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第四章

第四章


部屋の中央に置かれた長方形のローテーブルの上には透明なグラスに注がれたお茶がカランと氷の音色を奏でる。

窓が開かれ、網戸から入ってくるまだ若干肌寒いと感じる穏やかな風は室内の空気を循環するのと共に机の上で広げられたノートや参考書をパラパラとめくっていく。

涼風によって行われたページめくりという悪行を茶をたしなむ片手間に本来のページへと戻す。


「それでなんですが。いい加減そろそろ始めたいんですけど……」


「いいじゃない、もう少しくらい。私、日影くんのこともっと知りたいわ」


「は……はぁ、左様ですか……」


「えぇ。それでだけど、日影くんは今好きな子とかいるのかしら」


「好きな子…………ですか」


こんな勉強会とは何ら関係ない談話を繰り広げることとなった経緯は俺がこの自宅に訪れる前へと遡る。


ーーーー遡ること十三分前


昨日ぶりに再び訪れる、彼女の自宅。

二度目だというにも拘らず、規格外過ぎる豪邸さに思わず度肝を抜かす。

昼間頃に彼女宛から送られてきた『十三時半にわたしの家に集合!!』との一件のメッセージを受け取り、十三時半丁度に彼女の自宅前に到着した俺は今まさにインターフォンの目の前で呆然と立ち尽くしていた。

不可解な緊張感に襲われた俺は「ふぅぅ………」と深く深呼吸を繰り返し気持ちを切り替えた後、黒いインターフォンに指を伸ばす。


「はい」


「俺だが、神崎」


「あぁ……日影くんね」


日影……?

その呼び方に多少の違和感を覚えつつも、そのまま淡々と会話を続行させる。


「ちょっと待っててねー。今、開けるから」


「あっ……あぁ」


『日影』。その呼び名だけだというのにこれほどまでに一気によそよそしくなるものなのだなと、謎の関心を抱いているとまもなくガチャと音を鳴らしながら扉が開かれた。


「神崎。さっきの呼び方だがーー」


対面早々に呼び名変更の意図を問いただそうと質疑応答を試みたその時ーー。

俺の上半身を誰かの腕によって抱きしめられ、身体の機能を一瞬にして支配された。

何やら柔らかい感触に口元を塞がれ、発話することでさえ叶わない状況に陥る。

顔を動かせない以上、目線だけを動かし、その人物の面様を確認すると。


「……っ!?」


目線の先には全く見覚えのない女性の姿があり、『誰だ、この人!?』と内心、動揺しながら必死にその女性との距離感を確保するため身体を引き離そうと必死に試みるのだが、力強く固定されてしまっているため、そんな行動は見事無力化と散り、惨憺たる結末を迎えることとなった。

虚ろな表情で『本当になんなんだこの人……』と半ば放心状態で抱きしめられるがまま、ただひたすらに佇んでいると、家の中からドンドンドンと荒々しい足音を立てながら、安心感をもたらす声が飛んできた。


「ちょっとっー!お母さーん!なに千秋くんを抱き締めてるのよぉー!」


「……っ!?……ものこえは……かんらき?」


「千秋くん大丈夫?」


「……れんれん……だにみょうぶじゃらい。……いいから、たやく、なすけてくれ」


唯一、身体の機能を許された両手をぶらぶらと振り回しながら、必死に彼女へ助けを乞いう。


「……っパァ……!マジで死ぬかと思ったぁ」


もうすこし彼女が駆けつけるのが遅れていれば、間違いなく呼吸困難によって最期を遂げていたであろう。


「っていうか、さっきお母さんって」


「そうそう。この千秋くんを抱きしめてた人、わたしのお母さんなの」


パチンと勢いよく両手を合わせながら、「ほんっっとうにごめんね、千秋くん」と心底申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。


「なぜ抱きつかれたのか分からないが、別に神崎が悪いわけじゃないし気にするな」


「……んん!もぉー!千秋くんったら優しいんだからー!次はわたしが抱きついてもいい、いや、いいよねー!」


「それはやめろ」


「んぐっ……」


両手を大きく広げながら、ニコニコと満面な笑みで迫ってくる彼女に抵抗すべく、彼女の顔面を手のひらで押し返す。


「けちぃー。お母さんとはあんなに濃厚に抱きついてたのぃー」


「濃厚とか変な言い回しをするな。それにあれは不可抗力であって、自ら抱きしめたのではない」


フグのようにぷくっと頬を膨らませる彼女は唇を尖らせながら、分かりやすく拗ねる。

何が良くて、俺なんかと抱きつきたいと思うのか、本当に彼女はおかしな奴だ。


「それはそうと日影くん。ずっとあなたに会いたいと思っていたのよ」


「俺にですか?」


「えぇ、そうよ。たくさん聞きたいことも話したいこともあるのよ」


そして何か思いついたのか、パチンと両手を合わせながら、ピコンと電球が見えそうな閃いた顔つきで。


「今日こうして巡り会えのも何かの縁だわ。思う存分話しましょ!」


巡り会えたとか縁とか、そういう奇跡が生んだような類のものではなく。ただ単に俺がこの家に出向いたわけであって。

更に言ってしまえば、今日この時間帯でこの場所に招いたのだって彼女の手による一件のメッセージが起源であって、母親がいるのだって当然として知っていたはず。

だとするならば、彼女の策略によって俺と神崎母は偶然を装った鉢合わせを、神崎芹奈による意図的に行われた一連ということになるが。

だから、何かの縁とかでは断じてないのだが。

っていうかそんな推測を繰り広げているどころではなかった。

神崎母と会話に興じる以前に、俺と彼女には残された僅かな期間内で成し遂げなければならない方針がある。


「悪いんですが、えっと……神崎の母さん」


「彩花と呼んでもらっていいわよ」


「それじゃあ、彩花さん」


「まったくー、呼び捨てで構わないのに。彩花、ほら呼んでみて?」


「いや……彩花さん」


「違う違う!あ や か。ほら」


親子なだけあって、血縁関係の疑いようのないほどに彼女と彩花さんは類似している。

美しく可憐な容貌はもちろんのこと内面すらも、いや……詳細に言うなれば内面の扱い方が困難な部分とか。

率直に言えば、面倒くさいところなのだが。

まさに今、『さん』付けか『呼び捨て』かの、世界一くだらない論争を繰り広げている真っ只中で一向に会話が進まない。

区切りを付けるべく、分かりやすく「ごほんっ」と咳払いをし、無理やりにでも本題の通る道をこじ開ける。


「彩花さん。話したいのは山々なんですが、俺と神崎は今日、勉強会をーー」


「それはいい提案だよ、お母さん!」


「お、おい……。俺の言葉にわりーー」


「ほらほら、こんなところで立ち話もなんだし、家に入ってソファーに座りながらゆったり話そうよ。ねっ、ねっ?」


「それもそうだわ。お客様を玄関先でお引き留めするなど失礼だものね」


「いや、だから重要なのはそこじゃなくて」


「ほらほら、そんなよく分からないこと言ってないで千秋くん」


彼女は俺の背中をぐっぐっと押しながら、家の中へと導いて行く。

俺の言葉をとことん遮ってくる彼女の企みなど、容易に推測が出来る。

というか実際に昨日、こうなるであろう会話をしていたからな。

どうせ、テスト勉強をしたくないといった定番な理由故に意地でも俺の思考から『勉強』に該当する類のものを排除しようと企んでいるのであろうが。

そもそもの話。勉強会を催したのだってどこの誰でもない彼女自身の行動であり、俺からの申し出はない。

拒否したらその場で殺されてしまいそうな殺意をむき出しにし教えを乞うていたから。そんな必死な彼女に免じで仕方がなく、自分の勉強時間を削ってまで講師に就いているにも拘わらず、更に貴重な時間を浪費するとは何たる悪行だ。

今すぐにでも、帰ってもいいのだけれど。



そんなこんなんで今に至るわけだが。

一向に彩花さんからの話題提供が底を尽きることはなく、今もこうして会話に興じている。


「それでどうなの、好きな子。いるの?いないの?」


「別にいないですけど。恋愛とかの類はさほど興味がないというか」


「あらそうなの?なら、芹奈なんてどうかしら」


今、恋愛に興味がないと言ったばかりだというのに、瞬時に自分の娘を差し出すあたり、本当に彼女と似ているというかなんというか。


「ちょっ!お母さん!」


「この子、私に似て顔も可愛いし。スタイルだって文句なしの完璧よ」


自画自賛を何の躊躇いなく口にしてしまうところとかも、やはりこの二人は紛れもなく親子だ。


「どうかしら。日影くんにならこの子の旦那さんとして相応しい男性だと思うし。なんの迷いもないわ」


「神崎を……ですか」


そんな時、彼女と視線が交わった。

気恥しさのさいか、不自然に視線を逸らす彼女は微かに頬を赤らめていた。

機嫌を損なわせてしまったのか、彼女は唇を尖らせながら。


「なによ」


「ただ、俺がよくても神崎の方は嫌だと思いますよ。相応しいだなんて言葉、俺なんかには身の丈に合いませんよ」


「あら、そうなの?私はそうーー」


「そんなことないよっ!!」


彩花さんの言葉を遮り、食い気味に声を張上げ、先程の俺の発言を正面から否定した。

机越しに身体を乗り出して、そのせいで俺と彼女との顔の距離が更に近くなり、思わず後ろへと上体を傾ける。

こんな全てにおいて底辺としか言いようのない俺と結ばれるなど、断固として拒否するのが普通だと、そして彼女もそう応えると俺は思っていたから。

けれど彼女は、そんな憶測を瞬時に否定し、身体を乗り出すほどの真剣さに俺は思わず驚きを隠せずにいた。


「身の丈に合わないなんてそんなこと絶対にないよ!!千秋くんになら……」


そして彼女は「……ハッ」と焦ったように口元に手を当て、我に返る。


「いや……その、ごめん。急に大きな声出して。少し千秋くんの言葉に納得出来なくて」


「いいよ別に」


「でも私も芹奈に同感だわ。日影くん、髪の毛を切って髪型を整えればそこらの男性よりも遥かにかっこいいと思うわ」


「そんなお世辞……」


「お世辞じゃないわ。本当にそう思うのよ」


至って真面目な眼差しでじっと俺の瞳を見つめてくる彩花さん。

確かに虚言を口にしているとは到底思えない。



「周りの人から言われてこなかった?かっこいいって」


「そんなの言われて…………」


「どうやら心当たりがあるようね」


改めて思い返してみれば、中学生時代は確かに女子生徒からの視線や「かっこいい」「タイプかも」といった言葉を耳にする機会が多かっと言えば多かったような気がする。

でもあくまでも気がしただけで、あの時ももちろん今も俺に対する言葉とは思っていない。

でもまぁ。中学生時代は今とまるで違って前髪も目に掛からない程度の長さで友人と呼べる人もいた。

そう考えると、今と比較すれば多少印象も緩和されていたのかもしれない。

今ときては『死神』といったあだ名を命名されるほどの人材なんだが。


「それなら、告白されたことも多いいんじゃないかしら」


「別に多くはないですよ」


「その言い方から察するに、されたことはあるのね」


「あっ。 いやまぁ、何人かには……」


「ちょちょちょっー!待って待って!なにそれ初耳なんだげどぉー!」


眉尻を吊り上げながら目を見開き、口を大きく開けながら再び机越しに身を乗り出してくる。

別に反応を誘ったわけではないのだけれど、これほどまでに驚かれるとは流石に予想していなかった。


「まぁ、そりゃあ言ってないからな」


「なんでよぉー!わたしと千秋くんの仲じゃない!」


「いちいち、教えるようなことでもないだろ。それに、中学生の頃の話だ。高校生になってから一人からも告白はされてない」


「高校生になってから?それは本当に本当?」


「ここで嘘をついてどうなるんだよ」


「それもそっか」


「……そうなんだ。今はまだ誰も」ボソリとそんなことを呟く彼女。

その言葉の意図を汲み取ることは出来なかったが、表情を見る限りではなぜだか彼女は安堵したように口角の端を緩めていた。

純粋無垢な子供のように喜怒哀楽を自由に表現させる百面相の彼女を一生眺めていても飽きることはないだろう。

表情筋を失ったと言われたことのある俺からすれば、尊敬に値する存在なのかもしれない。


「それはそうと。日影くんは何か用事があって、今日ここにいらっしゃったのではなくて?」


「あっ、そうだった」


彩花さんからの言葉に気づかされたが、談話に興じ過ぎて本来の目的をすっかり忘れていた。

今はこんなことをしている場合ではなく、重要な務めをこなさなければならない。


「神崎……お前何してんだ……」


何かよからぬ事が起こると察知したのか、彼女は腰を落とした状態で四つん這い歩きでその場を去ろうとしていた。


「いやぁ……その……大事な用事を思い出したと言いますかぁ」


「お前の言うその大事な用事とは、当然テスト勉強だという認識でいいんだよな?」


「千秋くん、目が……目が怖いって」


両手のひらを俺の方へ向けるよにかざして、俺からの鋭く情熱の帯びた眼差しを遮る。


「勉強を教えてくれって神崎が言い出したんだ。約束を交わした以上果たさないわけにはいかない」


「もぉー……こういう時に限って千秋くんは誠実なんだから」


『こういう時に限っては余計だろ』と突っ込みたい衝動へと駆られたが、ここで口を挟めば再び論点がずれかねないと判断し、喉元まで出かかった言葉をグッと堪える。


「そうですよ、芹奈。日影くんは自分の時間を削ってまで、あなたとの勉強会を選んでくれた。その恩を行動で示さなくてどうするの」


「お母さんまで千秋くんに感化されちゃってー」


彩花さんは「それに……」と言葉を重ね、彼女の瞳をしっと見つめる。


「私はなにも、学年のトップに躍り出るほどの優れた成績を取りなさいと言っているわけじゃないの。ただ、最低限の知識は身につけなさいとそう言っているの」


そして彩花さんは彼女に一秒たりとも発言の権利をさせまいと言うかのように、彼女の精神に畳み掛けた。


「勉強をせずにテストに挑んだりしたら、許さないわよ」


「あっ……はい」


先程まで温厚篤実という名に相応しいほどの静穏な風貌を保ってた彩花さんだが、そう言葉にしたその時だけ頑固な彼女をも正してしまう威圧を纏っていた。

流石の彼女も彩花さんの異様な威圧と真正面からの言葉には懲りたのか、逃げ腰だった姿勢を瞬時に背筋を伸ばした正座へと豹変させた。


「それでは日影くん。色々と苦労を掛けてしまうと思うけど、どうか芹奈をよろしくお願いします」


改まってぺこりと頭を下げる彩花さんの姿にわかりやすく動揺の色を隠せずにいる俺は、「は、はいっ」と途切れ途切れの返事をした。


「じゃあ千秋くん、わたしの部屋に来て」


「ようやく、勉強をしてくれる気になったか」


「一応言っておくけど、なるべく……いや絶対、お手柔らかに頼むよ」


「それはお前次第だ。真面目にやれば俺も厳しくは言わないからよ」


なんとかテスト勉強への意欲を示してくれたようだが、気乗りしないでいる様子は未だに健在でズルズルと足枷を付けているかの如く重たい足取りで自室へと向かっていく彼女。

でもまぁ。あれほどまでに勉強に嫌悪感を抱いていた彼女が机に向き合おうとしている時点で、ほんの僅かだが一歩前へと確かに前進している。

それがなんだか嬉しくて、彼女とはまるで対照的に俺の勉強会への意欲は向上をし続けていた。



それからもいうものの、まともに机と向き合ったところまでは順調だったのだが、勉強会を始めるなり、一〇分経過したら五分間の休憩を挟むといった何たる非効率な業務を無理やり実行させられた始末で。

「たった一〇分しか勉強をしてないのに、休憩を入れるのはおかしい」と至って正常な異論を述べると「全然普通ですぅー。おかしいのはどっちですかぁー。このスパルタきょうしぃー!」といった、よくもまぁそこまで相手をイラつかせる言葉を一秒の間も開けずに続けざまに言えるもんだなと、ある意味特技として認識していいのではないかと思わざるを得ない。

そんなバカバカしいとしか言いようのない論争を繰り広げながらも、順調……と言えるような経過を辿ったようには到底思えないが、それでも俺は出来る限りの手は尽くしたつもりだし、彼女自身もなけなしの意欲を振り絞ってテスト勉強と向き合っていた。

テスト初日まで僅かな期限しか残されていない事実をようやく自覚したのか。追い詰められた時にこそ覚醒する、まるでアニメキャラのような特殊能力を発揮したのか。

とにかく理由はどうでもいいが、普段の彼女とは打って変わった必死さに今日起こった数々の醜態は目を瞑ることとした。



一日一日のなけなしの時間を。たとえ、一分だろうが一秒だろうが決して無駄に出来ない俺たちは帰宅後の勉強会だけではなく、授業終わりの昼休みの合間を縫って机を合わせてテスト範囲を予習した。

当然、昼食時も怠らず。

普段ならば長く感じる二十四時間も彼女との勉強会が開始したこの期間の間は異様に短く感じた。

一〇分が五分のように。一分が三十秒のように。

そんなこんなで無事定期考査を乗り越えた俺たちは彼女の自室で今日返却されたテスト用紙を用意し、表側を机に伏せた状態で得点披露会を開催する準備を済ませていた、

二人してゴクリと固唾を呑み、緊張故に強ばった顔で見つめ合うと、意を決して彼女が口を開いた。


「千秋くん……。準備はいい……」


「あぁ……いつでも」


「それじゃあ、初めは……国語から」


ローテーブルの上に置かれた複数枚のテスト用紙の中から国語の紙先を掴み、裏返す準備をする。


「せーっの!」


「せーっの」


俺たちは息を合わせて掛け声をし、バンッと鈍い音を鳴らしながらテスト用紙を裏返す。


「…………っ!!」


口をあわあわとさせながら、大きな瞳を無邪気な子供のように煌めかせ、俊敏に手招きをしてくる彼女。

その仕草と表情から、「見て見て!」と伝えたいのであろうと容易に理解できる。


「千秋くん!六十三点!六十三点だよ!」


「意外と高得点じゃないか」


心底嬉々した表情で「……ん〜っ!」と感嘆の声を漏らしながら、テスト用紙をギュッと握っていた。


「平均点て確か五十七だったよな?」


「うんうん!赤点回避出来れば上出来って思ってたけど、平均点以上取れるとは思ってなかったから」


「俺も赤点回避に重点を置いてたから、まさか平均以上とは……」


「ねぇねぇ、千秋くんは?千秋くんは何点だった?」


「ちょっ……、そんな近寄らなくても見せるから」


床に手を付きながらトコトコと身体を寄せて、片手に持っているテスト用紙を覗き込んでくる。

彼女との距離が近くなって。

鼻腔を刺激させる甘いシャンプーの香り。

長い睫毛に丸々とした大きな瞳。

艶を帯び形の整った桜色の唇。

鼻筋の通った綺麗な鼻梁。

普段あまり意識を向けていなかった彼女の細かな容姿がより一層に注目視され、改めて美しいと感化される。

突然の行動に言葉を失っていると、彼女が不審に思ったのか「ん?」と上目遣いに視線が交わる。

それと同時に俺との距離が近いことに気がついたのか、徐々に頬を紅潮とさせながら「ご、ごめん……」と気恥しそうに横移動する彼女。

多少の沈黙が流れ、そわそわと落ち着きのなさを示す空間で先に口を開いたのは俺だった。


「あぁ……そういえば、俺の番だったな」


「う、うんうん!そうだよ」


片手に持っていたテスト用紙の表を彼女に見せながら。


「七十四だった」


「えっ、えっ!?七十四!?」


「あ、あぁ。そう言ったが」


予想の範疇を超えていたのか、彼女は大袈裟に驚きながら、俺の手からテスト用紙を奪った。


「本当だ……七十四だ……。わたしなんか六十三点で喜んでたのに」


「そんなに落ち込まなくたって、神崎の点も充分高いだろ」


「そう……なのかな」


「それに俺は神崎よりも早く勉強してたし、お前よりも高いのは普通というか」


逆に言ってしまえば、彼女よりも早く勉学に時間を費やしていたにも拘わらず、九点の差しかつけられていないのは、地頭は彼女の方が段違いに優れているという証明となるであろう。

俺のテスト用紙を目にした以降、わかりやすく落ち込んでいる彼女に対して。


「たった数日しかテスト勉強してないのに、それだけ取れたら上出来だと思うよ」


「千秋くん……」


「俺と同時期に勉強を始めていれば、きっと俺なんか置き去りにしてたよ」


「もしかして……励ましてくれてるの?」


「そんな大それたもんじゃないさ。ただ、事実を言っているだけで」


ここ何年、友人と呼べるような親しい存在もいなければ、恋人のようなより親密な相手なんかも当然としていなかった。

だから、誰かを励ますなんて行為をしたことすらなかった俺は、今の彼女にどんな言葉を掛けてあげればいいのかなんて分かりそうになかった。

今の自分に出来ることは、せいぜい相手が気がつけていない事実を教えてあげるだけで、それ以上のものは到底示せない。

だけと、俺の言った言葉に彼女はお気に召したようでニッコリと屈託のない笑みを向けながら。


「千秋くんはやっぱり優しいね。普通の優しさとは違う。なんか……こぉ……」



「ん〜」と唸り声を漏らしながら、彼女は言葉を重ねた。


「千秋くんは気づいてないみたいだけど、あなたの言葉には励ますなんかよりも、もっとすごい力があるんだよ」


「すごい力……?俺は超能力者じゃないし、そんな力はないと思うが」


「そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ」


「それなら、どういうーー」


「それじゃあ、次行こー!次!」


不自然に話題転換をした彼女だが、俺にはその『すごい力』というのも、俺の言葉を遮るかのように口を挟んだ意図も何もかもが分からなかった。


「数学は四十二点……」


「英語は五十四点。んー、まぁ……セーフかな」


「科学は……三十六点……か。赤点ギリギリだぁー。危なかったぁ……」


「そして最後は現代社会。これは自身あるんだー!ほらやっぱり!八十八点!」


ほとんどの教科はまるっきしダメにも拘わらず、なぜだが現代社会だけは他の生徒と比較しても決して劣らない頭脳を持ち合わせていた。

そのため勉強会の際、現代社会を習得する時だけは講師と生徒の立場が逆転し、俺が彼女に教えを乞う形となっていた。

一枚一枚、テストの得点を目にする度に百面相の如く、表情をコロコロと変化させてみせる彼女は俺の瞳にはとても愛らしく映り、どれだけ眺めていても一向に飽きる気配など感じなかった。

彼女の事をそんな風に思ってしまうのは、俺が神崎芹奈をーーーー。

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