愚か者のかくしごと
三題噺もどき―よんひゃくじゅうさん。
生ぬるい風が、そこには吹いている。
ある町の住宅街。
アスファルトから立ち上る影は、ゆらゆらと蠢いている。
民家と民家の間は、車一台が通るのがやっとなほどの狭さ。
その狭い道路に、小学生が広がって歩いていた。
「……」
丁度、夏休みに入るタイミングなのか、やけに大荷物を抱えていた。
体にようやく見合ってきた大きなランドセルを背負い、しおれた朝顔の並ぶ鉢植えを抱え、肩には引きずりそうなほどの大きな紙袋を下げている。
「……」
いかにもという感じの小学生たちが、横を通り過ぎていく。
汗をかきながら、夏休みに向けての楽し気な会話をしていた。
祖父母の家にいくのだの、僕はあそこに行くのだの、宿題がどうの、自由研究がどうの。
きっと彼らの夏休みは、計画通りにはいかずとも、いいものにはなるのだろう。
「……」
そんな彼らが通り過ぎた数秒後。
奥から一つの影がやってきた。
学校指定の制服を着て、嫌いな黄色い帽子をかぶり、鉢植えを抱えた少女だ。
持ち帰るものは計画的に行っていたのか、先の小学生たちに比べて荷物は軽そうに見える。
「……」
いや、そうでもないか。
腕にかけた鞄には、持ち帰るもののほかに、数冊の本が入っている。
どこに行く予定もない少女は。
家で宿題をして、読書をして、定期的に解放される学校の図書室に行き、足りなければ図書館に行き。
そうやって、つまらない夏休みを過ごすつもりだったから。
「……」
親というものはいるが、少女の家は共働きというやつだ。
そうでなくとも、少女にかまける暇はない人たちだ。
幼い妹は、保育園に預けられるので、夏休み中少女は一人留守番ということだ。
つまらない。
「……」
まるで楽しみも何もないように思える夏休みだが。
少女には、1つだけ、だれにも言っていない楽しみがあった。
楽しみ……と言えるほどでもないかもしれないが、少し息苦しい、一人ぼっちの家から出ていける理由が一つだけ。
「……」
図書室や図書館に行くのも楽しみではあるが、それとは別の。
一人で、ある場所に行く、楽しみが。
―その日も、一度帰宅した後に向かう予定だった。
「……」
けれど、夏休みを迎えたことによる若干の高揚と、急いで帰る必要もないという謎の意思で。
少しだけ、その場所に寄り道して帰ろうなんていう気持ちが生まれた。
いつもは、そうは思っても真っすぐに帰ろうと自制する癖に、それもできずに。
「……」
それを見つけたのは、数週間前だったはずだ。
一人で帰路についていた少女は、草陰で何かが動いたのを見た。
この辺りには、いろんなものがいるからどうせそれだろうと、通り過ぎた矢先に。
声が聞こえた。
「……」
小さな。
悲鳴にも似た声。
それぐらいなら、少女の好奇心はくすぐられはしないのだけど。
その日はなぜか、気が向いた。
「……」
がさがさと動く影の先。
悲鳴の聞こえたあたり。
―そこには、目が開いたばかりのような仔猫がいた。捨てられたのかはぐれたのかは分からなかったが、一匹で寂し気に震えている仔猫が。
「……」
そこでまぁ、普通なら親に言うなりして、家で飼うとか言い出して、ひと悶着経たうえで諦めるなりなんなりしそうなものだけど。
少女は誰にも言わず、こっそり。親が構いもしないのをいいことに。
その仔猫に手を差し出した。
救いの手とも言えないものを、伸ばしてしまった。
「……」
甲斐甲斐しくもその仔猫に手を伸ばした少女は、足しげくそこに行った。
できることなどたかが知れていたが、それでもいいと思ったのか。
―中途半端で生半可なもの程、救いではなく。地獄への招きでしかないのに。
「……」
朝顔の鉢植えを抱えたまま、少女はその仔猫がいる草陰を覗き込んだ。
まだ帰る前だから、食べ物は持っていないが、顔を見せるぐらいは……なんてらしくもなく思っていた。
「……」
しかし。
覗いた先に仔猫はいなかった。
まぁ、何かでつないでいたわけでもなし、歩けるぐらいに回復したのならどこに行ってもおかしくない。少し残念だが……。
そう思った瞬間だった。
「……」
何かが。
ぽと。
と、地面に落ちた音がした。
ぞわりと、何かが内を這った。
「……」
音しか聞こえず、何だろうと首をかしげる少女。
頭上から落ちてきたのだから、きっと木の実か葉っぱだろう、きっとそうだろうと。
そう言い聞かせて、帰ってしまえばよかったのに。
「……」
覗いた先にそれはあった。
「……」
それは、小さな塊だった。
「……」
それは、じわりと色を広げていった。
「……」
それは。
「……」
それは。
「……」
それは。
「……」
見慣れたはずの。
「……」
仔猫だった。
「……」
草陰の向こう側には、小さな公園が広がっているのだが。
おそらく、半端に動けるようになった仔猫が、よろよろと歩み出した先に。
運悪く、何かに見つかり、悪戯でもされたんだろう。
「……」
声も出ないままに。
目の前の光景に衝撃を受け。
少女は立ち尽くしていた。
なぜ、どうして。訳の分からぬまま。
震えた手は鉢植えを落とし、地面に土をばらまいた。
支柱は折れて、茎も折れて、花は汚れた。
「……」
ぐらりと、陽炎が視界をゆがめる。
少女は立ち尽くしたまま、何もしない。何もできない。
半端に差し出したモノが生み出した結果を受け入れられずに。
訳の分からぬ衝動が内を駆け巡る。
「……」
「……」
「……」
「……」
ぎぢりと、首が痛む。骨が軋む。
寒さに耐えかねて、置いておいた、ひざ掛けに。
ぽたぽたとシミができていく。
「……」
嫌なことを思い出した。
幼い頃の、愚か者の、かくしごと。
誰も知らない、私だけの知る少女のかくしごと。
「……」
あれからどうやって帰ったか覚えていない。
物凄く身内に叱られはしたのは覚えているが。
まだ使う鉢植えは罅が入っていたし、道路に土をばらまいたのだから当然だ。
―正直、内心はそれどころじゃなくて茫然としていたと思うが。
「……」
あぁ、本当に。
愚か者。
いつまでたっても変わらずに愚か者。
愚かでみじめで。
救いようのない。
「……」
「……」
止まらぬシミは、広がり続け。
ぽたぽたと、零れ落ちていく。
お題:仔猫・かくしごと・ぽたぽた