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可愛い子牛と醜い花婿

作者: はる
掲載日:2026/10/29

 スギ花粉の飛び交う春の昼下がり。

 瑠奈(るな)は何度目かのくしゃみとともに、ティッシュで鼻をかんだ。

 午後三時。資材置き場のシャッターを半分だけ開けた事務所の中で、瑠奈はスタンドミラーを机に置いて、乾燥した頬を撫でた。

(やだなあ、肌荒れ。早く治さなきゃ)

 唇を薄く開き、リップを塗り直そうと手に取った瞬間、ガララ、と古い引き戸が開いた。

「すみませーん」

 聞き慣れない声が聞こえた。

「はーい」

 顔を上げた瞬間、瑠奈は固まった。

 入り口に立っていたのは、すらっとした青年。

 豊かな黒髪に、奥二重の猫のような目。細い首と、白い肌。Tシャツの上に薄い色のパーカーを羽織ったラフなスタイルの青年は、不安げな顔で周囲をきょろきょろと見回した。

 手からリップがこぼれ落ちるのも構わず、瑠奈は青年の顔を仰ぎ見た。

「……あの」

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 瑠奈は慌てて立ち上がった。

「えっと、主人は作業に出てて……」

「主人?」

 青年が首を傾げた。

「はい、社長の三谷魁聖(かいせい)の妻です」

 言いながら、顔が少し火照るのを感じた。

 瑠奈がおずおずと青年の様子を伺うと、青年はぱちぱち、と長いまつ毛を瞬かせた。

「ああ……そっか」

 小さく呟いた青年は、ふわりと笑顔を浮かべた。

「おめでとうございます」

「は、はい……ありがとうございます」

 瑠奈はふるふると肩を震わせた。

 すごーい! かいくん、こんなイケメンと知り合いだったんだ。

 もちろん、かいくんもイケメンだけど。この人は住んでる世界が違うって感じ。芸能人みたい。

「もしかして、かいくんのお友達ですか?」

「まあ、そんな感じ……デス」

 青年の声はみるみる小さくなった。

 ええー。なんでそんなに大人しいの、この人。イケメンなのに。

 お話したいな、どんな人なのかなあ。かいくんとは、どういう関係?

 口籠る青年にどう切り出そうかと瑠奈が戸惑っていると、外から聞き慣れたエンジン音がした。

「あ、かいくんだ」

 青年の肩がぴくりと揺れたのと同時に、バタン、と車のドアが閉まる音がした。

「ただいまー……って、うわ」

 魁聖は入り口の青年の後ろ姿を見るなり、声を上げた。

「かいくん、おかえり。知り合いの人が来てるよ?」

 紹介しようとして初めて、まだ名前も聞いていないことに気づいた。瑠奈が二の句を告げずに困っていると、

「……まじ?」

 魁聖は荷物を置いたまま、苦笑いを浮かべてじっと青年の顔を見下ろした。

 青年の小さな口が動いた。

「久しぶり」

「……あ、ああ」

「手伝ってほしいことがあってさ」

「ええ? おれにぃ?」

 魁聖が笑う。

 夫と青年を見比べながら、瑠奈の胸はドキドキと早鐘を打った。

 すごーい。北杜イチのイケメンと、国宝級イケメンが、喋ってるう。

 かいくん、やっぱり背が高いなー。かいくんのほうが筋肉あるし、こうやって並んでると、守られたいのはかいくんだなー。

 でも、隣のこの人も、本当にお顔が綺麗。水分の多い、綺麗な目。羨ましい。

 でも、なんでだろう。さっきより、目が鋭い気がする。

 瑠奈はもう一度魁聖へと視線を移した。

 表情の読み取れない青年とは裏腹に、魁聖は何やら面白いものを見つけた子どものような顔で、青年の顔を覗き込んだ。

「で、何? 引越し?」

「うん」

「はは。業者じゃなくて、おれ頼る?」

「……だめ?」

 一瞬だけ、空気が止まった。

 青年の問いかけが、妙に色っぽくて。

 瑠奈はくらくらと眩暈がした。


          *


 結婚式の招待状に返事が届き始めた。

 ビールの缶を置いて招待状の返信はがきを整理していると、瑠奈がしなだれかかってきた。

「今日の人、めっちゃイケメンだったね! びっくりした!」

「んー?」

 瑠奈のか細い腕が首に回されて、耳元に声を吹きかけられた。

「中学校の同級生なんでしょ? 仲良かったの?」

「……別に」

 ふと、一通の返信はがきに手が止まった。

「わ。浜野、結局来るのかよ」

 意外な人物から出席の連絡が届いていて、魁聖は目を丸くした。

 高校時代に喧嘩して、絶交したやつだ。

 はがきを眺めていたら、思わず笑みがこぼれた。

 ふーん。一応形だけ、招待したつもりだったけど、来るんだ。へえ。

 ホストになったと聞いたときは爆笑させてもらったな。一体どんな顔して現れるやら。

「ねー、あのイケメンくんは、結婚式には来ないの?」

 瑠奈が耳元で甘ったれた声で囁いた。

「何? おれよりあっちのほうが気になる?」

「違うよお。なんか、良かったんだもん、さっき。タイプの違うイケメン同士、見つめ合ってるの見て、ドキドキしちゃった」

 照れ隠しにぎゅっと首元に鼻を寄せる瑠奈の頭を、魁聖はぽんぽんと撫でた。

「女ってのは、BLが好きだよなまじで」

 今日、八年ぶりに会った、あいつ。

 かつての、女のような丸みを帯びた頬はほっそりとその輪郭を削いで、桜色の唇は、薄くその色を失っていた。

 なのに、その形の良い唇から。

 昔と変わらない声が発せられたことに、魁聖の身体はぞくぞくと疼いた。

ーーわざわざ家までやってきて、何の頼み事かと思えば。

「引越し手伝え、だもんな。意味わかんねえ」

「なあに?」

「……助手席に何時間も乗せるとか、危なすぎるだろ」

「危ない?」

 魁聖は瑠奈の髪に指を通した。

「……なんでもねーよ」

 魁聖は笑った。

 スマホを取り出して、従業員とのLINEを開く。

『マルコ、4/1の夜、ヒマ?』

 しばらくすると、返信メッセージがぽんぽん、と連続で投稿された。

『La sera suono sempre la chitarra!』

『夜、ギター』

『まにいち!』


 翌日、魁聖は意気揚々と時間に遅れて現場にやってきたマルコに、封筒を差し出した。

 神谷真人から受け取った依頼金の五万円から二万を抜いた金額を、マルコの胸ポケットに突っ込んだ。

 チャットGPTに、音声を吹き込む。

「クソ美形の護送をお願いします。トラックで、東京まで。を、イタリア語で」


Mi raccomando, portatemi un gran pezzo di figa a Tokyo, in camion, ok?


 マルコは目をぱちくりさせたあと、ふむ、と無精髭に手を添えた。


 魁聖はクスクスと笑いながら、スマホをポケットに仕舞った。


 しかし、改めて見ても、可愛かったなあ。

 あんな目で見たって威嚇にならないよ、まひちゃん。

 あーあ、良かった。おれ、ちゃんとまともな女と結婚して。

 あんなのに狂わされる人生なんか、まっぴらだ。

 だいたい、おれに頼む理由も結局よくわかんなかった。

「これで帳消し」って。何のことだよ。

 まあ、この程度の頼みなら、頼まれてやっても良かったかもな。

……いや、やっぱ駄目。

 相変わらず距離感バグるわ、あいつ見てると。

 瑠奈のためにも、これ以上はやめといたほうがいい。


「おれっていい男だろ、瑠奈」

 エイプリルフールの夜、魁聖は瑠奈とキスをした。

 今頃、イタリア人に運ばれる積荷のことを頭から打ち消すために。

 目の前のたわわな胸に、魁聖は没頭することにした。

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