがって! オマエ俺に何て言った!? いつも偉そうに何言ってたんだよ!!』

「――…尚也…?」

 思い掛けない相手に、どう反応すべきか戸惑った中流に、次いで自責しているような裕幸の声が届く。

『すみません…今の中流さんの声……こちらの全員に聞こえていたんです…』

「――」

 全員に。――尋人に。

 一瞬、中流は心臓すら止まる錯覚に陥った…。




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