絶望の先にある理不尽 もしくは繰り返す理不尽の先に見える絶望的状況の話
幼い頃から一緒だった。
隣家の次男として生まれた彼とこの家の長女として生まれたわたしと。
奇しくも一日だけ生まれた日の違う、それでも一日だけお姉さんのわたしにとって、弟の様な存在。
幼稚園も小学校も中学校も当然同じで、高校は違うかと思っていたけど成績の良くなかった彼は一念発起したかの様に猛勉強を始め、わたしと同じ高校を選んだ。
その彼の視線に、気持ちに、全く気づかなかった訳ではないけど、彼の存在はやはり弟で、わたしから踏み込む事はなく、彼から踏み込んでくる事もやはりなかった。
だけど、その存在があったせいかわたしは誰かとお付き合いをする気はなく、華の高校生活の三年間はずっと独り身だったのだけど。
そんな三年の終わりが告げられる卒業の日。
今日。 3月1日、月曜日。
彼からの告白を受け、その姿に弟ではなくなった青年の姿を見たわたしは彼の恋人になり、
そしてその日――彼はわたしの目の前で宙を舞った。
救急車で運ばれた先の病院では、彼の緊急手術が行われた。
暴走車による交通事故。
わたしより、ほんの1m先にいた彼はその暴走に巻き込まれた。
他に何人も轢いたらしく、彼が運ばれた病院は現場から少し離れた場所にあった。
――トリアージ。
そんな言葉が脳裏をかすめ、私は頭を振った。
膝の上の拳にちからが入る。
傍には言われるがままわたしが呼んだおばさまと、おばさまの呼んだおじさまとお兄さんと妹ちゃん、それとわたしと母がいた。
手術中に家族の待機する待合室の中。
誰も、喋らない。
酷い静寂の音が耳障りなくらい頭の中に響く。
そんな静謐な空間を打ち破るノック。
開けられた扉から顔を出すのはひとりの医師だ。 その顔に表情らしい表情はなく、憔悴しているのが見て取れる。
イヤな予感がする。
イヤな予感しかしない。
「22時30分、ご子息が息を引き取られた事を確認しました」
医師のその声を聞いた時、わたしの目の前は真っ暗になり、
* * *
気がつくと真っ暗な自室にいる事に気づいた。
何があったのか解らなかった。
夢……だった?
そう思おうとしても、事故から続く一連の出来事は何処まで行っても果てしなくリアルだ。
現実味のない、『空を舞う彼』から始まる、まるで夢の中の様にハッキリしない、そのくせ何処までもリアルな出来事。
薄らと見える闇の中、見慣れた自室を見渡しながら、彼の事を思い出す。
――22時30分、ご子息が息を引き取られた事を確認しました
医師の言葉が脳内に再生される。 何度も何度も反響する。
口から漏れ出しそうになる悲鳴を両手で押さえ、叫び出したくなる気持ちを涙に代替えさせて、頭の片隅で「父か母が運んでくれたのだろうか」なんて冷静に考える。
ははは……なんて薄情なんだろう。
薄情が過ぎて滑稽だよ、滑稽が過ぎるよ、わたしは。
彼はこんなわたしを見て、幻滅するだろうか?
そんな事を考えながら目は冷静に時計を探して、
わたしは自身の精神を疑いたくなる異常を発見した。
――2月28日 23:30――
昨日の……日付?
電波時計も、遅れるモノだったろうか?
スマホを探す。 探すまでもなく机の上にあったそれを見ると同日同時刻。
――夢、だったのだろうか?
事故も
目の前で飛んだ彼も
その死も
いや、その前の告白でさえ?
あの時の鼓動もときめきも全部?
嘘だと思いたいけど、あの事故が嘘だったならそれは良い事、のはず。
深呼吸する。
深く 深く。
胸の動悸は治まらない。 頭の中の殆どは未だ彼の死で埋め尽くされている。
――夢だったの。 夢よ、夢――
治まらない心音。 まるで胸騒ぎの様に脈動を続けるそれ。
眠らなきゃ。 明日は卒業式なんだから。
布団を頭から被り、ギュッと目を閉じる。 瞳を濡らしていた涙が、今更の様に溢れ出した。
哀しいわけがないのに。
悲しいはずがないのに。
遠くに聞こえる車音が煩わしい。
彼を撥ねた車に思えて胸がざわめく。 落ち着かない、動揺が全身に広がる。
ああ、胸に爪を立てたくなるくらい気に障る、音。
――本当に夢だったの?
頭の片隅で、そんな声が聞こえた気がした。
* * *
3月1日、月曜日。
わたしは夢と同じ様に、彼と共に学校へ行き、夢と同じ様に卒業式を終えた。
いや、それは決しておかしい事ではないのだけど。
時間が合えば彼と登校するのは日常茶飯事なのだし、卒業式だって金曜日に予行演習もしている。 決しておかしくはない、はずだ。
泣かないと思っていた友だちが泣いて、泣くと思っていた級友が泣かなくて、黒板に在校生の描いた見事なチョ-クアートがあって……。 それらが夢の中で見たモノと一致していたとしても。
「見たか? タカシのヤツ、ボロボロ泣いてたぜ」
「仕方ないでしょ? ミイはアメリカに行くんだもの」
「そのヨコザワは平気な顔してたけどな」
ああ、なんでわたしたちは夢と同じやり取りをしているんだろう?
夢と一字一句違わないそのやり取りは、それがいつもの自然な応対である事の表れなんだろうけど、その差異のない行動が只管に不安を煽る。
そのくせ彼の表情がいつもと微妙に違う事に気づいてしまうのは、一度夢で見ていたからなの?
内心の不安を隠し普段を続けるわたしと、内心の決意を隠しいつもを続ける彼と。
可笑しくて奇怪しくて……泣きそうになる。
――夢だったなんて、思ってないんでしょう?
わたしの内心がわたしを嘲る。
そう自嘲しながらも、夢以外の何者でもない夢を、一体どう思えばいいのだろう?
「……なあ。 ちょっと付き合ってくれないか?」
夢と同じ様に誘われ夢と同じ様にやり取りをし、夢と同じ受け答えをした。
変えた方がいいのかも知れない、変えないと同じ結果になるのかも知れない。 そんな不安の中、わたしは了承の答えの後に一言だけを付け加えた。
「……でも、わたしより先には死なないで。 お願い」
彼はその言葉をどう受け取ったのか、受け流す様に微笑みながら軽く返事をし、
夢と同じ様に宙を――舞った。
* * *
――2月28日 23:30――
わたしは気づくと真っ暗な自室に居た。
「は……はは……」
時計の表示は『前回』と一緒。
時間も、日付もそこに変化はない。
――時が巻き戻ったとでも言うの?
荒唐無稽な考えが脳裏に浮かぶ。
それよりはずっと続くひとつの悪夢と思った方がまだ現実的だろうに、真っ先にそんな考えが浮かぶのは日頃から本の読み過ぎているからか。
どちらにしても悪夢の様な現実には違いがないのだけれど。
――また、繰り返すの?
――またあの絶望を味わうの?
あの青空を舞う彼を思い出すだけで胸が張り裂けそうになるのに。
あの重く響く静寂を思い出すだけで胃が縮み上がる気がするのに。
あの言葉を思い出すまでもなく涙が溢れてしまうのに。
――ああ、でもこれは福音なの?
悪夢なら目覚めてしまえばいい。
わたしが逃避しているだけの夢ならきっとそのうち目覚めるはず。
でももし……もし現実なら…………もしかして彼を救えるの?
繰り返すその先でわたしは彼を救えるの?
一言告げるだけでは未来は変わらなかったけど、彼の死は回避できるの?
――わたしは勘違いをしていた。
その事に気づいたのはずっと、ずっと後だったけれど…………。
* * *
まずしたのは彼を事故現場に行かせない事だった。
だがそれは暴走車に巻き込まれた車両が操縦不能に陥り、それに巻き込まれるという形で同じ結末を辿った。
全く違う場所へ誘ってみた。
今度の彼は通り魔に刺され、その命を落とした。
部屋へ誘ってみた。
そうしたら彼の家が火事になり、彼は妹ちゃんを助ける為に火の中へ飛び込みそのまま帰らぬ人となった。
彼の部屋へ行ったら強盗が襲ってきた。
警察へ行ったら何故か署が爆発した。
会話を変えてみた。
話題をずらし、彼が告白できない様にしてみた。
わたしから告白した。
彼の告白を断った事もあった。
なのに、何をどうしても彼は死んだ。
一緒に居たわたしは無事なのに、何故か彼は必ず死を迎えた。
組合わせを変えてみたり、全く意味のない奇行に走ってみても、その運命はまるで変えられなかった。
彼は一体何度死を迎えたのだろう。
彼の死は一度だけなのだろうけど、わたしが足掻けば足掻く程に彼は何度も苦しみ、その末で死を迎えた様に思えた。
十度目の時はまだ希望を持てた。
二十度を超えたら絶望が顔を覗かせた。
百を過ぎた時、全ては失望へと塗り替えられた気がした。
いっそ諦め何もしないで部屋に閉じこもっていても、母から彼の死を知らされた瞬間、わたしの時間は2月28日の23:30へ巻き戻っていた。
――これは何なんだろう?
ただ絶望を繰り返すだけの、理不尽な地獄。
巻き戻るだけの、希望に見せかけた絶望を切望し、それに縋るしかなかった。
でもそれが地獄。 それこそが地獄。
延々と繰り返される永遠の無意味。
それはまるでギリシャ神話の『シシュポスの岩』の様に。
永遠に繰り返される無意味な労苦の果てにシシュポスは何を思うのだろう? 何を思ったのだろう?
無意味を繰り返す究極の呪いを嘆き、それを繰り返すのか。
いつか意味を成せると信じ自らの意思で繰り返すのか。
でも……
――耐えられないよ。
わたしはもう、耐えられない……。
絶望と失望しかない労苦の中に、小さな希望すらも見出せずにただ繰り返す千代八千代。
意味を成せるの?
意味はあるの?
哲学染みたその問いに、誰が答えをくれるでもなく、ただ沈殿する澱んだココロ。
だから真っ暗な部屋の中で、わたしは机から薄い刃を取り出し、それを手首に当てた。
――バイバイ……
自分でも誰に告げた言葉なのか、わからなかった…………。
わからないまま深く抉る様に自身の肉を切り裂いた。
* * *
――2月28日 6:30――
目が覚めた。
目が……覚めてしまった。
肌寒い早朝の自室。
昨夜――いや、明日の晩に自分が何をしたのか、はっきりと覚えている。
わたしは死に損なったのか、まだ死んでいないだけなのか。 どちらにせよわたしに安らぎは訪れなかったのだ。
また……希望の様に見える絶望を残して。
「はは……ははは……」
いつもの繰り返しとは違う、時間。
恐らくはまた繰り返しだけになるであろう、名ばかりの希望を鼻先の人参にされたわたしは、
「はははは……はははは……」
彼を生かす為ではなく、
わたし自身が死ぬ為に、
またこの世界を理不尽に繰り返す。
きっと
絶望にこの心が擦り切れるまで。
希望がわたしを擦り殺すまで。
裏設定的には、彼が何度も死を選ぶ彼女を助けようと同じ日を繰り返していたりします。
さてさて、卵が先か、鶏が先か。




