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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

結婚前夜

作者: 紅谷緋子

あの日、俺は大切なモノをなくした。




辛くて苦しくて、とにかく逃げたかった。






だから、俺は自ら『捨てた』のだ。









「とうとう明日だな」

神尾良カミオ リョウは、声が震えそうになるのを必死に押さえて、そう言った。「ああ」と幼馴染みの山下流人ヤマシタ リュウトは答える。


明日、結婚式の行われるホテルの一室に、神尾と山下は居た。

結婚をするのは、山下だった。そして、山下は神尾の初恋の相手だ。

神尾と山下が幼稚園で出会ってから25年間、互いの癖も欠点も嫌って程知っているくせに、その事実だけは一度も明かされなかった。

そうして、山下は大学時代から付き合っていた女性と結ばれてしまったのだ。


何も知らない山下は、独身最後の夜を祝ってくれと幸せそうな顔で、神尾に言ってきた。

グルグルと腹の中を暴れる嫉妬と怒りと悲しみに、平素でいられる自信が神尾にはなかったが、それでも、自分と過ごそうと思ってくれることが嬉しくて、思わず頭を縦に振ってしまっていた。


「良い眺めだな、ここ。夜景は綺麗だし、海は近いし。結婚した後もさ、記念日とかに良い感じだな」

「……ああ」


神尾は窓の近くのソファに座り、綺麗に磨かれた窓からキラキラと光る夜景を見た。山下もローテーブルを挟んで神尾の向かいにあるソファに座り、やや遅れて外を見やった。

窓に映る山下は、なぜか表情が少し強張っていた。



「なぁんだよ?なに、神妙な顔してんだよ。お前がそんな顔したって、全然かっこよくなんねぇって」


結婚式という大舞台に、さすがに緊張をしているのかもしれないと思い、神尾はヘラヘラと笑いながらバシバシと山下の肩を叩いた。小学校時代から続けている水泳で培ったバランスの良い筋肉が手のひらから伝わり、その感触に、まだ誰のものでもなかった幼馴染みとの思い出が一気に蘇り、思わず神尾は泣きそうになってしまった。

眉の下がった顔を見られたくなくて、慌てて顔を背けた。


「…っ、あ、そうそう。ワイン。ワイン買ってきたんだったわ。飲もうぜ?」


ソファの横に置いてあった紙袋から、赤ワインとワイングラスを取り出す。

白ワインが苦手な山下のために神尾が選んだ赤ワインだ。グラスを二つ、互いの前に置くと、小気味よい音をさせて神尾は栓を抜く。その瞬間、芳醇な香りが放たれ、トプトプと心地よい音と共にグラスが満たされていく。

不意に、「なぁ」と山下が声をかけてきた。わずかに掠れ、戸惑ったような声音だった。


「ん?なんだよ」

「…お前さ…、俺になんか言うことがあるんじゃないのか?」


カツンッとボトルの先がグラスに当たった。


「……へ?」


神尾の声も掠れてしまった。

テーブルにワインが少し零れ、それを近くにあったティッシュで慌てて拭いた。


「…なんだよ、もっかい『おめでとう』って言えってか?明日になれば、耳にタコができる位言ってやるって」

「違う」


山下の声ははっきりと否定した。まるで、お前の本心は知っているんだというような声音に、神尾は言葉が続けられない。


「もっと…、ずっと前から、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」


神尾の体温がスーと下がっていく。冷や汗が出て、じっとりと服が肌に貼り付く。それなのに、目元だけが熱くて仕方なかった。

山下が動く気配がして、ポンと優しく肩を叩かれた。


「なぁ、りょ」

「っっ、触るなっっ!!」


ビクッと大袈裟なほど、肩を奮わせると神尾は山下の手を叩き落とした。一瞬だけ驚いた顔を山下はしてから、手の痛みよりも痛そうな表情をして、神尾を見つめた。その瞳を見た瞬間、張り詰めていた感情が一気に溢れて、神尾の頬を伝い落ちた。


「っ、何をっ、何を知った振りしてんだよ!!お前がっ、お前が、俺の何を知ってるんだ!!俺が今まで、どんな思いで…っっ、どんな、気持ちで、ここに居るのかなんて…っっ」


ボロボロと涙を流しながら、神尾は激昂した。顔を真っ赤にして、保っていた冷静さを全て剥ぎ取ったその姿は、あまりにも滑稽に思えて、更に神尾の感情を乱していった。しかし、その姿を見ても山下は一切驚かなかった。

静かな瞳で、神尾を見つめ続けた。


「…知ってる」

「はぁ?!ふざけんなっっ、知らないくせにっっ」

「知ってるよ、良」

「嘘だっ、嘘つくなっ!!」

「良」

「うるさいっ!黙れよ!俺は、本当に…っ死にたくなるほどお前を…っっ」

「…良」


まるで、子どもの駄々を落ち着かせるかのように、穏やかな、かつてなく優しく、山下は神尾の名前を呼び続けた。


「……お前、を…」

「良。俺を…なんなんだ?」


静かに、ただ静かに、山下は次の言葉を促した。


「………お前を…愛してる…、好き…だ…」


か細く、苦しみの滲む声音だった。

愛を告白するには、到底似つかわしくない声音だった。


細心の注意を払い、丁寧に丁寧に嘘を重ね、隠し続けた事実が、呆気なく晒されてしまった。一番知られたくなく、そして、一番知って欲しい人物に。


「…好きなんだよぉ…お前のことぉ…」


神尾はその場に蹲った。その姿を、山下はただ静かに見つめた。見つめ続けた。神尾の嗚咽が消えても、静寂な部屋で、その姿を焼き付けるかのように見つめた。暫して、山下はゆっくりと口を開いた。


「……、もっと早くに知りたかったよ」


部屋の中の時が動き出す。








「―――……良が、死ぬ前に…」


山下の瞳から、涙が一筋零れた。

グシャリと手のひらサイズのノートが、山下の手で潰される。それは、神尾の日記だった。


「…良」


再び、嗚咽が部屋を充満する。

窓には泣き崩れる山下の姿が一人、2つのワイングラスと共に映っていた。






END


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