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二度目の楽園 十九

 怒りも、悲しみも。

 何もなかった。

 頬を伝った涙にさえ、どんな意味があったのか判らない。


 ……判りたく、なかった。

 静かな部屋。

 真っ白なベッドに寝かされている君の寝顔は、一人きりの部屋よりも静かで。

 傷らだけの身体に包帯を巻いて。

 手当てをして。――それは、まるであの朝と同じ光景だ。

 目を覚ますと、君は戸惑いながらベッドを抜け出し、部屋を出る。

 居間に入り、その広さに絶句して。

 声を掛けた自分に驚いた顔をして見せるんだ。

 そして、そこから始まる。

 名前を聞き、呼び合い。

 触れ合って。


 そしてきっと、決してこの日は通らずに。


「…尋人……」

 傍らに眠る君。

 なぜ、こんな方法しか選べなかった……?





『見つけた』

 時河竜騎が、汨歌から掛けた電話の向こうで答えたのが数時間前。

 その手の事に詳しい奴に聞いたらすぐに判ったと、その情報元を連れて向かったのが個人経営の喫茶店だと言う。

『前々からヤバイ商売しているとは聞いてたんだけどさ』と、電話を代わって話すのが、その情報元・城島秋久じょうじまあきひさ

 汨歌相手では順序立てた説明をしようとしない竜騎に呆れ、本人が電話を代わると申し出たのだ。

 裕幸、竜騎が通う松浦高等学校の三年生であり、留年経験有りの彼は別の意味でも竜騎の先輩にあたる人物で、今でこそ実家の料理屋を継ぐべく改心した彼だが、現役時代の情報網は今も健在らしく、竜騎が彼にどう話したかは判らないが、どんなに簡素な説明であっても竜騎の頼みとあれば彼は動き、そしていつだって正確な情報を持って素早い対応をする男だ。

『でさ。時河はこの店の連中を残らず殺すって言ってるんだけど』

「ええ、そう! 一人残らず死体を残さないようにやってちょうだい!」

 返す汨歌に、城島は『ははっ』と笑う。

『了解、イッカちゃんの命令とあらば仰せのままに』

「城島先輩!」

「まぁ待ちなさい」

 慌てた裕幸が受話器を取ろうとするが、それより早く六条出流が手を出した。

「城島君、その店の場所を教えてくれ。俺が行く」

「え?」

「人間にはね、死ぬより苦しい罰というのがあるんだよ」

 そう告げる出流の表情には冷たい微笑。

「ところで、君が声を掛けたら何人くらい集まる?」

『今すぐなら三十から五十が限度かな』

「充分だよ。悪いがその五十人弱を今すぐにその店の周囲に集めてくれ」

『いいけど、何すんの?』

「店を壊す」

「!」

「出流!?」

「壊す、じゃ済まないかな。とりあえずやれる限りのことはやらせてもらおう」

 冷徹な表情で言い切り、城島から店の場所を聞いた出流は、電話を切った後で弟妹達に告げた。

「人一人の人生を踏み躙った連中に、今の生活を続ける価値があると思うかい?」

「…」

「俺にしてみれば、中流が泣いたというだけで奴らを殺す理由は充分だ。…だが、ここが地球上で、相手がそれでも人間だと言うならこちらも礼儀は尽くそう。これでも随分と情けを掛けているつもりだよ」

「出流…」

「愚かなのは連中だ。奴らは、この俺を怒らせた」



「おまえ達の好きにしなさい」

 裕幸が目を覚ました病室で、大樹医師は言い切った。

「報道関係にも、警察関係にも既に手は回してある。尋人君のこの件に関して外部に漏れる心配はしなくていいし、これからおまえ達が何をしようと騒ぎになることはない」

 それは大樹医師本人によるものではなく。

 それらの機関に多大な圧力を及ぼすことの出来る存在が、こちらに協力しているがための不正行為。

 かといって、その見返りに大樹医師が支払うのは金銭でも契約でも医療行為における優遇でもない。

 大樹からそれらに流れるのは月の光り。

 裕幸の――白夜の。

 神に等しい存在の加護であり、また相手方の手中に大樹と同じ血を継ぐ者達がいればこそ真実と認められ、可能となった利害の一致。

「…だから、おまえ達は思うようにしたらいい。もちろん、おまえ達自身が傷つくことのない範囲でな」

 歪んだ笑みで告げた大樹医師。

 その言葉を、出流は忠実に実行に移そうとしていたのだ。





「尋人…」

 青白く、冷たい頬に触れて。

 中流は肩を震わせた。

 数時間前に裕幸が寝かされていた病室で兄達がどんな会話をしていたのかなど知らぬまま、尋人の傍らで彼の状態を見守っていた。

「…尋人……どうして…」

 もう中流の隣で微笑えない。

 貴方の傍には戻れない。

 あの従弟がいたからこそ届いた、尋人の最後の言葉は、中流に否応なく残酷な現実を突きつけた。

 それと同時に胸中を襲ったのは、どんな表現でも言い表すことの出来ない感情。

 怒り、悲しみ。

 絶望。

 喪失。

 そのどれにも当てはまるようで、当てはまらないような、……虚しい思い。

 言葉になるのは、ただ一言。

 尋人。

 どうして。

 何故。


 ――どうしておまえは“死”を選んだんだ…?


「俺が……、こんなことで俺が…、おまえを嫌うとでも思ったのか……?」

 誰よりも苦しんだおまえを。

 おまえに微笑っていて欲しいと願った俺が。

「俺が…おまえを泣かせるとでも思ったかよ…っ…」

 そんなわけ、ないのに。

 尋人が微笑えるためなら。

 安らいで、穏やかに過ごせる場所を保つためならば。

「おまえの…、おまえが望むなら、俺は何だってしてやれたのに…っ…!」

 最後の言葉の通り、中流の傍にはいられないと言うなら、それでも良かった。

 今は別れを告げる事になっても。

 いつか傷ついた体が癒えて。

 少しずつでも心が落ち着いて来たら。……それからでも、もう一度、歩み寄ることは出来ただろう。

 なのに、おまえは。

 その未来さえ潰そうとして。

「…好きだって言ったろ……っ」

 おまえが好きだって。

 こんな言葉、冗談でなんか言わないって。

「一緒にいたいって言っただろ……っ!」

 細い手を握り締め、中流は叫ぶ。

 掠れた声。

 それは激情を押さえ込んだ悲痛な叫び。

「尋人…」

 握り締めた手を、頬に寄せ。

「尋人……っ」

 呼びかける。

 何度でも。

 だからどうか戻ってきて。

 傍にいられないと言うのなら。

 俺と一緒にいられないと、言うのなら。

 それすら、おまえの望む通りにしてやるから―――。

「……六条さん…?」

「!」

 不意に背後から声を掛けられ、中流は立ち上がって振り返り、目を見開く。

「ぁ…」

 背後に佇んでいたのは尋人の母親。

 いつからそこにいたのか、わずか数時間でやつれた観のある彼女は、優しくも淋しい笑みを浮かべていた。

「…、あの…済みません、勝手に…」

 本来は身内以外面会謝絶の病室。

 どうしても彼の容態が気になり、中に尋人以外はいないことを知って傍についてしまったのだ。

「…済みませんでした。…ただ、どうしてもひろ…倉橋君のことが気になって…」

 尋人の母親と知りながら、どうしても離したくはない掌を見つめる。

 すると彼女が微かに目元を和らげた。

「…やっぱり貴方が六条中流さん?」

「ぇ…」

「よくね、尋人が話してくれていたのよ。とっても優しい先輩と親しくなったんだって」

「尋人が…?」

 少なからず驚いて聞き返すと、彼女は笑みを強めた。

「以前は“大丈夫だから”って学校に行くのも強がっているのが判ってしまったのに…、最近は本当に楽しそうだったの」

 尋人が同学年の一部からいじめに遭っていることを彼女は知っていた。

 辛いなら転校することも考え、それを本人に薦めもした。

 だが尋人が頑として首を縦に振らず、榊学園の生徒で居続けたのだ。

 それは何故か。――理由は一つ。

「だから学校にお友達が出来たの? って聞いたら、素敵な先輩がよくしてくれるって。その人のおかげで虐められることもなくなったって。…この子の傷、本当に消えていってくれて…、同級生の子とも話せるようになった、って……」

「…」

「この子…本当に幸せそうに笑って話してくれました」

 告げて、彼女は深く頭を下げた。

 そうして中流に贈られる言葉。

「尋人を愛して下さってありがとう」

「――」

 まさかあの尋人が――自分の性癖を知られることに怯えていた彼が家族には打ち明けていたのかと驚く中流に、彼女は続ける。

 まるで彼の驚きの理由を見抜いたように。

「…母親ですもの。尋人の幸せそうな顔を見ていれば、普通の先輩後輩の仲じゃないことくらい判ります」

「…」

「この子の性癖には気付いていましたから…、学校で辛い目に遭っている尋人が、これからもずっと苦しむのかと思ったら不安で仕方がなかったけれど……、貴方のような人と出逢えて、想い合えたこの子は幸せ者です」

「けど…、けど尋人を…っ、俺は守れなかった…っ」

「いいえ」

 それは違うと、彼女は首を振る。

「尋人は幸せです。…貴方は、今もそうしてこの子の手を握っていてくれるんですもの」

「…っ……」

「どうかこれからも傍にいてやって下さい…、私たち親と一緒に…、違う形で、この子の支えになってやって下さい……」

 そうして再び頭を下げる彼女の頬に、大粒の涙が伝う。

 中流はそれに応えるように、尋人の手を包む力を強めた。

 傍にいる。

 それが尋人のためになるのなら。

 傍にいて、尋人を支えられるなら。

「…尋人が好きなんです」

 それは誰に恥じることもない中流の本心。

「尋人の傍にいたいんです…」

「…六条さん」

 涙に濡れた頬が、柔らかな笑みに綻ぶ。

 彼の想いに感謝するように、彼女は三度、頭を下げ。

「ありがとう」と、何度も繰り返した。


 ありがとう、なんて。

 そんな言葉が欲しくて一緒にいるわけじゃない。

 欲しいのは君の笑顔、ただ一つ。

 いつだって。

 今だって、その願いは変らない。


 願いは、変らない。

 想いも変らない。

 けれど。

 ――けれど、失ったものは大きすぎた。

 十二月二十八日未明。

 家族の見守る一室で目を覚ました尋人は、…しかし、中流と出逢ってからの“二年間”を失ってしまっていたのだ―――……。




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