二度目の楽園 十四
十二月二十五日――クリスマス。
その日の大樹家は、朝から慌しく時間が過ぎていた。
仕事・学校のある者はそれが終わってから大樹家に集合という予定になっていたが、前日に終業式を終えて冬休みに入っていた子供達は早速それぞれの仕事に取り掛かっていた。
夜のための御馳走を用意する主婦四人。
家の周りを囲う“もみの木”に電飾を施すのは江藤家長男・貴宏と、医大学生の裕明、今日明日は完全に休みを取っている出流。
屋内、パーティ会場となるプレイルームでクリスマスツリーの装飾を担当するのは柳瀬家の幼い三兄妹と、江藤歌織。
今日が終業式の松浦学園と聖エイーナ女子高等学校に通う裕幸、汨歌の二人は昼過ぎに帰宅予定。
そして裕幸は、きっと時河竜騎と一緒に帰宅するのだろうと予想しながら、梁瀬の三兄妹と同じ榊学園に通い、昨日から冬休みに入っている六条中流は買出しの名目で恋人を迎えに行く途中だった。
尋人をクリスマスに誘うと決めた翌日、早速、尋人に話すと、彼はひどく困惑した様子だった。
それを、自分とクリスマスを一緒に過ごしたくないのだろうか。
それともやはり二人きりで過ごす計画を立て直すべきかと不安になった中流だったが、尋人の動揺はそれに対してではなく。
「家族に紹介したい」という、その言葉の持つ意味に対してのものだった。
中流は深く考ずに、付き合っている相手として家族に紹介するつもりだったのだが、尋人はそれに首を振った。
そんなことをしたら絶対に大変なことになる。
せっかくの楽しいパーティの夜を、自分のせいで台無しにしたくないと尋人は訴えたのだ。
彼があまりに必死だったから、それを聞き入れた中流だが、実を言うと残念な気持ちの方が強い。
(俺、やっぱりその辺の感覚が麻痺してンだろうなぁ…)
あの兄や従兄弟がいるから。
汨歌だってあんなふうに言いながら、結局は尋人と会うのを楽しみにしているようだったし、きっと他の家族も喜んで迎えてくれるだろう。
もちろんそう思う根底には、それなりの理由があるものの、尋人に“血”の秘密を明かせずにいる現状では彼を説得出来ない。
「いつ話すかなぁ…」
話そうとは決めたけれど。
なかなか言い出すタイミングが見つけられずにいる。
「……いきなり、俺が実は宇宙人だとか言ったら冗談だと思われるよな」
宇宙人というのも、厳密に言えば違うのだが、純粋な地球人ではないのだから、それも間違いではない。
最も、自分には裕幸のような役目も、兄の出流や裕明のように特殊な能力があるわけでもない。
祖母の血をわずかしか継がなかった中流には、異郷の血を引いているという事実しか存在しない。
それでも、逃れられない血の繋がり。
隠すわけにはいかないこと。
「…ま、とりあえず今日は友達として紹介しておいて、か」
尋人に家族を知ってもらって。
きっと近い内に全てを話して、…受け入れてもらえたらと思う。
「おまえのこと、本当に好きだからさ…」
例えば未来に何が起こっても、一緒にいてくれることを願う。
倉橋尋人という少年が隣にいてくれることを、中流は心から願うのだ。
数分後、待ち合わせの場所に着いた中流は、先に来て待っていた尋人の姿を視認し。
一つ深呼吸をすると、ありったけの想いを込めて呼びかけた。
◇◆◇
楽しい時間が過ぎるのはあっという間で。
いつしか幼い子供達の顔には眠気が漂うようになっていた。
「よっぽど楽しかったのね、随分はしゃいでいたもの」と、楽しげに呟くのは双子の母親、凪紗。
「じゃあまずは双子から部屋に運ぼうか」と幼い少女達を抱き上げて二階に上がったのは江藤家の長男・貴宏であり、それを手伝って部屋について行ったのは家人でもある大樹家の母、日向だった。
ゲームやプレゼント交換なども終えて、大人は大人、子供は子供で飲み物片手に談笑するようになってから、そろそろ一時間。
仕事に戻るといって、一滴の酒も口にすることなく早々に退場した汨羽(職業:刑事)や、明日は友人達と出掛けるために朝が早いという歌織を除いた従兄弟達全員が、中流と尋人の周りに集まっていた。
「でも驚いたよ、中流兄ちゃんが倉橋先輩と仲良かったなんて」と言うのは、同じ榊学園に通う中等部二年の勇紀だ。
「僕も驚きました…」
「俺は尋人が先輩と呼ばれた事に驚いた」
よく考えれば同じ榊学園の中等部。
高等部と違って校舎も同じなら、中流以上に勇紀の方が尋人のことを知っていて当たり前だったのに、考えもしなかったのは、中流の目には尋人一人の姿しか映っていなかったせいだろう。
「一時期、中流兄ちゃんが毎日中等部の生徒玄関に立っているって噂になってたけど、倉橋先輩のこと待ってたんだ」
「…そんな噂になってたのか?」
「っていうか、毎日玄関前に張り込んでるなんてストーカーね」
「汨歌、おまえさっきから嫌味しか言えないのか!」
「本当のコトを言っているだけでしょ!」
「そう言うんじゃないよ、中流。汨歌も複雑な心境なのさ、年齢の近いおまえと裕幸が、この日に特別な相手を連れてきてしまって」
「!」
「出流、そうやって汨歌を逆撫でするようなことを言わなくても…」
「そうそう、汨歌だって好き好んで一人身でいるわけじゃないものな」
「余計なお世話よ!」
出流、裕明、そして貴宏という年長者に順番に言われて汨歌は眦を吊り上げる。
それにフォローする意図があってか、勇紀が笑いながら口を開いた。
「でも汨歌姉ちゃんも大変だよね。こんなカッコイイ兄ちゃん達ばっかりじゃ理想ばっかり高くなりそうで」
「え?」
「香澄と真澄がいつも言うんだ。貴宏兄ちゃんみたいに背が高くて、出流兄ちゃんみたいに才能あって、裕明兄ちゃんみたいに頭良くて、裕幸兄ちゃんみたいに優しくて、中流兄ちゃんみたいに真っ直ぐな人じゃなきゃダメだって」
「――」
「それにね、最近は竜騎兄ちゃんみたいに強くなきゃダメって言うんだよ。そんな人いるわけないのにね」
あははと笑う勇紀に、言われた兄達は苦笑したり、楽しげに喉を鳴らしたり。
「それは光栄だな」
「でも、将来そんな義弟が出来たら俺はイヤだなぁ…」
「同感」
「で、なんでそれに時河まで加わるわけ?」
「何を今更」
「もう兄弟も同然だろ」
「だったら勇紀、双子に言っておくんだね。これからはその理想の男性像に“尋人兄ちゃんみたいな可愛い人”と加えて置くようにってね」
「うん!」
「兄貴、尋人は可愛いだけじゃないぞ。“芯の強い素直な人”に訂正しろ」
「くすくす、だそうだよ、勇紀」
「くくく、そんな臆面もなく惚気られたらこっちが参るな」
出流と貴宏がからかい、中流は憮然とし。
汨歌が呆れたように肩をすくめる。
と、不意に腕に加わる力に、中流は隣の尋人を見下ろした。
「? どうした?」と、自然に問いかけるも、尋人は真っ赤にした顔を俯かせたまま、中流の腕を掴む手を震わせていた。
「尋人?」
「? どうかしたかい?」
「ぁ……あの…」
「うん?」
「尋人君?」
中流も、従兄弟達の視線も彼に集中して、尚更、顔を上げられなくなった尋人は、しかし死を覚悟したような面持ちで途切れ途切れに訴える。
「あの…僕、は…」
「?」
「……僕は…ただの、後輩…で…」
「――」
特別な相手なんかじゃありません、というようなことを必死に言おうとしている尋人を、兄弟達はもちろん、中流も言葉もなく見つめ、そのうち、気付いたように手を打った。
「あ…そっか。今日は友達として紹介するって言ってたんだっけ…」
「! 先輩……っ?」
顔を真っ赤にして、責めるような目で見上げる尋人に、中流は申し訳ないと思いながらも苦笑い。
「悪い、忘れてた」
「忘れてたって…っ」
二人の遣り取りに、周囲の兄弟達はしばし沈黙。
それを最初に破るのは貴宏だった。
「…もしかして尋人君、中流との関係を知られたら大事になると心配していたのか?」
「あぁ、そうなんだけど…」
貴宏に答えた中流の物言いは歯切れが悪いが、彼の意思は明確だ。
「俺は心配してないし、自慢したい方が先に立って全然気にしてなかった…」
自分の言動や態度に。
そう言う中流に、汨歌は大仰に溜息をつく。
「アンタってそういう奴よね…。言っとくけど家での常識を外でも通用するとか思っていたらそのうち酷い目に遭うわよ」
「まぁまぁ。中流はそういうところが素直だから可愛いんだよ。ましてや相手が俺達じゃ隠し事なんか出来るはずないね」
「可愛いとか言うなっ」
食って掛かる中流に、出流は笑う。
「そういうことだからね、尋人君」と優しく話しかけるのは大樹家長男の裕明。
「中流の家族は、みんながこんな感じだから心配しなくて大丈夫なんだよ」
「…で、でも……」
「でもも何もないの!」
強く言い切って尋人の肩に手を置くのは汨歌。
「こんなバカな弟だけど、これからも中流をよろしくね!」
「えっ…」
「汨歌、おまえこういう時だけ年上になるなよ」
「あら、私はいつだってアンタより上よ。まったく世話の焼ける弟で疲れるったら」
「よく言う…」
「何よっ」
「何だよ!」
「二人とも…」
そうしていつものごとく言い争いを始めそうな二人の間に、裕幸が割って入る。
それを兄達は笑って見守る。
――そんな彼らの様子に呆然と仕掛けた尋人は、ふと自分に向けられる視線に気付いて振り返った。
そこには裕幸の隣に、今まで一言も喋らずに座っている時河竜騎がいた。
「……?」
どうして見られているのだろうと不安になった頃、彼は呟く。
「…変な連中だろ」
「――」
実感のこもった呟きが、彼の今までの経験から語られた言葉だと気付いて、尋人は微笑った。
本当に、変な人達。
けれど彼らの中にいる中流が、ただ一人の特別な人。
中流の家族に受け入れられた。
それをこうして実感して、心を満たす喜び。
(…先輩、大好きです………)
従姉と言い争い、従弟に落ち着くよう言われている中流の姿を見つめて、心の中に呟く。
それは尋人の。
彼なりの、精一杯の覚悟を決めた告白だった。