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第六章

第六章


全国的に例年よりも気温の高い状態が続き、ほんの数分、その場で立っているだけでも額から汗が流れ落ち、アスファルトを丸く濡らしていく今日この頃。

高校入学以来、初めての体育祭当日を迎えた俺はクラスごとに仕切りたブルーシートの最前列で腰を下ろしていた。

言うまでもなく、座り心地はお世辞でも好評を博すなんてことは出来ず。

生地が薄いぶん、石塊が当たって尻は痛いし、ガタガタゴツゴツと平坦な地面ではないため、納得のいく体勢が一向に定まらないしで挙げたらキリがないほどに不評だ。

だが、それを感じているのはどうやら俺だけではないらしく、周囲に飛び交う言葉はじきに開幕する体育祭へ募らせた歓声や胸を躍らせる言葉なんてものではなく、ただひたすらに「座り心地わりぃな」「もっとあったろ。椅子用意するとかさ」「これじゃあ、出番来る前にケツが痛くて動けねぇよ」とブルーシートへの不満や苦情を訴えていた。


「初っ端から手に汗握る一組の男子対二組の男子による大接戦の綱引き。熱気溢れる戦いに俺の汗はサウナにいるかのように止まりませんでしたねぇー!」


実況担当を任された男子生徒がマイクを片手に握りながら立ち上がり、情熱的な解説を果たした。


「澤谷先生は高校時代、陸上部に所属していたとのことですが次に控えている対抗リレーの選手に何か一言!」


「えぇー、わたくしは高校時代……」


「なんだか、長くなりそうな気がしたので代わりに代弁すると『とにかく頑張れ!』との事です!そうですよね、澤谷先生!」


「まぁそうなんですが、リレーというものは……」


「以上、クラス対抗男子生徒による綱引きでしたー!続きまして、対抗リレーのお時間です!出場選手の方は準備の方お願いしまーす!」


微妙どころか完全に噛み合っていない澤谷先生と熱狂的男子生徒による解説は完全に後者に引っ張られながら淡々と展開を進めていった。


「……おーい、千秋くーん!千秋くんてばー!無口で無愛想なそこの千秋くーん!」


「無口で無愛想は余計だ」


ブルーシートで構成された観客席の後方から聞き馴染みのある、それでいて決して間違えようのない声が耳に入り、緩徐にその方向へ振り向くとぴょんぴょんと無邪気な子供のように跳ねている彼女の姿があった。


「なんか用か」


「用がないと来ちゃだめなんですかぁー?わたしと話すのがそんなに嫌なんですかぁー?」


「そう不貞腐れるなって」


「そりゃあ、不貞腐れないわけにもいかないでしょ。だって、だって、だってさ、観客席が男女別とかありえないでしょ」


「仕方ないだろ。その方が段取りがスムーズに進むって言うんだから」


「せっかく同じクラスだって言うのにぃ。こんな時に限って別々とかほんともぉ、ありえないんだから!!」


男子生徒は比較的女子生徒よりも人数が多いい為、二枚のブルーシートを用いているのだが、俺が腰を下ろしているシートからちょうど三枚目にあたるシートが女子生徒エリアであり彼女の観客席でもある。

体育祭が開幕した以上、歓声や声援が飛び交い、互いに互いの観客席へ腰を下ろせば会話を試みることは愚か意思疎通することでさえ難儀と化す。

そのため、どちらかがこうして出迎えない限り普段のように会話をすることさえままならないのだ。

そうして、そんな状況下に当然如く腹を立てている彼女は体育祭真っ只中とは到底思えないほどのムスッとした表情を浮かべていた。


「俺らのクラスはさっきの綱引きで負けを取ったから、次の対抗リレーで三位以内に入らないと結構差つけられるな」


「そう……なんだ。へぇー、なるほどなるほど」


「お前……まさか、全く見てなかったとは言うまいな」


「千秋くん、大当り!!全くこれっぽっちも見てーー」


両手を上げながら盛大にそう言い放った彼女が無性に腹立たしく、両頬をつねってやる。


「いはい、いはい!」


つねられた部分を擦りながら。


「もぉー、痛いって!女の子の頬を二度もつねるなんて、大罪、重罪、犯罪者だよ!」


「競技を見てなかったお前が悪い」


「いはい!いはい!はへちゃうー!」


注意を促している俺も今まさに校庭に目を向けていないのだから、仮にも同罪なのかもしれない。


「それにわたし、わざと見てなかったわけじゃないもん!」


「へぇー、一体どんな理由で?」


「何回も何回も千秋くんに声掛けてたんだよ!無口ー!ぶっきらぼうくーん!って言い方変えたのに全然気づいてくれないんだからーー」


「たとえ聞こえててもそんな呼び掛けだったら絶対に振り向かねぇよ」


「わはった。わはったから、ほっへたをつれるのは、やへてー!」


「というか、そんなことよりも対抗リレー始まるみたいだぞ」


俺らが交わした他愛ない会話は普段よりも遥かに短い時間で終わりを告げ、早々に次控える対抗リレーが引き金を引いた。

「自分の場所に戻ってしっかり見ろよ」と指示を仰ぐと「……体育祭なんかよりも千秋くんと話してる方がずっとずーっと楽しいのにぃー」とごにょごにょと口にしていたが「そんなもん体育祭が終わったらいくらでも話してやる」と言うと、強ばっていた表情筋を容易く緩ませ、ニコニコとした笑顔で自分の観客席へと戻って行った。

なんとも、ちょろ過ぎるというか。心配になるというか。

いつか、詐欺の手口に騙されそうな気がして目が離せない。

まるで子と親のような距離感。

彼女と会話をする方が体育祭よりも遥かに価値が存在するのは明白な事実で。

でも、ちゃんと欠席をせず真面目に体育祭に参加する以上、せっかくならばと懸命に取り組みたい気持ちも少なからずある。


「おぉーっと!?まさかのこの土壇場で三組が四組を抜かし、二位の座へと躍り出だそぉーっ!」


「えぇー、わたくしの高校時代の体育祭ではーー」


「待て待て待てっーー!?思わぬアクシデントで遅れを取ってしまった一組だが、現在三位の四組を抜かしただとぉー!?これはこれは、大逆転もありえるぞーっ!」


競技場並に迫力満点で熱気に溢れた空気、瞳の奥で炎を宿している観客と解説者。

そして、数分前から異常なほどに向けられているある一人の女子生徒の眼差し。

どれもが新鮮味溢れる体験で、心の奥底がムズムズするというか、体温が急激に上昇していくというか。

言葉にするのが難しいがとにかく想像上に俺は楽しめているらしい。


「おぉぉぉ!?一度後方へと下がってしまった三組だが、まさかのここで大 逆 転 勝利だっーー!!」


「えぇー、そういえばわたくしの頃もーー」


「綱引きに続き、対抗リレーも手に汗握る大接戦でしたねー!それどころか、大逆転連発により、俺の目は何度飛び出たか計り知れない!」


バンバンバンと机を叩きながら、音割れレベルの声量で解説を続ける男子生徒はこの会場の誰よりも感情を高揚させていた。


「澤谷先生!見所満載以外の何ものでもない対抗リレーの感想をお願いしますー!」


「えぇー、そうですね。なんといってもーー」


「はいはい、そうですか!澤谷先生の感想も聞いたところでお次は騎馬戦です!どんな争いが繰り広げられるのか乞うご期待です!」


そうして、綱引き、対抗リレー、騎馬戦、借り物競争と続々と種目を終えていく今、待ち望んでいたと言うべきなのか、遂にその時が訪れてしまった現実に落胆や絶望を抱くべきなのか、感情の行き場が行方不明なこの状況で俺と彼女が出場する、毎度体育祭の要かつ観客の声援が最高潮に達すると言われている種目、男女混合リレーの出番が回ってきた。


「遂に遂に遂にっ!!最終局面に突入し今年の体育祭もラストスパートに差し掛かりました!!」


「えぇー、なんというかあっという間でしたねぇ……あ、ようやく言わせてもらーー」


「それでは男女混合リレーを始める前に現在の学年順位を再確認しましょー!」


「一年生ーーーー」


「二年生は圧倒的な差をつけて一組がリードをしています!現在最下位の三組は一位を大前提に二位のクラスと五秒差をつけなければ、特別加点として大逆転もありえます!どのクラスも最後まで諦めず一位を、いや……青春一ページを掴み取ってください!!」


「三年生ーーーー」


解説者の異常すぎる熱量に謎に不安感を煽られ、行き場を見失った緊張が無駄に鼓動を加速させる。

左胸に手を当てながら心拍を確認するとあまりの動機の速さに更に呼吸が荒くなる。

額から流れ頬につたる汗を腕で拭っていると、肩をトントンと叩かれ咄嗟に後ろを振り向く。


「おぉっ……神崎」


「千秋くん、すごい緊張してるね」


「よく分かったな」


「そりゃあ、顔見れば一目瞭然だからね。……っていうか本当に大丈夫?顔色悪いけど」


「大丈夫だ。思いのほか緊張してるみたいで自分でも驚いてる」


中学三年生の体育祭を最後に高校に進学してから欠席をしていたからか、想像以上に反動が大きいようだ。

人前に出ることでさえ極度の苦手意識を抱いているにも拘わらず、種目の要であるアンカーを任されるなど緊張しない方に無理がある。

臆している俺とは対照的に彼女は普段通りニコニコと笑っている。


「そんな緊張しなくても大丈夫!千秋くんは精一杯努力したんだし、元から足が遅いわけでもない」


「でも、俺らのクラスって今最下位だよな。やっぱり俺がアンカーなんて荷が重い気が……」


「そんなことは全然、これっぽっちもない!むしろ、千秋くんじゃなきゃ務まらない役目だよ」


「そう……だといいが」


いつになく弱気な俺を盛大に激励するかのように背中をバシバシと叩いてくる彼女。

体育祭が始まる一週間前、俺は一日たりとも訓練を怠った日はなく、日が暮れるまで彼女と共に走り続けた。

「千秋くんは筋がいい!」「運動部が多いいクラスで六位を取れる千秋くんならきっと誰よりも伸びしろがあるよ!」それ以外にも数々の激励の言葉を幾度となく彼女から頂き、その結果体育祭当日までグングンと記録タイムを伸ばしていった。


「それに千秋くんはもう一人じゃない。わたしが神崎芹奈が後押しするよ」


「そう言ってくれると緊張が和らぐ。俺の味方になってくれたのはお前だけだ、ありがとな」


「そ、そんなことよりもう行こ!もうすぐ始まるみたいだから」


「あ、あぁ」


俺は第五走者、つまりアンカーを任された。

そして、その俺にバトンを繋ぐ第四走者は彼女ーー神崎芹奈。

第一走者、第二走者、第三走者は陸上部自称次期部長、サッカー部FWを務めている瞬足ストライカー、足の速さに目をつけた部長がスカウトし先日女子陸上部に入部した期待の若手、の走順。

荒々しい呼吸を抑えようと努め、何度も深い深呼吸を繰り返していると。


「位置について。よーい……どんっ!」


掛け声と同時期にバンッと発射されるスターターピストルと銃声音。

ズサズサドタドタと絶え間なく聞こえてくる、足音。

その度にヒートアップしていく観客からの声援。

相変わらず熱狂的な解説者。

その全ての環境が俺の鼓動を更に乱していく。


「おぉぉっと!?ここで三組が現在二位の一組を抜かし、二位に躍り出たぞぉぉぉおおおー!!」


現在一位の四組と現在二位の三組であり俺のクラスは感情を高揚とさせざるを得ないほどの拮抗を繰り広げていた。


「ただいま各クラスが第二走者にバトンが渡りました!どのクラスも希望はある!諦めず最後まで走り続けろっー!!」


陸上部次期部長と自称しているだけはあるなと思わせるほどのいい走り出しを切った三組は無事他クラスに抜かされることなく第二走者のサッカー部瞬足ストライカーの手にバトンが渡った。


「現在一位の四組と二位の三組がせめぎ合っている中、三位の一組が着々と迫ってきているぞぉー!?これは大逆転もありありありありありありえるぞぉぉぉおおーー!」


そうして今、第二位の座を保ちながら無事第三走者の陸上部期待の若手にバトンが渡った。

今はまだ、一位のクラスとは大差ない状況だが、解説者の言葉通り着々の他クラスも上がってきている。

いつ順位が逆転しても分からない状況下であり、ハラハラと焦燥感に駆られ感情が昂り観客の声援がヒートアップし続ける今、この競技最高潮の盛り上がりと言っても過言ではない。


「一位、二位は未だに順位が逆転しないまま、第四走者の手にバトンが渡りましたーー!まだまだまだ結末は分かりません!!諦めたらそこでなんたらと言いますから!!足がもげるまで、いや……もげても走り続けてください!!」


そうして、第三走者が第四走者の彼女にバトンを渡す。

クラス内の女子で二番目に足が速いとの肩書きはどうやらダテではないらしく、一位の選手との距離を着々と縮めていく。


「アンカーの選手、準備してください」


隣を見れば現在一位の四組のアンカーが手足をふらつかせたりその場でジャンプしたりと軽いウォーミングアップを済ませていた。

太陽光に焼かれた小麦色の肌。

ツンツンと毛先が目立ち、横、後ろ共に刈り上げのスポーツ刈り。

筋肉質の両腕に両脚はごぼうのように細い俺とは大違いで少し衝突したくらいでも転倒してしまいそうなガッシリとした体格。

こんな生徒に凡人の俺が敵うようには到底思えないが、彼女の走り故に一位との順位が逆転しそうな今、このままいけば俺の番が回ってきても正気はーーーー。


「おぉぉぉおおおおっとっっ!?ここで現在二位の三組が転倒したぞぉぉ!?」


……神崎っ!


片手に持っていたバトンがコロコロと地面を転がり、ピタリと動きを止める。

次第に他クラスに抜かされていく。

観客の眼差しが彼女一点に集結する。

胸が締め付けられるような苦痛に襲われ、彼女の元へと駆け寄ろうとしたその時、瞳の奥に炎を宿した彼女が立ち上がり、颯爽と走り出すその姿は『わたしは大丈夫だから』と言っているようで乱れた鼓動が一気に収まった。


周囲に飛び交う声援。

クラスメイトから向けられる期待をされていない冷たい眼差し。

口の動きで「……もう無理だ」と諦め嘆き、ひたすら俺に対して失望をする者。

そんな雰囲気に呑まれ自分でさえも『やっぱり俺なんか……』と心底失望し卑下していると、その全てを掻き分けて、ある一人の声がーーー。


「ごめん……!千秋くんっ……」


「…………まかせろ」


泥だらけの体操着。

肌白い膝には血が滲む擦り傷。

額から流れる汗。

ひたすらに俺を信じ続ける真剣な瞳。

その全てが俺の熱意を掻き立てるには充分すぎるほどで。

彼女からのバトンを受け取った途端、自分の限界を超える限界を叩き出し、一心不乱に脚を腕を振り続ける。

恐らく俺はこの時、人生最大のアドレナリンを出したであろう。


「三組。ものすごいスピードで巻き返しています!」


彼女との絶え間なく努力が実を結んだのか、着々の他クラスのアンカーを抜き去り、順位を巻き返した。


「もう、ダメかと思った三組だが!なんてことだ!最下位から三位まで登り上がってきたぞぉぉー!!」


屈せず、必死に足を動かし続ける俺の勇姿に感化されたのか。それとも現在の順位でも、もしかしたら一位を取ることが出来るかもしれないと淡い期待を抱いているのか。

理由はともかく、先程まで向けれていた冷酷な眼差しや辛辣で悪態な言葉はどこかへ消え去り、周囲から飛び交うのは「頑張れ、死神!」といった声援へと変化した。

その声の中には明らかに一際目立つ「千秋くん!頑張れっーーー!!」彼女の言葉が耳に届いた。



「神崎、保健室行くぞ」


ブルーシートで腰を下ろしている彼女の元へ真っ先に駆け寄る。


「保健室?全然大丈夫だよ!こんなのへっちゃらっ!」


「嘘をつかなくてもいい。その膝の擦り傷を見ればどれくらい痛いだなんて一目瞭然だ」


顔の前で両手を振りながら、幾度となく「大丈夫、大丈夫だよ」と強がり続ける彼女だが、それが疼痛を紛らわす言葉だということは鈍感な俺でさえも容易に読み取ることが出来た。


「それにその歩き方、足首も挫いたんだろ?」


「別にそんなことは…………やっぱり千秋くんには敵わないなぁ」


諦めたのか、それ以上否定をすることはなく挫いた足首を優しく撫でながら「本当はすごく痛い……」と強がりな笑顔を浮かべた。

彼女と出会って、一年どころか半年すらも経過していないが、それでもそこらの人間よりかは彼女の変化に一番敏感な自身がある。


「歩け……ないよな」


彼女の足首を凝視すると、微かに赤く腫れている皮膚を確認することが出来た。

俺を余計に心配させないようにと意図的にその部分を手で隠している彼女だが、そんな作為も全て丸分かりだということは恐らく本人は気がついていないだろう。


「悪い、神崎」


「…………っ!?ちょ、ちょ!千秋くんっ!?」


背中と太ももに手を回し、彼女を持ち上げる。

いわゆるーーーお姫様抱っこ、というやつだ。

予想通りというか案の定というか、持ち上げられた彼女はそわそわと落ち着きのなさを示しながら、ほんのりと赤らめた頬が今の感情を物語っていた。


「痛くないか?」


「そ、そんなこと今はどうでもいいでしょ!!こ……こんなところで……お姫様……抱っことか……みんな見てるよ……」


「しょうがないだろ?これしか、保健室に運ぶ方法思いつかなかったんだから」


「そうかもしれないけど!!」


不服そうに唇を尖らせ、でもどこか幸福を感じているような笑みを浮かべる彼女。


「とりあえず、しっかり掴まってろ。人目なんて時間が経てば慣れるさ」


高校入学してまもなく『死神』とあだ名を命名され、クラスメイトからは不振な眼差しを向けられ、廊下を歩けば嫌でも悪目立ち。

次第に流言飛語が吹聴され、それでも元々の性格もあるだろうが程なくしてその環境に俺は慣れた。

というか、諦めたという方が正しいかもしれないが。


「そんなに恥ずかしいなら、目を瞑っておけばいいだろ」


「……せっかくのお姫様抱っこなんだから、ちゃんと目に焼き付けたい」


「そうか」


気恥しそうに視線を逸らす彼女ははにかむように口角を綻ばせた。


「わたし……重くない……?」


「重くないよ、全然」


「前は重いって包み隠さず言ってたけどねぇー」


「まだ根に持ってんのかよ。あれはお前が重かったんじゃなくて、俺の筋肉が足りなかっただけだ」


「へいへい、そういうことにしておきますよー」


全く納得出来ていないだなんてことは、口調と表情を見れば分かり得る情報。

それでも彼女は今のこの状況にそれほどどころか全くと言っていいほどに不快な思いはしていないらしく、緩んだ口角が一向に上がり続けていた。


「失礼します」


「あら、日影くん久しぶりね……って今日はお姫様抱っこで登場って……」


訝しげな表情で僕らを見つめる城崎先生は、キャスター椅子の背もたれに腰を掛けていた。

何か言いたげな雰囲気を醸し出していた城崎先生の言葉を潰すかのように早々に口を開いた。


「膝の擦り傷と足首を捻ったみたいで」


「ちょっと見せてみて」


抱えていた彼女をそっとスツール椅子に下ろすと、腰を下ろした状態でコロコロとキャスター椅子ごと移動させ、彼女の足首を診察する。


「あぁー、少し腫れてるね。捻挫ではないけど、結構強く捻ってる」


机から包帯を手に取ると彼女の足首に巻き、「安静にしておけば、一週間で良くなるから」彼女は「はい……ありがとうございます」と小さく返事をし、その様子から結構痛むのだろうと理解出来る。

膝の擦り傷も同様に処置を済ませる。


「最近はめっきり来なくなってたから、少し寂しかったのよ」


「そうなんですか?城崎先生も寂しいとか概念あるんですね」


「あるに決まってるでしょ!でもまぁ、来る機会が減ったっていうのはいいことかもしれないけど。そのぶん、日影くんが怪我をしなくなったってことだもんね」


机に置いてある、湯気の立ち上るコーヒーをズズズと啜ると、黒いタイツを穿いた脚を組む。


「それもこれも、そこにいる芹奈ちゃんのおかげかな」


片手に持っていたコーヒーカップを机に置き、優しく微笑む城崎先生は俺に向けていた視線を彼女へ移動させた。


「そうかもしれないですね」


以前から頻繁に怪我を負い、保健室の常連と化していた俺が怪我なく日々を過ごすことが出来ているのは紛れもなく彼女が影響している。

というか、俺の日常で変化したことといえば彼女ーー神崎芹奈と出会ったことくらいだから。


「まぁでも。たまには遊びに来てよね。保健室の先生って意外と暇を持て余してるのだから」


「遊びに来ていいものなのか分からないですが、でもそうですね。たまになら顔を出します」


「お願いね。あっ、もちろん芹奈ちゃんもよ。女の子同士で話したい事も沢山あるの」


「わたしもです。一度は男子の千秋くん抜きで話しましょう」


彼女に手を差し伸べ、立ち上がらせると多少の補助役をしながら保健室を後にした。

思いのほか談笑に興じていたのか、俺らが校庭に戻った頃にはちょうど閉会式を終えた直後だった。

ぞろぞろと教室へ帰っていく生徒らを見た俺らは「……間に合わなかったな」目を合わせてそう呟き、その列を追うように教室へ足を向けた。



後々クラスメイトから体育祭の結果を尋ねると、どうやら学年優勝を勝ち取ることは叶わなかったらしい。

だがそれでも、皆の努力の甲斐があって学年順位二位と好成績を残し、それほど教室の空気も生徒らの気分も下がっていなかった。

それどころか、優勝を勝ち取ったレベルに感情を高揚とさせていた。

それは恐らく、その後に聞いた学年MVPは三組との実績故だろう。


「……千秋くんごめんね。本当に」


「なんだよ急に」


座席に腰を下ろした早々に彼女は両手を合わせて謝罪の言葉を述べる。

頬杖をつきながら困惑をしていると、眉尻を下げながら。


「あんなに練習したのに、わたしが転んだせいで全部無駄になっちゃったから……」


「無駄になんかなっていないさ。神崎と練習したから、学年MVPを取ることが出来たんだろ?」


「でも、わたしが転んでいなかったら優勝出来てたかもしれない」


膝の上に置かれた両手は力強く握られており、彼女の心情を充分すぎるほどに物語っていた。


「別にお前のせいじゃない。あれほど種目があったのにポイントを稼げなかったのはクラス皆の責任だ」


彼女が口を開く前に俺は再び言葉を紡いだ。


「だからそんなに気落ちするな。それに見てみろ」


俺はクラスメイトに視線を移す。


「誰も体育祭の結果に落ち込んでいるやつも納得していないやつもいない」


惜しくも一位を獲得することは叶わなかったが、それでも二位の好成績を残せた事実は変えようのない現実だし。

それよりも何よりも、学年MVPを獲得したのは三組だ。

落胆する理由などどこにもないではないか。


「全力で取り組んだんだ。誰も咎めるやつはいない」


「……千秋くん。ありがと」


「ありがとうもなんか変な気がするが、感謝をするなら俺の方だよ。練習に付き合ってくれたのもお前だけだ、ありがとな」


人差し指で頬を掻きながら、照れくさそうにはにかむ彼女。

そんな時、一人の女子生徒がこちらに近づいてきた。


「神崎さん。体育祭の打ち上げでこれからみんなでファミレスに行くんだけど、来ない?」


「千秋くんはどうする?」


彼女が俺に視線を向けそう訊くと、女子生徒と目が合った。

その途端、不自然に視線を逸らした女子生徒は分かりやすく表情を歪ませた。

俺はどうやらお呼びではないらしく、たとえ口に出していなくても『お前は来るな』という言葉が聞こえてくる。


「俺はいいよ、今日は疲れたし家で休むことにする。神崎は楽しんでこいよ」


「そっか」


彼女からの問いかけを断ると、女子生徒は表情を明るく咲かせ、なんとも分かりやすいのだと若干呆然としてしまう。

俺だからいいものの、他の人にも同じようにしてしまえば間違いなく嫌われるだろう。

もう少し、感情と表情の連携を見直した方がいい気がする。


「誘ってくれてありがとうね」


「それじゃあーー」


「でも、わたしも遠慮しよっかな。千秋くんがいないなら行く意味ないし」


ニコリと微笑む彼女の表情には全く光などなく、どこか異様な雰囲気を感じる。


「神崎、別に俺のことは気にしなくても行きたいなら行けばーー」


「別に行きたくないよ?ただ、千秋くんも行くなら行こうかなぁって思ってただけで」


至って真剣な顔付きでそういう彼女はどうやら嘘をついているようには見えない。

思わぬ彼女からと返答に心底驚いた女子生徒は言葉を詰まらせていた。


「だから、わたしたちは抜きでいいよ」


「そ……そう」


恐らく女子生徒は内心『死神とつるんでる神崎さんも同類だ』と思っているのだろう。

というか、そう捉えざるを得ないほどに女子生徒の表情は分かりやすかった。

若干早い足取りでクラスメイトの人集りに参加する女子生徒。


「本当に良かったのか?断ったりなんかして」


「千秋くんがいないのに行く意味なんてない」


「お前がそう言うなら別にいいんだけど……」


俺のせいで本心を押さえ込み、無理をさせてしまうのは嫌だったから、しつこく問いかけたのだが、今思えば意志の強くわがままな彼女が誰かに気を遣うなど器用なこと出来るはずがない。


「それはそうとさ、千秋くん。せっかくなんだから、わたしたちも二人で打ち上げしようよ!」


「俺さっき、疲れてるから家で休むって言ったはずなんだけど」


「えっ?あれって、わたしに気を遣わせない口実じゃなかったの?」


一応、本音だったんが。


「でもまぁ、いいよ別に。神崎とならきっと楽しいだろうし」


「……わたしと……なら……か」


「どうした?顔が赤いが」


「あか……あかくないっ!そ、そんなじっくり見ないでよ、変態!!」


「へ、変態って失礼な奴だなぁ」


小さな両手で顔を覆う彼女はどこか愛らしくて、指の隙間から除く紅く紅潮とさせた頬は普段とは違う魅力を感じた。



クラスメイトが談笑を繰り広げながらファミレスに向かう中、俺と彼女は二人横並びにクラスメイトとは異なる道へと足を向けた。

学校を後にした俺は彼女に招かれるがままについて行き、ほどなくすると目的地に到着したのか彼女が足を止めた。


「わたしたちはここで打ち上げをしまーす!」


「ここって……」


俺の目の前にそびえ立つ建物は『カラオケ竜胆』と看板が掲げられた言葉通りのカラオケだった。


「俺……歌には自信ないんだけど……」


「大丈夫、大丈夫!わたしもそんなに自信ないから!」


「じゃあ、なんでカラオケにしたんだよ」


バシバシと背中を叩いてくる彼女を横目に呆れたため息を吐く俺に「ん〜、なんとなく?」と言葉を返す彼女。

音痴だけのカラオケとか暗闇な未来が広がっているとしか思えないのだが。

それでもなぜだか彼女は普段以上にニコニコと気分を向上させ、「早く入ろうよー!」と腕をグイグイ引っ張り催促してくる。

仕方がないかと諦めをつけた俺は彼女に引っ張られるがままにカラオケ入店した。

三時間コース、ソフトドリンク飲み放題と受付を済ませた俺らは店内端奥の室内へ足を運ぶ。


「おぉー!意外と広いもんだね」


「そうだな。カラオケなんて来たの久しぶりだよ」


「わたしも、わたしもー。家族と前に来たんだけど、なんだかわたしの歌声は批評でねぇ」


『相当音痴なんだな』その言葉は敢えて口を噤み、「それは残念だな」と安直で当たり障りのない返答をする。

茶色い低反発ソファーに腰を下ろすと、彼女は早々にタッチパネルを手に取った。


「飲み物取ってくるけど、何がいい?」


「気が利くねぇ千秋くん。そうだな、オレンジジュースにしてもらおっかな」


「意外と子供っぽいな。ジャスミン茶とか洒落てるもん飲むかと思ってたけど」


「ジャスミン茶苦手ー」


べろを出しながら渋い表情で「オレンジジュース一択ー!」と腕を上げながら言い切る彼女はいつになくテンション高め。


「俺が戻ってくるまでに何歌うか決めておけよ」


「はいはーい!」


歌唱力に自信がないから、カラオケなんてところ楽しめるかどうか不安だったが、彼女の気楽さを目にすればどこか吹き飛んでいた。

やはり、彼女と共有する時間やこの空間は何と比べても決して劣らない心地の良い居場所だ。


「はい、オレンジジュース」


「ありがとぉー」


チューとストローでオレンジジュースを飲みながら、タッチパネルを操作し、曲を入れる彼女。

画面には『あなたのためなら』そんな曲名が表示され、まもなく前奏が開始する。



「君と会えたこの奇跡に〜君と歩んだこの軌跡を〜」



「ねぇねぇ、わたしの歌声どうだったどうだったー?」


隣に座っている彼女はソファーに手を付きながら距離を縮め、感想を催促してくる。


「良かったと思うよ。気持ちも込められたし、何よりも歌声が綺麗だった」


「ほんとにほんと!?わたし、そんなこと言われたの初めてだよ!」


彼女の言う批評が嘘なのではないかと思うほどに彼女の歌声は魅力的だった。

それは単に俺も音痴だからそう聞こえたのか、それとも彼女の努力故の結果なのか。

圧倒的に後者が有力だろうが。


「じゃあ、じゃあ、次は千秋くんの番ね」


「お、俺はいいよ……本当に音痴だし」


「せっかく二人で来てるんだから歌わないと意味ないよ!絶対に笑わないし、音痴って言わないから!」


もう既に自覚済みだから、あざけ笑おうと音痴と愚痴を零そうとなんの文句も言わないのだが。

徐々に迫ってくる彼女はあまりにも必死で仕方がなく歌うことにした。

長年歌って来なかったから以前よりも一層に音痴になっている可能性は高いが、それでも彼女が願うならそれを叶えよう。

彼女から渡されたタッチパネルで一番のお気に入り曲を検索し、選曲する。

画面には『どれだけ離れていようと』俺の外見にはとても似合わない曲名が表示される。

人前で歌声を披露する機会などこれまで一度だってなかった俺はこの状況に多少の緊張感を覚え、微かに手足が震える。

隣で腰を下ろしているかのじょはというと、片手にタンバリン、片手にマラカスを持ち、無邪気な笑みでリズム良く鳴らしていた。

前奏が終え、俺は息を吸い込んで歌声を披露する。



「君に会えたらそれだけで〜」



歌い終えたあと緊張の鼓動がなり止むことはなく、紛らわすためにグラスに注がれたお茶をストローで啜る。


「千秋くん、上手じゃん!」


ぱちぱちと素早く拍手をする彼女は度肝を抜かれたようなハッとした表情をしていた。


「それはどうもありがと。で、本音を言うと」


「ちょ、ちょぉっと、本当に本当にちょぉっと下手かなぁ……」


「でしょうな」


「あっ、でも。本当にちょっとだよ?こんくらい」


右手の人差し指と親指で身振り手振りで必死に言葉を紡ぐ彼女。

そんな姿を目にすると自然と口角が緩み「ぷっ!」と吹き出してしまう。

案の定、突然と笑いに戸惑っている彼女。


「お前、必死すぎだろ。そんな取り繕わなくたって気にしないのに……ぷっ……っ!」


「なに、笑ってんのよぉー!!」


口に手を当てながら目を細め、ケラケラと笑う俺の肩をポンポンと叩いてくる彼女。


「でも、ありがとな。お前らしその優しさ、すごく嬉しかったよ」


以前なら決して見せなかった、歯をむきだしたありのままの笑顔を見せると、彼女は口をぽかんと開き、唖然としていた。


「どうかしたか?」


「う、ううん。なんでもないよ」


「そうか?」


「次は神崎の番な」タッチパネルを彼女に手渡し順番を交代させる。

降りてきた髪の毛を耳にかけ直し、ストローでオレンジジュースを啜り、タッチパネルを操作させる。



「いつの日か、あの場所で〜」


「傷ついても何度でも立ち上がる〜」


「背中をさする君の手は〜」


「雨上がり、曇っていた空はどこか消え〜」



その後も俺らは交互に曲を入れ、気がつくと二時間を過ぎ、終了まで残り一時間となっていた。

空になったグラスを注ぎ終えた彼女がソファーに座り直し、「次はどうしよっかなぁ」と独り言ちながらタッチパネルを操作する。


「俺はそろそろ限界なんだけど。喉も痛くなってきたし」


「えぇー、もう?あと、一時間もあるのに」


「神崎だけで歌っていいから。俺は横から楽器でリズムを刻むだけで」


「喉が痛くなってきたって言うなら仕方ないね」


彼女のことだから、喉が痛かろうと俺に拒否権はなく、無理矢理にでも歌わせるつもりかと思っていたけれど、流石の彼女もそこまて鬼畜ではないらしい。

ストローで一口オレンジジュースを飲むと「ん"ん"」と喉を整え、マイクを握る。



「お時間一〇分前です」とのコール音が室内に鳴り響くと彼女は二曲ほど歌い、俺らは受付へ向かい会計を済ませた。

ぐぅーっと両腕を上げながら伸びをする彼女は俺よりも少し前を歩いていた。

くるりと振り向く彼女は胡桃色の髪の毛を靡かせながら、そっと口を開く。


「いやぁー、結構歌ったね。わたしも喉が痛い

よぉ。明日はもっと酷くなってそうだけど」


「確かに神崎は俺よりも歌ってたもんな、それも結構な声量で」


後半というか、俺は数曲歌え終えたら早々に喉を痛めたので割と最初の方で彼女独占カラオケとなってしまった結末で。

その結果、二人でカラオケに訪れていたにも拘わらず、実質ひとりカラオケとなってしまっていた。


「千秋くんは楽しめた?」


足を止めた彼女は少し前かがみに上目遣いでしう問いかけてくる。


「あぁ、思いのほかな。たまになら来てもいいと思えるほどには」


「そっか、それなら良かったよ」


彼女はどこか安堵したような笑みで再び前を向き直し、歩き始めた。

俺が今日、カラオケを心から楽しめたのはどこの誰でもない彼女のおかげだ。

一人ではなく二人。

他の人ではなく神崎芹奈だから。

君だったから俺は今日に限らず、普段から前を向いて歩き出せる。

現実に目を背けていた俺に手を差し伸べてくれたのは彼女、たった一人だった。

だからこそ俺はーーーー。


「千秋くん?どうしたの」


「なぁ、神崎」


「ん?なに?」


突然足を止めた俺に困惑を隠せずにいる彼女は俺からの呼び掛けに小首を傾げる。

視線を一度落とし、数秒後に再び彼女の瞳をじっと見つける。

彼女は未だに疑義の念を抱き、怪訝そうに眉をひそめている。


「俺さ……お前のこと好きみたいなんだ」


「へぇー、そう……っ!?いいま……なんて……す……すき……?…………すきっ!?」


「あぁ、お前のこと好きみたいなんだよ俺」


「ちょ、ちょちょちょちょっと待って……。待って待って待って!?」


分かりやすく動揺をしている彼女は、海を漂う魚のように目を泳がせ、あちこちに視線を向けていた。

次第にはその場で足踏みを始め、そわそわと落ち着きのなさを表している。

時折、俺のことを一瞥する彼女だがそれはあまりにも一瞬でまたすぐに視線を逸らす。

街灯に照らされる彼女の顔が徐々に紅く紅潮としていく。


「神崎……?大丈夫か?」


「だ、大丈夫なわけないでしょ!?」


「そ、そうか……」


「それに」と彼女は言葉を重ねながら、ドシドシと力の込められた思い足取りでこちらへ歩み寄ってくる。


「告白ってもっと……こう……緊張感に溢れて、言いたいけどなかなか言えない気持ちがせめぎ合って、やっとのことで伝えられるようなもんじゃないの?そんな、難なくと言っちゃう。もしかしたらそれって友達として好きなんじゃないかな。異性としてじゃなくて。じゃないと、そんなすんなりといえーー」


「いや、俺はお前のこと異性として好きだよ」


クラスメイトの女子生徒なんかよりも彼女は遥かに輝いて見えて。

そこらに落ちている石ころがクラスメイトだとしたら、彼女はキラキラ煌めくダイヤモンド。

それほどの、雲泥の差が彼女にはある。


「だとしても、雰囲気とか……もっとあるでしょ。今こんなところで……」


「それは……申し訳ない」


彼女の言うとおり、雰囲気は最悪だろう。

日が落ちているところだけを切り取れば最適解なのかもしれないが、俺らが今いる場所は先程まで滞在していたカラオケの目の前で夜景なんてものは見えなければ、海なんてものもない。

辺りには俺らの横を通り過ぎる自転車や仕事帰りのサラリーマン。

スーパーの袋を片手に帰路へ着く主婦の姿。

木の棒を振りながらケラケラと笑い声を上げる小学生。

これ以上最悪で場の悪い告白の仕方などいくら探しても見つからないだろう。

だけど、それでも。たとえ雰囲気が最悪でも、俺はこの気持ちを今すぐにでも彼女に伝えたかったんだ。


「何度も言うが、俺はお前が好きだ。無邪気に笑った顔も頬を膨らませる怒った顔も、感情を包み隠さず顕にするお前の全てが好きだ」


彼女に発言の隙を与えないと言わんばかりに言葉を重ねる。


「そんなお前を俺は誰にも渡したくない。ずっと傍にいてほしい。隣で笑って、怒って、泣いてほしい。お前とこれから先も一緒にいたい」


彼女は普段のように赤らめた顔を両手で覆うようなことはせず、一身に俺の瞳を見つめてくる。

数秒の沈黙が流れた後、彼女は口角を上げながら。


「そんなこと言われたら断るわけにいかないでしょ。でも……そうね。わたしも千秋くんのことがずっとずっと前から好きだったよ」


ロングヘアを指先に巻きながらくるくるとする彼女は恐らく照れ隠しなのだろう。


「でも、千秋くんもわたしのこと好きだったんなら両片思いだったんだね」


「神崎が俺のこと好きだったとは一度も思ったことがなかったけど」


「それは千秋くんが鈍感だからだよ!わたし、何回かヒント与えてたんだよ?」


「それは……悪い。全く気付かなかった」


「まぁ別にいいけど。終わりよければすべてよしって言うもんね」


なぜだか、彼女の笑みが一つ一つの仕草が声が全てが以前よりもより一層愛らしく映る。





第七章


あの告白の日から、早数日が経過した頃、俺が通っている朝霧高校では、とある噂が吹聴されていた。

そして、その噂が偽りなのか真実なのかを確かめるべく、俺と彼女の会話の中に一人の女子生徒が口を挟んできた。


「あの……神崎さん。一つ訊きたいことがあるんだけど」


「なに?」


「神崎さんがしに……日影くんと付き合ってるっていうあの噂、本当なのかなぁ……って」


「本当だけど」


女子生徒からの質問に対して、一秒の間も挟ます、躊躇いなくにそう応える。

あまりの即答に女子生徒も俺も少し驚いていた。

散々、周囲の視線はどうでもいいと言っていた彼女だが、それでも『死神』と悪評な俺との恋人は流石に気が引けているのではと薄々憶測していた。

だがどうやらそれは杞憂だったようだ。


「何か弱みを握られーー」


「あのさあなた、千秋くんになんの恨みがあるか知らないけど、これ以上悪くいうようなら許さないよ」


落ち着いた言葉とは対照的に彼女の瞳からは若干の殺意を感じる。

彼女の機嫌を損なわせてしまったことは女子生徒も実感していたらしく、少し怯えながら後ずさる。


「神崎、もういいよ」


彼女の肩をポンと触れる。

けれどそんな俺の行為はまもなく無力と化し、彼女の瞳の奥に宿る殺意は未だに姿を消そうとしない。


「千秋くんは少し黙ってて。流石のわたしも少し……いや、かなり怒ってるから」


「ご……ごめん……なさい。神崎さんと日影くんが本当に付き合ってるとは思わなくって」


「だとしても、千秋くんをーー」


「はいはい、ここで終わりだ。俺が良いって言ってるんだ」


彼女の機嫌を取るように頭を優しく撫でながら、彼女の言葉を遮る。

後ろを振り向く彼女の頬はぷくぅと膨らんでおり、『なんで止めるの?』と言わんばかりの表情を浮かべていた。


「でも、ありがとな俺のために怒ってくれて」


「わたしはまだ怒ってる現在進行形ですけどねぇー」


「みんなが不思議に思うのは当然だろ?現に俺は神崎と釣り合っていなーー」


「そんなことない!!釣り合ってないとか言わないで!!千秋くん以上にわたしに相応しい人なんて世界中探しても見つからないよ!!」


「そ……そうか。それはなんというか……どうも……」


「い、いえ……こちらこそ」


互いに照れくさそうに視線を落とす。

だが実際問題、本当に俺は彼女と釣り合っているとは思えない。

彼女のことを誰よりも好きだというこの気持ちは真実だし、誰にも渡したくないという独占欲だってある。

だけど、『死神』そう言われている以上、彼女のような可憐で美しい女性に相応しい相手になれるなど夢のまた夢。

だからこそ俺はーーーー。


「えぇー、皆さん席に座ってください。これから授業をーー」


「澤谷先生、今日は早退します。あ、でも、三十分……一時間後にはまた来ますので」


「いや、今座ってくださいって言ったばかりーー」


「それでは俺はこれで」


「ちょっと、日影くん?」


教室に入ってきた早々に告げられた言葉に心底戸惑いと驚きの色を隠せずにいる澤谷先生はポカンと口を開いたままその場で呆然としていた。

机の横に掛けられていた通学鞄を手に取り、淡々と教室を後にしようとした時。


「千秋くん!?今から授業始まるのにどこ行くのー?」


「ちょっとな。また戻ってくるからそれまで待っていてくれ」


「全然分からないんだけどーー」


「割と急ぎの用事だから俺はこれで」


そうして誰にも深く事情を伝えないまま、飛び出すように教室を後にし"とある場所"へと駆け足で向かった。



予定では一時間程度で終わるかと思っていたのだが、見事に予定は覆され倍の二時間を費やしてしまっていた。

諸々、済まし終えた俺はその"とある場所"を後にし、彼女が待っている学校へと足を向ける。



俺が学校に到着した頃は丁度昼休みが開始してまもなくのことだったらしく意外と間の良い帰りとなった。

下駄箱で上履きへ履き替え、早々に自分の教室へ向かっている途中、廊下で屯っている生徒という生徒が俺に視線を向けてくる。

男女問わずに目を見開くその姿は驚いていると見て取れる。

次第に周囲から飛び交う女子生徒らの会話声。


「あんな人この学校にいたっけ?」


「いない、絶対にいないよ」


「私、タイプかも……」


「転入生なのかな……?」


そんな女子生徒には一切目もくれず、ただひたすらに教室へ向かいようやくたどり着く。

後ろ扉をガラガラと音を立てながら開けると、廊下の生徒同様にクラスメイトらは俺一心に視線を向ける。

数m先の席で座っている彼女の元へ歩み寄り、肩をポンポンと叩く。


「待たせたな、神崎」


「もぉー、まったくどれだけわたしを待たせるのーー」


不機嫌な口調で唇を尖らせながら振り向くと、彼女は分かりやすく目を見開き、俺を目にした途端唖然する。

両手をあたふたさせながら。


「ど、どうしたのそれ!?イメチェン!?」


「まぁな。少し髪型変えてみた。どう……?似合ってるか?」


「超超超超超超超似合ってる!!髪も短くなってるし、髪型もすごくかっこいいよ……」


「そんなに褒められると流石の俺も照れる……」


そう、俺は。

少しでも早く彼女に相応しい男になりたいがために授業が始まる目前で学校を抜け出し、一心不乱に美容室へ向かったのだ。

髪の毛を散髪することもめっきりなくなり、美容室へ訪れたのだって今回が初めて。

髪の毛を切ってそれで終わりかと思ったのだが、シャンプーやら髪型のセットやらと色々とオプション付きで想定よりも時間が掛かった。

だか、その甲斐あって出来栄えは完璧で彼女をあんぐりとさせてしまうほどの結果。

それどころか、クラスメイトの特に女子生徒の視線が釘付けでそのせいで先程から落ち着かない状態。


「これで少しは神崎の隣にいても恥ずかしくないかな……?」


「あったりまえでしょ!むしろ、わたしの方が恥ずかしいよ、全然千秋くんに釣り合ってないんだから」


「それは流石に言い過ぎ。釣り合ってないはずがないだろ?お前充分可愛いよ、他の誰よりもな」


「そ、そんなド直球に言われると……」


「そんな照れた顔も可愛い。本当に……可愛い」


「だ か ら!何度も言わなくたって……でもすごく嬉しいよ……?」


なんだか情緒不安定だな。

だけど好きな相手に褒められるのがどれだけ攻撃力があるのかなんてこと俺だって知っている。

先程は平常心を取り繕っていたが実際のところ『かっこいい』そう言われた時はドクンと心臓が脈打ち、皮膚をぶち破って飛び抜けてくるかと思った。


「あの、日影くんだっけ?私、あかりって言うんだけど連絡先交換しない?」


スマホを胸元で抱きながら、スタスタと近寄ってくる一人の女子生徒は瞳を輝かせながら更に距離を縮めてくる。

そんな女子生徒の制服をグイッと掴み後ろへ引っ張り、俺から距離を離そうとさせる彼女。


「千秋くんは、わ た し の彼氏だから!わ た し だ け の 千秋くんだから絶対に渡さない!」


「そう……なんだ……。でも、連絡先くらいなら……」


「ダメに決まってるでしょ?そもそもね、さっきまで素っ気なく距離置いていた人がいきなり友達になろうとか流石に都合が良すぎない?」


「そ……それは……」


威圧を感じさせる眼差しを一身に女子生徒へ向ける彼女は淡々と言葉を並べた。

眉をひそめ唇を尖らせ、鋭く冷たい言葉は普段の彼女からは予想もつかない印象。


「俺のために怒ってくれるのは嬉しいが流石に言い過ぎだ」


「いたいよぉ……」


軽く頭上をチョップすると、頭を押えながら潤った瞳でこちらを見てくる彼女。

未だに胸元でスマホを抱いている女子生徒に視線を送り。


「悪いけど俺は君と連絡先を交換する気も友達になる気もさらさらないから」


それはこれまで散々行ってきた仕打ちや扱い故ではなく、神崎という彼女ができた以上他の女子と関わりを持つことなど無意味で必要性に欠けている。


「そう……ですか……」


少し悲しげな表情で自分の座席へ戻っていく女子生徒に対して、シッシッと追い払うように手を上下させ「……もう来るなー」と小声で呟く。


「千秋くんにとってモテることはすごくいいのかもしれないけど、彼女なのは わ た し!なんだからね。そこんとこ忘れちゃダメだよ?」


「言われなくても。それに俺は他の女子にモテることよりもお前にもっと好きになってもらいたい」


「も、もう充分好きだけどなぁ……」


机に伏せながら、俺の方へ顔を向け、気恥しそうにそんなことを呟く。


「今以上に好きになってもらいたいんだ」


「い、今以上!?そんなことになったら、わたしきっと千秋くんから一生離れなくなっちゃうかもよ?」


顔を勢いよく上げ、表情筋も上がる。


「俺から離れていくのか?むしろ、ずっと一緒にいたいと思ってるんだが」


「千秋くんてそういうことさらって言うよねー。わたしばっか顔赤くして、なんかムカつくぅー」


不貞腐れたように頬を膨らませる彼女はやはり可愛らしくて、今すぐにでも触れたい衝動へと駆られる。

だから俺は胡桃色に光沢を見せる髪の毛を優しく撫でる。

眉を上げながら視線をこちらへ向ける彼女は数秒間戸惑った後、ほんのりと頬を赤らめた。

「また、そういうことするぅー」不服そうに聞こえる口調だが、感情があまりにも表情に現れてしまう彼女の顔を見れば、本当はどう思っているのかだなんて一目瞭然だ。

そして、再び机に伏せ視線をこちらへ向けながら。


「わたしも千秋くんとずっと一緒にいたいよ?わがままを言っていいなら、最初で最後の恋人はあなたにしたい。死ぬ寸前までわたしの隣にいてほしい。そう思ってしまうのは流石に贅沢だよね」


自虐的に微笑む彼女はどこか切なげな印象を与えたが、一秒の間も開けずに紡がれた俺の言葉を聞いた途端、そんな冴えない表情はどこか消えていった。


「俺も同じこと考えてた。全く贅沢でもわがままでもないし、俺はもっとそれ以上に贅沢で身勝手な願いがある」


「身勝手な願い?」


「あぁ。この先何年、生きるか知らないが、たとえ百歳まで生きたとしてその月日を神崎と一緒に過ごしても、俺にはとても少なくそして短く感じて仕方ない」


百年時間を共にしようが千年共にしようが、俺にはあまりにも刹那の一瞬のように感じてならない。

願いが叶うなら永遠と彼女と一緒に隣りにいてほしい。

だからこそ、たとえ身勝手で理不尽な願いだったとしても。

この思いは決して偽りではなく真実で。

彼女のことを誰よりも想っているんだってことをちゃんと知ってもらいたい。

だから俺は君にーーーー。


「来世も俺と一緒にいてくれないか?」


その言葉を耳にした彼女は徐々に目を見開いていき、「ふふっ」と春先の桜の如く表情を咲かせた。


「そんなの当たり前だよ!来世?来来世、来来来世もわたしは千秋くんと一緒にいたいよ。どれだけ時間が経ってもこの想いは絶対に消えない」


俺からの身勝手な願いをすんなりと受け入れてくれたことよりも、『来来世、来来来世もわたしは千秋くんと一緒にいたいよ』その言葉があまりにも予想の範疇を超えた発言で俺も思わず「なんだよそれ」と笑ってしまう。

彼女の何気ない言葉が俺をどれだけ安心させたか、喜ばせたか、更に君への想いが募ったかなんてことは君はきっと知らないんだろうな。


「それにしても神崎って俺のことそんなに好きだったんだな」


「え、今更?多分千秋くんが思っている数十倍、数百倍はわたしあなたのこと好きだよ」


「数百倍?それは流石に大袈裟じゃないか?」


「全然大袈裟なんかじゃないよ!言葉では伝えきれないほどにあなたのことが好きよ」


彼女は先程『千秋くんてそういうことさらって言うよね』と不機嫌そうに表情を歪めていたが君も大概だ。

そんな恥ずかしいことを平然と口にされても困るというか。

俺の顔が徐々に熱くなっていくのが分かる。

だから仕返しと言わんばかりに俺は反撃を仕掛ける。


「そうか。俺は数千倍に神崎のこと好きだけどな」


「す、数千倍!?」


「いや、間違えた。数億倍だ」


「数億倍って言葉あまり聞いたことないけど、でもそれがもし本当なら……すごく嬉しいな……」


「俺が今まで嘘をついたことがあったか?」


「ないと思うけど」


「だから、これも本当だ。数億倍以上にお前を想っている」


謎の『好き』という言い合いになんだか気恥ずかしく感じてきた俺らは頬を紅くした後、不自然に視線を逸らした。

というか、逸らさなければ心臓が飛び出てしまいそうで。

けれど俺は恐らく、いや……絶対にこの先も彼女にーー神崎芹奈に『好きだ』と伝えるのだろう。いいや、伝える。この想いが尽きるその日まで永遠と言い続けよう。無限にゴールの見えない道筋だけどそれでも。

いつの日か、しつこいと言われる時も訪れるだろう。言われ過ぎで価値がないと怒られる時もあるだろう。

だけどそれでも、俺は君に想いを伝え続ける。

俺は絶対に君を手離したくないからーー。



偶然保健室の近くを訪れていた俺は丁度いいと思い、何気なく保健室の扉をノックした。

「どうぞ」と相変わらず子供らしい声が聞こえ、ガラガラと扉を開けると用紙に何やら記入している城崎先生がキャスター椅子に腰を下ろしていた。

机の端には冷めきったコーヒー。

組まれた脚には相変わらず似合わない黒いタイツ。

いつ見ても城崎先生が成人しているとは思えない。


「あら、日影くんじゃない。どうしたの急に?もしかして怪我?」


「いえ、たまたま近くを寄ったので。邪魔をしたみたいなら帰りますけど」


「ううん、全然邪魔じゃないしずっといてもらいたいわ」


「そうですか」


診察用の椅子であろう丸い椅子に腰を下ろした俺はコーヒーをズズズと啜る城崎先生と向き合う。


「そういえば日影くん聞いたわよ。あの子、芹奈ちゃんと付き合ったんだって」


城崎先生の耳に届くほどにあの噂は広まっていたのか。


「はい、まぁ」


「そう……あれは本当なのね……」


その瞬間、気のせいかもしれないが城崎先生の顔色が曇ったような気がした。

あくまでも気で、その上一瞬だったから恐らく俺の見間違いだと思うが。


「今言うことじゃないかもしれないけど、私失恋したのよ」


「失恋……!?そもそも城崎先生、好きな人とかいたんですか?」


「実はいたのよ。ずっと片思いだったけどね」


切なげに微笑む城崎先生はまるで気を紛らわせようにコーヒーカップへ手を伸ばした。

微かに目元が赤く腫れているのはーーーー。


「そんな顔しなくても、もう大丈夫だから。日影くんを悲しませるつもりはなかったんだけどなぁ」


その言葉に俺はなんの返しもできなかった。

というか、神崎と恋人関係になれた俺が城崎先生にどんな声を掛けようとも恐らく全て嫌味に聞こえてしまう。


「それにね、告白する前に振られちゃってるのよ」


「それって、相手に恋人ができたってこと……ですよね……」


「そう。私なんかよりもすごく可愛くて、スタイルも良くて、愛嬌もあって……すごく……お似合いなのよ……」


無理矢理笑顔を取り繕っている城崎先生の口角が微かに下がっていたのを俺は見逃さなかった。



「私じゃ勝てないなぁって思ったけど……やっぱりあの人のことが好きだから……」


「城崎先生にだって、あなたにしかない魅力が誰と比べても劣らない美点はたくさんありますよ。それを俺は知っています」


「なにぃー、急にそんな……。尚更……」


少しだけだが、表情が明るくなった。

だがやはり、どこか曇っていた。

太陽光を見せるだけで姿はまだ隠れている。


「それじゃあ、城崎先生。俺はもう行きますね」


「あら、そう。意外と早いご帰宅なのね。もう少しいてくれてもいいのに」


「神崎にいち早くにでも会いに行きたいので」


「そう……。お幸せにね」


「先生も」


「次来る時は神崎も連れてきます」そう別れを告げ、保健室を後にした。

最後に見せた笑顔が消える瞬間を俺は見なかったことにした。



帰りのホームルームを終えた俺らは一緒に下駄箱へ向かい、学校の校門を抜けた。



「千秋くんさ、今日わたしの家に来ない?」


「別にいいけど、なんかあるの?」


「この間家族に、千秋くんと付き合えたんだって話したらお母さんはすごく喜んでたんだけど、カナは怒っててね。千秋くんを連れて来いって言うのよ」


「どうしてカナちゃんが怒ってるのさ。無意識に神崎が何かしたんじゃないのか?」


彼女はわざとらしく「はぁぁ……」と深いため息を吐き、呆然を含む細めでこちらを見てくる。


「ほんっとうに千秋くんは鈍感だね。ムカつくほどに」


「鈍感なのは自覚しているがそこまでではないだろ」


「いいや、千秋くんは異常だね、だいぶ」


彼女の言いたいことがまるで理解できない俺は不服そうに小首を傾げる。

そんな仕草を見て再び「はぁぁ……」と深いため息を吐く彼女。


「とにかく、千秋くんが来るまでカナの機嫌が治らないからできるなら今日来てもらいたいの」


「よく分からないが俺なんかで期限を治せるなら願ったり叶ったり」


「そう……これでようやく、カナの威圧からも解放か……」


肩を落とし、ほっと安堵する彼女にとある疑問が頭を駆け巡っていた。


「それでさ前からずっと気になってたんだけど、カナちゃんって一体何歳なの?」


「あれ?まだ言ってなかったっけ」


外見だけで推測するならば小一か小二といったところだろうが、以前にも言ったように我が校で『童顔』として有名なとある先生を知っている以上、もしかしたらということもなくわない。

そのため、雰囲気や口調、容姿に仕草、どの情報を得られたとしても、本人もしくは身内の証言ではなければ小一なのか小二なのかはたまた中学生なのか、本当の年齢を知る術も信じる術もない。

そうして今日、この時初めて彼女に問いかけた。

カナちゃんは一体何歳なのか、と。


「カナはね……」


ゴクリと固唾を呑んで謎の緊張感に襲われながら彼女の言葉を待つ。


「この前ちょうど誕生日を迎えて七歳になったばかりだよ」


「ってことは……小一?」


「そうだね。いつもランドセル背負いながらウキウキランランに登校してるよ」


「だよなぁ……やっぱりそうだよなぁ……」


「どうしたのさ急に」


「いいや、なんでも。こっちの話だ」


ここで実は中学生なんだと言われたら、ロケット並みに飛んで驚ける自信がある。

年齢が発覚したことよりも小一と推測通りの答えに安堵する反応は恐らく正しくないのであろう。

そのため、俺の反応を不思議に思った彼女は疑問符が浮かび上がりそうな表情を浮かべながらこちらに視線を向けていた。



他愛ない会話に興じているとあっという間に彼女自宅に到着した。

何度訪れても、何度目にしても、驚かさせる豪邸は恐らく延々と慣れることはないのだろう。

だけど変わったところもあり、以前よりかは僅かだが敷地に足を踏み入れるのに抵抗がなくなり、いちいち門扉の目の前で足を止めることもなくなった。

通学鞄から鍵を取りだし、ガチャと扉を開くと耳を澄ませていたのかと思わせるほどにドタドタと素早く玄関先にカナちゃんの姿が現れた。


「ただいま〜」


「お邪魔います。……ってカナちゃん久しぶりだーー」


勢いよく俺の方へ飛び込み、ギュッっと力強く抱きしめてくるカナちゃん。

小学生ということもあり、彼女と比較してもやはり力は弱々しい。


「どうした?」


見た感じ怒っているようには見えないのだが。


「……お兄ちゃんに叶えて欲しいことがあるのっ……」


「叶えて欲しいこと?俺に出来ることならなんでもするけど」


「…………」


俺とカナちゃんの会話を虚ろな瞳で眺めている彼女が不機嫌そうに唇を尖らせながら。


「ちょっとぉー?わたしを、この か の じょ を!蚊帳の外にしないでもらえますぅー?」


腰に手を当てながら前かがみに訴えてくる彼女。


「悪い、悪い。カナちゃん、続きは家の中で話そうか」


「うん……」


「はいはい、早く進んでくださーい!」


「なにも押さなくてもーー」


先を催促するように、というか俺とカナちゃんの会話を全力で遮断するように口を挟んでくる彼女。

背中を押されるがままにリビングへ案内され、相変わらずふかふかなソファーに腰を下ろす。

徐々に尻が沈んでいくこの感触はなんとも心地よい。


「それでカナちゃんの願いというのはなんだ?」


ソファーに座りなり早々に先程の会話を切り出す。

隣には若干顔を俯かせ、膝の上には小さな両手が握られ、訊かなくても容易に感情が読み取れてしまう。

キッチンに向かった彼女は冷蔵庫から飲み物を取りだし、お菓子をお盆に乗せ、時折こちらへ視線を向ける。


「お姉ちゃんと……こいびと?になったのはほんとぉ?」


「あ、あぁ本当だよ」


「……十八歳になったら結婚するってほんとぉ?」


「け、結婚!?」


予想の斜め上をいく言葉に度肝を抜かれ瞬時にキッチンにいる彼女へ視線を送る。

相変わらず嘘をつくのが下手な彼女はひゅーひゅーとできもしない口笛を披露しながら、不自然に視線を逸らした。


「おい、神崎。結婚ってなんだ。そんな予定俺は知らないぞ」


「それは……つい心の内に留めていた願いを口走っちゃったというか……。それに千秋くんもわたしと結婚したいって思ってるでしょ?」


「それは思っているが」


「思ってるんだ……ふ、ふぅーん……そう……」


「なんだよ」


「い、いやぁ?なんでもぉ?」


ここ最近一番の笑顔で、彼女と出会ってから初めての不気味な笑顔だった。

ふと、隣に座っているカナちゃんに視線を落とすと、そこには膝の上で握られた拳が更に力を増し、俯きながら瞳を潤わせ、下瞼には大粒の涙が溜まっていた。

少しでも衝撃を与えてしまえば容易く零れ落ちてしまいそうなほどに。


「ど、どうしたカナちゃん!?」


「…………っ」


ズズズと垂れてきそうな鼻水を啜りながら、歯を食いしばるカナちゃん。


「願い……叶えてくれる……?」


「あぁ、なんでも言ってみろ。カナちゃんの願いならなんでも叶えてやる」


そう言うと、カナちゃんは一秒も間を開けずに。


「……お姉ちゃんとお別れして!」


「お、お別れ?それはつまり?」


「カナの旦那さんになってほしいの!それで、それでカナがお兄ちゃんのお嫁さんになるの!」


顔をバッと上げ、両手をぶんぶんと振る様は至って真面目で俺の瞳を見つめてくる。


「カナちゃんの願いなら仕方ないよなぁ」


リビングでの飲み物を注いでいた彼女がガクッと身体を揺らし、ドタバタ時折転けそうになりながら一心不乱に俺の元へと駆けつける。

膝をつきながら俺の肩を前後左右に揺らし、まるで震度五並の地震を味わっているようだ。


「ううううううううううそだよね!?ねぇ、ねぇ!千秋くん!嘘って言って、言ってよ!!」


肩が取れるんじゃないかと思うほどに乱暴に揺らす彼女。


「うううそそそそだだだよよよ」


振動マシンに乗っているかのように声も震える。

「はぁ」と心底安堵した彼女は両手を止め、俺の胸に飛び込み、「よかったぁ……。本当に別れちゃうじゃないかって思ったよ……」と若干震えた声でそう言っていた。

なんだか申し訳ないことをしてしまったと胸が痛む。


「ごめんな神崎」


「許さないっ……。絶対に絶対絶対許さない。わたしをここまで悲しませたんだよ?人生で一番焦ったんだから……」


「本当にごめんて。なんとか許してくれないか?」


「許さないって言ったでしょっ……。でもそうね……唯一無許す方法があるとすればーー」


そうして彼女はメガホンのように手を口元に添え、耳を傾けると。

そっと囁くようにーーーー。


「……きす……してよ……」


「ききききっーー」


驚きのあまり彼女の言葉を復唱してしまいそうになると、咄嗟に彼女が俺の口を押えた。


「……ちょ……!それを言ったらまたカナが怒るでしょ……!」


「た、確かに……」


危なかったと心で呟きながらそっと胸を撫で下ろす。

そうして彼女の頭をポンポンと撫でながら、「……あとでな」と微笑むと「……絶対だよ……絶対だからね……」と何度も念入りをする。

俺らの会話をよく思わないカナちゃんは眉間に皺を寄せながら、じっとこちらを眺めていた。


「ごめんな、カナちゃん。その願いは叶えられそうにないや」


「ど、どうして……?」


「俺は神崎を…………いいや、芹奈を手放す気はないから」


その途端、目の前にいた彼女の頭からボンッと煙が出たように見えた。


「そっか……お兄ちゃんがそこまで言うなら……したか……ないよね」


「本当にごめんな」


徐々に顔を紅くしていく彼女は四つん這いになりながら俊敏に迫ってきて。


「な、ななななんか完全にスルーしてるけど、いいいいいま、せせせりなって!!」


「もう、俺ら付き合ってるんだし充分名前を呼べるような関係だろ?」


「そ、そうかもだけどそうじゃなくて!!どうして今!?急に!?」


「名前を呼ぶのに前置きとかないだろ。今呼びたくなったから呼んだそれだけだ」


そうして彼女をからかうように。


「芹奈」


「ボンッ」


再び爆発した。

畳み掛けるように言葉を重ねる。


「あれー?お姉ちゃん顔赤いよ、熱?」


「本当だな、熱みたいに赤いな」


「タコさんみたい!」


「なんで赤いのか聞いてみてよ」


「なんで顔赤いの?」


「もぉー!本当はわかってくるくせ!千秋くんの意地悪!」


ケラケラと笑う俺をぷくぅっと頬を膨らませながら睨む彼女はやっぱり可愛い。

そうして彼女をKOに引きずるかのように。

彼女に歩み寄りながら。

耳に口を近づけーー。


「ーーなぁ芹奈。ーー好きだよ」


「ボンッ」


「あぁー!お姉ちゃんが爆発したぁー!あっ!次は倒れたぁー!」


「おっかしぃー!」と心底楽しそうに笑うカナちゃんにつられて俺も再びケラケラと腹を抱えて笑う。

一生飽きないであろう、永遠と見ていてられる芹奈に俺は更に恋に落ちる。



俺らの高校生活は残り数年と少し。

きっと、長いようで短いあっという間な日々を芹奈と共に過ごしていくのだろう。

そしてこの先もこの身が朽ちても、芹奈の隣を歩んで、芹奈もまた俺の隣を歩んでくれる。

時には喧嘩をして。

時には笑いあって。

時には涙を流して。

時には恥ずかしあって。

時には互いの存在を認識させて。

数え切れないほどの思い出を作り上げていくんだろう。

そうして、なんの価値も見出さず、無気力に生きていた、モノクロのいっしょくたんの世界を芹奈は一瞬にして色付けてくれた。

何度だって『好きだ』と伝えよう。

何度だって『芹奈』とそう呼ぼう。

君の存在がどれだけ俺に希望を与えてくれたのか、伝えていこう。

一人では歩けなかった道も芹奈と二人なら、どこへまでも行けるような気がする。


ーーーー俺は君に逢えて、本当によかったよ。


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