可愛い子牛と醜い花婿
スギ花粉の飛び交う春の昼下がり。
瑠奈は何度目かのくしゃみとともに、ティッシュで鼻をかんだ。
午後三時。資材置き場のシャッターを半分だけ開けた事務所の中で、瑠奈はスタンドミラーを机に置いて、乾燥した頬を撫でた。
(やだなあ、肌荒れ。早く治さなきゃ)
唇を薄く開き、リップを塗り直そうと手に取った瞬間、ガララ、と古い引き戸が開いた。
「すみませーん」
聞き慣れない声が聞こえた。
「はーい」
顔を上げた瞬間、瑠奈は固まった。
入り口に立っていたのは、すらっとした青年。
豊かな黒髪に、奥二重の猫のような目。細い首と、白い肌。Tシャツの上に薄い色のパーカーを羽織ったラフなスタイルの青年は、不安げな顔で周囲をきょろきょろと見回した。
手からリップがこぼれ落ちるのも構わず、瑠奈は青年の顔を仰ぎ見た。
「……あの」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
瑠奈は慌てて立ち上がった。
「えっと、主人は作業に出てて……」
「主人?」
青年が首を傾げた。
「はい、社長の三谷魁聖の妻です」
言いながら、顔が少し火照るのを感じた。
瑠奈がおずおずと青年の様子を伺うと、青年はぱちぱち、と長いまつ毛を瞬かせた。
「ああ……そっか」
小さく呟いた青年は、ふわりと笑顔を浮かべた。
「おめでとうございます」
「は、はい……ありがとうございます」
瑠奈はふるふると肩を震わせた。
すごーい! かいくん、こんなイケメンと知り合いだったんだ。
もちろん、かいくんもイケメンだけど。この人は住んでる世界が違うって感じ。芸能人みたい。
「もしかして、かいくんのお友達ですか?」
「まあ、そんな感じ……デス」
青年の声はみるみる小さくなった。
ええー。なんでそんなに大人しいの、この人。イケメンなのに。
お話したいな、どんな人なのかなあ。かいくんとは、どういう関係?
口籠る青年にどう切り出そうかと瑠奈が戸惑っていると、外から聞き慣れたエンジン音がした。
「あ、かいくんだ」
青年の肩がぴくりと揺れたのと同時に、バタン、と車のドアが閉まる音がした。
「ただいまー……って、うわ」
魁聖は入り口の青年の後ろ姿を見るなり、声を上げた。
「かいくん、おかえり。知り合いの人が来てるよ?」
紹介しようとして初めて、まだ名前も聞いていないことに気づいた。瑠奈が二の句を告げずに困っていると、
「……まじ?」
魁聖は荷物を置いたまま、苦笑いを浮かべてじっと青年の顔を見下ろした。
青年の小さな口が動いた。
「久しぶり」
「……あ、ああ」
「手伝ってほしいことがあってさ」
「ええ? おれにぃ?」
魁聖が笑う。
夫と青年を見比べながら、瑠奈の胸はドキドキと早鐘を打った。
すごーい。北杜イチのイケメンと、国宝級イケメンが、喋ってるう。
かいくん、やっぱり背が高いなー。かいくんのほうが筋肉あるし、こうやって並んでると、守られたいのはかいくんだなー。
でも、隣のこの人も、本当にお顔が綺麗。水分の多い、綺麗な目。羨ましい。
でも、なんでだろう。さっきより、目が鋭い気がする。
瑠奈はもう一度魁聖へと視線を移した。
表情の読み取れない青年とは裏腹に、魁聖は何やら面白いものを見つけた子どものような顔で、青年の顔を覗き込んだ。
「で、何? 引越し?」
「うん」
「はは。業者じゃなくて、おれ頼る?」
「……だめ?」
一瞬だけ、空気が止まった。
青年の問いかけが、妙に色っぽくて。
瑠奈はくらくらと眩暈がした。
*
結婚式の招待状に返事が届き始めた。
ビールの缶を置いて招待状の返信はがきを整理していると、瑠奈がしなだれかかってきた。
「今日の人、めっちゃイケメンだったね! びっくりした!」
「んー?」
瑠奈のか細い腕が首に回されて、耳元に声を吹きかけられた。
「中学校の同級生なんでしょ? 仲良かったの?」
「……別に」
ふと、一通の返信はがきに手が止まった。
「わ。浜野、結局来るのかよ」
意外な人物から出席の連絡が届いていて、魁聖は目を丸くした。
高校時代に喧嘩して、絶交したやつだ。
はがきを眺めていたら、思わず笑みがこぼれた。
ふーん。一応形だけ、招待したつもりだったけど、来るんだ。へえ。
ホストになったと聞いたときは爆笑させてもらったな。一体どんな顔して現れるやら。
「ねー、あのイケメンくんは、結婚式には来ないの?」
瑠奈が耳元で甘ったれた声で囁いた。
「何? おれよりあっちのほうが気になる?」
「違うよお。なんか、良かったんだもん、さっき。タイプの違うイケメン同士、見つめ合ってるの見て、ドキドキしちゃった」
照れ隠しにぎゅっと首元に鼻を寄せる瑠奈の頭を、魁聖はぽんぽんと撫でた。
「女ってのは、BLが好きだよなまじで」
今日、八年ぶりに会った、あいつ。
かつての、女のような丸みを帯びた頬はほっそりとその輪郭を削いで、桜色の唇は、薄くその色を失っていた。
なのに、その形の良い唇から。
昔と変わらない声が発せられたことに、魁聖の身体はぞくぞくと疼いた。
ーーわざわざ家までやってきて、何の頼み事かと思えば。
「引越し手伝え、だもんな。意味わかんねえ」
「なあに?」
「……助手席に何時間も乗せるとか、危なすぎるだろ」
「危ない?」
魁聖は瑠奈の髪に指を通した。
「……なんでもねーよ」
魁聖は笑った。
スマホを取り出して、従業員とのLINEを開く。
『マルコ、4/1の夜、ヒマ?』
しばらくすると、返信メッセージがぽんぽん、と連続で投稿された。
『La sera suono sempre la chitarra!』
『夜、ギター』
『まにいち!』
翌日、魁聖は意気揚々と時間に遅れて現場にやってきたマルコに、封筒を差し出した。
神谷真人から受け取った依頼金の五万円から二万を抜いた金額を、マルコの胸ポケットに突っ込んだ。
チャットGPTに、音声を吹き込む。
「クソ美形の護送をお願いします。トラックで、東京まで。を、イタリア語で」
Mi raccomando, portatemi un gran pezzo di figa a Tokyo, in camion, ok?
マルコは目をぱちくりさせたあと、ふむ、と無精髭に手を添えた。
魁聖はクスクスと笑いながら、スマホをポケットに仕舞った。
しかし、改めて見ても、可愛かったなあ。
あんな目で見たって威嚇にならないよ、まひちゃん。
あーあ、良かった。おれ、ちゃんとまともな女と結婚して。
あんなのに狂わされる人生なんか、まっぴらだ。
だいたい、おれに頼む理由も結局よくわかんなかった。
「これで帳消し」って。何のことだよ。
まあ、この程度の頼みなら、頼まれてやっても良かったかもな。
……いや、やっぱ駄目。
相変わらず距離感バグるわ、あいつ見てると。
瑠奈のためにも、これ以上はやめといたほうがいい。
「おれっていい男だろ、瑠奈」
エイプリルフールの夜、魁聖は瑠奈とキスをした。
今頃、イタリア人に運ばれる積荷のことを頭から打ち消すために。
目の前のたわわな胸に、魁聖は没頭することにした。




