二度目の楽園 二二
ずっと目障りだったんだ。
いつだって人の目の前をうろちょろして、こっちの気分を悪くさせる。
何だっておまえは俺の視界に入ってくるんだ。
どうして、俺の見える場所でそんな顔を。
行動を。
言葉を、紡ぎ出すんだ。
―――…気に入らねぇ……
心底、そう思った。
おまえの笑った顔も。
落ち込んだ顔も。
困ったような顔も。
何もかもが俺の中の何かを刺激して苛立たせる。
それでも勝手に視界に入ってくるおまえは、…俺に何をさせたいんだ。
―――…ムカつく……
マジでムカつく。
失せろよ、おまえは。
こっちが親切にそう言ってやってンのに、それでもおまえは俺の視界に入り込んで。
いつだったか気付いた、おまえの目線の先。
高等部の奴を目で追って、今まで見たことのない顔だ。
すぐに判ったさ、それがどんな意味か。
おまえがホモだって。
けど口に出したくなんかなかった。
気味悪ぃんだって、マジで。
たまたま肩ぶつけて、
「あ、悪い」って、そんな一言で幸せそうな顔しやがって。
「中流兄ちゃん!」って、初等部のガキの声が聞こえたら弾かれたみたいに顔上げて。
そんなにアイツがいいか。
おまえのこと、何も知らない奴がそんなに好きかよ。
―――…ムカつく……
ムカつくし、気味悪ぃし。
イライラする。
呼びつけて殴ったら、少しはこっちを見るのか?
そうしたら俺に許しを請うだろ。
泣いて謝れよ。
服従しろよ。―――俺がおまえを支配してやるから。
俺の言うことだけ聞いてろ。
―――…先輩……
おまえの主人は俺だろ。
―――先輩に手を出すな!
おまえは、誰の。
―――だって僕は…、先輩のことずっと…、一年の時からずっと……っ……
おまえは、誰のものなんだ。
◇◆◇
手の中のフィルムを握り潰す勢いで拳を固め、滝岡は歯軋りする。
この中に残されているのは、商品にならないと言われた尋人の姿。
あんなに幸せそうな顔で。
変態のくせに普通の恋人同士みたいな振りしてよろしくやっていたのは何だったんだ。
未経験て、どういうことだよ、それは。
(おまえはアイツのものになったんじゃなかったのか…っ?)
薄暗い、照明は点灯しているものの煙草の煙で霧がかっている店内は周囲の様子がかなり見辛くなっていた。
敷明小路四丁目“Darker”の名で看板を上げているこの店は、知る人ぞ知る若者達の無法地帯。
昼夜では全く別の顔を持つと言われる敷明小路の中でも、四丁目の最終路から奥は昼間でも怪しい気配が充満しており、危険なクスリ等の売買も平気で行われるような場所だ。
滝岡はここであの連中と知り合い、倉橋尋人の一件を持ちかけた。
どうでもいいから、俺達の言いなりにするだけの物が欲しいと話せば、お安い御用とばかりに実行に移されたのがアレだった。
「…」
別に、どんな方法でも良かったんだ。
あいつを俺達の奴隷に出来るなら。
アイツから奪えるなら。
尋人がどんなに傷つき、泣き喚いても。
「くそ…っ…」
手の中のそれを投げ捨てたい気分に駆られながら悪態をつく滝岡に、カウンター側から戻ってきた益田が卑しい笑みを覗かせている。
「倉橋の家も六条の家も、誰も電話に出ないぜ」
「ははっ、どっちも居留守使ってんじゃねーの?」
「今頃泡食って逃げる算段とか練ってンじゃねーだろーな」
「無駄無駄、こっちにはアレがあるんだぜ」
言って彼らが見るのは、滝岡の手の中にあるフィルムと、足元の鞄に無造作に突っ込まれているビデオテープ、数枚の写真。
「どうする、最初は幾らくらい持ってこさせる?」
「六条なら百万でもイイんじゃねーの」
「持ってそーだよな、アイツの家、見たことあるか? こないだテレビにも映ってたけどさ」
「…」
仲間達のくだらない談笑を聞き流しながら、滝岡はふと誰かの視線に気付く。
さりげなく店内を見渡すも、充満した紫煙と店の規模に反した大入りの客数で、その正体は見極められない。
と、また新たな客がやって来たのか、わずかに外の光りを取り入れて再び閉まる出入り口。
煙の向こう、店内を見渡すその姿に滝岡は目を瞠った。
「……」
思わず腰を浮かせ、凝視してしまう。
そんなリーダーの様子に、他の連中も気付き、視線の先を追う。
そして同じように目を見開き、立ち上がった。
今の今まで、散々に言い合っていた話題の人物の登場に、だが彼らは言葉が出なかった。
紫煙を通して映る彼の姿は、どこか恐ろしい雰囲気を醸し出している。
「……六条」
滝岡が呟く。
手の中のフィルムを拳に握りこむ。
「…」
視線が重なり、変わる気配。
「…っ……」
静かな足取りで彼らに近付いてくる中流の、その顔に表情はない。
何しに来た、とも。
見つけた、とも。
互いに言うべき言葉はありながら、その必要性など有り得ず。
間近に寄った、その瞳。
刹那、繰り出した中流の拳は、容赦なく滝岡の顔を殴りつけた。