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二度目の楽園 二

 本当なら今日の放課後は、学校が終わってすぐに駅前のライブハウスへ向かい、バンド活動をしている同級生・山根勇輔の今夜行われるライブの手伝いに友人達五名と行くはずだった中流は、よりによって言いだしっぺの親友の無責任な態度が原因で、一人帰路についていた。

 尚也を責めるのはあの場限りにして、放課後はちゃんと全員で友人の応援に行くつもりだったのだが、すぐに許しては効果が薄い、どうせなら二、三日無視して反省させた方がいいという友人の提案を受け入れ、中流一人が帰る事になった。

 全員で無視するのは気が引けるが、一番親しい中流が怒ったとあれば、その方が尚也も態度を改めるはずだという結論に達したからだ。

 今頃、強引に理香との約束をキャンセルさせられた尚也は、ライブハウスで様々な脅しを掛けられているに違いない。

 例えば、

「六条は尚也の顔が見たくないから帰ったんだぞ」とか。

「誠心誠意込めて謝らなかったら、本当に絶交されるぞ」だとか…。

 尚也ほどでなくとも、それなりに付き合いの長い友人達だ。彼らがどんなことを尚也に吹き込むかは簡単に予想がつく。同様に、尚也の方も彼らの言葉がどこまで本当なのか見抜いてしまえるとは思うのだが。

「…そんな簡単に行くなら、今まで時間掛かってねーって……」

 呟いて特大の溜息をつく中流。

 せっかくの暇な放課後。

 友人達との予定を入れて楽しみにしていたのがいきなりキャンセルになってしまった彼は、ひどく時間を持て余していた。

 することがなく、話す相手もいないでは、溜息も出てしまうと言うものだろう。

 気が付けば彼は敷明小路ふみんこうじを歩いていた。

 北の大都市と呼ばれるこの街には、観光客が必ず訪れる名所というのが数多く存在し、敷明小路もそのうちの一つだった。

 身内には『寝ずの街』と称され、日中と夜間では正反対の姿を見せる歩行者天国。

 衣類・食品・雑貨などあらゆる商店が立ち並び、中には映画館・ゲームセンター・FF店も複数点在している。

 十月とは言え、まだ日の出ている時刻。

 日中の歩行者天国は制服姿の集団やデート中の男女など多くの若者達で溢れ、陽気で弾んだ声が四方八方に飛び交っている。

 中流はその中を一人で歩きながら、再び大きな溜息をついた。

(今からでもライブハウスに行くか…)

 あまりにすることがなくて、やはりそうしようと考えた中流は方向転換しかけたが、ふと視界に入った中学生の集団に目を止めた。

(…あいつも、たぶん中学生だよな)

 それは二週間前に家の前で倒れていたのを見つけ、怪我の手当てをしたあの少年、倉橋尋人と名乗った彼を思い出しての呟き。

 名前以外は自分のことを何も語らなかった少年は普通の中学生にしか見えなかったし、中流も普通に接していた。だが実際は、遣り切れない思いでいっぱいだった。

 年齢や学校を尋ねると、悲しそうな顔をして俯いてしまうのを見るたび、自分の言葉の無神経さに苛立ちながら、気にしない素振りで別の話題を降った。

 質問ではない普通の会話には無邪気な表情で応え、中流の用意した簡単な朝食を嬉しそうに食べ、家の近くまで送った時には満面の笑顔で深々と頭を下げた倉橋尋人。

 数少ない言葉から窺えた純真な心。

 表情がくるくると変わる彼が、ここにいる間だけでも安らげたら…、中流はそう思って必死だったのだ。

 何故なら彼の全身――特に衣服で隠れる、見えない部分に集中した青痣や切り傷、火傷。

 中流はそれを見て直感したのだ、この少年はいじめに遭っている、と。

(…ほんとにな……。あんないい子が酷い目に遭っていて尚也が幸せの絶頂にいるなんて、世の中絶対に間違ってるぞ)

 顔をしかめて内心で息巻きながら、中流はライブハウスに向かって歩き始めた。

(そういえば尚也達がいるライブハウス、尋人と別れた近所だよな)

 家まで送ると言ったが断られ、ここからすぐですからと、駅の手前で彼らは別れた。尋人の去った方向からして市街にあるマンションのどれかが彼の自宅なのだろう。

(あの辺ったら校区は五條か桜木か…)

 近所の中学の名を思い浮かべながら、ようやく自分が、必要以上に尋人のことを気にしていると自覚した。

 知られたくなくて名前以外は明かさなかった少年だ。

 あれから二週間が経って、再び会うこともなく、自分が気にしたところでどうにかなる問題ではない。

 忘れてしまえばいいと思う。

 忘れて欲しかったから、少年も名前以外は語ろうとしなかったのだろう。

(そうなんだけどさ…)

 解ってはいるのだが、どうしても気になるのだ。

 一六〇あるかないかの小さな体躯は華奢と言うよりも細すぎて、幼くて、そんな身体全体に、ひどい傷が所狭しと広がっているのを見てしまったからだろうか。

 門の前で意識を失くして倒れていた少年の顔立ちは愛らしく、純真無垢な赤ん坊のような印象を受けるのに、その頬が痛々しく腫れ上がり、ベッドに運ぶために抱き上げた時には涙を零して「助けて」と呟くのを聞いてしまったからだろうか。

(なんか…、強烈だったんだよな……)

 名前以外は何も知らない。

 例え学校が判って、彼がどこの誰なのか知ることが出来たとしても、自分がしてやれることなど何も無い。

 何度自分に言い聞かせても、それでも尋人の無残な姿が脳裏から消えてくれないのだ。

「…家に帰って寝るか」

 このままでは友人のライブの手伝いも中途半端になりそうだと判断した中流は、そう声に出して唐突に足を止めた。

 このまま行けば、着くのはライブハウス。

 家に帰るなら敷明小路を出なければならない。

 さてどうしようかと悩み始めた。

 と、ちょうどその時だ。

「中流さん?」

 確かめるように語尾を上げた声が背後から掛けられ、中流は顔だけを後ろに向けた。

 そうして誰がそこにいるのかを知って少なからず驚く。

「え…、裕幸ひろゆき?」

「やっぱり中流さん」

 年齢は一つしか違わないのに『です・ます調』で話し掛けて来たのは、中流の母方の従弟、大樹たいき裕幸だった。

「珍しいな、こんな街中で会うの」

「それは中流さんがこんな時間に外にいるからですよ」

「あぁ、確かにな」

「久々のお休みですか?」

「四日前にいきなりキャンセルが入ったんだ。だから仲間と予定入れていていたんだけど、それも急に駄目になってさ…」

 中流と同様に北欧出身と言われる祖母を持つ彼は、髪も目も肌も生まれつき色素が薄く、中流の何倍も異国の血を物語る。

 そしてそのすぐ後ろには、従弟の友人であり中流も顔見知りの、時河竜騎ときかわたつきの姿があった。

 二人は榊学園から駅二つ離れた町にある松浦高等学校の学生服姿で、放課後を、この敷明小路で楽しんでいたのだろう。

 最も、竜騎の無表情に、楽しんでいるという雰囲気は皆無なのだが。

「…おまえ、相変わらず感情に乏しい顔してるよなぁ」

「…」

 中流が呆れたように言うのを、竜騎は無言で聞き流す。

 何の感情も読み取らせまいとする、冷淡な無表情。

 年齢が近く、親戚の中でも特に裕幸と親しい中流は、従弟がそんな人物と一緒にいる光景に違和感を禁じえなかった。

「おまえらって二人の時、どういう会話してるんだ?」

「会話、ですか?」

「おまえらが二人で話す内容って、ちょっと想像つかないぜ?」

 顔をしかめて言う中流に、裕幸はチラと竜騎を一瞥してから従兄に向き直って苦笑めいた顔になる。

「いたって普通の会話だと思いますよ?」

「普通ねぇ…」

 中流が内心で不信感を募らせているのを裕幸は察したのか、フォローするように言葉をつなぐ。

「竜騎と一緒にいるだけで楽しいんです、本当に」

「…ま、おまえがそう言うなら」

 無愛想で、聞いても答えようとしない時河竜騎とは対照的に、常に穏やかで素直な態度を崩さない裕幸。

 中流の目には、この二人が友人というのがどうにも不自然に感じられて仕方が無かった。

 高一で優に一八〇はあるだろう長身は無駄なく引き締まり、常に周囲を威嚇している鋭い目付きと固く結ばれた口元。顔の造作は恐ろしく整い、人を惹き付ける強い力を発しているように見えたが、周囲を拒絶するこの雰囲気では、女も怖がって近付いて来なさそうだと言うのが、中流から見た竜騎の第一印象だった。

 それに比べて血の繋がった従弟は生来の性分がそのまま形になったような、万人を和ませる穏やかな空気に包まれている。

 絵にすれば完璧なコントラストを描くだろう二人。

 見れば見るほど正反対な気がしてくる彼らがどうして親しくなれたのか、中流は常々不思議に思っていた。

(…いい男ではあるけどな)

 対照的であるからこそ、裕幸と並ぶと絵になるのは確かだ。

「親父が、二人が並んでいるのを撮らせてくれって言うのは解る気がするけどな」

 中流が言うと、途端に竜騎の表情が歪み、裕幸が困ったように笑う。

「それは禁句です」

「あぁ…、さてはまた迫られたな?」

 言うと同時に竜騎の鋭い目が向けられたが、それを怖いとは思わない。

 その程度の時間は付き合っているし、何より自分の父親に追い回されてげんなりしている竜騎の姿を見たことのある中流は、その様子を思い浮かべるだけで笑えたから。

 中流の父親の名を六条至流ろくじょういたると言い、職業は写真家。

 その腕は世界が認めるものであり、天才と何とかは紙一重という言葉どおりの人物であるため、狙った獲物を逃すまいとする執念は凄まじいのだ。

「ま、充分に気をつけろよ。あの親父は気に入った被写体を撮るためならどんな手でも使う変態だ。裕幸の件がいい例だしな」

 意味深に告げるその真意を知るのは、おそらく世界中を探してもほんの少数。

 背後で嫌な顔をする竜騎に小さく笑って、裕幸は中流に向き直った。

「いいんですか、そんなこと言って。叔父さんが口を利いてくれたから撮影スタッフに混ざってアルバイトが出来るのに」

「それは感謝してるけど、それはそれ、これはこれだろ」

「そうですか?」

「そうなの。使えるものは親でも使えってな」

 言って笑う中流だったが、こんなことを言う彼も、本当は父親を尊敬し、父の仕事に掛ける情熱には感動もしている。

 だからこそ父親と同じ写真家を志し、出版社の撮影スタッフにアルバイトとして参加し、修行も兼ねて働かせてもらっているのだ。

「とにかく油断したらどんな罠を仕掛けられるか解らない。注意しろよ」

 竜騎を見て愉快そうに中流が言うと、言われた本人は相変わらずの態度で聞き流すのみ。

 俺に話しかけるなと言いたげなその目付きに、人間らしい会話をするにはまだ時間が必要のようだと中流は思った。

「で、これからどうするんだ?」

「どこかで軽く食べてから帰ります。俺は暇ですけど、竜騎はバイトがありますから」

「そっか」

「中流さんは?」

「う〜ん、俺も暇だし帰って寝ようかと思っていたんだけど、裕幸が暇ならおまえの家に寄ってもいいかなって…、?」

 竜騎が背後を振り返ったまま静止しているのに気付いて言葉を切った中流。

 それに続いて裕幸も友人の様子に首を傾げた。

「竜騎?」

「…少し待っていろ」

 竜騎は低く囁くと、外見からは想像できない静かな足取りで来た道を戻り、店と店の間から裏路地へ入っていく。

「ぇ…、竜騎?」

 裕幸が驚いて後を追い、中流も訳が分からないまま、とにかくその後に続いた。

 裏路地に入ってすぐ、複数の少年の声と逃げ出す足音が聞こえ、竜騎から数十秒遅れて路地に出た中流と裕幸は、少し離れた先に一人の少年が倒れているのを発見した。

「…!」

「榊の制服だ」

 倒れている少年が、自分と同じ榊学園の制服姿と知って、中流は駆け足で近付いた。

 少年は頭を庇うようにして蹲ったまま、必死に痛みをこらえている様子。

「竜騎、彼は…?」

「五人か六人の、同じ制服着た連中にやられていた。俺が声掛けたら逃げたがな」

「…よく気が付いたな、裏路地のことに」

「勘だ」

「……」

 裕幸の問いかけにはきちんと文章を作って答えるくせに、中流には無愛想で簡素な一言のみ。

 友人とも言い難い間柄では仕方ないかもしれないが、この差は一体、何なのだろうと憮然とした中流だったが、今はそんなことよりも倒れている少年の方が気懸かりだと、気を取り直す。

「おい、大丈夫か?」

「…っ……」

「おい?」

 紺のブレザーは土に塗れ、髪も制服もこれ以上ないというくらい乱れていて、どれほど酷い目に遭ったのかが容易に知れた。

 同じ学園にも、こんなことをされている生徒がいたのだと思うと悲しくなる。

 この少年の、この小柄な体にも、あの日の少年、倉橋尋人のような痣が広がっているのだろうか……。

「――…あれ……?」

 少し離れた場所で黙って少年を見守っていた裕幸と竜騎が、不意に中流の唇から毀れた疑問の声に肩を揺らす。

「どうかしたんですか…?」

 裕幸が聞いてくるが、中流はそれには答えず、痛みをこらえて小刻みに震えている少年の乱れた髪に手を添える。

「…、もしかして尋人か……?」

 一つの名前に、少年の肩が大きく揺れた。

「え…?」

 そうしてゆっくりと顔を上げた少年は、そこにいるのが誰かを知って目を丸くした。

「…せ、せんぱい…?」

「なんだ…、おまえ榊の生徒だったのか?」

 驚いているのは中流も、倉橋尋人も同じ。

 どうしてこの人がここにいるのか。

 そんな疑問を顔に書いて互いの顔をしばらく凝視していた二人。

 そんな彼らに冷めた口調で言い放ったのは、今まで黙って見ていた時河竜騎だ。

「いつまでそうしているつもりだ」

 呆れた、労わりの感情など切片も見られない淡々とした口調。

 裕幸が慌てて言葉を補足する。

「場所を移りませんか? いつまでもここにいるわけにはいかないでしょうし、彼の怪我の手当てもした方がいいと思います」

「…」

 差し出された裕幸の手を、尋人は困惑の表情で見下ろし、竜騎と、中流の顔を順に見ていく。

「…立てるか?」

 中流が遠慮がちに問うと、傷ついた少年は小さく、小さく頷いた。




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