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二度目の楽園 十五

 夜十一時を回って、中流と尋人は大樹家を後にし、尋人の自宅へと向かって歩いていた。

 もう遅いのだし大樹家に泊まっていけばいいと皆が言ったのだが、尋人はどうしても帰らなければいけないからと断り、タクシーを呼ぶと裕幸が言えば、中流が「自分が送っていく」と申し出た。

 外は雪。

 厚い雪雲は、雪の輝きに照らされて幻想的な色を映し、柔らかな氷の結晶は、むしろ温かくさえ感じられた。

 そんな夜道を並んで歩きながら、

「やっぱ、少しは二人で過ごしたいよな」と中流は微笑し、

「ごめんな。本当なら最初から二人で過ごすこと考えるべきなのにさ…」と申し訳なさそうに続けた。

 北欧出身の祖母の影響で、クリスマスは家族が揃って過ごす日というのが習慣になっている大樹家では、祖母が亡くなった今も生前のスタイルが続けられている。

 それは亡くなった祖母を悼む祖父の気持ちが数年を経た今でも色褪せることがないためであり、家族全員がそれを受け入れているため。

 だからこそ、既に社会人になった兄弟もこの日だけは一分一秒でも時間を作り、あの家に集うのだ。

 恋人が出来たなら、そこから離れて予定を立てるべきだとは思ったのに、どうしてもあの場所にいたかった。

 それが当たり前のようになってしまっていることを詫びる中流に、だが尋人は首を振った。

「……よく、母が言うんです」

 口を開いた尋人に、中流は耳を傾ける。

「好きになるなら家族を大切に出来る人を好きになりなさい、って」

「家族を大切に?」

「自分の家族を大切に想える人は、これから自分が作る家族のことも大事に想えるから。ちゃんと人を好きになれる人だから、って…」

「へぇ」

 笑んで呟きながら、中流は尋人の手を取った。

 隣り合う手と手を握り、包み込んで。

「なら、俺は合格?」

「…」

 そっと頷き、尋人は足を止めた。

「尋人?」

「……」

 俯き、…顔を上げて。

 真っ直ぐに中流を見つめる。

「…僕…先輩が好きです」

「――」

「僕…」

 唐突な告白に、わずかに目を瞠りながらも、嬉しさを隠しきれない中流は距離を縮め、顔を寄せる。

「…ん……」

 触れるだけの優しいキスに、尋人の頬は赤く染まる。

「俺も、尋人が好きだよ」

 もう一度、唇を重ねて。

 溶け合う吐息は白く色づく。

 北の国では当然の雪化粧も、ヴェールのように降り続く白銀の結晶も、今だけは神秘の夜を彩った。

「……あの…」

「ん?」

「……」

 尋人は言葉を詰まらせ、繋いでいるのとは逆の手で中流の上着の裾を握り、その胸に頬を寄せる。

「…どうした?」

 意図のつかめない相手の動作に思わずドキッとしながら、中流は平静を装って声を掛けた。

「…尋人…?」

「…先輩…」

 自分の胸元から、震えた声。

「先輩…僕、…嘘を、言ったんです」

「嘘…?」

「…どうしても帰らなきゃいけないなんて…嘘なんです……」

「ぇ…?」

「ああ言ったら、先輩が「送る」って言ってくれると思って…」

「尋人」

「先輩のご両親も、お兄さんも、…裕幸さんの家に泊まるって聞いて…、……先輩も、泊まるって聞いて……」

 彼の自宅には、誰もいないのだと。

 帰ってこないのだと、知って。

「…だから…、だから僕……」

「待て。…ちょっと待てよ、尋人」

「…先輩」

「おまえ…」

 尋人、君が告げる言葉の意味は。

「どうして、そんなことを言うんだ…?」

「…」

「俺、言ったよな? おまえに我慢させるような真似したくないって」

「我慢なんて…っ」

「おまえが辛いのはイヤなんだ」

「辛くなんかないです」

「けど、おまえは」

「先輩が好きなんです!」

 中流を遮り、叫ぶように告げられる想い。

「…先輩が…好きだから…。怖くても、ちゃんと耐えられます…」

「だから、耐えさせたり…おまえが苦しんだりするのは、俺は…」

「でも一度は耐えなきゃ…僕はきっと…ずっと、前に進めません……」

「――」

「いま乗り越えなかったら…僕はずっと…先輩に守られてばっかりになってしまう気がするんです…」

「…だからって、どうして今…」

「……先輩の家族が、……お兄さんや、お姉さんが……僕のことを、受け入れてくれました…」

 今まで誰にも言えなかった想い。

 中流を好きだという気持ち。

 同性しか好きになれない異常な自分を、どんな奇跡が起きたのか、中流は受け入れ、彼の家族は認めてくれた。

 特別な相手だと、言ってくれた。

「すごく…本当に…すごく嬉しくて…」

 決してありえないと思っていた夢が、こんなにも幸福な現実として存在している。

 幸せすぎて。

 …怖いくらいに幸せで、いつ消えてなくなってしまってもおかしくないような、幸福。

 それだけが。

「…だから…耐えられるのは…今だと思うんです…、今しか、ないって…」

「尋人…」

「先輩が好きなんです…」

 それだけが、今の全て。

「…僕のことを、本当に好きだと想ってくれているなら…、大事だと言ってくれるなら……抱いて下さい……」

 今日という夜に。

 二人きりの、雪の夜。

「…ずるい言い方だな…」

 辛そうに顔を歪めて、中流は少年の細い体を抱き締める。

「それで俺が断ったら…、どうするんだ……?」

「…もう…二度と先輩に会いません…っ」

 震えた声。

 消えてしまいそうな、弱弱しさ。

「バッカ…」

 ぎゅっ…と震える少年を抱く腕に力を込めて、中流は囁く。

「……家まで、タクシー使うか…?」

「…歩きたい、です…」

 聞いている方が辛くなる、か細い声。

「……誰にも、会いたくない…」

 告げられる言葉から尋人の気持ちを察して、中流の心はわずかな痛みを覚えた…。



 ◇◆◇



 しんと静まり返った六条家。

 あの日、出逢った朝に寝かされていたベッドに、今は二人。

 雲に覆われた夜空からは止めどなく雪が降り続き、積もる雪、舞う結晶が外界の音を遮断した。

 静かな。

 静かな部屋。

 重なる影は密やかに。

 揺れる熱は、……儚すぎて。


「…尋人、目を開けろ」

「…やっ…」

「ちゃんと俺を見てろ…おまえに触れてるのが誰なのか…ちゃんと確かめるんだ…」

「っ…ぁっ…」

「俺は誰だ…?」

 強く瞑られた瞳。

 血が滲むほど噛み締められた唇。

 少年の熱い頬を撫で、中流はゆっくりと語りかける。

「俺はおまえを傷つけないし、嫌がることもしない。…おまえを泣かせない」

「…っ…」

「尋人、俺は誰だ?」


 語りかける。

 一言、一言。

 目を開けて。

 見て。

 その名を、呼んで。


「…ン…ぱい…」

「尋人」

「…先輩…っ……」

 そうして少年の瞳から零れ落ちる涙に、中流の胸の痛みは増す。

 こんな。

 ……こんな尋人の姿を、誰が望む。

 唇に応えるのも精一杯の。

 微かな刺激に瞳を閉ざし、闇に逃げ。

 きつく結ばれた口元はわずかな声も漏らさない。

「尋人…」

 ずっと謂れのない暴力を受け続け。

 耐えて。

 耐えることしか出来なかった尋人にとって。

 他人の手は恐怖の象徴。

 与えられる刺激は、苦痛のみ。


 それに長く耐え続けた彼には。

 

 好きだよ、なんて。

 そんな睦言も届かない――……。


「尋人…」

 泣きたいのは、中流も。

 こんな姿を見たくなくて。

 こんな顔をさせたくなくて。

 ずっと笑顔で居て欲しいと願ったのに。

「…っ……」

 今、ここで彼を抱いたら。

 自分も彼に暴力を振るう連中と同じ。

 彼を傷つける奴らと何も変わらない。

「尋人…もう…やめよう…」

「っ…先輩…!」

「いい…、こんなこと、…おまえにそんな顔させてまですることじゃない」

「ぁっ…でも…っ」

「いいんだ!」

「っ…」

 遮られ、言い放たれて。

 身体を震わせる少年の瞳から、今一度、毀れ落ちる涙。

「…」

 それを指で拭ってやりながら、中流はそっと微笑う。

 どこか歪んだ、…辛そうな笑み。

「…おまえにそんな顔されたら…俺が辛いんだ…」

「先輩…」

「抱いてる間中そんな顔されていたら…俺…、おまえを抱いたこと後悔する…」

 そしてきっと、二度と触れられない。

「…俺さ、……おまえの傍にいたいんだ…」

「…ぇ…?」

「おまえの特別でいたいし…、恋人でいたいし…、……俺と一緒にいられて幸せだ、って…そう思ってもらえる人間でいたいと思う」

 それは、まだ話せない自身の血の秘密も含めて。

 いつか訪れる未来の先も。

「……おまえと一緒にいたいんだよ…」

 肌蹴た上着を直してやりながら、中流は真っ直ぐな言葉を伝える。

 あの日、傷の手当てのために見た体は痛々しい傷痕が所狭しと広がっており、どんな酷い目に遭ってきたかが容易に知れた。

 今、熟れるように触れた体にはその名残。

 青痣はほとんど消え、火傷の跡はうっすらと判別がつく程度にまで癒えている。

 血を流すことはなく。

 痛みに顔を顰めることも。

 助けてと、眠りの中で叫ぶこともないだろう。

 だが、見えない傷は残る。

 心に刻まれた傷は今も尚、尋人を苦しめ、苛んでいる。

 だからこそ尋人は、中流の行為にさえ耐えようとするんだ。

 そうでなければ前に進めない。

 中流にされることなら辛くないと告げて、今までと同様に耐える彼を抱くという行為は、その傷を抉ることに他ならない。

「…おまえが、好きだよ」

「っ…僕だって…僕も先輩が好きです…」

「一緒にいたいよ」

「僕も…いたいです…っ」

「だったら…」

 自分を見つめる尋人の、潤んだ瞳に微笑して、中流は告げる。

「だったら…何も今、急がなくたって…これから時間はいっぱいあるだろ…?」

「っ…っぅ…」

「この二ヶ月でキスに慣れて来たようにさ、…ゆっくり進んでいくんじゃダメか?」

「先輩…っ」

「それともH抜きじゃ恋人失格か?」

 からかうように言うと、尋人は何度も首を振る。

 そんなことない。

 そんなこと、ないです。

「先輩と一緒にいたいです…っ!」

「尋人…」

 本当は怖くて。

 怖かったのは、一歩を踏み出せずにいることで中流に嫌われてしまうかもしれない不安。

 愛想を尽かされてしまうんじゃないかという恐れ。

 こんな自分でも身体は“男”だから。

 中流に対して何も出来ないことが怖かった。

「…泣くな」

「だって…だって先輩ばっかり優しくて…僕は何も…、先輩に何もしてあげられないのに…それでも先輩は…優しくて……っ」

「ばぁか…」

 泣きじゃくる少年を腕に抱き、その頬に、額に口付け、中流は囁く。

「俺を喜ばせたかったら微笑ってくれ」

「先輩…」

「俺の傍で、幸せだって、笑っていてくれ」

 願うのはただ一つ。

 たった一つ。

 尋人、君の笑顔だけだから――……。




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