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二度目の楽園 二四

「………そろそろ、終わりにしようか」

 益田が店内に蹴り戻された後、店内を覆っていたどうにもならない沈黙を破るように響いた声は、中流のよく知る男のものだった。

 途端に店内がざわめき、時河竜騎の後方から現れたその人は中央へと進み出る。

「…もういいだろう、中流」

「兄貴…」

 自分とは似ていない。

 けれど見慣れた容貌に、何故か中流の声は震えた。

「城島君に連絡をもらってね。おまえが店内の百人相手に一触即発の雰囲気だというから駆けつけたんだが…」

 言いながら店内を見渡し、その場の誰もが迂闊に動けないでいると察して微かに笑む。

「ま…、あまり心配はいらなかったかな」

 最後に、今まで中流に胸倉を掴まれ立たされていた――今は力なくフロアに座り込み、下を向いたままの滝岡を一瞥し、出流はその手を中流の背に置いた。

「さぁ、帰ろう。もう充分だ」

「…」

 掛けられた言葉に、中流はハッとして兄の顔を見上げた。

 常日頃と変わらない、自身の思惑など欠片も見せない意味深な笑みを口元に湛えた出流は、ただ一つ、その視線を中流から外さなかった。

「…っ……」

 …兄貴、滝岡の言った台詞をどこから聞いていた……?

 そんな疑問が濃い不安と一緒に胸中に募る。

 言葉の返らない中流の心境を、出流の方は正しく理解し、言葉を繋ぐ。

「とにかく帰ろう。あの心配なら、ほら」

 出流が示すのは先ほどまで益田が立ち尽くしていた場所だった。

 そこに散らばっていた写真の全てを独自の方法で集めたのは、いつ店内に入って来ていたのか、出流と同じ年齢の従兄、大樹裕明。

 彼は写真を綺麗に重ねて手の上に乗せると、百人以上もの視線を浴びているにも拘らず、躊躇なくそれを発火させた。

「!」

「なっ…」

 驚愕と動揺のざわめきの中、裕明の手の上では写真を燃す火柱が容赦ない熱を生む。

 道具も何も持たずに炎を出し、また数秒で消失したそれに、だが本人は顔色一つ変えなかった。

「今、あいつ何した…?」

「どうやって火なんか起こして…」

 誰の胸中にも恐ろしい想像が沸き起ころうとしていたが、それを遮るように次に起きたのは勢いある破壊音。

 一本のビデオテープを裕明から渡され素手で叩き割った時河竜騎は、やはり眉一つ動かさずに手元から垂れ下がるフィルムの帯を無造作に丸めた。

 終わり近くまで集め、本体と結合している部分をぎりぎりの所で引きちぎり、歪な球体として手に持つ。

「…おい」

 それを、一声掛けて放った先には出流が。

 だが彼がそれを受け止めることはない。

 伸ばされた手が真っ直ぐに球体に向かったと同時、それは発火し、瞬時に灰となり、煙となって消えてしまった。

「―――!?」

「何だよ今の…っ!!」

 四方八方から飛ぶ声の数々を、完全に他人事のように聞き流しながら、裕明が出流と中流の傍に歩み寄った。

「…さて、最後にもう一つ、この店内にいる客全員の、この一時間ほどの記憶も消させてもらおうか」

 出流が言い、裕明が頷く。

「君達は何も見ていないし、聞いていない」

 ぐるりと周囲を優しい眼差しで見渡しながら、裕明が言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「この店に六条中流は来なかったし、もちろん俺達三人も来るはずがない。この夜、この店では何も起きていない。いつもと同じ、君達の君達らしい時間が過ぎただけだ」

 言い終えるか否かの内に、店内に静かな風が吹きぬけた。

 あれほどざわついていた店内は水を打ったように静まり返り、全員の視線が裕明に集中していた。

「…そして君達は、十二月二十六日から今日まで、倉橋尋人には何もしていない。彼は生きている。誰も死んでいない」

 視線を、逃げようとしていた益田他三人に固定して告げる裕明の眼差しには侮蔑の感情。

「だが君達が、倉橋尋人は死んだという衝撃を忘れることは決して許さない。生涯その罪を背負え。その罪が君達を覆う限り“月の光り”は届かない」

 月の光り、癒しの輝き。

 それは彼ら“里界の月”を知る者達にとっての至福の形であり、それが届かないということは無限の闇を意味する。

 つまり彼らの未来に幸せはないという暗示であり、能力を込めた言葉は彼らへのまじないだ。

 まじないは呪いとなって彼らを“幸福”から遠ざける。

 今後、彼らは決して“幸せ”にはなれないだろう。

 もしも彼らが“幸せ”を掴める日が来るとすれば、それは尋人が彼らを許した時。

 それ以外に、彼らの咎が清められることは有り得ない。

 今、彼らが店中の若者達に――そして尋人を苦しめてきた彼らに施そうとしている術は、尋人を直接辱め、死に追いやった連中に施したものと同一の罰。

 これが彼らにとっての。

 人としての。

 …そして異郷に生まれた能力者としての、せめてもの復讐だ。

 彼らが命を捧げたところで、尋人の心に抉られた傷が癒えることは無い。

 過去の取り返しがつかないなら、その罰は未来にしかあり得ない。

 ならば生きて、生涯、光りの射さない路を行くがいい。

 そうしていつか思い知る。

 自らが奪った他人の幸せ、命の重み。

 罪の深さ。

 自分のしたことが、どれほど卑劣で残酷なことだったのか。

 その所業がどれだけの人間を苦しめたのか。

「……そしてそれは、当然、君も同じだ」

 そうして最後に見やるのは中流の傍で座り込んでいる滝岡の姿。

 店内の誰の視線も裕明に集中する中で、滝岡だけは俯いたまま、術の中に囚われてはいなかった。

「ただ一つ違うのは、…君だけは今ここで起きた全てを記憶したまま、今になって自覚したその想いを背負って生きるといい」

 ピクリと動く、その肩。

「今後、どう生きるかは全て君自身の選択に任せるよ。自分がどんなに愚かしい真似をしたのかは自覚出来たはずだ。わざわざ俺達が罰を下すまでもなくね」

 出流は告げ、手をかざす。

「苦しむといい。その命尽きるまで」

 単調な、容赦ない台詞を突きつけて、出流は裕明と視線を合わせる。

 と、今度は強く吹き抜ける風。

 店内の全員が、呼吸をしているかすら怪しい静寂。

「…さぁ行くよ。俺達はここにいないという暗示を掛けたんだ、長居は無用だよ」

「時河君、腕は?」

 裕明が出口に向かいながら問いかけると、竜騎は小さく首を振る。

「…大したことない」

 単調に返すのとは対象的に、患部を圧迫している右手指の隙間から滴る出血は続く。

「……帰ったら、すぐに裕幸に診せるんだね」

 自分が言ったところで素直に従うはずのないことを知っている裕明は、そんな言葉で竜騎を気遣った。

「…」

 中流は、そんな遣り取りをする二人の後方から兄に促されるように出口に向かう。

 振り返ると、床に投げ出された滝岡の四肢。

 その片手が拳を握り、震えているのが分かった。

「……っ」

 ひどく不快な感覚が全身を巡る。

 苛立ち、憎悪、慟哭、…羨望…?

「なんで……っ」

 中流の掠れた呟きに、しかし出流は何も応えなかった。



 外に出ると同時、冬の冷たく澄んだ空気に包まれ、強い痺れのような悪寒が走る。

「おお、無事だったか」と、親しげに話し掛けてきたのは、今まで滝岡たちを見張っていた城島という男。

「ほんと、おまえらって謎が多いよなぁ」

 そんな軽口を叩き、竜騎や出流と二、三の言葉を交わして店内に入っていった彼はそれきり姿を見せることはなく。

「車を回すよ」

 そう告げて離れていった裕明が戻るにはまだ早い。

 竜騎と、出流の傍で。

 中流の苛立ちは増す。

「…なんなんだよ、これ……っ」

「…」

 無意識に漏れた呟きに、だが二人は応えない。

「なんで……っ…俺…なんでこんなとこにいるんだ……っ? 何にも意味なんかなかったのに…っ……結局…結局、全部が俺のせいだったのに……!」

 気付かなかった滝岡の本音。

 隠された言葉。

 それを知ったら殴れるわけがなくて。

 殴ったからといって恋人が戻るわけでもなくて。

 暴露されて困るものは兄達が完全に抹消し、連中の記憶も感情も、罰すら、自分に未知の異郷の能力に頼りきり。

 胸の憤りは増すばかり。

 何一つ、自分の力では出来なくて。

 自分に出来ることも何一つなくて。

 ……知り得たのは、たった一つ、己の罪。

 自分がここに居る理由は、それを知るためだったのか……?

「俺の…自分のせいだったんだ…っ……俺が何も解ってなかったから尋人を泣かせたんだ…俺がちゃんと解ってたら…あいつ、きっと泣かずに済んだのに……っ」

 解っていたら。

 気付いていたら。

 …尋人の想いを受け止めたりしなければ、きっと尋人は今も生きていられた。

「俺がバカみたいにあいつの傍にいたがったから…っ……尋人が好きだって…自分のことしか考えてなかったから…っ……!」


 ―――俺の傍で、幸せだって、微笑っていてくれ………


 自分の都合ばかり押し付けて。

 尋人の傍にいたくて。

 傍にいて欲しくて。

 周りの目なんか気にも留めずに、滝岡が尋人を傷つける、その意図を考えようともしなかった。

 だから滝岡はこんな行動を。

 尋人を、取り返したくて。

「俺が殺した……っ」

「中流」

「俺が尋人を殺したんじゃないか………っ!!」

「…っ」

 中流が叫んだ刹那、その頬に鋭い痛みが走った。

 肌を打つ音が響く。

 足元の雪に赤い斑点。

 竜騎の険しい眼差しが、中流を射抜いた。

「…これが、おまえの罪なら、あいつは死ななかった」

「―――」

「どうしてあいつが自分を殺したのか考えろ」

「…っ」

「どうしておまえのことだけを忘れたのか考えてみろ!」

「………っ…」

 初めて聞く竜騎の怒声に、中流は歯を食いしばった。

 何故、尋人が自殺したのか、なんて。

 どうして中流のことだけを忘れたのか、なんて。

 そんなこと。

 ………そんな、こと。

「中流」

 不意に、胸に押し付けられた茶封筒。

 こんなものをどこから取り出したのか、出流は静かな口調で続けた。

「…いい笑顔だよ」

「…」

 短い一言は、だが中流の胸を打つ。

 取り出して見たそれは最後の写真。

 あの朝、あの部屋で。

 中流が撮った、尋人の最後の笑顔。

「……っ……!」

 父親と同じ。

 父親を越えた、写真家になる夢。

 言葉を持たない画に言葉を。

 心を。

 想いを感じられる一枚を。

「尋人……っ」


 ――…僕も、先輩が大好きです……


 …聴こえる、君の言葉。

 君の想い。


 ――……僕 もう微笑えません……

 ――……貴方の隣には帰れません……


 微笑えないから、帰れない。

 帰れないから消してしまった。

 消してしまわなければ、きっと帰りたくなるから―――。

「尋人…っ……尋人……!」

 幾ら呼んでも戻らないと解っていて。

 それでも呼ばずにいられなかった。

 たった一人、欲した君。


 二度と逢えない、君の名前。




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