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冬の月 雪 舞い降りて

「二度目の楽園」後の番外編。尋人視点の短編です。

 それは、ひどく大切なもの。

 大切なのに、不鮮明なもの。

 事実、在った事なのかどうかすら曖昧で、それを表す言葉を、僕は知らない。


 ただ大切で。

 だけど遠くて。

 温かいのに、名前が判らない“何か”。

 どんなに悩んでも答えの出ない感情きもちを燻らせながら、時折、夜空から降り注ぐ月の光りに思い出す姿がある。


 ―――……幸せになれ…………


 あの日、病院の一室で抱き締められ、告げられた。

 幸せになれ。

 おまえらしく微笑っていろ、―――そう言ってくれた人は、事故に遭った僕を見かけ、たまたま自分の親戚が医者だったから、そこに運んだのだと話してくれた。

 両親から転校の話を聞かされ、反抗して家を飛び出し事故に遭ってしまったのだと、病院で目を覚ました僕に、両親も医師せんせいも同じ事を言う。

 けれど、それが本当なら。

 どうしてあの人は「幸せになれ」なんて言ったんだろう。

 どうして僕は、その言葉が忘れられないんだろう。

 あの人は、偶然、僕を助けてくれただけなのに。

 こんなふうに、心の中にいつまでも残る。

 胸に響く。

 ……僕を勇気付けてくれる言葉になるんだろう……?



「…六条先輩……」

 深い闇色の広がる空に、穏やかに、そして強く輝く冬の月。

 懐かしい土地の雪景色を思い出させる白銀の光りに、彼の人の名を呟く。

 偶然、助けてくれた人。

 新しい土地でも大丈夫、きっと幸せになれと送り出してくれた人。

 ただ、それだけの人なのに。

 きっと、それだけのはずなのに。


 なのに。

 六条先輩、……貴方は、誰なんですか……―――?



 一


「ちょっと! それはそっちじゃなくてこっち!」

「もぉっ、手伝うならちゃんと確認して手伝ってよ!」

「うっせぇな、文句言うなら俺ら帰るぞ!」

「邪魔されるくらいなら、いなくなってもらった方がいいかもねっ」

 ――十二月上旬。

 北風の吹きつける寒い外界とは裏腹に、暖房で充分に暖まった狭い館内で複数の男女の声が交錯する。

 星和中等学校体育館。

 今月二十日に、近所の子供達を招いて校内で催されるクリスマス・パーティの準備を進めている彼らの手では、紙製の華や、輪をつなげた装飾物が長さを伸ばし、立ち作業の生徒達は看板作りに精を出す。

 全校生徒数が百人にも満たない星和中学の校区では、都会で見るようなイルミネーションも煌びやかな飾りつけもほとんどされず、冬は深い雪に覆われるのみ。

 人口の半数が六十以上の年配者で、中学卒業後は地元の中小企業に就職、もしくは実家の仕事を継ぐというのが大半なこの土地で、せめてものクリスマス気分を味わおうと数年前から開催されるようになったのが、星和中学のクリスマス・パーティだった。

 近所の幼稚園児や小学生を招き、校舎全域を使ってゲームを行い、手作りの贈り物を手渡し、ミニ・コンサートを催す。

 そのために今、こうして全校生徒が体育館に集まり、一丸となって準備を進めている、……はずなのだが。

「また始まったよ、二年生」

「なんか最近、いっつもあの調子だよね」

「……」

 溜息交じりに呟く三年の女生徒達の会話を横で聞きながら、倉橋尋人は辛そうな顔をした。

 確かに、やり方は乱暴だが、二年の男子生徒達に手伝おうとする意欲はある。

 女子生徒達はせっかく作ったものを大切に扱ってもらいたいと思う、だから口調がキツくなり、そのキツさが男子生徒達の癪に障るのだろう。

 どちらも準備をしようという気持ちはあるのに、本番が間近に迫っているのに準備が終わらないという現状に切羽詰っているのも一因だろう。

 彼らだけでなく、体育館全体に、どこか張り詰めた雰囲気があった。

「……」

 どうにかした方がいい。

 口を出して反感を買ってしまうのは怖いけれど、このまま見過ごしたら絶対に後悔すると自らを奮い立たせ、尋人は立ち上がった。

「ぁ…あの、みんな、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」

 不意の尋人の言葉に、一同の視線が向かい、所々で小さなざわめきが起こる。

 瞬時に当人の内心には不安が募ったが、逃げてはいけないと、真っ直ぐに顔を上げた。

「まだ時間はあるんだし、みんながこうして頑張っているんだから、ちゃんと本番までには終わるよ」

「…っ、なにワケ判んねぇこと言ってンだよ!」

 即座に言い返され、思わず後退しそうになる。

 その上。

「ダブりが偉そうな顔すンなっ!」

「――」

 留年ダブりと言われ、息を呑む。

 と、直後に「いい加減にしなさいよ!」と割り込んできたのは、尋人の傍にいた三年の女子生徒だった。

「倉橋君が気を遣って励ましてくれてるっていうのに、あんたこそ何様のつもり!?」

「言っていいことと悪いことの区別もつかないの?」

 三年の女子生徒が、暴言を吐いた二年の男子生徒に言い返す。

「ぁ…」

 一年生はおろおろと端に逃げるようにして、上級生の言い争いが過ぎるのを待つしかない。

 これで更に状況が悪化してしまったら、本当に準備が間に合わなくなってしまう。

 どうにか止めなければと、尋人が再び口を開こうとした矢先。

「おいお〜い」と、暢気な声を上げたのは三年の男子生徒だった。

 各学年一学級しかないため、尋人の同級生であり、割と親しい友人でもある彼の名は菊地武人きくちたけと

 成績はともかく、陽気な性格は人当たりが良く、学年の代表的存在だ。

「そうやって市永いちなが達までカッカして二年に喧嘩吹っ掛けたら倉橋が注意した意味ねーじゃん」

「そうだけど…」

「だって倉橋君のこと…」

「倉橋はそんなの気にしねぇって。な?」

 聞かれて、それが先ほどの留年の話だと察し、尋人はすぐに頷いた。

「うん、全然気にしてないから…、だから、みんな、落ち着いて」

 早口に言うと、三年の女子生徒達は不承不承ながらも。

 二年の男子は気まずそうに顔を背け、口を閉ざした。

「ってわけだから、とにかく準備進めようぜ? 俺達のパーティー、地元のチビ共が楽しみにしてんだからさ」

「そうそう、口より先に手を動かせ〜」

「いま動かないヤツは本番でトナカイの役させるからな」

 菊地が言い、他の三年男子達も口々に作業の再開を促した。

「…ほら、これが今日の作業内容のプリント。ちゃんと確認してよ」

 先ほどまで口調の荒かった二年の女子が、少なからず冷静に、静かに言ってプリントを差し出せば、苛立っていた少年は多少乱暴ながらもそれを受け取り、目を通す。

「倉橋君ごめんね、せっかく注意してくれたの無駄にするようなことしちゃって…」

「ううん、そんなことないよ。それに僕の方こそ、気遣ってくれてありがとう」

「――」

 ありがとう、と微笑い掛ける尋人に、少女達の顔が数秒固まる。

 そうして次には小さく声を立てて笑い「倉橋君て、全然年上に見えないよね」と呟いた。

 それは決して馬鹿にしているわけではなく、彼女達なりの親愛の情。

 同じ学級にいても全く違和感ない、君も大事な同級生の一人なのだと。

 外では雪が降り出し、冷気が肌を刺すようだったが、生徒達が集まる体育館には暖かな空気が戻りつつあった。



 二


 この春、星和中等学校に転校してきた尋人は、本来ならば高校受験を終え、合格した高等学校に進学するはずだった。

 だが去年の冬に遭った事故で二年分の記憶を失ってしまい、家族のことや世間一般の常識的知識は無事でも、失った二年分の学力はほとんど残っていなかった。

 その状態で高校受験は無理と判断した彼らは、医師の診断書も添えて星和中等学校に転入届を提出したのである。

 各学年一学級しかない狭い土地の、小さな学校だ。

 新顔の倉橋尋人の素性は一日と待たずに全生徒へ知れ渡り、だが同時に、田舎特有の大らかさが、そのままの尋人を受け入れたのだ。

 母親が生まれ育った町の、母親の母校でもある星和中学。

 そこでの新しい生活は、尋人にとって、とても心地良いものだった。


「倉橋ってさ、結構、度胸あるよな」

 すっかり暗くなってしまった学校からの帰り道、菊池に言われて尋人は目を丸くする。

「度胸…って、僕が?」

「あぁ。いくらそう思ったからってさ、あんな大勢の前で、あれだけのこと言うってのは結構な覚悟がいるじゃん?」

「…」

 屈託のない笑顔で言われて、尋人は思わず照れてしまいそうだった。

「そんな…褒められるようなこと、していないよ」

 いつもは数人で通る道を、今日は菊地と二人で帰っていた。

 クリスマスパーティの準備にもそれぞれの分担というのがあり、この日はたまたま、二人が同じ頃にノルマを仕上げ、帰宅出来ることになったからだ。

「僕は…ただ、後悔したくないな…と思っただけだから」

「後悔?」

「ん…」

 答え、一呼吸をおいて再び口を開く。

「菊地君も知っていることだけど、僕には二年間の記憶がなくて…」

 二年間の記憶がない――つまり、中学一年生の後半頃から記憶のない尋人にとって、自分はまだ二年生にもなっていない。

 本来なら自分の方が年上であるにも関わらず、意識としては菊池達、三年の彼らの方が上級生に思えるのだ。

 半年以上も同級生をしていれば慣れるものだが、それでも、自分の心は幼いまま。

 同級生を呼び捨てることが、未だにどうしても出来なかった。

「二年間の記憶がなくても、家族の事とかはちゃんと覚えていたし、普通の生活に支障はないって言われたんだ。…実際、それで困ったことはないと思う……、…でも、困らなくても気になるんだ、失くした二年間を自分はどんな風に過ごしていたんだろうって」

「それって普通のことだろ? 俺なんか昨夜の晩飯だって何だったか思い出せなくて気になることあるぜ?」

「うん…」

 菊地の例え話に苦笑して、ふと尋人の脳裏に蘇る“彼”の面影。

「……うん、そうだと思う……ただ、僕は……その二年間を…知ろうとしなかった…」

「は?」

「きっと、…たぶん、聞ける人がいたのに……確かめられなかったんだ」

「ふぅん…まぁ、俺なら人になんか聞かないで絶対に自分で思い出してやるって思うけどな」

 おまえもそうだったんじゃないのかと問われて、肯定は出来なかった。

 否定するのも違うような気がしたけれど、自分自身の力で思い出すと決意したこともない。

 聞こうと思えば聞けたはずのことを、言葉にするのが躊躇われて。

 それは、どこか恐れるのにも似ていて。

“ありがとう”…助けてもらった感謝の気持ちを改めて告げると同時に過去を知れたらと、一度だけ手紙を送ったことがある。

 だが結局は、何も聞けなかった。

「…その人に“知らない”って言われたら、どうしよう…って、そう思ったら、何も聞けなくて……勇気を出せなかったこと、後悔しているんだ」

「……」

 どこか遠くを見つめる眼差しで呟く尋人に、菊池はしばらく何事かを考えた後で、ふと口元を緩めた。

「ははぁん、その相手ってもしかして、おまえのカノジョだったりすンの?」

「え……?」

 カノジョ、と聞き慣れない言葉を漢字に変換し、理解するまで数十秒。

「! ちが……っ」

 否定するその顔は途端に真っ赤に色づいた。

「違うよ! そんなわけないっ、その人は、偶然、僕を助けてくれた人で…っ」

 偶然。

 たまたま、事故に遭った自分を見かけて病院に運んでくれた人。

「偶然? だったら知らないも何もないじゃん」

「そう…なんだけど……」

 菊地の言うとおり、事故現場に居合わせ病院に運んでくれたのが偶然の出来事だったなら、知らないも何もない。

 無関係でしかない。

 なのに、どうしても頭から離れない彼の言葉。

 幸せになれ。

 おまえらしく微笑っていろ――、そう送り出してくれた人。

「……その人、ここに来る前に通っていた学校の先輩だったんだ」

「へぇ?」

「病院で目が覚めて、運んでくれたのが先輩だって知るまで、話したこともなかった」

「なのに気になンの?」

「……どうしてだろ」

「さぁ…それは俺に聞かれてもなぁ」

 苦笑交じりに返されて、「だよね…」と尋人も苦笑する。

 自分でも判らないのだから、人に聞いて判るはずがない。

 そもそも答えなど無いかもしれないのだ、本当に全てが偶然だったなら。

「…でもさ、どうしても気になるなら、本人に確かめてみりゃいいじゃん、今からでも遅くなんかないんだし」

「え…」

「前の学校の先輩ってことはさ、同じ道内だろ? 週末にちょっと行って来るっつって行けない距離じゃないんだし、ずっと悩んでるくらいなら、一度さ、ハッキリと聞いて確かめた方が楽になンじゃない?」

「…」

 もう一度、あの人に会いに行く…思いもしなかった提案に、尋人はどう答えることも出来なかった。

 そんな彼に何を思ったか、菊池はポツリと呟く。

「もし一人じゃ不安だっつーなら俺が一緒についていってやるしさ」

「え…?」

「だって見てみてぇじゃん、倉橋がそんなふうに気にするカノジョ」

「かっ、彼女じゃないってば…」

「記憶ないなら、それこそ判ンないじゃん、実は付き合ってた相手かもよ? だから気になるとかさ」

「違うよ、絶対。だって六条先輩は男の人だよ?」

「―――男…?」

「そう、男の人」

 変な勘違いしないでよと苦笑交じりに続ける尋人に、菊池は一瞬、息を呑み、

「あぁ…そっか、男か。そりゃカノジョじゃないよな」

 あははは…と声を立てて笑った。

 その笑い声に些細な変化があったことには気付かぬまま。

 冬の月が浮かぶ闇色の空の下、二人は家路を歩いていった。



 三


 クリスマス・パーティ本番を明日に控えて、尋人は三年生の教室で数人の同級生と共に地元の子供達に贈るプレゼントの数の確認を行っていた。

「悪い、小学校の男の子と女の子の人数、もう一度教えて」

「えっと…男の子が一〇二人、女の子が八四人」

「幼稚園や保育園の人数は確認しなくていいの?」

「あ、念のため教えて」

 頭上で交わされる女子生徒達の遣り取りを上の空で聞きながら、尋人は雪が舞い降りる窓の外に視線を固定したまま、手の動きを止めていた。

 夕方四時を回り、既に暗くなった空。

 舞い降りる雪景色。

 北国に生まれ育った住人には、この季節になれば当然の光景なのに、なぜ、ここまで目を奪われてしまうのか。

 雪降る夜空に、何か思い出でもあっただろうか……。


 ―――…どうしても気になるなら、本人に確かめてみりゃいいじゃん……


 数日前の菊池の言葉が蘇る。

 会いに行く……、もう一度、彼に……?

 それを考えるたび、胸が締め付けられた。

 会えるなら会いたいという気持ちと、会ってはいけないと、何かに警告されるような痛み。

 確かめたいのに確かめられない、あの日の真実。

「ぁ! ちょっと笹本、仕事もしないで雑誌なんか読んでないでよ!!」

「っ…」

 不意に女子生徒の怒声が飛び、自分が注意されたわけでもないのに、尋人は肩を震わせ我に返った。

 後ろめたさから動悸が激しくなる心臓を落ち着かせようと試みながら、何があったのかと背後を振り返ると、一人の少女・市永可奈子が笹本と言う名の男子生徒から一冊の雑誌を奪い取ろうとしているところだった。

「うわっ市永、許せ! ほんの五分でいいから確認だけさせてくれ!!」

「確認!? どうせグラビアアイドルの懸賞当選発表か何かでしょ!?」

「バカッ、俺の一生に関わる大事な発表だぞ!?」

「こんな雑誌に高校の合格発表でも載ってるっての!」

「進学なんかしねぇよ、俺は家を継ぐんだからな!」

 そう言えば笹本君の家が営む豆腐屋の木綿豆腐はとても美味しかったなぁと思い出しながら、少女が奪い取った雑誌のタイトルに目を奪われた。

“月刊フォトグラフ”

 著名な写真家の特集や、初心者への判り易い撮影アドバイス、また若い才能を開花させようと定期的に作品を公募している雑誌だ。

「…笹本君、写真家を目指しているの…?」

 無意識に毀れ出た問い掛けに、言った尋人も驚いたが、言われた笹本も、周囲で聞いていた同級生達も目を丸くする。

「…笹本、そうなの?」

「おまえ写真家目指してンの!」

「っ…豆腐屋が写真撮っちゃ悪ぃかよ! ってか倉橋、大きな声で言うなっ」

 真っ赤になって声を張り上げる笹本に「ご、ごめん…」と恐縮しながら、だが尋人は立ち上がり、少女に話し掛けた。

「市永さん…あの、確認だけでもさせてあげようよ…、笹本君の大事な夢なんだし…」

 大事な夢――写真家。

 心の奥底で何かが疼く。

 尋人の真っ直ぐな眼差しに、市永可奈子は仕方ないと言いたげに雑誌を持ち主に返した。

「倉橋君に言われちゃ仕方ないわね。確認したら仕事再開してよ」

「へぇ、おまえマジで写真家なるんだ」

「うっさい!」

 からかわれて、怒鳴り返しながらも手は急いで新人賞発表のページを探す。

 その様子に、教室にいる全員が注目している。

 雑誌を奪い取ろうとしていた少女も同様で、誰もが笹本の結果を知りたくて集中していた。

 …しばらくの沈黙。

「…うわっ……」

 不意に発された低い呟きに、室内の緊迫した雰囲気が一瞬で消え去った。

「くっそ、今回も二次予選止まりかよ〜」

「それでも二次予選まで通過したって凄いじゃん」

「…あ、それに周りの同じ予選通過者、みんな二十代とか三十代だぁ」

「スゲェじゃん、十五で二次予選通過なんて」

 大勢の同級生が、笹本の後ろから雑誌を覗き込み、励ます意味も兼ねて次々と声を発する。

 そんな中で笹本本人は不服顔。

「スゲェもんかよ、本当に凄いのはコイツみたいな奴のこと言うンだっつーの」

 そうして指差したのは、今回の新人賞に輝いた十代の少年だった。

「こいつも毎回、予選通過者に名前が載ってた奴でさ、俺が勝手にライバルだと思い込んでたんだけど…くそっ、やられたって感じだぜっ!」

「どれどれ、…ぁ、本当だ、私達と三つしか違わないじゃない」

 同じ道内の、十八歳の高校三年生。

 その言葉に、少し離れた場所にいた尋人の心臓が大きく跳ねた。

 何故か、なんて解らない。

 …解らないけれど、どうしてか判ってしまった。

「あれ?」

 それを決定付けたのは、笹本のすぐ隣で雑誌を覗き込んでいた菊地だった。

「これ…六条って……、もしかしてあの、有名な写真家の息子じゃん?」

「あ、おまえ今、親の七光りだとか思ったろ!」

「違うのか?」

「ったりまえだ! 親の七光りだけで才能ない奴がこんな写真撮れるかよ!」

 言って、笹本が広げたのは今回の入賞作が公開されたページだった。

 カラーで、大きく印刷された一枚の写真。

 そこにはある種の風が吹いていた。

 山の峰からゆっくりと昇り行く朝日には熱が。

 秋の彩り鮮やかな山には自然の息吹が。

 たった一枚の画でしかないはずなのに、そこには命の輝きが溢れ、時間が流れていた。

「すげぇ…」

「だろ!? 去年までも、そりゃイイ写真撮ってたけどここまでじゃなかったんだ! だからライバルだと思ってたのにさぁ…っ、しばらく名前見ないと思ったら今回復活して、いきなりコレだぜ!? どこでどんな修行積んだっつーんだよ!」

 心底悔しそうに告げる笹本の言葉の半分も尋人の耳には届かない。

「批評ってどこ…、あ、ここか。『久々の応募で審査委員一同が驚いた。どのような経験を経たのか写真だけでなく画が持つ世界にも深みが増した。今後、どのような世界を広げていってくれるのかが非常に楽しみである』……だって!」

「こっちには『寂しげで何かが足りないように感じられるが、同時にそれを必死に求める力強さが伝わる。今後の成長の中で、求めているものを見つけ出した時にどんな画を見せてくれるのか期待したい』ってさ」

「ね、この人、カッコイイの?」

「は? 何で?」

「将来有望なカッコイイ写真家ならチェックしとこうかと思って」

「ざけんな!」

 不純な動機の女子生徒を一喝する笹本の隣で、しかし菊地は笑いながら、だったら父親の六条至流の写真集を買えばいいと口を挟む。

「こいつの親父さんてすごい写真家でさ、写真集も何冊も出してるんだけど、必ず最後に家族の写真を載せてるんだ」

「へぇ」

「なに、おまえ詳しいじゃん」

「お袋が六条至流のファンで全部持ってるからさ。おれも何回か見たことあるし、どれがこの六条…なんだっけ、中流? こいつかは判ンねーけど、とりあえず美形揃いの一家だぜ」

 それを、どこか呆れた口調で言う菊地に、件の女子生徒は乗り気だった。

「すごい写真家ってことは、しかもお金持ちだよね! それはもうチェックしないわけにいかない!」

「私もチェックする! この雑誌、本屋に売ってるの?」

「発売日は今月末だぞ。俺は応募して二次予選まで通過したっていうんで、特別賞でさっき家に届いたんだ」

「あぁ、それでおまえ、昼休みに一度家に帰ったのか」

「そ。これが届いたらすぐ教えてくれって母親に頼んでおいたんだ」

 発表を見終わったら仕事を再開するという約束だったはずが、気付けば全員が雑誌の写真に惹きつけられ、それを撮り、受賞した撮影者・六条中流の話題で盛り上がっていた。


 ――六条中流―――“彼”の名前。


「……っ…」

「? 倉橋く……倉橋君!?」

 不意に女子生徒の一人が驚愕の声を上げ、皆の視線が一斉に尋人に注がれた。

「倉橋、どうしたんだよ!」

「倉橋君、なんかあったの?」

 次々と掛けられる声に、尋人は何度も首を振る。

 何でもない、大丈夫。


 ただ、涙が止まらなかった―――――。



 四


 雪の降るクリスマス、十二月二五日。

 地元の子供達を招待して開催されたパーティを無事に終え、その片付けも終えて迎えた終業式。

 明日から冬休みという、その日の帰り道。

 尋人は数人の友人たちと下校していたが、家までの距離や方向もあり、最後には菊地と二人になっていた。

 と、まるでそれを待っていたように、菊池が口を開く。

「…あのさ、前に話してた六条先輩ってさ……この間、笹本が話してた写真の、…六条中流のことなんだろ……?」

「…」

「そうじゃなかったら……それくらい気にしてる相手じゃなかったら…あんなふうに泣いたりしないよな」

 決して答えを誤魔化させはしないと言う強い態度に、尋人は唇を噛み締めた。

 嘘は言えないと解っていて、……だが、本当のことも判らない。

 六条中流が誰なのか、尋人は何も憶えていない。

 ただ、その名前が。

 写真が。

 …夢が。

 現実にあったことかどうかすら不鮮明な、遠い“何か”を揺さ振るのだ。

「……倉橋。もしおまえが六条中流に会いに行くなら、俺も一緒についてってやるよ」

「え…?」

「だってさ、一人じゃ不安なことだってあるだろ。そういう時に支えてやるのが友達じゃん」

「菊地君…」

「だからさ…会いに行こうぜ、六条中流に」

「…」

「ずっと気にしたまま、確かめることもせずにいたら、いつまでもそのままになっちまう。そんなの絶対に良くない」

「……うん」

「明日から冬休みだし」

「でも受験があるよ…菊地君だって進学希望だろ?」

「うっ」

 確かに進学を希望し、受験を控えた冬休みに、そのようなことを行動に移している時間はない。

 かといって、尋人に確かめることを諦めさせたくはない。

 どうするのが最良なのかと一人悩み始めた菊池に、尋人はくすりと笑い、口を開いた。

 まだ不安は残る。

 知ることを恐れる気持ちもある。

 だが菊池の言うとおり、あの日の写真の話題で自分の流した涙、その痛みの理由を自覚しなければならないという思いは日増しに強くなっていた。

 もう逃げられない。

 無視出来ない。

 心に燻ぶる感情の正体を知らなければ、きっと前には進めない。

「…受験が終わって、合格発表も済んだら、…春休みに、一度あの街に戻ろうと思うんだ」

「――それって…」

「うん。僕……もう一度、六条先輩に会ってみる」

「倉橋」

「…今は受験勉強に集中して、…春休みまでに覚悟を決めて。知りたいことを、ちゃんと六条先輩に聞けるようになるから。だから……その時には」

「俺も一緒に行くからな!」

 遮るように断言する菊地に、尋人はそっと微笑した。

「……うん、その時には、お願いするよ」

「あぁ、任せておけ!」

 力強い菊地の言葉に、今まで出せずにいた勇気が少しだけ芽吹いた気がした。

 正体不明な心の奥底にある“何か”。

 憶えてなどいないのに、忘れられない彼の言葉。


 ―――…幸せになれ………


 どこにいっても。

 誰と一緒でも構わない。


 ―――おまえはおまえらしく、笑っていろ………


 そしてきっと幸せになれと告げられた。

 抱き締められた腕は、暖かくて。

 思い出すと、切なくて。


 去年のクリスマスを、自分は誰とどんな風に過ごしていたのだろう。

 それ以前のように、家族でケーキとシャンパンを用意してささやかなパーティを楽しんでいたんだろうか。

 その数日後に事故に遭って記憶を失くした。

 二年間の何もかもを失って……それでも心に残る。

 胸に響く、彼の言葉。

「……六条先輩……」

 留まることなく降り積もる雪のヴェール。

 その奥に、淡い月の光りが灯されて。


 こんな夜に、僕は誰と何処にいたんですか……?


 それを知っているのが、もしも貴方なら。

 どうか教えて下さい。

 この不鮮明な感情の正体を、どうか教えて。

 六条先輩。



 貴方は、誰なんですか―――……。



 ―了―



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