第4話:灰色の亡霊と、五感を失う王国
イリスが自らの命を散らし、帝国へと去ってから一ヶ月。
アルベリック王国は、かつての栄華が嘘のように「静かな地獄」へと変貌していた。
ただ色が消えただけではない。色彩という情報の欠落は、人々の心をも蝕んでいった。
「……味がしない。何を食っても、粘土を噛んでいるようだ」
ジュリアン王子は、灰色に濁った最高級のステーキを床に放り出した。
色彩を失った食材は、香りも、そして味覚さえも奪い去る。王宮の料理人がいくら腕を振るおうと、供されるのは「砂の味がする灰色の塊」だけだった。
「セラフィナ、お前の祈りはどうした! なぜ色が戻らない!」
「ひ、酷いですわお兄様! 私だって毎日祈っていますわ! でも……でも……!」
縋るような声を上げたセラフィナの姿に、ジュリアンは思わず目を背けた。
イリスから奪っていた『輝き』を失った彼女の肌は、今や土気色に沈み、贅沢を極めた金髪は、手入れを怠った馬の尻尾のようにパサついていた。
美しさという魔法が解けた彼女は、もはや聖女などではなく、ただの『性格の悪い、不潔な女』にしか見えなかった。
街に出れば、国民たちの死んだような瞳が王宮を射抜いている。
「あの灰色の王女様を返せ」「彼女がいた時は、花が咲いていた」
あれほどイリスを忌み嫌っていた民衆が、今や手のひらを返し、失った『色彩』という名の恩恵を求めて、夜な夜な王宮を取り囲んで叫んでいる。
「……そうだ。イリスだ。彼女を連れ戻せば、すべて元通りになる」
ジュリアンは、血走った目で剣を握り締めた。
彼はまだ信じていた。イリスは自分を愛していたのだから、膝をついて「戻ってくれ」と言えば、あの灰色の少女は泣いて喜ぶはずだと。
あの大聖堂の地下という「檻」から、今度は自分が「救い出してやる」のだと。
彼は残された騎士団を鼓舞し、影の帝国へと進軍を開始した。それが、自分たちの最後の息の根を止める「終わりの始まり」だとも知らずに。




