表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

〇 任那四県の割譲


 継体天皇は511年に宮を山背(やましろ)筒城宮(つつきのみや)に遷しています。

 512年には百済が任那四県の割譲を要求しました。大伴金村は百済の要求を受け入れるように進言します。

 任那四県を割譲した見返りに百済は五経博士を来日させました。これが儒教伝来と言われています。



 □ 511年 宮を山背(やましろ)筒城宮(つつきのみや)に遷した。

 □ 512年 百済に任那四県を割譲した。

 □ 513年 五経博士が来日した。




――511年に山背国へ遷都しています。



継体(けいたい)「ワシは田舎の豪族じゃったからのぉ。河内周辺の大豪族への挨拶が一通り終わったんで、大和国へ近いところに宮を遷したんじゃ」



――朝鮮半島情勢について少し解説します。雄略天皇の時代には朝鮮半島南部はヤマト政権の支配下でした。新羅は反抗的でしたが、何度も攻め込んで屈服させていましたし、百済は高句麗に滅ぼされかけたのを雄略天皇が復興させたので頭が上がりません。任那(伽耶諸国)は強いヤマト政権の従属国のようなものでした。宋に冊封されて大将軍に認められてもいます。しかし、雄略天皇の崩御後に状況が変わりました。清寧天皇・飯豊天皇・仁賢天皇と在位期間が短い大王が続き乱も何度か起きて正統から遠い継体天皇が即位したからです。ヤマト政権の朝鮮半島への影響力は二十年ほどで激しく低下したのです。



大伴金村(おおとものかなむら)「任那の人々の意識も変わってます」



――と言いますと?



大伴金村(おおとものかなむら)「応神天皇の時代の朝鮮半島南部には倭人が住んでいて九州の人々と同じ民族・同じ文化としてヤマト政権の朝鮮半島南部支配に協力的でした。しかし、それから百年が経つと倭人と韓人との混血や大陸文化の流入で民族として変質しました。彼らは既にヤマトの人々との同族意識はなく百済や新羅の人々に対して親近感を持っています」



――遠くの親戚より近くの他人。海を隔てた土地を支配するのは困難ですね。



継体(けいたい)「高句麗に押された百済が南下して任那に進出しているという話があってのぉ。任那や九州に来た百済難民を百済に追い返すという政策もしておるのじゃが………」



大伴金村(おおとものかなむら)「任那の西側で百済南部のかつて馬韓と呼ばれていた地域には多くの百済民が流れ込み同化してしいました。百済はその地域の割譲を要求して来たのです」



――百済が要求して来た地域は任那四県と呼ばれています。状況だけ見るとロシアとウクライナとクリミア半島みたいな状態ですね。



大伴金村(おおとものかなむら)「今のヤマト政権には朝鮮に出兵する余裕はない。百済が実効支配しているような状況でしたから百済に割譲するように進言しました」



継体(けいたい)「ただで譲るのはもったいないから金村にいろいろ条件つけるように命じたのじゃ」



――任那四県は鉄の産地でヤマト政権の影響を強く受けていたところです。六世紀初頭に前方後円墳が造営された跡があるくらいです。大伴金村は鉄資源をヤマトに優遇して輸出するように条件を出しました。



継体(けいたい)「百済への使者に物部麁鹿火を送ろうとしたのじゃが、麁鹿火が急な病での」



大伴金村(おおとものかなむら)「仮病ですね」



継体(けいたい)「ワシの息子の勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)も大反対していたようじゃ」



――任那四県の割譲は強硬されました。翌年にその返礼として百済から五経博士が来日します。五経博士とは儒家の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を教えることの出来る学者のことです。儒教とその経典については応神天皇の頃から渡来人によって伝えられていますが、それを極めた学者が来日するのは初めてで五経博士の来日を持って儒教伝来とする説もあります。



継体(けいたい)「五経博士は単なる学問の博士ではなく大陸の最新の技術を伝える役割もあるのじゃ。ヤマトには医術、建築、養蚕、製鉄の知識のアップデートが必要じゃの」



――来日した百済の役人は更に任那二県の割譲を要求しました。割譲された任那四県と百済の途中にある小国ですね。ただ、これらの地域と密接な関係にあった伽耶諸国は百済への割譲を拒否してヤマト政権に訴えています。



大伴金村(おおとものかなむら)「群臣に相談したところ百済に割譲することになりました」



継体(けいたい)「百済からの見返りが良かったからの。金村が惜しみなく皆に利益を分配したおかげじゃの」



大伴金村(おおとものかなむら)「利益の分配は政治家の仕事です」



継体(けいたい)「大伴氏はずいぶんと財を溜め込んだようじゃがの」



大伴金村(おおとものかなむら)「ノーコメントで」



――北方を高句麗の脅威にさらされていた百済は南方の任那を併合することで国力を回復させました。これは百済が高句麗への緩衝地帯となって欲しいヤマト政権の思惑とも合致しています。ですが、これに対して伽耶諸国の一部が反発しています。伽耶地方北部の加羅国が周辺諸国をまとめて大加羅連合として新羅と接近してヤマト政権と対立する動きを見せ始めました。



継体(けいたい)「これは予想外じゃ。朝鮮半島での影響力の低下が顕著になってきたわい」



――ここら辺りでスポットゲストの大伴金村の出番は終了です。ありがとうございました。






 〇 継体天皇大和国入り


 継体天皇は518年に山背(やましろ)弟国宮(おとくにのみや)へ526年に大和国磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に宮を遷しました。

 506年に河内国で即位してから二十一年目にしてようやく大和国入りを果たしたのです。


 □ 518年 弟国宮へ遷都

 □ 526年 磐余玉穂宮へ遷都




――518年に山背(やましろ)弟国宮(おとくにのみや)へ宮を遷しています。



継体(けいたい)「その前に重要な出来事が大和国で起きたのじゃ」



――なんでしょう?



継体(けいたい)小泊瀬稚鷦鷯尊おはつせのわかさざきのみこと――――後世で武烈天皇を追号されることになる皇子が齢十八で後継者をもうけずに亡くなったのじゃ」



――あっ………即位出来なかったんですね。後継者がいないとなると皇統は継体天皇の血筋に変わります。



継体(けいたい)「仁賢天皇の血筋とワシの血筋を引く皇子が正統な大王の一族となるじゃろうな。幸いにもワシと手白香皇女(たしらかのひめみこ)の間に皇子(志帰嶋皇子(しきしまのみこ))が生まれておる。また、手白香皇女の妹らがワシの息子たちに嫁いだ。息子らに子が出来れば正統な大王の一族となる」



――それならなぜ大和国入りせずに山背国内での遷都になったのでしょう?



継体(けいたい)「さての、金村に聞けばよかろう。あっ、もう帰ったか。大和国は後継者が死んで葛城氏やら蘇我氏が大揉めしていて危ないから近寄らないようにした方がいいと聞いたぞ」



――はぁ………その後の526年に大和国磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に宮を遷したのはなぜでしょう?



継体(けいたい)「朝鮮半島情勢が逼迫しておっての。諸国一致体制でことにあたるために大和国の豪族らと協調する必要があったのじゃ。ちょうど大和国がまとまったようじゃったからの。蘇我氏の新しい当主が有能な奴で大和国を統一してワシの軍門に下ったのじゃ。名を………蘇我稲目(そがのいなめ)とか言っておったの」






 〇 磐井の乱


 任那日本府のある金官伽耶国が新羅に攻められて危機に陥っていました。

 継体天皇は救援の為にヤマト軍を派遣しようとしますが、筑紫国磐井が新羅と組んで反乱を起こしました。磐井の乱です。

 継体天皇は物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を将軍として九州に派遣すると磐井の乱を鎮圧させました。



 □ 527年 磐井の乱

 □ 528年 物部麁鹿火が磐井を討伐する




――磐井の乱についての話題をしますので、スポットゲストに物部麁鹿火を呼びました。



物部麁鹿火(もののべのあらかひ)(以下「麁鹿火(あらかひ)」)「呼ばれました」



継体(けいたい)「朝鮮半島情勢のことからやった方がいいのではないかの。麁鹿火は少し待っとれ」



麁鹿火(あらかひ)「はい」



――百済に任那の西側の一部を割譲したことにより任那北部の加羅が大加羅連合を組んで百済と対立してヤマト政権からの自立を目指します。その際に新羅との同盟を模索していました。ですが、大加羅と新羅の間で揉めて大加羅が新羅に攻められます。それで大加羅はヤマト政権に救援を求めました。



継体(けいたい)「節操がないのぉ」



――百済は大加羅と揉めていてヤマト政権に援軍を求めています。



継体(けいたい)「揉めてる双方から援軍要請とは世も末じゃ」



――新羅は大加羅と百済と揉めている隙に金官伽耶国に攻め入りました。金官伽耶国は朝鮮半島南端の港町で任那日本府がある国です。ヤマト政権の朝鮮半島における橋頭保(きょうとうほ)です。金官伽耶国はヤマト政権に救援を求めて来ました。



継体(けいたい)「これは無視出来ぬの。そういうわけで朝鮮半島に新羅討伐軍を送ることになったのじゃ。ヤマト軍を率いるのは近江毛野(おうみのけな)じゃ」



――近江毛野は六万の軍勢を率いて九州に入り、筑紫の国造(くにのみやつこ)の磐井に協力を求めますが、新羅に買収されていた磐井は近江毛野を攻撃します。近江毛野は磐井にやられて大和に逃げ帰って来ました。



継体(けいたい)「六万は盛ってるのぉ。多くて数千じゃろうに」



麁鹿火(あらかひ)「近江毛野は若い頃に磐井と共に仁賢天皇の舎人(とねり)として働いていたそうです。それで油断していたようですね」



――説明しましょう。舎人(とねり)とは皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者です。地方豪族はヤマト政権に子弟を舎人として仕えさせることで主従関係を築いていました。ですが、磐井は筑紫に戻り国造となるとヤマト政権に舎人を送らず半独立状態となりました。



継体(けいたい)「磐井はヤマト政権とは独立した外交・交易をしていたようじゃ。九州の豪族じゃから新羅との関係も深く、新羅征伐をするから支援しろと言われて反乱をしたというところじゃろうな」



――九州が半ば独立国化しましたので朝鮮半島に兵を送ることは不可能になりました。磐井を征伐しないと金官伽耶国へ援軍を送ることも出来ません。群臣らの協議で物部麁鹿火を将軍として磐井征伐に送ることが決定しました。



継体(けいたい)「大伴金村や許勢男人の進言を取り入れたんじゃ」



麁鹿火(あらかひ)「征討将軍に任じられて、大王から筑紫以西の統治を委任されました」



継体(けいたい)「九州は遠いからの。筑紫を制圧した後は自由に差配してもらった方が混乱せずにええ。遠征軍の将軍には遠征先の政治的権限が全権委任されるのが普通じゃ」



――幕府が東国を統治する理由にも使われました。



麁鹿火(あらかひ)「毛野が大敗したのでしばらく兵を集めらず出発まで時間がかかってしまった。一年後に兵を集めて筑紫の磐井と対決しました」



――磐井は九州の豪族を集めて決戦を挑んだようですね。



麁鹿火(あらかひ)「ああ、磐井は新羅との交易で資金豊富で兵を多く集めていた。乱を起こす前から筑紫では強大な権力を持っていて大王に匹敵するほどの(みささぎ)を造営していたほどだ」



――岩戸山古墳(いわとやまこふん)が磐井の墓と言われています。九州で最大級の古墳ですね。



麁鹿火(あらかひ)「だが、一戦してこちらが勝利すると奴らの軍は散り散りになった。ヤマト軍の方が有利と見ると磐井は見限られたようだ。逃亡した磐井を捕えて首を刎ねた。磐井の息子は降伏したので屯倉を差し出させることで罪を減じた」



――これで筑紫の乱は終結したわけですが、新羅征伐の方はどうなりましたか?



麁鹿火(あらかひ)「戦後処理があったので、近江毛野を百済・新羅・大加羅との交渉役として朝鮮に派遣した」






 〇 継体天皇崩御


 近江毛野は朝鮮半島に渡ります、新羅や百済との交渉に失敗します。

 朝鮮半島では戦が再開されてヤマト政権に不利な状況となりました。

 継体天皇は失敗した近江毛野を大和に呼び戻そうとしますが、近江毛野は帰国途中に対馬で病死します。

 それから間もなく朝鮮半島情勢が不穏な状態のままで継体天皇は崩御しました。



 □ 530年 近江毛野が対馬で病死

 □ 531年 継体天皇崩御




――磐井の乱の終結後に近江毛野は金官伽耶国へ渡りますが、百済や新羅の使者を身分が低いからと追い返します。新羅が大臣クラスを外交の使者として送って来ますが、護衛として軍勢を連れて来たので砦に籠って応対しませんでした。それにブチ切れた新羅は侵攻を再開します。



継体(けいたい)「ホント、酷いの」



麁鹿火(あらかひ)「毛野は問題なしと報告してたので………」



――百済も近江毛野と話は出来ないと大加羅との戦闘を再開。ヤマト政権に毛野糾弾の使者を送ります。遅ればせながら近江毛野の暴挙を知った継体天皇と大伴金村は近江毛野を解任して大和へ呼び出しますが、帰国途中で病死しました。



継体(けいたい)「朝鮮半島を更なる混乱に陥れて死んでもうた。そもそも磐井の乱も近江毛野が被害を拡大させた面もあるしの」



麁鹿火(あらかひ)「管理不行き届きで申し訳なく………」



――近江毛野が死んだのは530年。その翌年の531年に継体天皇は崩御されました。



継体(けいたい)「ワシの出番はここで終わりじゃの。後継者としてはひとまず長男の勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)を指名しておいたわい。仁賢天皇の血を引く志帰嶋皇子(しきしまのみこ)が血筋的には正統じゃが、まだ若すぎるからの」



麁鹿火(あらかひ)「大王の選定は前の大王が崩御後に群臣たちの会議により決まります。前大王の遺言も考慮されますが、絶対ではありません」



継体(けいたい)「と、いうわけでワシの後に誰が大王なったのかは次回を期待して待つのじゃ!」



麁鹿火(あらかひ)「これでこの小説は終わりですが………」



――メタ発言が出たところで本日のインタビューはこれにて終了させていただきます。本日はありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ