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時の旅人 序 菊池武人の章

 生まれ育った田舎に比べれば、あまりにささやか過ぎる星が光る。

 細い三日月。

 明る過ぎる夜の街。

「…ここがおまえの地元か」

 隣に布団を敷いて眠る友人に、菊池は小声で呟いた。

 父方の実家がこの街にあることを話し、こちらにいる間はそこで寝泊りすればいいと提案した時、尋人は本気で驚いていた。

 こんな偶然もあるんだ。

 助けてもらってばかりで本当にごめんねと、苦しげに謝っていたけれど。

 ……偶然?

 そんなわけがない。

「……おまえ、そんな素直だから…」

 素直で、真っ直ぐで。

 他人のことばかり気遣うような、そんな人間だから。

「あいつの癇に障ったんだろうな…」

 自己中心で、他人を思い遣る気持ちなんか知らなかったあいつには、そんな尋人の存在が目障りだったに違いない。

 邪魔で、憎らしくて。

 同時に、…眩しくて。

「…」

 菊池は尋人を起こさぬよう静かに布団を抜け出し、部屋の隅に寄せてあった鞄の中から一つの封筒を取り出した。

 逆さにして振ると、一本のフィルムが掌に落ちる。

「…」

 菊池に宛てられたその封書が届いたのは今から三ヶ月ほど前。

 学校では全校生徒がクリスマス会の準備に追われ、クラスでは写真家を目指す友人が応募していた新人賞の結果に大興奮していた頃だ。

 差出人の欄に書かれた名は“滝岡修司”。


 タキオカ シュウジ


 一年半前までこの街にいた尋人が、もしも記憶を失くさなければ、その名前にどんな反応を見せるだろう。


 ――…隣のクラスにすげぇムカつく奴がいるんだ…


 父方の従兄――父親の姉の子である修司からそんな話を聞いたのは三年以上も前だった。

 自分の学校に気色の悪い奴がいる。

 そいつは男のクセに男が好きなんだ。

 二つ上の上級生が好きなこと、見ていれば判るのだと。

「…そいつが誰を好きか判るくらい…おまえはそいつを見てたんだろうが……」

 家庭環境が複雑で、歳を重ねるごとに生活が荒れていった従兄には、きっと「他人を想う」ということが解からなかった。


 ――…アレを家族だと思ったことなど無い…


 自分の姉をアレと呼ぶ父親の言動からも、修司の母親がどんな人間で、彼女を捨てて去った男がどんな人間なのか想像はつく。

 そんな壊れた“家”で育ってきた修司が感情というものを理解出来ないのは、むしろ当然の結果だったかもしれない。

 だが、あの日。


 ――…武人…オレ……


 真夜中に尋ねてきた従兄は、何も語ろうとはしなかった。

 きっと、自分が泣いていることも自覚していなかった。

 誰の名前も口にしなかった修司は、…そうしてあの日以来、姿を消してしまった。

 学校を辞め、家に帰ることも無くなり、その消息は不明。

 もはや日本国内にいるのかも定かではない。

 その修司が、約一年ぶりに寄越した便りがこれだったのだ。

 同封されていた書面にはただ一文。

『このフィルムを榊学園の六条中流に渡せ』

 何の説明もない、頼むという一言すら添えられていない文章は、だが菊池に強い衝撃を与えた。

「六条中流」

 ちょうどその日、放課後の教室で耳にした名前だった。

 …尋人が泣いた、名前だった。

 この名が、どうしてこれほど自分の周りを飛び交うのか。

 尋人も、修司も、六条中流にどのような関りがあるというのだろう。

 悩むうち、三年以上も前の従兄の話が思い出された。


 ――…隣のクラスにすげぇムカつく奴がいるんだ…


 記憶を失くし、榊学園から自分達の学校に転入してきた倉橋尋人。

 彼が記憶を失くすきっかけとなった事故と、修司が自分の前で泣いた日。

 偶然と言うには重なりすぎる一致は、ただの気のせいなのか……?

 尋人が菊池の学級に転入してきたことなど修司は知らないと思う。

 ましてや、この手紙を受け取った時には、菊池自身が「六条中流」の名前に関っているなど予測すらしなかっただろう。

「……っ…」

 それは、確証など何も無い、ただの勘に過ぎない。

 だが尋人が記憶を取り戻したいと言い出した時には、絶対に自分も同行しようと心に決めた。

 もしも尋人の“現在”が、あの従兄によってもたらされた“不幸”なら、記憶を取り戻す為の協力を自分がすべきだと思った。

 この街で、倉橋尋人に。

 六条中流に。

 そして滝岡修司に何があったのか。

 隠された真実に少しでも近付きたくて、送られてきたフィルムを現像してしまうことも考えた。

 だが、…“彼ら”の涙を思うと、それだけはしてはならないように思えた。

「…会えるといいな」

 会いたい人に、伝えた通りに。

 尋人は、六条中流に手紙を送って以降、何の返答もないことをひどく気にしている。

「先輩は自分に会いたくないのかもしれない」と。

 だが、二人の間に何もないなら、相手が会いたくないと思うわけがなく、逆を言えば、会いたくないと思わせるのは二人に繋がりがあるからだ。

 向こうだってそれくらいは判っているのだから、どちらに転んでも二人が会えないはずはない。

 会おうとしないなら、家に押し掛けてでも、絶対に二人を会わせてやる。

「ん…、きっと会えるさ」

 静かな寝息を立てていた尋人に、やはり小声で語りかける。

 手にしていたフィルムを封筒に戻し、そのまま鞄の奥底に仕舞う。

 それきり、菊池も休むべく布団に入るはずだった。

 と、そのとき。


「…せ…ぱぃ…」


「? 倉橋?」

 不意に毀れた囁き…、否、囁きというよりも、今にも消え入る吐息のような儚さ。

「せんぱい……」

「……っ」

 眠っているはずの瞳から零れ落ちた雫。

 乾いた唇が呟くのは。

「…先輩……っ」

 二粒、三粒。

 目尻を濡らす涙は、あまりに悲痛な叫び。

「……倉橋」

 眠っている尋人を見るのは初めてで。

 誰に確かめるわけにもいかないけれど、毎晩、こんなふうに泣いていたのだろうか。

 それとも、この街に戻ってきたのがきっかけで、哀しい夢を見てしまったのか。

「…夢見ながら泣くくらい、…六条中流はおまえの大事な人なんだよな……?」

 尋人本人には自覚のない想い、それは失くした記憶の片鱗。

 そんなのは、端から見ていた菊池の方が判っていた。

「…ごめん……っ」

 友人の涙に、菊池は声を震わせながら謝罪した。

 シーツを握り締め、苦しげに顔を歪め。

「ごめん倉橋……っ、ごめんな……!」

 謝ることしか出来ない。

 自分が尋人をこんな目に遭わせたわけではないけれど。

 従兄が何を仕出かしたかなんて、今でも解っていないけれど。

「ごめん…っ……ごめん……」

 眠る尋人に、何度も謝り続ける。

 この言葉が、今はまだ見ぬその人にも届くように――……。




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