二度目の楽園 九
北国特有の短くて涼しい夏が終わり、街路に立ち並ぶ、もしくは住宅街を彩る木々が、もの哀しい秋の色へと姿を変えて早々に散り終えたのがおよそ一月前。
それからしばらくして大地は見渡す限りの白銀色に覆われ、人々は氷点下の日々を重ね着で過ごす日々を送っていた。……にも拘らず、中流の心には真っ青な夏空と暖かな風が途切れることがなかった。
好きです――その言葉を尋人に告げられ、応えたあの日からそろそろ二月が経とうとしている十二月初旬。
顔が緩みっぱなしだった中流の心も当時に比べれば随分と落ち着きを取り戻していたが、彼の親友、本居尚也が恋人の浅見理香と今でも新婚気分で周囲の毒気を抜いているのと同様、中流の内で尋人への想いは「好き」から「愛しい」へと確かな成長を遂げていた。
そしてそれは中流の生活にも大きな影響を及ぼし、以前に比べて何倍も充実した日々を送れるようになっていた。
「最近調子いいじゃん」
不思議そうに言ってきたのは教室で席が隣同士の同級生。
昼休みを半分過ぎたくらいの教室は生徒の数も授業中の半数。
彼らは後ろ窓側半分を占領し談笑に興じていた。
「二ヶ月くらい前は真剣に狂ったかと思ったけど安心したぜ」
尚也は中流に程近い位置にある机に座って言い、笑った。
「しっかし、尚也にそう言われるのも問題だよなぁ。尚也に比べれば、まだ六条の方がマシだと思ったし」
「そーかぁ? 不気味な顔ってンならどっちもどっちだと思うぞ」
「俺があんなだらしない顔してたってのか!?」
「げっ、一ヶ月前の俺ってそんなだらしない顔していたのか?」
尚也と中流の、微妙に異なる台詞に同級生達は大笑い。
中流も笑った。
ただ一人、尚也だけが不満そうに頬を膨らませる。
「ンだよおまえら! 俺だって勇輔のライブの一件以来、理香にばっかりかまけンのやめたじゃんか! 大体なっ、俺のは狂った理由がはっきりしてるけど中流には何もないんだぞ!?」
「え?」
「そう言やぁそうだ。おまえってば問い詰めようとしてもはぐらかすばっかりで、ちゃんと説明したことないよな」
「最近調子いいのも、やっぱ関係あんじゃないの?」
「ん〜」
尚也を筆頭に複数の友人達に顔を近づけられて中流は返答に困った。
「やっぱ女だろ」
「違うよ」
「マジでか?」
「マジで」
「っとかよぉ」
疑わしい目を向けてくる友人達に苦笑しながら、中流は嘘ではないと胸を逸らす。
恋愛成就はしたが相手は尋人。
女ではないのだから嘘はついていないはずだ。
すると目の前に座っていた友人が首を傾げつつ口を開く。
「まぁなー…、女がいたら、あんな頻繁に中等部の後輩と一緒にいるわけないもんな」
「中等部の後輩?」
「誰だよ、それ」
聞き返すのは集まっていた同級生のうちの半分で、もう半分は同意を示すように頷いている。ちなみに尚也は知っていて「だろうなぁ」と呟く側。
中流は笑みを崩さず、そのうち、事情を知っている友人の一人が噂の後輩のことを話し出すものだから、中流も黙っていられずに口を開く。
さすがに“恋人”とは紹介出来ないが、倉橋尋人という親しい後輩がいることを隠すつもりは毛頭ないのだ。
「ちょっとした縁で知り合ってさ。尚也が浅見ばっかりで俺のこと蔑ろにしていた時期があっただろ? その頃からな」
「あぁ、それってこの間、一緒に歩いていた小さい奴か」
一人が言うと、それなら俺も見たぞと数人が声を上げる。
「結構可愛い子だろ、確か山川のクラスの」
「山川って、俺らも中等部の頃に世話になった現文の山川?」
「あいつ、HRが長くてなぁ」
中流は苦笑しながら友人の台詞に頷いてみせる。
「尋人もそう言ってる。今でも相変わらずみたいだ。……って、どうした尚也」
ふてくされた顔で、じとーっと自分を見ている尚也に声を掛けると、尚也は心底面白くなさそうに答える。
「ヒロトねぇ…、ふーん、そんなに仲良くなってんだ。へーっ」
「……」
尚也が言い終えてフンっとそっぽを向いてしまうと、静まり返っていた一同が一斉に吹き出す。
「なっ…」
「あははははっ!」
「な、お、ばっ…あははははは!!」
「ックックック、笑えるぞ尚也! おまえやっぱおもしれー!」
「何がだよ!」
「おま…ッハハハハ」
「おまえなぁ、ヤキモチ焼くくらいなら最初から六条のこと蔑ろにすんじゃねーよ」
「ヤキモチだぁ!?」
「じゃなかったら何だって? なぁ六条」
「クククッ、そんなに尚也に愛されていたなんて俺も知らなかったなぁ」
「気色の悪い言い方すンな!」
赤くなって怒る尚也に周囲の笑いは納まらず、中流もだんだん悪乗りしたくなってきた。
おまけに彼の友人達はそういう冗談が大好きな、ノリのいい人格揃い。
「いやぁ悪かったな、尚也。俺はすっかりおまえに捨てられたと思ってたからさ」
「捨てたぁ!?」
素っ頓狂な声を上げる尚也の肩を両隣の友人二人がポンと叩く。
「仕方ないだろ尚也。いくら六条だってあの頃のおまえの仕打ちには捨てられたと思うに決まってるって」
「そうだそうだ。いくら十年来の仲だって、孤独な時に手を差し伸べられりゃ、そっちに傾くのは当然だろ?」
打ち合わせしたわけでもないのに全員が寄ってたかって尚也を追い落とす方に話を運んでいくのだから、尚也をからかうのがどんなに愉快か…、もとい、尚也が日頃どれくらい友人達に慕われているのかが判るというもの。
「ちょっと待ておまえら! なんか話が怪しくなってないか!?」
「ごまかすなよ、おまえと六条のことは学園公認の秘密だったんだからさ」
「はぁ!?」
「まぁ最初は俺らもビビッたけどさ。おまえが六条を捨てたりしなきゃ俺らは祝福してやるつもりだったンだぜ」
「おい! おまえら揃いも揃って何言ってンだ!? 中流っ、おまえも何とか言え!」
「何とかって…」
困惑したフリをしながら、中流は切ない顔うを作って尚也の手を握る。
尚也はぎょっとして中流を凝視した。
「…ごめんな、尚也。誤解だったとはいえ、今の俺は尋人が一番大事なんだ」
「な…」
「おまえとのことは遊びじゃなかったけど…許してくれ!」
「―――っ殺すぞおまえ!!」
「やめろ尚也! 男同士痴情のもつれで殺人事件なんて面白すぎる!」
「あのなぁ!!」
「あははははは!」
同級生達の、昼ドラも真っ青な素晴らしい脚本に、室内にいながら参加していなかった生徒達もとうとう爆笑を始め、やはり昼食を教室で取っていた女生徒達も遠慮なく笑っている。
妙な物語を展開させる同級生に尚也が半ば本気でキレ始め、真剣な顔を作っていた友人達大半の頬がこらえ切れない笑いに引きつってくると、あながち冗談ばかりを言っていたわけじゃない中流も我慢の限界とばかりに声を立てて笑った。
ちょうどその頃、携帯に着信があり、ざわめきの中では聴こえないと判断して離れていた友人の一人、野口健吾が通話を終えて戻ってきた。
誰かと話しながらもこちらの内容は聴こえていたのだろう。
「六条、よかったら一緒に中等部に行かないか? ここにいたら嫉妬に狂った尚也に殺されそうなんだろ?」
「野口テメェもか!?」
いいかげんにしろよと怒りに燃えた目で睨みつけながら声を張り上げる尚也に、やっぱり友人達の笑いは納まらない。
だが尚也と付き合いの長い中流は、そろそろ尚也の怒りを静めなければマズイことになるだろうという予感があった。
中等部に行く機会を逃したくないというのも本心ではあるが、自分がいなくなった方が尚也も冷静になれるだろうと判断し、立ち上がる。
「ああ行く。ごめんな尚也。生まれ変わったら一緒になろう」
「中流!!」
「冗談だって。おまえはこの世で一番大切な親友だよ」
「―――」
唐突に、今までとはまったく違う真面目な顔の中流に言われて、尚也もこれには絶句した。
そんな彼にニッと笑って、中流は野口と共に教室を後にする。
「さすが六条…」
「尚也の扱いを心得てるな…」
尚也の両隣にいた同級生二人と同様、その場を囲っていた誰もが悠々と去っていった中流に思い思いに嘆息した。
こういうところはやっぱりあの六条出流の弟だな、と。