俺って女? ナデシコダンジ誕生! 1
俺は、夢の中で甘い物を口に入れた。それは、今まで味わった事の無い、表現し難い飴だった。
手に温かみを感じる。見ると、いつの間にか俺は誰かと手をつないでいる。
そいつは、俺の顔を見ると顔を赤らめた。俺は、手をギュッと握り返す事で気持ちを伝える。
辺りは何も無い、真っ暗な空間だった。地面すらも無い。
つないだ手とは逆の手に、何かを感じる。手を開くとそこには、虹色の包み紙が握られていた。
俺とそいつは、お互いに持っていたその虹色の包み紙を一つに合わせる。すると、それは輝きを増し、七色の光があふれ出した。俺達はその光に包まれる……。
「眩しい……」
俺は手をかざし、光を遮った。
「和海クンっ!」
「……ん?」
目の前に人影……。よく見ると奴だ、山本千夏だ。周りを探ると、白い壁、白い天井。ここは病室のようだ。どうやら俺は……病院に運ばれたらしい。ちくしょう、救急車に乗るときは死ぬ時だと決めていたのに……。
俺は体を起こす。もう頭痛も眩暈も無い。筋肉痛は治まっているが、体がどうもだるい。手と足が全部四方八方に引っ張られているような感覚。とにかくだるい。肩もこっている……。だるいだるい……。
「今何時?」
聞いた後、俺はため息をついてみせる。風邪はちょっと寝たら治ってしまったようだ。大げさに病院なんかに連れて来やがって……まったく。
「夜の8時だよ」
「そか……。じゃあ、帰るか。……世話になったな」
一応なお礼は言わないとな。俺はベッドから脚を出した。揃えてあったスリッパに向かって足を伸ばす。……ん? 届かない。…………あれっ?
俺の脚は床に着く事無く、空中でぷらんぷらんとしている。
「高さのあるベッドだな……」
俺は腰をずらして、スリッパに脚を突っ込む。立ち上がってみたところ、やはり眩暈も感じず完治したようだ。風邪は水風呂に入るより、一眠りするのがやはり効果的だな。
布団から出たからか、体がひんやりと肌寒く感じる。俺は両手を広げて自分の体を見る。真っ白い浴衣のような物を着ていた。病院着? んな大げさな……と思ったが、制服のまま眠られるのも病院としては不衛生か。購入してから一ヶ月、一度も洗ってない事だしな……。
着替えようと、俺はベッドの周りを探ってみる。テレビ台を兼ねている引き出しにはティッシュや俺の携帯が入れられている。部屋を見回してみる。ここは病室でも、一人部屋、つまり個室だと気が付いた。あーあ……。マジで余計な事を……。病院代を払った後、一ヶ月は貧しい夕食が続きそうだぜ……。
6畳ほどの広さの部屋で、困った様子の俺を千夏はベッドの横に座ってじっと見ている。
「あのさぁ、俺の制服しらねぇ?」
制服を探しているのを気がつかないもんかね……と思いながらも、俺は苛立った気持ちを抑えながら聞いてみた。
千夏は少し顔を曇らして、一度目を伏せた。そして、ゆっくりと立ち上がると、壁の側に置かれていた白いついたてを横にずらす。すると、そこにはハンガーで吊り下げられている俺の制服があった。
「お……そんなとこかよ」
俺は背伸びしてハンガーを取った。手にした制服は、何故だか暫く着ていなかったかのように、乾燥して少し生地が硬くなっているように思えた。
「…………あれっ? お前……そんなに…でかかったっけ?」
側に立っている千夏は、俺より随分大きく見えた。確かに、俺より多少背の高かった千夏だが……どう見ても俺と身長差が15cm以上はある。俺は視線を下げて二人の靴を見てみる。俺は病院のスリッパ。千夏は学校指定の革靴。靴底の違いだなと俺は気にせず、制服をベッドの上に広げた。
そして、病院着を脱ごうとしたところ、俺の体をじっと見ている千夏の視線に気がつく。途端に俺の全身の毛が逆立った。確か千夏は俺の事を好きと言った……そっちの世界の男だ。
「お……お前……みるなよ! み……見せ物じゃねー……ぞ」
千夏が背を向けている隙に、俺は急いで病院着の紐をほどく。上半身裸でパンツ一枚になった俺は、慌てながら制服のズボンを手に取る。千夏は男性趣味の男。隣にはベッド。あんな背が高いだけの貧相な男に負けないとは思うが、ベッドに押し倒されただけでも俺の人生の汚点となってしまう。
「………………………………………あれ?」
ズボンに片足を突っ込んだ所で……俺は固まった。ズボンと俺の顔の間にある、この視界を遮っている白い二つの山は……なんだ? 体の……胴体の一部分が盛り上がり、突き出ている。
俺は片手をズボンから離し、それを触ってみる。ぷにぷにと柔らかく、大きなグミのような弾力だ。
「えぇっ? なんだこれ……。 ええっ? ……太ったのか?」
俺はそれを上下左右に動かしてみる。どうやら体の一部分のようだ。テレビでこの間見た中年芸人の腹回りについている贅肉、あれか? でも……あれはへその辺りだったと思ったが……。俺のこれはもう少し上に付いている。あれ……ひょっとして……この位置は……胸?
「マジかよ……。いつの間にこんなに太ったんだ? 今朝はなんとも無かった気がしたけどなぁ」
確か、中学のクラスにいた肥満児の井上。あいつの胸みたいに膨らんでいやがる……。高校に入ってまだ部活を決めてないのがまずかったか。中学の時みたいに、またサッカーでもやろうかな……。
そんな事を考えながら、俺はズボンを引き上げる。両足を通したズボンは、スムーズに持ち上がった。
―スコンッ―
…………? 妙な感覚だった。あまりにもスムーズに穿けた。なんか…こう、抵抗が無かったような……感じと言えばいいのか。
俺は、お尻から前、またお尻と、制服の腰周りを観察してみたが、いつもと違いが無い。多少サイズが……大きい……ような? あれ……大きいぞ。それに長い。俺はズボンを命一杯引き上げていると言うのに、まだ裾が余っている。太もも周りもダブダブだ。
「これ……俺の制服か? でかいぞ」
千夏は、後ろ向きのままだったが、首を縦に振った。
「でかいんだって! ほらっ! 思いっきりズボンを上げてるのによぉ……。……ん?」
何か違う。どこかおかしい。ズボンを上げる事とかは、雨の日とか裾を濡らさないために時々やる事だ。しかし……今日は何か……変だ。股の間に食い込むような感じがしないと言うか……。『違和感が無い事』に違和感がある……。
ズボンが裂けてしまっているのかと思い、俺は股の辺りに手をやった。別に生地に異常は無く、破れやほつれの様子は無い。
「違うか……。……ん? ……あれ? どこに……いった?」
俺は股間を……まさぐる。いつものアイツが……無いぞ。後ろの方にも手を伸ばす。どこにも……アイツが……いない。
俺は千夏がまだ後ろを向いているのを確認すると、ズボンを膝まで下ろしてパンツの中をそーっと見る。
……無いな。
俺はもう一度千夏が後ろを向いているのをしっかり確認すると、パンツの中に右手を突っ込んだ。
「なっ……」
ズボンから出した右手を自分の顔の前に持ってくると、俺はゆっくりと口を限界まで開けた。
「無いっ! 無いっ! 無い無い無い無い無い無い無いっ! あれがっ…」
そこで俺は声が出なくなった。過呼吸になってしまったかのように、浅い息を繰り返す。
俺の様子に気が付いたのか、千夏は俺を振り返った。その顔を見た俺は……、
「あれが……無くなってるっ!」
何故だか大声で訴えてしまった。
「マジだって! 信じてくれよ! あれが無いんだって!」
俺は千夏がそっち系の男じゃなく、普通の男ならためらい無く股間を晒しただろう。
身振り手振り激しく説明してみるが、なぜか千夏は男のくせに顔を赤らめてうつむいている。やはりこいつは真性お姉系のようだ。しかし、俺は今こいつに構っている余裕は無い。
「な……なんで無くなっているんだ……」
俺は頭を抱えてベッドに腰掛けた。ふと、テレビの横に置いてある時計が目に入る。デジタル液晶時計のようで、大きく20と13と言う数字が表示されている。20時13分か……。んっ? その横にある数字は……?
「えっ! ちょっと待て! これは……日にち? 今……、今日って……17日? この時計……狂ってるのか……?」
俺が最後に記憶している日は、10日だ。間違いないはずだ。
「ううん。あれから……一週間……経ってるの」
「……はぁ? 一週間?」
ベッドの上、俺の隣に座った千夏を俺は見上げる。……でかい。やっぱこいつでかくなってる。おまけになんか作りもごつい。俺の腕より一回りは太い腕を持つチハルに、俺は目を見張る。
「一週間……和海クンはベッドで眠っていたの。さっきまで和海クンのお母さんも来てたけど、晩御飯を作りに家に帰ったんだよ」
「ま……マジかよ……。そんなに酷い風邪だったのか……。待てよ。それと……俺のアレが消えたのは関係あるのか?」
頷いた千夏に俺は愕然とする。そんな……そんな……。風邪にそんな症状があったなんて……。
「あの……。和海クンはさっきから風邪って言ってるけど……。そんな病気じゃないんだよ」
「……えっ? ……なら……盲腸か?」
盲腸と言えば切り取る。スムーズに俺は連想した。
「病名は……無いんだけど……。まだこの病気になった人は、世界に二人だけしかいないから……」
「世界で二人っ? マジかよ……。すっげーレアだな。ある意味男らしいか……。んで、治療薬とかあるのか? 俺のアレをまた生えさせる薬はこの病院でもらえるのか?」
「えっと……。もう……あの……生えないかもしれない。和海クンは……ソレを持っている子じゃ……無いから……」
「生えない? ……生えねーわけねーだろ。持っている子じゃないって何だよ。俺はお前と同じ男だぞ。男はアレを持っているもんだ!」
「あの……その……鏡を見てくれたら……多分すぐ分かると思う」
「鏡ぃ?」
千夏が指差した部屋の隅には、手を洗えるような簡易的な洗面所が付いている。おそらく個室の患者はここで歯を磨いたりするのだろう。正面にはもちろん鏡が備え付けてある。
「すぐ分かるって……。顔になんか付いてんのか? ……ん? お前、俺が寝ている間に落書きとかしたんじゃねーだろうなぁ?」
俺は鏡の前に立ち、真っ直ぐに自分の顔を見た。顔色も良く、おかしな所は無い。まぶたに黒目を書かれている事も無いし、鼻の下にちょび髭も無いようだ。
「なんだ……。別に何もねーじゃないか。普通、こんな時には額に『肉』の文字でも書いておけば……」
俺は千夏に顔を向けてそう言っている最中、慌てて鏡に向き直る。
「だっ……誰だこいつはっ!」
俺は鏡に向かって目を見開いた。目の前のそいつも同じように目を大きく見開く。俺を見ながら、長いまつげをパチパチと動かして、不思議そうな様子だ。
俺は右手を上げてみた。そいつも向かって右の手を上げる。俺は次に顔の前で両手をパンッと勢い良く合わせてみる。そいつはまたしても真似をした。
俺はゆっくり手を伸ばし、手のひらを鏡に押し付けてみる。硬くひんやりとした感触が伝わってきた。
「まさか……。どうしてだ……。こいつは……俺か……?」
俺は両手を顔に当てて探る。なんか……違う! 感触が違う! 眉はこんなに薄かったか? もう少し毛の感触があっただろう。顔ももうちょっとは彫りが深かったんじゃないか? 目が、顔の割合に対していくらなんでも大きすぎるだろう。
俺は、顔から離した自分の手のひらを見てぎょっとする。何これ……、薄っぺらくて指が細い。カバンを持っただけで折れるんじゃないか? 手首も信じられないくらい細い。
「ちょっと待てっ!」
俺は先ほど気になった部分をTシャツの上から触る。相変わらず俺の胸の辺りでぷよぷよと揺れ動いている。
「これは……どうなってんだ……。俺は……女……だったっけ?」
んな訳ねーだろっ! と、心の中で自分に突っ込んでみるが、鏡の向こうの女は紛れも無く俺だ。
耳にかかる少し長めの黒髪を、ルーズに後ろに流している。目は驚くほど大きく、見たことも無いくらいパッチリとした二重に長いまつげ。鼻も口もちっちゃくて……、
……超可愛くないか?
「って俺の馬鹿ぁ!」
自分の頬に向かって躊躇無く振りぬいたパンチ。俺は病室の床を転がった。
「和海クン!」
慌てて千夏が俺のそばへ走りよって来てかがんだ。
「うう……痛いよう……」
俺の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、床を濡らした。……って、何でこれくらいの痛みで泣いているんだっ!
涙を腕で拭うと、俺は顔を上げて立ち上がる。しかし、またしても目から……汗があふれ出てくる。
「無茶しちゃ駄目だよっ! 女の子になっちゃったんだからっ!」
「……えっ? 女の子に……なった?」
千夏から渡されたハンカチで目を拭いながら、俺は聞き返した。しかし、その答えを聞く前に、俺は自分の手にあるハンカチを睨みつけながら握りつぶす。
「男はこんなもん使わねー! 手を洗えば自然乾燥! 鼻水が出たらティッシュ! ハンカチなんてこの世で最も必要の無いものだぁ!」
俺はベッドにそれを叩き付けた。
「だから駄目だって……。和海クンはこれからずっと女の子なんだから……」
千夏はハンカチを拾い上げ、俺の涙を拭こうと顔を覗きこんできた。なっ……なんてでかい手をした奴だ……。俺はその巨大な手を払いのける。
「俺は女じゃねぇ! 男だっ! 例えアレが無くなって、胸に意味も無く脂肪がついても……根本は変わらねぇ!」
「違うよ。DNAも女の子に書き換わっちゃったんだから……」
俺はそれを聞きくと、開いていた口が徐々に小さく閉じていく。
「……それ、マジ?」
頬の筋肉がひくひくと動いた。まさか……頼みの綱の遺伝子までもが……女に?
頷く千夏を確認すると、俺は窓へと一直線に歩いて行く。そして鍵をはずし、窓を開けると、その枠に足を乗せた。
「ちょっと和海クン! 何をする気なのっ!」
「離せっ! 生き恥は晒せねぇ! 後生だっ! 介錯を頼むっ!」
「や……やめてっ! それに介錯って何をすればいいのか分かんないよっ!」
本気で飛び降りようと思った俺だったが、千夏の手が振りほどけない。奴の腕が俺の体に巻きつき、万力のようにぎりぎりと締め上げながら俺を部屋に戻して行く。何て力だこいつ……。ゴリラか?
俺を病室の床に投げ捨てた千夏は、窓を閉めて鍵をかけ、俺と窓の間に腕を組みながら立ち塞がった。おかしい……。以前とは威圧感が全く違う。なぜかこいつに勝てる気がしない。男でも華奢な方の千夏なはずなのに……。
「女になったくらいで死んじゃうなんて! 僕は許さないよっ!」
頬を膨らませているお姉系千夏を、俺は見上げながら口を尖らす。
「うっせぇ! 男が突然女になった気持ちがお前に分かるかっ!」
「それくらい分かるよっ!」
「適当な事言ってんじゃねえよっ! アレが無くなったんだぞっ! 気持ちが分かるってのかよ!」
「僕なんて、『生えて』きちゃったんだからっ!」
……病室に、静まり返った時間が流れた。
生えてきたって……何がだ? えっと……何の話をしていたっけ。そうそう、俺のアレが無くなった気持ちが分かるのかって聞いたら、千夏は『僕は生えてきた』と言った。つまり、俺の無くした物が、あいつには生えてきたと言う事だ。ならあいつは今、二つ持っているのか?
違う。待て。良く考えろ。俺は男から女になった際にアレを失った。と言う事は、アレを手に入れた千夏は……女から……男に?
俺は昨日……じゃなくて、一週間前になるのか? アルバムの写真に写っていた二人を思い出す。
一人は俺。もう一人は……俺より背が高かったが、確かに女の子に見えた。だが、千夏は男。だから……子供の頃の千夏は女の子っぽい男だったと……結果から断定してしまったが……。まさか……俺と同じように……千夏も……?
「分かるよ。だって、和海クンがなった性別が変わる病気。世界で二人だけって言ったけど……、もう一人は……僕だもん……」
俺が唾を飲み込む音は、病室に響き渡った気がした……。