8.おつまみ その1
【前回の記憶】
「よっ、『酒場荒らし』改め、『酒場の紳士』!」
「……そういえば」
ヒロキが思い出したようにそう言うと、マルガは片付けの手を止めずに耳だけ傾けた。
「この世界だとおつまみのバリエーション少ないですよね」
「つまみ? つまみなら十分あるだろう?」
ヒロキの発言に、マルガは文句でもあるのかと言いたげな口調でそう返した。ヒロキは特に気にする様子もなく、元の世界のことを思い返すように話した。
「あるにはありますけど……燻製とか干物とか、ずっと食べてると飽きません?」
「そうかい? ヒロキのいた場所ではどうだったか私は知らないし、そればっかりはどうしようもないね。……そんなに違うもんかい?」
「もちろんこっちと同じようなものもありますけど、その場で簡単に調理するようなものとかもありましたね」
「なるほど。うちの場合は二人でやってるから、開店中は調理まで手が回らないってのは、理由の一つだね。前に作り置きを試したことはあるんだが、やっぱり出来たての味には勝てなかったよ」
「冷たくても大丈夫なものは?」
「私は料理の専門家じゃないからね。そもそもレシピを知らないんだよ。そんなに食べたけりゃ、自分で作ってみたらどうだい?」
ヒロキはしばらく考え込むような仕草をした後、「……それもそうですね」と返事した。
翌日、ヒロキは台所に立っていた。店兼自宅にあった材料は自由に使ってよいという条件で、マルガ立ち会いのもとおつまみづくりにとりかかろうというところである。ちなみに、ラッドは既に開店準備に取り掛かっており、この場にはいない。
腕まくりをして保存庫を確認すると、さすがは異世界と言った感じで、見たこともない食材が多くを占めていた。その中で見覚えがありそうな食材が二つ。
「ミニトマト……と、金柑?」
「それかい? 私は好きだけど、人によって好みが分かれる食材だね。どっちもそのまま食べられるから、気になるなら食べてみればいいさ」
マルガにそう促されて、ヒロキはすんなりと口にした。すると、それは確かにヒロキの知っている味がした。調味料についてもそれぞれの特徴をマルガにいちいち教えてもらい、ヒロキは何とか調理に取り掛かった。
そうして出来上がったのが、こちら。なんて、どこかのテレビ番組で聞いたことがありそうなフレーズを頭の中に思い浮かべながら、ヒロキは目の前にダークマターが並べられずにすんだことに安堵した。ヒロキが作ったのは、ミニトマトの和風マリネと金柑の甘露煮の二品である。この際、それぞれのメニューの系統がばらばらであるとか、どちらも見た目が丸いだとか、これは本当にトマトと金柑なのかとか、そういうことは一切忘れておくことにする。
味見をした感じでは、意外と悪くない。満足げに息をついたヒロキの隣で、マルガは未知の料理をじっと見つめていた。いや、どちらかといえば、料理としては成り立っていそうだが、はたしてこれがつまみになるのか、と言った疑問を抱えているようである。知らないものをいきなり食わせられるというのも怖いだろうと思って、ヒロキはまだ「食べてみますか?」とは言わなかった。
その日の放送でヒロキは早速自家製おつまみを持ち込み、飲酒を楽しんでいた。もちろん、それが客の目につかないはずがない。
「なあ、ヒロキ。そいつはなんだあ?」
「お、気になりますか。おつまみですよ、おつまみ」
「おつまみい? そんなもん見たことねえぞ」
「でしょうね。自分で作ったので」
「へえ、なかなか手間がかかってそうだな。お前さん、料理できたのかい」
「料理ってほどではないですよ。漬けただけと煮ただけですし」
「………………美味いのか?」
「自分は好きですよ。……みなさんのお口に合うかはわかりませんけど」
ヒロキはそう言って、どこか勝ち誇った笑みを浮かべた。未知の食の世界を目前に、やり取りを聞いていた客たちはごくりと唾を飲む。
「かーっ! ったく、気になる言い方してくれるじゃねえか! おい、俺にもひと口分けてくれよ」
「嫌ですよ。自分で食べるために作ったんで。食べたきゃ自分で作るか、マルガさんにでも頭下げて頼み込んでください。…………ま、無理でしょうけど」
「くーーっ!」
悔しそうな男の叫びを聞くと、他の客たちも似たような表情でそっと唇をかみしめていた。そんな姿を横目に捕らえて、ヒロキはまたにんまりと笑っていた。
その日の営業が終わり、片付けが一段落したところで、マルガは残りの酒を飲みほそうとしているヒロキのもとへ向かった。
「お疲れ様」
「あ、マルガさん。お疲れ様です」
「なあ、ヒロキ。それ、ちょっと味見させてくれないか?」
「うわあ、ドストレート」
ヒロキは酔っているせいか、わざとらしく両方の掌を掲げて驚いた風を装っていた。マルガはため息をつきながら話を続ける。
「仕方がないだろ? ヒロキがあんな冗談言ったせいで、あの後何人泣きついて来たと思ってるんだい」
「ははは、すみません。どーぞ」
ヒロキは笑いながら、手元の小皿をマルガの方へ押し出した。マルガもヒロキも食べ方を細かく気にするような立ちではなかったため、マルガは甘露煮を適当に一つ指でつまみ上げると、そのまま口へと運んだ。