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第3話:鉄壁の外出、あるいは歩く色彩爆弾

「……あの、ノア様。これは、いくら何でも大げさではないでしょうか?」

 姿見の前に立つ私は、自分の格好に困惑を隠せなかった。

 鏡に映るのは、最高級のシルクを幾重にも重ね、宝石が散りばめられた深青のドレスを纏った自分の姿だ。けれど、その装い以上に目を引くのは、頭の先から足首までを完全に覆い隠す、何層にも重ねられた漆黒の厚いレースヴェールだった。

 視界はヴェール越しにかすかに見える程度。肌の露出は一分いちぶたりとも許されていない。さらには首元から手首まで、まるで拘束具のようにぴったりとした手袋と立ち襟で、私の『色彩』を外界から完全に遮断している。

「……足りないな。まだ、お前の輝きが漏れ出ている」

 ノア様は私の背後に立ち、ヴェールの位置を数ミリ単位で調整しながら、低く熱を帯びた声で呟いた。

 彼の大きな手が私のうなじに触れるたび、そこにある『影の印』が脈打つように熱を帯びる。

「お前は自覚がないようだが、今の君は眩しすぎる。下界の卑しい連中の目に、お前の一片ひとひらさえも触れさせたくないんだ。……俺だけのものに、他人の視線を浴びせるなど万死に値する」

 彼の言葉は、冗談などではなかった。

 結局、私はノア様の直属の精鋭騎士団――一国の軍隊に匹敵すると言われる強者たち百名に三十重みえに囲まれるという、およそ「お忍び」とは呼べない異様な状態で城の外へ出ることになった。

 馬車が帝都の石畳を走り出す。

 窓のカーテンは隙間なく閉ざされていたけれど、私は震える指先でその端をほんの少しだけ持ち上げた。

(……外は、どうなっているのかしら。私のいた国は、いつも色彩に溢れていたけれど……)

 影の帝国の街並みは、私のいた王国と同じく、色彩を失っていた。

 空は重く澱んだコンクリートのような灰色。道ゆく人々も、色彩のない世界で活力を失い、魂を抜かれた亡霊のように俯いて歩いている。

 けれど、馬車が停まり、私がノア様にエスコートされて地面に一歩足を踏み出した瞬間――。

 パァァァン……ッ!!

 耳の奥で、クリスタルが砕けるような澄んだ音が響いた。

「え……?」

 私が踏みしめた灰色の石畳から、まるで波紋が広がるように、鮮やかな『色彩』が溢れ出したのだ。

 鈍い灰色だった無機質な石は、瞬く間に宝石を散りばめたような虹色のモザイク模様へと変わり、その石の隙間から、見たこともないほど輝く花々が次々と芽吹き、一瞬にして満開になっていく。

 私が歩くたびに、死んでいた世界に『色』が塗り直されていく。

 立ち枯れていた街路樹には生命力に溢れる若葉が芽吹き、噴水の澱んだ水は透き通るようなクリスタル・ブルーに染まった。

「……あ、あぁ……! 見ろ、色が……色を取り戻したぞ!!」

「あの方だ……あの方が歩いた場所から、花が咲いている……! 女神様だ、色彩の女神様が降り立たれたんだ!!」

 驚愕と歓喜の混ざったざわめきが、津波のように広がっていく。

 厚いヴェール越しでも分かる。人々がその場に膝をつき、希望に満ちた瞳で私を――いいえ、私の存在がもたらす『色』を見つめているのが。

(私は……不吉な灰色の女じゃなかったの……?)

 前の国では、私が通るたびに「色が濁る」「不浄だ」と罵られ、石を投げられた。

 けれど、本当は逆だったのだ。私は汚れていたのではない。人々の『汚れ』をすべて引き受け、吸い取っていたから、私だけが灰色に見えていただけ。

 本来の私は、世界を汚すものではなく、世界に彩りを与えるための、たった一つの希望だったのだ。

 胸が熱くなり、視界が滲む。

 しかし、その感動を切り裂くように、周囲の空気が一瞬で凍りつくような殺気に満たされた。

「……おい。誰の許可を得て、彼女を見ている」

 ノア様の声だった。

 彼は私を漆黒のマントで強引に包み込むように引き寄せ、私に縋ろうとした市民たちを射殺さんばかりの瞳で睨みつけた。

 その体から溢れ出すどす黒い影の魔力が、周囲の石畳を砕き、威圧感だけで人々を平伏させる。

「彼女の色彩は、一滴たりとも他人に分けるつもりはない。……これ以上、不躾な視線を向けた者は、その眼球を影に食わせ、一生暗闇の中で後悔させてやるぞ」

 騎士たちが真っ青な顔で『肉の壁』を作り、私を人々の視線から完全に遮断する。

 ノア様の腕が、私の細い腰を折れんばかりに強く抱きしめた。その執着はもはや狂気にも近く、けれど不思議と、その重さに私は安らぎを感じていた。

「……だから言っただろう。お前は無防備すぎると。お前の力は、お前を傷つける者たちに利用されるためではなく、俺の隣で、俺のためだけに咲かせるためのものだ」

「ノア様……。ごめんなさい。でも、私……少しだけ、嬉しかったんです。私がいても、世界が美しくなれるのだと知って」

 ヴェール越しに、私は彼を見つめた。

 ノア様は一瞬だけ、苦しげに眉間に皺を寄せ、それから私の額を自分の額に、ヴェール越しにそっと押し当てた。

「お前は世界を汚してなどいない。世界がお前を汚していただけだ。……いいか、イリス。お前の色は、俺だけが愛でればいい。あんな連中に、お前の価値を理解させる必要はない。お前は、このしろの中で、俺の愛だけを吸って生きていればいいんだ」

 逃げ場のない、熱い囁き。

 自由を奪われているはずなのに、この腕の中こそが、世界で唯一私が『私』でいられる場所なのだと、脳がとろけるように理解していく。

 その頃。

 国境を越えた先にある、呪われた旧王国では。

「なぜだ……! 昨日よりも、さらに白くなっている……!」

 ジュリアン王子は、灰色を通り越して『白化』し、砂塵となって崩れ始めた謁見の間で、震えていた。

 イリスが残したわずかな色彩の残り香さえも、彼女が隣国で幸せを感じ、自分を大切にする男を信頼するたびに、裏切り者の国から引き剥がされていく。

 彼はまだ知らない。

 自分たちが『ゴミ』として捨てた灰色の女が今、一歩歩くごとに、隣国を宝石のような楽園へと変えていることを。

 そして彼女の心の中から、自分という存在が、欠片ほども残らず消え去っていることを。

 ノア様の腕の中で、私は空を見上げた。

 影の帝国の空に、私が咲かせた七色の花びらが、光を纏って舞い上がっていく。

 それは、私の新しい人生が、誰にも奪えない輝きに満ちていることを告げる、祝福の色彩だった。

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