第2話:『音をなくした作曲家』
カラン、とドアベルが鳴り、男が店に入ってきた。彼の名はリョウ。才能ある作曲家だ。だが、その両耳は、自分の手で強く塞がれていた。顔は青白く、まるで嵐に晒された船のように、不安と疲労に満ちていた。
「マスター。俺の耳が、何も聴こえなくなってしまったんです」
彼の声は、乾いた砂のようにざらついていた。
俺は黙って珈琲を淹れ始めた。豆を挽く音、湯が注がれる音……。これらの音が、リョウの心に届くことを祈りながら。
リョウは、かつて天才と称され、自分の曲で人々の心を動かしてきた。しかし、彼は気づいたのだ。自分の耳に聴こえてくるのは、**「次の曲はもっとすごいものを」「聴衆の期待を裏切るな」という、周囲からのプレッシャーという名の雑音だけだった。そして、その雑音は、いつしか、自分の内側から響く「お前はもう終わった」**という声に変わっていた。
彼の世界は、音のない牢獄だった。
俺は、温かい珈琲のカップをリョウの前に置いた。
「君の耳を塞いでいるのは、君自身の心だ」
その言葉に、リョウはハッと顔を上げた。だが、彼の瞳は、まだ俺の言葉を信じていなかった。
「だが、どうすれば……」
俺は何も答えず、ただ静かに、彼の目の前に置かれた珈琲を指さした。
リョウは、震える手でカップを掴んだ。温かいカップが、彼の冷え切った指先に少しずつ熱を伝える。彼はゆっくりと目を閉じ、珈琲の香りを深く吸い込んだ。
その瞬間、彼の心に、かつて耳にした、愛する人の声が蘇った。
「リョウの曲は、心が温かくなるね」
それは、彼が本当に聴きたかった、心からの音だった。
リョウの目から、大粒の涙が溢れ出した。彼は、耳から手を離した。そして、涙を流しながらも、俺の店の、静かな珈琲の音に耳を澄ませた。
リョウは、ポケットから小さなノートを取り出した。そして、震えるペンを握りしめ、まるで失われた音を必死に書き留めるかのように、新しいメロディを書き始めた。
彼の瞳は、もう虚ろではなかった。




