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時の旅人 八

「尚也、すまない」

 その日の午前中、まだ熟睡中だった尚也を起こしたのは、第一声にそれを告げる恋人・時枝彬からの電話だった。

 睡眠を妨害されて苛立ちながら時間を確認すると、既に十一時に近く、自分の寝過ごしに慌てて起き上がった。

 いくら春休み中とはいえ、これではあまりに怠け過ぎである。

「ぇ、ぁ。彬? 何だよイキナリ“済まない”って…」

「昨日の件だよ、兄貴に“ヒロト君”の件を確かめると言った」

「ぁ…ああ! あのことか!」

 昨夜の記憶を引っ張り出し、ようやく合点のいった尚也は寝癖のついた髪を乱暴に掻き回しながら続ける。

「それで“すまない”って、貴士さん、知らなかったのか?」

 大樹総合病院に外科医として勤務している辻貴士。

 親の離婚で名字こそ異なるが、彬と貴士は血の繋がった実の兄弟だ。

 その彼が、一年半前に、勤務する病院に入院した患者のことを――それも事故により重症を負って搬送されてきたと考えられる“倉橋尋人”という少年のことを、外科医の彼が記憶している可能性は大きいと考え、確かめることにしたのだが。

「いいや、兄貴は倉橋尋人君を知っていた」

「知ってた?」

「あぁ。…いや、実際には知っていたどころじゃないな、…兄貴が担当医だったんだ」

「――ってことは…」

「尋人君の手術を執刀したのも、その後の入院中の治療も、すべて兄貴が仕切っていたってことさ。そのうえ、あの人は六条のことも知っていた」

「――」

 彬は、昨夜――尚也を家に帰した後ですぐに貴士の部屋へ向かい、倉橋尋人の件に触れたのだという。

“ヒロト”の名前を出した途端の反応で、兄があの子を知っていることを確信した。

 その子が尚也の親友である六条中流と何らかの関係があるようなのだが、兄貴は尋人君の事故の詳細を知らないだろうか――そう問いかけた直後、貴士は顔を歪めた。

 話すことはないと、彬を突き放した。

 しばらくの口論の末、言い放たれた一言。


 ――…あの二人のことはそっとしておいてやってくれ……っ!


 まるで自身が傷ついたような姿で、二人のために怒鳴った。

 そんな貴士の様子に、彬は何も言えなくなってしまったのだという。

「…貴士さん、何を知っているんだろう…」

 不安げに呟く尚也に、彬は短く息を吐く。

「…これは俺の予感だけどね。…ヒロト君の事故が、ただの事故じゃないってことを、知っているんだと思うよ」

「ただの事故じゃない…?」

「兄貴が自身の手で尋人君の手術を行ったなら…それぐらい知るのは容易だろう」

「…だったら、ただの事故じゃなかったら、何だって言うんだ? 何をしたら記憶を失くすなんて後遺症が出るようになるんだ?」

「それを、兄貴は隠したがった」

「……」

 尚也は、貴士の普段の沈着冷静な姿を思い出しながら、その彼が、彬が語るほど取り乱したことに驚きを隠せない。

 そこまで隠さなければならない事実が、中流と尋人の間にはあるのだろうか。

 一年半前の事故とは、いったいどんなものだと言うのだろうか。

「…」

「尚也。俺は俺で、もう少し情報を集めてみるよ」

「ん…。でも、貴士さん怒らせるようなことはするなよ」

「解ってるよ」

 尚也の返答に小さく笑い、彬は次の授業が始まるからと電話を切った。

 通話の途絶えた携帯電話をしばらく見下ろしていた尚也は。

 …次の瞬間、勢いよくベットを飛び降り、部屋を出た。

 洗面所で顔を洗い、身だしなみを整え、

「ようやく起きたの? 昼休みだからってダラダラしちゃ駄目よ」という母の小言にも適当な返事をし、起床後、わずか二十分で家を出た。

 行き先は敷明小路。

 一部で“寝ずの街”“不眠小路”とも呼ばれ、昼夜ではその表情を一変させる歩行者天国。

 貴士から話が聞けないのなら、もう一人、真実を知っている人物がいる。

 野口健吾。

 中流のために嘘を吐いた元同級生。


 ――…あの二人のことはそっとしておいてやってくれ……っ!


 貴士が、そう訴えたのだとしても。

「俺だって中流のこと知りたい…っ」

 知って、助けてやりたい。


 ――…好きな奴に好きだって言える…こんな幸せなことないぞ……


 そんな台詞を、あんな顔で言うような。

 ……そんな、バカな親友を。



 ◇◆◇



 尚也が家を飛び出す前後、榊学園校内から彼に電話を掛けていた時枝彬は、携帯電話の通話を切り胸ポケットに仕舞った。

 話の内容を考慮し、人気の無いところを選んで電話していた彼は、授業以外ではほとんど使用されることのない四階特別教室へ上がる階段踊り場に佇んでいた。

「さて…」

 あの、良く言えば真面目、悪く言えば強情な兄の口をどう割らせようかと考えながら、次は高等部二年生の授業だと、出席簿を取りに職員室へ戻ろうとした。

 その矢先。

「?」

「っ!」

「あ…」

 踵を返し階段を下りたところで、こちらに背中を向けている男子生徒二人が彬の行く手を遮っていた。

 しかも、彬の顔を見上げて後ろめたそうな顔をしているところを見ると、電話の内容を聞いていたのだろうか。

 ふむ…と小首を傾げ、日頃の営業スマイルをしてみせる。

「どうした? 次の授業が特別教室なら急いだ方がいいぞ?」

「えっ、え…あの…」

 特別教室で授業があるからそこに立っているのではないのかと考えた彬に、二人は顔を見合わせ、何かを言いたそうにしている。

 彬が急かすでもなく待っていると、まるで一大決心をしたような顔つきで、左側に立っていた少年が口を開いた。

「あの…、いま、…悪いことだって分かってたんだけど…先生の話が聞こえちゃって…。それで……倉橋尋人って……」

「――」

「倉橋尋人って聞こえて…、あいつが、ここに来てたって」

 まさか立ち聞きしていた少年達から“倉橋尋人”の名前が出るとは思わなかったが、その少年は元は榊学園の生徒だったのだ。

 二年間の記憶を失ったために学年は異なるが、今この時期の高等部に彼を知っている生徒がいても何ら不思議はない。

「君達、倉橋尋人君を知っているのか?」

「知ってるも何も……中三の時の同級生だったし……それに……」

「それに…?」

「…っ……あいつ、元気そうだった? 何か言ってた? 俺達のこと恨んだりしてなかったかな…!」

「恨む…?」

 この少年達が何を言っているのか理解に苦しみながら、彼らが“倉橋尋人”の何を知っているのかが聞きたかった。

 事故に遭い、記憶を失い、転校して行った友人が久々にこの学園を訪れた――それを知って気遣うのは自然なことだと思うが、だとすれば、この怯えにも似た態度はどういう理由だろう。

「何か恨まれるようなことでもしたのか?」

「! 俺達は何もしてないよ!」

 即座に返されて、彬は言葉に詰まる。

「何もしてない…してないから……っ…」

 例えば、尋人がどんな目に遭っているか知っていながら何もせずにいたから――、この少年達の、そんな心情までは読み取れずとも、何らかの事情で後ろめたいことがあるのだということは彬にも予想がついた。

「…何か、気に掛かることでもあるのか?」

「…気に掛かる…っていうか…、だってアイツ、転校前に挨拶もなかったし……」

「挨拶? あぁ、それなら…」

 事故に遭い、記憶喪失という後遺症を残した尋人を思い遣り、余計な負担を与えまいと家族が考慮した結果だと思い当たるが、少年達には別の理由があるらしかった。


 それは、彼らが闇に沈めた。

 消して知られることのない真実に限りなく近い――。


「あんな噂もあったから……」

「噂…?」

 聞き返す彬に、少年達は再び顔を見合わせる。

 もう間も無く始業のベル。

「噂ってどんな内容なんだ?」

 早口に問いかけた彬に、躊躇いながらも告げられた、その“噂”は――………。



 ◇◆◇



 敷明小路に辿り着いた尚也を、バイト先のコンビニで迎える事になった野口は、だが別段、驚きもしなかった。

「そろそろ来る頃かなと思ってたよ」

 どこか切なげに口元を歪めた野口は、尚也を拒みはしなかった。

「もう少しで休憩に入るから、そっちの店で待ってろ」

「…わかった」

 指し示されたFF店。

 尚也は素直に頷き、その店で野口がやってくるのを待った。

 まさかその数分後。

 同じ店に倉橋尋人がやって来ることなど、知る由もなく。




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