壮絶な再会? 転校生はお姉系! 1
ある閑静な住宅街に、周りの家と一線を画す二階建ての住居があった。
門の分厚い表札に『神野』と刻まれたその家は、お洒落な出窓やタイル張りの壁などを備える流行の装いではなく、重厚にして堅牢、複雑な木目の壁に灰色の瓦を擁する。そして、大きな松が植えられている庭は、誰の頭からもガーデニングと言う言葉を忘れさせる、完全なる和風庭園だった。
その食卓に、息子と思われる少年があくびをしながら入って来る。耳が覆われるくらいのやや長めの髪。寝ぼけ顔だが、その大きな目と口は、普段はさぞかし元気が良いのだろうと感じさせる。
少年はテーブルに座る前にテレビのスイッチを入れる。しかし、画面にアナウンサーが映し出された瞬間、それが誰だったか判別する間も無く[ブツン]と言う音と共に消えた。
彼はゆっくりと振り返る。すると、テーブルに座っている大柄の男は、リモコンを置いてまた食事の続きを始め出した。
「毎度毎度、何するんだよ親父っ!」
俺は毎日の日課、怒りと共に床を踏み鳴らす事ではっきりと目を覚ました。
「五月蝿い。食事の時はテレビを見るな。毎度毎度言わすな」
奴は俺を一瞥する事も無く、口の中に卵焼きを放り込んだ。
「朝のニュースと天気予報くらい見させろっ!」
「食事を終えてから見ろ」
「そん時は番組終わってんだろっ!」
「なら、新聞を見ろ」
「読む暇ねーよ! 遅刻すんだろ!」
「では、朝早く起きて読むんだ」
「高校生に無茶言ってんじゃねー! じじぃとは違うんだよ! それに、天気予報見忘れて今日が雨だったらどうしてくれんだよっ!」
「心配なら、毎日傘を持って行けば良いだろ。それに、男が雨に濡れるのを恐れるなど……女々しい奴だ」
……女々しいだと? この昭和教育法のせいで、常人の限界を超えたあまり変人だと言われるほど男らしく育った俺に向かって……、奴は女のようだと……言いやがった。
「上等だ! 今日と言う今日は許さん! 親父! 頬を突き出せ!」
俺は大きく吼えると、親父に一歩一歩と近づいて行く。
「くらえ! 教育的鉄拳!」
右腕を振り下ろした俺だったが、気が付けば天井を見上げて空中を飛んでいた。そして、そのまま床をでんぐり返しで転がり、タイミング良く母さんが開けた窓をくぐり抜けて、庭の池に落ちた。
「がぼぼっ……。やりやがったな親父っ!」
俺は頭の上に乗っていたミドリガメのミドリを池の中に帰してやると、下半身が水に浸かったまま親父を睨みつける。
親父は俺を蹴り飛ばした足をテーブルの中に仕舞い、相変わらず俺に視線を向ける事無く食事を続けている。手の茶碗と箸は、一度もテーブルの上に置く事無く持ち続けたままだ。余裕を見せやがって……。
「和海。そのままで行くの? シャワーを浴びてから行くなら、早くしないと遅刻するわよ」
縁側から俺を見ている母さんにそう言われて、俺は我に返った。体には当然のように藻が絡み付いている。
「このまま行ける訳ねーじゃん! 親父! 決着は晩だっ!」
俺が居間に戻ろうとした所、母さんは窓をぴしゃりと閉めた。指で合図されたように、俺は家の中を汚さないように玄関を回って風呂場に駆け込んだ。
親父のせいで、俺は朝飯を食う暇も無く電車に飛び乗る。通っている高校までは3駅でおよそ15分。駅から走れば何とか間に合う時間だろう。
月曜日の上り電車と言う事で、車内はかなり混み合っていた。すし詰めの満員電車、その淀んだ空気が俺の朝の怒りを増幅させる。
「あの……化け物め……。いつか奴をぎゃふんって言わせたいぜ……」
俺の親父の仕事は大工。毎日ジム通いと変わらない仕事をし、肉体が研ぎ澄まされている。おまけに学生の頃は体育会系で、空手4段、柔道3段、アマレス5段? 興味無いけど他にも中国拳法とか日本の古流柔術がどうたらこうたら。おまけに身長は190cmで体重は推定100kg。
それに対し俺の方はと言うと、満員電車では上層の空気が吸えない身長168cmで体重63kg。正直、武器を持たないと勝てる気はしないが、あの親父に育てられた俺はそんな卑怯な事は出来ない。だが、マンガやアニメでは小柄な男が自分より大きな男を倒しているのを見るが……、実際は身長で20cm、体重で40㎏の差はとてもどうにか出来る物では無い。
俺は目的の駅に付き、人を掻き分けて降りる。さすがにこの時間の電車には同じ学校の生徒達は乗っていないようだ。どんな遅刻癖のある奴でも、この一本前の電車に乗るだろう。
俺は走って走って走って走って…………。ぽかぽかと陽気な5月にして、俺は汗だくで教室の扉を開けた。
私立大谷高校。古くからある学校らしく、俺の近所の人達もみんな知っている程有名だと言う。親父の仕事の関係で家は立派だが、基本俺のような庶民は通わない学費の高い学校としても有名らしい。別に俺は学校なんてどこでも良かったが、自分の母校に通わせたい母さんのお願いに負け、受験してみた所無事合格してしまった。
この春入学式を終えた俺は、意外とクラスの奴らはパンピーと変わらない事にすぐ気が付いた。「……ですわよ」とか言う女や、「……したまえ」とか言う男ばかりかと思っていたが、実際は誰が社長の息子か当てろゲームとか有っても正解する自信が無い。
「すげー汗だな。和海は電車通学だろ? チャリ通の奴らより汗かいてんじゃねーの?」
今俺に話しかけてきた大野正也と言う男も、多分に漏れずそんな奴だ。いや、むしろ間の抜けた顔と性格だと言える。
だが、こいつの長所は人見知りが皆無だという点で、席が隣ってだけの俺に初日からマシンガントークをして来た遠慮知らずの男だ。まあお陰でこの正也を中心に、入学一ヶ月程しか経っていないと言うのに男子達はあっと言う間に仲良くなれた。
「それよりもさ、今日転入生が来るって話だぞ」
「はぁ? この時期に? 高校一年生の5月に? 嘘だろ?」
「和海は今来たから当然知らないだろうけど、朝からその話で持ちっきりだぜ。ほら、そこの席」
正也の視線を辿ると、俺の左斜め後ろに一つ空いた席がある。確かそこには昨日まで机が無かったはずだ。
「ふーん……」
「なんでも、病気のせいで色々あった……んだって。病弱な女子とか、良いと思わねー?」
「女なのか?」
「おう、担任に名前を聞いた奴がいてさ。えーっと、……下の名前何だったかな。チナ…ちな……。さっき誰か言ってたんだけどな。えっと……」
両手の人差し指でこめかみを押さえて一休さんのように考えている正也に、俺はふと思いついた名前を口に出す。
「千夏か?」
「おう! それっ! ……って、何で和海が知ってんの?」
「いや……、何となく頭に浮かんだ名前なだけだけど……」
「なんだよっ! 手を出すなよ! 和海はもてるんだから……、俺を優先してくれ!」
「入学一ヶ月で、もてるも、もてねーも無いだろ。それに俺は、中学の時も彼女いなかったし……」
「お前は絶対人気が出る! 大体そのでかくてパッチリとした二重とか…」
「俺は二重なんていらねぇ! 渋い一重が良かったんだよっ!」
正也の言葉を俺は遮って主張した。俺は、昔の東映役者のような凄みのある顔に常々憧れている。しかし、時には可愛いと俺を表現するような奴もいるこの顔。俺は絶対成人したら整形手術をして、狼のように野生的な顔にするんだと決めている。
「なら、なんで髪を伸ばしてんだよ? 渋いのが好きなら」
「うっ……。耳はかろうじて見えているから……良いだろ……」
痛い所を突かれた。これは、幼い頃に親父のバリカンでされた、強制スポーツ刈りのトラウマ、反動だと言い返したいが……。言えば写真を見せろという流れになる事は中学時代に経験しているので、俺は不明瞭な事を言って口をつぐむ。
チャイムが鳴ってホームルームが始まるべきこの時間。担任は遅れていたようだったが、ようやく教室に入ってきた。街ですれ違っても、「あ、この人、教職についているな」と思わせる、眼鏡をかけたベリーオールドミスと言う呼び名がぴったりの先生が教卓の前に立った。まあ簡単に言うと40半ばの女教師ね。
彼女は入ってきた扉を閉めずに開けっ放しにしている。どうやら正也が言っていた転入生の話は本当のようだ。
先生が廊下に目を遣ると、それを合図に教室に一人の生徒が入ってきた。女子は「あっ」と息を飲む。男子は「んっ」と鼻を鳴らした。
転入生は教卓の横に立つと、教室を端から見回すような仕草をしている。その目が俺の辺りまで来ると、転入生は微笑んだ気がした。
「山本千夏です。よろしくお願いします」
正也は、机に額をぶつけたまま顔を上げない。
熱い視線を送っている女子に対して、男子共は気の抜けた顔をする。
転入生は……『男』だった。
彼は、千夏君は先生に促され、俺の横を通り過ぎて一番後ろの席に向かう。俺は自然とその後を目で追った。なぜだか……良い匂いがしたのだ。香水……? いや、品のあるシャンプー?
すると、着席した彼と目が合ってしまった。彼は俺に向かって小首を傾げると、ニッコリと笑う。慌てて前を向きなおした俺の心臓は激しく打ち鳴らされていた。
(なんだあいつ……。ちょっと変じゃないか……?)
俺はなぜかドキドキしてしまった自分の心の動きを、彼がおかしいと決め付ける事で納得させた。
一時間目の休み時間から、千夏君はクラスの女子から熱烈な歓迎を受けていた。どのくらい熱烈かと言うと、席の周りに女子共が集まり、俺は押されるように自分の席を追い出されて教卓の前に立ってそれを眺めている程だ。俺の横にいる正也も、それを虚ろな目で見ながら口を開く。
「やっべー。この一年、諦めるしか無いかも……」
「まあ……顔が整っていて、優男なのは認めるが、ワイルドさは無いな」
「和海は確かに言動こそワイルドだけど……、見た目は山本と同じで優男だぞ」
「うっせー! それは言うな!」
俺は正也の胸をドンとばかりに軽く突き飛ばす。くっそぉ……。私服では袖を切り取ったGジャンでも着てやろうか……。
千夏君の身長はおそらく175cmくらいだろうか。体は細身。俺の理想の体型ではないが、一般的な男としてはまずまずだろう。
髪はロン毛と言う程では無いが、後ろ髪が肩に届くくらいの長さだ。俺よりも長い。正也が言っていた病弱と言う情報と関係があるのかは分からないが、肌が透き通るように白くて唇の血色の良さが際立っている。目も大きくぱっちりで、鼻も高い。まあ、俗に言うジャニーズ系ってやつだな。
俺は彼の事を格好良いなんて思わないが、世間一般的には好まれる容姿だと知っている。もちろん、それは俺だけでなく、クラスの男子全員が分かっているようで、窓際サラリーマンのように黄昏た表情を浮かべている奴が続出だ。
教卓の前でうな垂れた正也の介護をしていた俺に、騒がしい声と何人もの気配が近づいて来た気がした。見ると、女子一団がこちらに向かって大移動してくる。
「和海クン! 久し……、久しぶり!」
挨拶をして来たのは山本千夏君だ。どうしてか言葉の途中で一度唇を噛み、勇気を振り絞った様子で言って来た。
「はぁ……? 俺自己紹介したっけ?」
多分、女子の誰かに教えてもらったんだろう、俺はそう考えた。しかし、どうして俺の名前なんて話に出たんだ?
「僕を……覚えてない? 山本……千夏なんだけど……」
彼は目の前に立ち、俺を見下ろしてくる。俺は背が高い方じゃないから見下ろされる分は良いんだけど……、ちょっと距離が近い。俺と彼の隙間は20cm程だ。完全に俺のパーソナルスペースを侵害して来た彼に、俺は体を仰け反らせる。
「え……知らねぇって……。誰だよ……。僕、僕、詐欺か?」
こいつと会った事があるのだろうか? 忘れた気まずさがあったので、小さなジョークを交えてみたが、千夏君は酷く落胆しているようだった。見上げている俺には、彼の目に涙が浮かんだ気がした。
「昔……一緒に公園で遊んだのに……。あんなに仲良く……」
「公園?」
すぐさま俺の頭に浮かぶ場所があった。一年前に、老朽化したと言う理由で遊具が全て撤去された公園。今はグラウンドとなり、お茶を濁す感じで突き出た棒やタイヤなどがその端に僅かに並んで置かれている。
小学校に入学する前くらいの歳の頃、確かに俺は家の近くのその公園で毎日のように遊んでいた。お気に入りだったのは滑り台だ。日が暮れるまで遊んでいた俺達は、よく親に怒られたものだ。
……え? ちょっと待て。今、俺の中に浮かんだ光景。『俺達は良く親に怒られていた』だって? 俺…『達』? 俺以外に……もう一人いた? そいつは……確か俺よりも背が高く……て……、
「えっ! お前って……あいつ? えっと……名前は……なんだっけ……」
「だから山本千夏だって!」
「ち……なつ? ……千夏。……それでさっき……」
その名前だったかをはっきりとは思い出せないが、朝のホームルーム前の時に『千夏』って名前が思い浮かんだのは、そういう理由だったのかもしれない。
「お前があの時の……千夏?かぁ……。変わってないなぁ」
俺は笑顔を作ると、千夏の肩を叩きながら言った。しかし、何故だか寒気がするので周りを見回してみると、女子全員が目から冷凍ビームを放っている。
「お前……完全に忘れてただろ?」
正也もそう言って、俺に呆れ顔だ。
「ちっ……違う! 思い出したんだっ! 俺はそんな薄情な男じゃないっ! きっちりと、事細かに、はっきりと思い出した!」
俺は両手を広げてそう訴える。竹馬の友を忘れるなんて、俺はそんな漢じゃない! ……正直、おぼろげだが、家に帰ってからアルバムを確認したらすぐに思い出す……はずだ……。たぶん。
心は冷や汗だらだらな俺に向かって、千夏は口を小さく開けて呟く程の声で言う。
「僕……どこか変わった所無いかな? 昔と……違って……」
「は……はぁ? えっと……別に……。かっ……髪型が……違う?」
喉を鳴らしながら言った俺を見ている千夏の表情は、ぱぁっと明るくなった。
「他にはっ? もっと……大きな部分があるでしょっ! 気が付いてる?」
「ええっ……」
何だよ千夏……。俺を追い詰めようとしているのか? 入学から一ヶ月、早速女子全員を敵に回させようとしているのか? 髪型については……5歳の頃から同じ奴なんていないだろうよ……。
俺は男らしく正直に言おうか迷う。しかし、この周りにいる女子の視線に脅えてしまう。うちの学校は学年で4クラスしかない。つまり、一クラスの女子全員に嫌われると言う事は、噂はあっという間に広がって自動的に3年間ずっと女子に嫌われ続けると言う事態に陥る。一匹狼に憧れると公言する俺だが、やはり人生で一番輝ける高校生時代が暗いものとなるのは……非常に辛い。
「まっ……細かい事は良いじゃないか! 時間はたっぷりあるんだ! これから昔の思い出でも少しずつ語り合おうぜ!」
誤魔化した訳じゃない! これが大人と言う物だ。正直に言って周りの人を怒らせるより……、ほら、嘘も方便ってやつだ。
俺は千夏の胸を軽く手で叩くと、顔を上げて千夏の顔を見た。すると、奴の顔は真っ赤になり、唇を震わしている。
「ばかぁ!」
[バチーン!]
視界が歪んだ。俺の首は捻られて、強制的に右の黒板を向かされた。頬が熱湯でもかけられたかのようにヒリヒリと痛む。
顔を押さえた俺の目の端に、教室を出て行く千夏の後姿が映った。
「ちょっと待て! お前!」
それを追おうとする俺の肩を正也が掴む。
「やめとけって、和海」
「違う! あいつに言ってやる! 漢なら拳だ! 女みてーに平手で打ってんじゃねぇってよ!」
俺は正也の手を振り払うと、千夏の後を追った。
奴は思いのほか足が速く、俺は廊下を引き離されていく。階段を上に、上にとあがって行く千夏だが、校舎の作りが頭に入っている俺の方が無駄な迷いが無い分、それで遅れを取り戻す。
一階から三階にまで上がった千夏は、三年生のフロアに出ること無く、屋上へ続く階段を上ってその扉を開けた。
「待てって!」
俺も屋上に出ると、千夏は俺に背を向けてフェンスの前に立っていた。僅かに背中が揺れているように見えるのは、風の影響だろうか?
「お前……何なんだよ! ……おい!」
俺はつかつかと歩き、千夏の肩に手をかけた。すると、奴は振り返ったとたん、涙に濡れている顔を俺の胸に押し付けた。
「僕はずっと好きだったのに!」
「……………………へっ?」
眩暈がした。
どんよりと曇った空は、これからの嵐を告げるものだったのかもしれない。