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前編

 〇 清寧(せいねい)天皇即位


 応神天皇の五世孫である男大迹王(おほどのおおきみ)(後の継体(けいたい)天皇)は近江国で生まれました。

 幼くして父を亡くしたので母の故郷の越前国で育てられ、成人すると越前地方を統治する王となります。


 その頃の中央では雄略(ゆうりゃく)天皇がヤマト政権の中央集権化を進めていました。

 雄略天皇が崩御すると星川皇子(ほしかわのみこ)が反乱を起こします。

 白髪皇子(しらかのみこ)大伴室屋(おおとものむろや)に命じて討伐させると、即位して清寧(せいねい)天皇となりました。



 □ 460年頃 継体天皇が生まれる

 □ 485年頃

 ・雄略天皇が崩御する

 ・星川皇子の乱

 ・清寧天皇が即位する



 雄略天皇 ┬ 磐城皇子(いわきのみこ)

      │

      ├ 星川皇子(ほしかわのみこ)

      │              

      ├ 清寧(せいねい)天皇

      │

      └ 春日大娘(かすがのおおいらつめ)皇女




――本日はヤマト政権の大王の継体(けいたい)天皇に話を伺います。



継体(けいたい)天皇(以下「継体(けいたい)」)「よろしくの」



――継体天皇は西暦450年頃に近江国で生まれたとされていますが。



継体(けいたい)「日本書紀に允恭天皇39年生まれと書かれてるようじゃが、今回の設定じゃと西暦460年頃じゃの。古事記だと485年生まれとなっとるようじゃが、記紀で大きくズレるのは困るのぉ」



――雄略天皇が崩御した後に星川皇子の乱が起こりました。雄略天皇には三人の皇子がいましたが、末弟の白髪皇子は生来白髪で神秘的だったので後継者にしたと言われてます。それに不満を持った星川皇子が雄略天皇崩御後に挙兵したわけです。



継体(けいたい)「大王は群臣の推挙で決まるから後継者指名とは言っても決定ではなのじゃ。継体天皇崩御後に二人の支持者が互いに争ったということじゃの。星川皇子の母は吉備氏で白髪皇子の母は葛城氏じゃ。どちらも雄略天皇に討伐されて没落したかつての大豪族じゃな」



――白髪皇子は大伴室屋に命じて星川皇子を討たせました。雄略天皇の時代に台頭してきた新興勢力の大伴氏がついた方が勝利したと考えられます。



継体(けいたい)「そうじゃな。吉備氏のような従来の大豪族は衰退して、大王に近い大伴氏のような新興勢力が台頭して来たというわけじゃ」



――即位した清寧天皇は子供がおらず五年で崩御しました。雄略天皇の直系の男子はこれで断絶しています」



継体(けいたい)「清寧天皇はアルビノだったようじゃ。アルビノは生まれつき色素が薄く白髪なのじゃが、体があまり丈夫ではないらしいの」






 〇 飯豊(いいとよ)天皇、顕宗(けんぞう)天皇、仁賢(にんけん)天皇


 清寧(せいねい)天皇が崩御した後に従姉妹で履中(りちゅう)天皇皇女の飯豊青皇女いいとよあおのひめみこが執政を取りました。

 そこへ彼女の甥である億計(おけ)弘計(おけ)の兄弟が大和に帰って来たのです。

 二人の父の市辺押磐皇子いちのへのおしはのみこは雄略天皇が即位する前の眉輪王(まゆわのおおきみ)の変の時に、どさくさに紛れて雄略天皇に誅殺されていました。二人は雄略天皇から逃れて潜伏していたです。

 飯豊青皇女は二人を皇族に復帰させます。弘計は即位して顕宗(けんぞう)天皇となりました。

 顕宗天皇は即位三年で崩御しましたので、億計が後を継いで即位して仁賢(にんけん)天皇となりました。


 □ 490年頃 顕宗天皇が即位する。

 □ 495年頃 仁賢天皇が即位する。

 




――清寧天皇が崩御した後に飯豊青皇女が称制(しょうせい)(即位せずに政務を取ること)を行いました。



継体(けいたい)「大王に即位したようじゃぞ」



――えっ?



継体(けいたい)「即位して日本史で初の女性天皇となったぞ。飯豊天皇じゃな。億計(おけ)弘計(おけ)を王家にオッケーにしてからすぐに崩御したのじゃ」



――それが言いたいだけでは?



継体(けいたい)「大ウケじゃなw」



――飯豊天皇は即位十ヶ月ほで崩御しました。弘計王(おけのみこ)が即位して顕宗天皇となります。弟の方が即位したんですね。顕宗天皇は即位三年で崩御したので、億計が後を継いで即位して仁賢(にんけん)天皇となります。



継体(けいたい)「兄ではなく弟が即位とは顕宗天皇は怪しいの」



――皇位を譲り合ったと聞きます。仁徳天皇のエピソードとそっくりですが。



継体(けいたい)「越前にいたワシには本当のところは分からんが、仁賢天皇がすぐに即位したんじゃなかろうかな。そうでないと春日大娘皇女が顕宗天皇ではなく仁賢天皇に嫁いだのが謎じゃ。そしてそう考えるともう一つの謎が解ける」



――もう一つの謎とはなんでしょうか?



継体(けいたい)手白香皇女(たしらかのひめみこ)の年齢じゃ。さて、通説では日本書紀を西暦換算すると顕宗天皇は485年即位で仁賢天皇は488年即位となっておるのじゃ。じゃが、この世界では顕宗天皇の即位が493年ということになっておる」



――倭の五王の年代と比定されている天皇の年代を合わせたりして調整するとそうなりますね。



継体(けいたい)「仁賢天皇は即位後に春日大娘皇女を大后にして皇女の手白香皇女(たしらかのひめみこ)をもうける。手白香皇女は509年に皇子を生む。とすると手白香皇女は490年代前半に生まれてないと計算が合わないのじゃ」



――なるほど、ひとまずはこちらが家系図となります。


 履中天皇 ┬ 市辺押磐皇子 ┬ 仁賢天皇 ┬ 小泊瀬稚鷦鷯尊おはつせのわかさざきのみこと

      │        │      │

      └ 飯豊天皇   └ 顕宗天皇 ├ 手白香皇女(たしらかのひめみこ)

                      │

                      ├ 春日山田皇女かすがのやまだのひめみこ

                      │

                      └ 橘仲皇女たちばなのなかつひめみこ



継体(けいたい)「仁賢天皇が493年に即位して在位十四年とした方が都合がいい。ということで顕宗天皇は存在していなかったという設定にしておいたぞ。文句があれば金村に言え」



――メタな話になって来ました………。気を取り直しましょう。仁賢天皇は在位十四年で西暦506年に崩御しました。






 〇 継体天皇と武烈天皇?


 仁賢天皇が崩御すると大臣の平群真鳥(へぐりのまとり)が国政を思いのままにしました。

 小泊瀬稚鷦鷯尊おはつせのわかさざきのみこと大伴金村(おおとものかなむら)に命じて平郡氏を討たせると、武烈(ぶれつ)天皇として即位して大伴金村を大連に任命します。

 武烈天皇は十歳で即位すると裁判などの仕事を熱心にこなしますが、一方で罪人に対する残虐な処刑を楽しむようになりました。

 異常で残虐な行為が目立つようになった武烈天皇は十八歳で崩御します。



 □ 506年 仁賢天皇が崩御する。

 □ 507年 継体天皇が即位する。




――仁賢天皇が崩御しました。ここで詳しい話をお聞きするためにゲストで大伴金村(おおとものかなむら)をお呼びします。



大伴金村(おおとものかなむら)「よろしくお願いします」



継体(けいたい)「ゲストはワシ一人ではないのかのぉ。説明は頼むぞい、金村」



――まずは大伴氏について話しましょう。その祖先は天孫降臨の時に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に随伴した天忍日命(アメノオシヒ)が祖神と伝わってます。神武天皇の神武東征では先鋒を務めた道臣命(みちのおみのみこと)が大伴氏の先祖です。大王の一族に長らく仕えていた一族であり、大伴室屋(おおとものむろや)が允恭天皇・雄略天皇に重用されました。



大伴金村(おおとものかなむら)「室屋は私の祖父です。ですが、父の大伴談(おおとものかたり)は新羅征伐の途中で朝鮮で亡くなりました。ですので私は祖父に育てられたのです」



――大伴室屋は仁賢天皇の頃に亡くなりました。大伴氏の後継者は孫の大伴金村になりますが、その時は十代でしたので大連にはなれませんでした。成人して力をつけた頃に仁賢天皇が崩御されて平群真鳥が専横を始めたということですね。



大伴金村(おおとものかなむら)稚鷦鷯尊(わかささぎのみこと)が女性を巡り真鳥の息子の平群鮪(へぐりのしび)と揉めまして、鮪を討てというので討ちました」



――そっちのエピソードは採用するんか………。



大伴金村(おおとものかなむら)稚鷦鷯尊(わかささぎのみこと)の想い人が物部麁鹿火(もののべのあらかひ)の娘でしたので、麁鹿火を巻き込んで平群真鳥を討ちました」



継体(けいたい)「そう聞くと平群真鳥は被害者じゃのぉ」



――それで稚鷦鷯尊が即位して武烈天皇になったわけですね。



大伴金村(おおとものかなむら)「いいえ。十歳の大王なんて群臣が認めるわけないじゃないですか」



――えっ?



大伴金村(おおとものかなむら)「私と麁鹿火と巨勢男人(こせのおひと)は協議して越前を治めていた男大迹王(おほどのおおきみ)を大王に推薦することにしました。



継体(けいたい)「応神天皇の五世孫であるワシに大王になれとかドッキリかと思ったわい」



大伴金村(おおとものかなむら)「稚鷦鷯尊が成人するまでの中継ぎの大王ですよ」



継体(けいたい)「五十歳手前で人生の転機になったので迷ったわい。一度は断ったのじゃが、金村に熱心に説得されて仕方なく引き受けたのじゃ」



――大王を引き受けた決め手はなんだったのでしょう。



継体(けいたい)「当時、十三歳の手白香皇女(たしらかのひめみこ)を嫁がせると金村が言った時かの………」



――ロ〇コン………ごふん、ごふん。仁賢朝との血筋の統一という意味がありますね。娘が生まれたら稚鷦鷯尊の后にするという手もありますし。



継体(けいたい)「こうしてワシは河内国樟葉宮(くすはのみや)で即位したのじゃ」



大伴金村(おおとものかなむら)「河内国の淀川水系は交易の要ですから。それと―――越前へ出張中に葛城氏が稚鷦鷯尊を囲い込んで気まずくなったので大和国に帰られなかったのです」



――継体天皇は樟葉宮で即位すると大伴金村と物部麁鹿火を大連に巨勢男人を大臣に任じました。


注意)古代史は不明な点が多くこの内容は作者の妄想です。断定的に書いてますがフィクションとして楽しんで下さい。日本書紀の記述を元に西暦に換算してますが、基本的に根拠はありません。


同時代の史実エピソードや異説などがありましたら、参考にしますので感想でお願いします。

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