096 大合唱
魔物や周辺諸国との本格的な争いは約200年間続いた。
世界樹の裁きからの300年間は、その恩恵にあずかれない苦しい時代が続いた。人々の心は世界樹から拒否されているという不安の中でふさぎ込んでいた。
ストラミア帝国との戦いも、150年間繰り返し行われた。周辺諸国からの難民を受け入れていたので、エレウス王都の人口もどんどん増えていった。
そして、第2の城壁が作られたのだ。その形は5角形になっている。知識の探求者と冒険の探求者が相談をして、この形にしたと歴史の本に記してあった。
入り口の町ができてからの500年間は、大きな争いは起きていない。王都の人口も増え続けた。そこで、新しい城壁が作られたのだ。それが現在も使っている第3の城壁である。
貴族も庶民もみな広い土地に移り住むことになり、第1と第2の城壁の間は、多目的広場として利用されるようになった。そして、いざという場合の市民の緊急避難場所にも指定されている。
『エレウス王国総合芸術大劇場』はこの多目的広場に建てられている。他にも、魔法闘技場、迎賓館、高級ホテル、国立図書館などの公共施設がある。
大劇場には王都の住民や魔術学院の生徒と教授達が集まっていた。各国の王都在住の貴族達も特別な席に陣取っている。ストラミア帝国からもかなりの人数の関係者が来ているようだ。
王都の住民以外はみなが緊張した表情で座っていた。この勝負の結果次第では、新大陸の勢力図が大きく変わることになるからだ。
大劇場の収容人数は約3万~3万5千人だ。立ち見の人たちを合わせると約4万人近くの観客で埋め尽くされていた。
「ただいまより、ミリコス殿下対サクラシア様騎士の対抗戦を行います」
この試合のルールは公表されていない。市民は試合前に前座の演奏があり、試合後にストラミア帝国による親善演奏会が行われると説明されている。
さすがに市民を敵に回したくないストラミア帝国がルールの公開に難色をしめしたからだ。エレウス王国側が寛大な心でそれを受け入れたという構図になっている。
司会は、大劇場楽団長であるプルクスさんだ。エレウス王城関係者は王妃であるクリューリソス様が臨席している。その隣にはルサラス王女が座っている。ネメルさんとラリリンもその近くに座っている。
「騎士君、どうだい、ここで負けを認めればサクラシア様と君の処遇がひどいことにならないように私が取りなしてあげるよ」
どうやら本気で言っているようだ。
「余計なお世話です。私の騎士は絶対に負けません」
サクラさんがミリコス殿下を睨んでいる。
「おお怖い。私の妃になったらその態度は許さないよ」
大げさに首を振りながら自分の仲間が待つ場所に帰って行った。
「嫌なやつですね」
ジェイドも怒っている。変人に免疫がないので気持ち悪いのだ。
「お昼はテュロスのカレーを食べよう。特別製を作って待っている」
こんな勝負は直ぐに終わらせてやるさ。みんなもやる気満々だ。
「では、勝負前の演奏を両チームでします。盛り上がりのために勝負形式で行われます」
ステージに黒板が運ばれてきた。この大きさでも一番遠い席の人にはきっと字が見えないだろう。
「勝負の勝敗はみなさんが決めます。各チームが順番に演奏をしていきます。一曲終わるごとにその時の気持ちで拍手や声を出してください。音の大きさを測る魔道具がありますので、数値が高かった方が勝者です」
ゲームだと言われればおもしろそうだ。観客も楽しそうだ。これでいい。音楽とは楽しむものだ。
敵は声が大きいメンバーで対抗してくるだろう。釣られてしまう観客もいるだろう。それも想定内だ。
「どちらが先に演奏するかをコインで決めます。表が出ればミリコス殿下が裏なら騎士のチームが先攻です」
「では始めます」
我々は後行の方が都合がいい。ここだけは少しずるをする。つくも(猫)が時間を止めて細工をした。
「決まりました。先攻はミリコス殿下のチームです」
ウオーと観客が盛り上がる。ストラミア帝国のさくらたちは元気がいい。この勝負は勝ってはいけないという指示が出ているはずだ。あからさまな妨害はしてこないだろう。
「初めから本気で行くよ」
ミリコス殿下が音楽家の顔になった。様になっている。
演奏が始まった。
ミリコス殿下の選択は、金管五重奏だった。トランペット2本、ホルン、トロンボーン、テューバによる演奏だ。
華やかなファンファーレから始まり、金管楽器の多彩な音色変化を超絶と言っていい技術で表現しきっていた。
そして、しっとりとしたバラードも織り交ぜたプログラムはさすがの演出だった。
5人という少人数ならではの利点である各楽器の音がはっきりと聴こえてくる。それだけに、個人の技量の高さも浮き彫りになった。
一般大衆向けの優しいメロディも組み込まれていて、観客も体全体でリズムを取っていた。
さすがは一流と言われているだけのことはある。実力は本物だ。それは、観客の様子をみていればよく分かる。
次の演奏など考えていない。本気モードだ。
演奏が終わった。
シーンとなっている会場。
ハアハアいいながら汗を拭う演奏家達。
ミリコス殿下が立ち上がり静かに礼をした。
ドワーァァァァァァァー
ウオォォォォォォォォー
劇場が揺れた。
「ただいまの数値は125デシベルです」
司会が数値を読み上げるが聞いてはいない。みんなが立ち上がって拍手を贈っていた。
やってくれたよ。これは本物だ。小細工無しの真っ向勝負。少し好感度が上がったかな。
「次の演奏は騎士のチームです。準備をしてください」
司会が気の毒そうにこちらを見ている。これは勝負有りだ。そんな表情だ。
ざわつきがおさまらない。先ほどの演奏の余韻に浸っているようだ。
貴賓席の王女様がソワソワしている。これでは演奏を始められないと心配しているようだ。
エルサラスはいい子だ。真っ直ぐ育っている。エレウス王国はいい国だ。冒険者が作った国のイデオロギーを受け継いでいる。
エルサよ、心配するな。勝負は始まる前からついているんだよ。
私達が選んだのは、弦楽五重奏だ。
ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロの弦楽四重奏にもう一本ビィオラが加わることで音域の広がり、音色の多様性を楽しむことができる。
演奏は始まっている。まだ、ざわつきが止まらない。一般市民の観客は室内でのコンサートには慣れていない。マナーなどは知らないのだ。
サクラさんがビィオラを顎から外しそっと床に置いた。
手を胸の前で組み目をつぶる。すーと息を吸い込んだ。
天使が歌い出した。
ヒット曲には「超音波の含まれる声」や「ビブラートのゆらぎ」といった科学的法則が見出されている。
サクラさんの歌声は、まさにこの超音波を含んでいるのだ。そこに、つくも(猫)の神力が加わると、もやは洗脳と言ってもいいほどの効果が生まれる。
ざわめきがピタッと止まった。
観客がびっくりしている。未知の力が耳ではなく魂に反応している。そんな感じなのだろう。
ヴァイオリンとヴィオラが歌い交わすメロディーがサクラさんの歌声に重なっていく。まるで人間が語り合うようなロマンティックな感動を観客に与えていく。
演奏が終わった。歌も終わった。
静寂が訪れた。
サクラさんがにっこりと微笑み静かに礼をした。
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォー
会場が揺れた。
誰かが叫んだ。
「アンコール」
釣られて、また誰かが叫ぶ。
「アンコール」「アンコール」
声が伝染していく。
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」「アンコール」
「アンコール」……
もやは収拾がつかない。
司会が私達に目で確認をしてきた。
了解の意を示す。
「演奏者の賛同を得ました。アンコールです」
司会の説明に沸き立つ会場。
天使が鈴が転がるような声で呼びかけた。
「最後はあの曲よー。みんなでいっしょに歌いましょう」
演奏が始まった。
歌はおなじみのあの歌だ。そう、楽団員達が絶賛した最後の大合唱は会場を一つにする。観客の心を一つにするのだ。
大劇場に大合唱が響いた。推定2万人の大合唱だ。半端ない。会場が揺れる。地面も揺れる。
その中でぼう然とたたずんでいるミリコス殿下。きっと理解ができないのだろう。音楽とは何だ。そんな哲学から問い直さなければ、この現象は理解できない。
測定器の針は既に計測不可能の域で止まったまま動かない。
この勝負は、私達の勝ちだ。
次話投稿は明日の7時10分になります




