7.酒と背中と減らず口 その4
【前回の記憶】
「……男ばっかりでいい加減むさ苦しいんで、離れてもらっていいですかね」
アスカウィカの、とある酒場にて。
ちらちらと様子を伺っていた男性客は、大きな身体を揺らしながら歩き出した。そして目星をつけていた席へたどり着くと、テーブルにそっと手をつき女性客を見下ろしながら話しかけた。
「やあ、お嬢さん。調子はどうだい?」
「ぼちぼちね。こんな隅のテーブルに何かご用?」
「おいおい、馬鹿にしてるのかい? こんなに綺麗な花に気づかず放っておきでもしたら、男が廃るよ」
「それはどうも。でもあいにく今日は女子会だから。放っておいてくれる?」
「まあ、そうつれないこと言わないで。俺の相手もしてくれよ」
「あなたの目は節穴? 私は今、目の前のお友達と楽しく飲んでいるところなの。邪魔しないで頂戴」
「そうは言っても、お友達は全然飲んでないじゃないか。実質、お嬢さん一人で酒を嗜んでるようなものだろう? そんなやつが相手だと、楽しいお話の場がしらけちまうのも時間の問題だよ」
男性客は嘲るように笑うと、女性客の一人がきゅっと肩をちぢこめた。友人の畏縮した様子をすぐに察して、もう一人の女性はきっと睨みつけるように言った。
「……自分がその『お話の場』を台無しにしていることが分からないの? 私は強い酒を飲めれば満足するような女じゃないから、他を当たって頂戴」
「でもこうして俺と話を続けてくれるだろう? 脈ありってことじゃないか」
「……はあ、ああもう、わかったわ。じゃあはっきり言わせてもらうけれど、私はあんたみたいな面倒な男の相手をする気はない。さっさとここから消えてくれる?」
女性客が立ち上がってはっきり言い放つと、男性客はテーブルについていた指先に力を込めた。ぎっと音が鳴る。明らかに怒りを浮かべている女性の存在に気がついた他の客たちは、ひそひそ話をしながら様子を伺っている。酔っ払いにトラブルはつきものだから、こう言ったことは大して珍しくもないのだが、やはり他人事として心配くらいはするものである。一方で、勃発寸前の面倒ごとを避けようとしている客もいるのか、店の出入口にはまばらに人が行き来している。
他所の席からも視線を集め始めたことに気がついた男性客が、少しずつ顔を赤くして拳を握りしめる。そして自分に恥をかかせた女を殴り倒さなければという考えにいたるのに時間はかからなかった。
「くそっ……!」
男性客は息を荒げて、握りしめていた拳を勢いよく振り上げた。女性は咄嗟に両腕で顔のあたりを覆ったが、その細い腕では男の攻撃に到底敵うはずもないだろう。友人の女性も「やめて!」と震える声で叫んでいたが、間に合わない。そしてひゅんという音とともに拳が落ちて来るのを最後に、女性客はぎゅっと目をつむった。
「おい。手をあげるのは感心しねえな」
自分が受けるはずの衝撃をかき消したような軽い音の後、そんな声が女性客の耳に入った。恐る恐る目を開けてみると、目の前には見知らぬ男性の背中があった。
「な、なんだよ……っ。俺はこの女に」
「振られたんだろ? なら大人しく一人酒でもしてろよ」
「なっ……!?」
「まだ暴れる気なら今すぐ騎士団につき出すが……どうする?」
「……っ」
獣人の男に睨みつけられた男性客は、酒場のカウンターに乱雑に金を叩きつけると、大股でどかどかと歩き店を出て行った。
「……あー、大丈夫か?」
女性客を庇った男性はゆっくりと振り返り、女性客たちの安否を確認した。どちらにも怪我がない様子を見て胸を撫でおろすと、女性客が口を開いた。
「ありがとう。助かったわ」
「俺も騎士団の訓練生だからな。ああいう場で対応するのは当然のことだ」
「しつこいとは思っていたけれど、まさか殴り掛かって来るとはね。油断していたわ」
「いや、あんたの落ち度じゃねえだろ。だが、悪酔いして手を挙げるやつも多いから、気をつけておくに越したことはねえな。それと、今回のことだが……許してやれとは言わねえから、できれば見逃してやってくれねえか?」
「助けてくれた人のお願いだし、私は構わないけれど……どうして?」
「あー、いや、その……」
男性が急にどもり始めたのを見て、女性客はくすりと笑みを漏らした。
「そう。お兄さんにもやんちゃしていた頃があったのね」
「……頼むから、あんまりいじめないでくれよ?」
「ふふっ、良いこと聞いたわ」
女性客が柔らかい雰囲気で話していることに安心したのか、彼女の友人ももう少し距離を縮めて、獣人の男性に向かって頭を下げた。
「あっ、あの! ありがとう、ございました」
「無事ならよかった。気にすんな」
「で、でも、わ、私がお酒飲めないせいで、余計にトラブルになっちゃって……」
「ちょっと。別にあなたのせいじゃないんだから、そう悲観しないで。あんな男に目をつけられるなんて、今日は運が悪かったのよ。 だから、ね? また飲み直しましょう?」
女性客は優しい口調でそう言いながら、丸まった友人の背中をさする。男性客から酒が弱いことに対して何かいちゃもんをつけられたのだろうと理解した男性は、彼女の頭に手を置き、ぽんぽんと軽く撫でた。
「姉ちゃんの言う通り、今日は運が悪かっただけだ。……俺も酒にはめっぽう弱くてな。前は無茶苦茶な飲み方しか出来なかったんだが、飲み方さえ覚えれば、弱くたって案外ちゃんと楽しめるもんさ。だから、まあ……そう落ち込まずに自分のペースで慣れていけばいい」
そこまで言い終えて、自分が下手糞な慰め方しか出来ていないことに気づいた男性は、慌てて撫でていた頭から手を離した。女性客二人はお互いに顔を見合わせると、ふふっと笑いあった。
「お兄さん、案外良いこと言うのね。感心したわ」
「いや……なんか自分語りみたいになって悪かったな」
「そんな……! お兄さんのおかげで、わ、私、またお酒飲んでみても、いい、かなって……」
「本当? それなら早速飲み直しといきましょう。お兄さん、おすすめの場所はある?」
「おすすめか? あー、俺が贔屓にしてる居酒屋はあるが……あそこはちとむさくるしいからな」
「お兄さんの紹介だもの。かまわないわよ。ね?」
「わ、私も、大丈夫」
「じゃあ、行きましょうか。そのお店ってどこにあるのかしら?」
「あー、俺も行く。今日は目立ちすぎてこの店じゃ落ち着いて飲めなさそうだ。それにまた厄介事に巻き込まれるのは御免だろ?」
「あら、助かるわ。それにしてもこんないい男にエスコートしてもらえるなんて、あなた、なかなかツイてるわよ?」
「ふふっ、そうかも」
「おいおい。あんまりそういうことを言わないでくれ。また茶化されちまう」
「『また』?」
女性客にそう聞き返されたが、その獣人の男性は乾いた笑いで話を流すばかりだった。
しばらく歩くと、男性は目的の場所へ到着したらしく、あたたかい光の漏れ出す扉を開いた。女性客たちは男性に促され、にぎやかな店内へと足を踏み入れた。ドアベルの音が来客を告げると、店内の客は入口の方を見てはしゃぎ出した。
「……! おい見ろ、マグリス様のお帰りだぞ!!」
「おうおうマグリス! 昨日ぶりだな!!」
「坊ちゃん! やっぱり他所の店じゃ寂しくて飲めなかったか? だったらこっちで相手してやんぞー」
「お前、なんだかんだ言ってほんとこの店大好きだよなー!」
「うるせえ! ったく、なんで俺が来るといつもこうなんだよ!?」
先客たちと随分親し気なマグリスを見ると、女性客は目を丸くして入り口付近に立ち尽くした。しかし、数秒もすれば店内の雰囲気に慣れて気を緩ませたのだった。
「あ!! お前、また女連れ込んでんのかよ!? 勘弁してくれよー。俺らの面子がなくなるだろ?」
「知るか。てか、俺が女好きみたいな言い方すんな。トラブルに巻き込まれてた流れでこの店紹介しただけだ」
「そうやってこの店まで女の子誘導したの何回目だよ。お前に本気になっちまった女の子が可哀想でしれねえよ」
「あんちゃんも罪な男やなあ。最近は『酒場の紳士』呼ばれとるんやろ?」
「よっ、『酒場荒らし』改め、『酒場の紳士』!」
「それは周りの奴らが勝手に……あーっ、くっそ、馬鹿にしてんな!?」
「あー、あー。……みなさんこんばんは。毎度おなじみ、居酒屋『エンコント』に居候してお酒飲みながらだらだら雑談してるだけの放送、『のんべえラジオ』です。既にお気づきの方も多いかと思いますが、『酒場の紳士』(笑)ことマグリスさんがいらっしゃいました。ファンの方には悲報かもしれませんが、本日も女性と一緒ですね。いやー、商売繁盛、お客様が増えて何よりです。ここは従業員として一つお礼を。ご来店ありがとうございまーす」
「おい! ヒロキまでのるんじゃねえ!!」
店に入るや否や多方面から飛ばされる野次に、マグリスはむきになって子供みたいに言い返していた。その様子が先ほどまでのエスコートとは少し違った印象を与えて、女性客たちはまた笑みをこぼした。
「騒がしくて悪いね。二人かい?」
「ええ」
「マグリスが連れて来たってことは、何かあったんだろう? 災難だったね。ま、こんな場所だけど、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます」
席に座って女性客がふと友人を見ると、ぼんやりとどこかを眺めている。
「……どうかしたの?」
「いや、えっと、何でもないの。ただ――」
「ただ?」
「――素敵だなって」
「……そうね」
肩を担がれながら無邪気に笑うマグリスの声を背景に、熱のこもった空気の中、女性客は噛みしめるように呟いた。
【気紛れアルコールギャラリー② ボールド(boold)】
イェーレに続いて定番の酒。アルコール度数はイェーレと同じくらい。真っ赤な見た目で、少し酸っぱい。原料はラストリーウェルブ(*)。勝利の宴で戦士たちが飲んだ酒と伝えられており、お祝いの場で注文されることが多い。酒言葉は「振り返らないで」。
*ラストリーウェルブ(rastrywerb)…果実とも野菜ともいえない何か。木に梅のような形で黄緑色の実がなる。ボールドの原料は赤い種の部分で、水分を一定量以上含ませると何故か酸っぱい汁が出てくる。サラダなどでよく使われる食材。「ラストリー」「ウェルブ」と略称で呼ばれることが多い。