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二度目の楽園 十三

 大樹家は、とにかく広い。

 中流の家もそこそこに広く、以前、父親か兄、どちらの関係だったかは不明だが、有名人の自宅紹介とか言うのでカメラが入った際、スタッフ一同に驚嘆されたのが記憶に新しいし、長年の付き合いである尚也も、自宅に招くたびに感動しているくらいだ。

 それでも、この大樹家には及ばない。

 おそらく家人でさえ部屋の総数を把握していないのではないだろうか。

 閑静な住宅街から少し外れた小高い丘の上。

 周りを無数の木々に囲まれた大邸宅。もちろん、このような環境にしたのには大樹家特有の――それも親族全員に関連する特別な事情があってのものだったが。

 階段を下り、長い廊下を進んだ先の居間に入ると、壁一面の硝子窓と向かい合うように置かれたソファの上、顔を隠すように横になっている裕幸の姿が在った。

「…裕幸?」

「!」

 呼びかけると、弾かれるように起き上がった彼の顔は、今も赤みを帯びている。

「中流さん」

「さっきは、ごめん」

 真っ直ぐに目を見て、即座に謝る中流に、裕幸はわずかに間をおいたが、すぐに笑みを浮かべて首を振る。

「いえ…、動揺した自分が恥ずかしかっただけですから」

「でも…ごめんな」

 再度、謝って。

 笑みを交わす。

 それはいつもの仲直り。

「ホント悪かった。汨歌相手にムキになってさ…」

「二人とも負けず嫌いですからね」

 くすくすと笑う従弟の表情に、家族への親愛の情が伺える。

 その素直さが、彼ら兄弟には愛しい反面、切ないものに映る。

「何か飲みますか?」

「ん、冷たいのあるか?」

「一通り揃えてはあります」

「さすが」

 二人はキッチンに移動し、裕幸はグラスを。

 中流は冷蔵庫を開けてこれと思う飲料を取り出す。

 家屋に見合った大きな冷蔵庫には、その外観ほど物は入っていなかったが、飲料と、主に従姉妹達が買って持ってくる菓子類が冷やしてある。

 その中、他の何より目立つ位置に置かれたケーキの箱に目が留まる。

「あっ、このケーキ、この間OPENしたっていう駅ビルのじゃないか?」

「ええ」

 答えてから、裕幸はふと小首を傾げる。

「でも珍しいですね、中流さんがそういうのに詳しいの」

「たまたま、昨日の帰りに尋人が言ってたんだ。母親が買ってきたのがすごく美味しかったって」

 そこまで言って、綻ぶ口元。

「その時のあいつの顔がさ、すっごい幸せそうで……」

 当時の尋人を思い出しながら喋っているうち、横から微かな笑い声が聞こえてくる。

 裕幸が、口元を押さえて肩を震わせている姿に、中流は眉を寄せ。

「…、なんか可笑しいこと言ったか?」

 少なからず不安になりながら声を掛けると、従弟は「いえ」と優しい顔をする。

「ただ、本当に尋人君が好きなんだなぁと思って」

「えっ…」

 改めて言われると、妙に照れるのは何故だろう。

 先ほどの裕幸もこうだったのかと思うと、ますます申し訳なくなってくる。

「もしよければどうぞ。歌織ちゃんが買って来てくれたんですよ」

「俺の分もあるのか?」

「歌織ちゃんは、いつだって全員の分を買って来てくれるんです」

 賞味期限が過ぎたって一日二日は平気だし。

 いよいよ怪しくなってきた時にはユキ君とアキ君で食べてね。――それが江藤家の次女・歌織の口癖のようなもの。

 そして三日もあれば全員が一度は大樹家を訪れるだろうということを確信しているのだ。

「さすが歌織ちゃんだなぁ」と、半ば感心したように呟いて箱の中の菓子に手を伸ばす。

 洋菓子の甘い匂いに、我知らず笑みが毀れる。

 中流よりも三つ上の歌織は保育士になるべく大学に通う従姉だが、年上であるにも拘らず「歌織ちゃん」と呼ばせるのに違和感がないのは、汨歌と似ているようで似ていない、昔から変わらずに言動の可愛いらしい少女だからだ。

「あとは出流さんの分と…」

 箱の中身を確認しながら、まだ食べていない家族の顔を思い浮かべていた裕幸は、ふと気付いたように手を止める。

「汨羽さんと貴宏さんの分は持って帰っているはずだし、兄さん、中流さん、汨歌さん、勇紀、香澄ちゃん、真澄ちゃん…、やっぱり一つ多い…?」

「おまえは?」

「歌織ちゃんと一緒に、買って来てくれたその日に食べました」

「じゃあ時河の分じゃないか?」

「…」

 あっさりと言うと、裕幸は目を瞠り、そのうち、苦笑めいた顔になる。

「…どうして、皆すぐに竜騎の分も…」

 その言い方が微妙で、中流はどう返したものか躊躇いつつも口を開く。

「さっきはあんな言い方したけどさ…、俺と汨歌はともかく、兄貴達は皆、あいつのこと気に入っているみたいじゃん」

「…ええ」

「それって、喜んでいいことだと思うんだけど…、さ」

「…」

「おまえ、……時河のこと、好きなんだろ…?」

 恐る恐る問いかけると、裕幸の表情が苦しげに歪む。

 そうして告げられる言葉は。

「……すみません」

「! なんで謝るんだよ!」

 それがイヤで。

 声を張り上げても、裕幸の表情は辛そうなまま。

「なんでおまえが謝るんだよ…、そのことで誰かおまえを責めたか? 誰かおまえは間違ってるって責めたのか?」

 重ねられる問いかけに、裕幸は首を振る。

 それでも浮かない表情は、いつだって彼らを苛む壁を自覚しているから。

「…でも……、辛くなるって判っていて…自分がしなければならないことをちゃんと解っていて…、竜騎の傍にいたいと願ってしまったんです…」

「それは…っ」

「……そのせいで、家族にも…、……竜騎にも、辛い思いをさせてしまっています」

「…」

 そう告げて俯く姿が、無意識に尋人の姿と重なる。

 先輩は僕を大切にしてくれるのに…と、キス以上の行為を怖がる自身を責めた尋人。

 我慢させてしまっている、なんて。

 そんな誤解をされている方が、よっぽど辛いのに。

「…あのさ、俺とあいつが同じだとは思わないけど…さ」

「…?」

「おまえが、傍にいたいと思うのが間違いだったって思っている方が、時河には辛いと思うぞ…?」

「…」

「一緒にいたいなら、それでいいじゃん。……まだ時間はあるんだしさ」

「…中流さん……」

「少なくとも俺は、尋人が傍にいればいいと思ってる。好きな奴の特別でいられるって、こんな嬉しいことないぞ?」

 相手の反応を窺うように、言葉を選びながら続ける中流に、裕幸はしばらくの間をおいて、ようやく表情を和らげる。

「…ありがとうございます」

 そうして見せる笑顔が綺麗で。

 それは儚いからこそ、綺麗で。

 自分達が。

 大樹の血が抱えている真実は、それほどに重く、残酷な未来を導くものなのだと、思い知らされる。

「何だか…中流さんにそんなことを言われるとは思いませんでした」

「人間、幸せだと余裕が生まれるもンなんだよ」

 冗談のように言って、笑い合う。

 こんな時間が続けばいい。

 どうせ変えられない未来なら、せめてもう少し、時間が欲しい。

「……裕幸」

「?」

「俺さ……、いつか、尋人に話そうと思うんだ。俺達の…“血”のこと」

「…そうですね」

「おまえのことも、話していいか…?」

 問う中流に、裕幸は頷く。

「ただし、条件付きで」

「条件?」

 聞き返すと、裕幸は再度、頷く。

「今年のクリスマスパーティに尋人君も招待して下さい」

「いいのか?」

 パッと表情の輝く中流に、裕幸は笑う。

「“血”のことを話すなら尚更、家族に紹介しなきゃ」

 大樹の祖父や、叔父、伯母。

 この血に連なる家族に。

 兄弟に。

「それにせっかくの特別な日、まさか家族優先で尋人君を放っておくなんて問題外でしょう?」

「あぁ。実はどういう口実でそれをサボろうか考えてたんだ…」

「だと思ったよ」

「えっ」

 唐突に割り込んできた声は、先刻まで二階で汨歌と言い争っていた出流だ。

「もしそうなら俺も協力してやろうと思っていたんだけどね」

「協力?」

「そう、いつだったか泊まったリゾートホテルを予約しておいてやろう、とかさ」

「バッカじゃないの、今からリゾートの予約なんて取れるわけないじゃない、それもクリスマスに!」

「おや、俺に不可能があるとでも?」

「アンタはその天上天下唯我独尊な物の考え方をどうにかしなさいよ!」

 出流の脇から反論してくるのは汨歌。

 その後ろには裕明の姿もある。

「汨歌。出流はやると言ったら何があろうとやってのけるよ」

「そう、それも可愛い弟の初夜のためとなれば絶対さ」

「! だっ…俺はそんな目的で一緒に過ごすわけじゃ…!」

「中流、この期に及んでまだ二の足を踏むつもりかい?」

「その点は出流に同意してもいいかと思うのよね…、中流、アンタもしかしてインポなんじゃないの?」

「っ、汨歌テメェ!」

「なによっ変態!」

「汨歌、女の子がそんな言葉を口にするものじゃないよ…」

「………」

 居間で顔を見合わせるなり口論を始める二人を、兄達も裕幸も苦笑交じりに見つめる。

 …彼ら三人が、一体いつから階下に来ていたのかは知らないが。

 きっと今の会話は聞かれていたのだろう。

「裕幸。おまえも時河君を誘ったらどうだい?」

「そうしなさい。きっと父さん達も喜ぶ」

「そうねっ、私もそろそろ時河と決着をつけてやるわ! アキ兄や出流が認める時河のイイ所っていうのをこの目で確かめなきゃ!」

 息巻く汨歌を前に、中流はもう少しで笑い出しそうになった。

 何故なら彼女の頬に微かに残る、泣いた跡。

 まったく、感受性の強い従姉の本心は、きっと自分と同じ。

「今年のクリスマスは楽しくなりそうじゃん」

「ん?」

 中流の呟きに、出流が答える。

 応えて、微笑う。

 クリスマスまであと二週間もあるのに、中流は今からその日が待ち遠しくて仕方がなかった。




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