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4.酒と背中と減らず口 その1

【前回の記憶】

「あのねえ、異世界人。酒に溺れるのも大概にしときな?」

「ちっ……ここも駄目か」


 急に夜風に包まれて、毛並みがふるりと揺れる。酒場から早々に追い出されてしまったその獣人は、納得がいかないといった表情で乱暴に頭を掻きむしった。


「あそこはこの前出禁くらったし、あっちはぼったくり価格じゃねえと割に合わねえとか言い出すし……。くそっ、まだ全然飲み足りねえのによ」


 にぎやかな街の通りを、その獣人は荒々しい足取りで進んでいく。噂を知っている一部の住人たちは、獣人の姿を視野に入れるとなにもみなかったふりをして道の端をひっそりと歩き離れていく。獣人はやや不安定な足取りで、苛立ちを隠しもせずに歩み続ける。


 すると、ふと聞こえて来た楽し気な声につられて、店内から漏れ出る明かりに目が向いた。そのまま視線を上に向けると、店の看板が目に入る。


「……『居酒屋 エンコント』? 新しい店じゃなさそうだが、もしかするとここはまだ来ちゃいなかったんじゃねえか?」


 先程までの不機嫌さを取り払い、獣人はにこやかに扉に手をかけた。ドアベルの音が響き、騒いでいた客たちの大半が振り向く。ある者は顔をしかめ、ある者は口をつぐんだ。徐々に静けさを取り戻す店内で、獣人はどかりと音をたてながら、開いていた席に座った。


「姉ちゃん、イェーレを頼む」

「嫌だね」


 背に持たれて椅子の足を浮かせ、上機嫌に揺れている獣人に声をかけられたマルガは、きっぱりとそう断った。獣人は僅かに眉をひそめ、強い口調で言い返した。


「おい、姉ちゃん。わざわざ来てやった客に酒の一杯も出さずに帰れって? そりゃないだろ」

「あんた、『酒場荒らし』だろう? 噂は聞いてるよ」

「なんだあ、『酒場荒らし』? 俺の名前はマグリスってんだ。そんな不名誉な肩書で呼ばれるのは御免だぜ」


 マグリスは椅子を揺らし続けたまま、そう言って鼻で笑った。マルガはマグリスに調子を狂わされることもなく、言葉を続ける。


「馬鹿言わないでおくれ。あんたみたいな下戸の客に好き放題酒を飲ませたらね、揉め事が起きるわ、怪我人が出るわ、店内は荒らされるわで、こっちは商売にならないんだよ。おまけに、酒の価値も知らないくせに浴びるみたいに飲んで……まったく自制って言葉を知らないのかい? あいにくだけどね、あんたみたいなやつに飲ませる酒はうちにはないんだよ」


 マルガが仁王立ちでどんと言い切ると、感心して盛り上がった客たちが「いいぞマルガ!」「もっと言ってやれ!」と野次を入れる。それが段々と過激になり、誰かが「くたばれ若造が!」と言ったところで、マグリスが力強くテーブルに拳をうちつけた。また空気がぴりりと締め付けられる。威嚇ともとれそうな唸り声を出しながら、マグリスはマルガを睨みつけた。


「おい。俺は客だぞ? それもこの街を守る騎士団の副団長の息子だぞ? 俺がくれと言ってるのに、やらねえ奴がどこにいる!」

「あんたが誰の息子だろうがね、私はあんたに酒をやるつもりはないよ。酒を出して欲しかったら、その態度をどうにかしてから出直しな」


 マルガがずばっと言い切ると、今度は酔っ払いたちから拍手が沸き起こった。「マルガさんかっこいい!」「さすがは店主!」と声が上がる。そんな歓声に紛れるように、「良い子は帰っておねんねしてな!」と誰かが冷やかしの言葉を浴びせると、マグリスは「くそっ!」と声を荒げて立ち上がり、自分の座っていた椅子を軽く蹴り飛ばした。


 客たちの多くがその音に肩を揺らした中で、マグリスは一人だけ全く動じていない男を見つけてしまった。ラジオ用のテーブルについていたヒロキだった。ヒロキは触らぬ神に祟りなしといった感じで、周りの野次に参戦することなく、何食わぬ顔で一人グラスを傾け続けていた。マグリスはずんずんと歩み寄り、ヒロキの横の椅子を引き出してそこへ座った。ぎしりときしんだ音が鳴った。


「よお、兄ちゃん。俺の前で飲む酒は美味いか」

「……え? 酒はどこで飲もうが美味いでしょう」


 まさかヒロキに絡みに行くとは思わず冷や汗を垂らしているマルガをよそに、ヒロキはへらへらとそう返した。


「そうか、そうだよなあ。酒は美味いよなあ。……ところで兄ちゃん。その瓶、まだ中身はあるんだろうな?」

「一応あることにはありますけど」

「悪いことは言わねえからよ。その酒、俺にも分けてくれやしないか」

「別にいいですよ。あ、どうせなら冷えた酒の方が良いでしょう」


 ヒロキはあっさりした口調でそれだけ言うと、手招きしながら「マルガさん」と呼び掛けた。まさか本気でマグリスに酒を飲ませる気なのかと困惑した表情で近付いてきたマルガに、ヒロキは瓶を渡しながら耳打ちした。


「グラスを一つ。あと、この瓶もうほとんど酒入ってないんで、いっぱいまで水入れて持って来てもらえますか」

「そんなことして大丈夫かい? 私はあんたが殴られやしないか心配だよ」

「マルガさんが『酒の価値も知らないくせに浴びるみたいに飲んで』って言ったんじゃないですか。普段から酒の種類を気にしていないんなら、色付きの瓶の中身なんてそう簡単に見分けつかないと思いますけど。この酒なんて元から色薄いですし。それにこの人、酒が欲しいんでしょう? 馬鹿みたいに薄めたって、酒は酒ですから。自分は何も間違っちゃいないです」

「……わかったよ」

「おい兄ちゃん。酒はまだか?」


 待ち切れなくなったのか威圧感のある声でマグリスが横槍を入れると、マルガは仕方がなくヒロキの言い分を受け入れ、そそくさとキッチンの方へ戻って行った。


「ところで、えっと、マグリスさん?」


 マルガの後姿を睨みつけたままいると、そう声をかけられてマグリスはヒロキに視線を戻した。マグリスの手元に酒がないのを気にする様子もなく、ヒロキはまた一口酒を味わい、飲み込んでいた。ヒロキの大胆過ぎる態度にマグリスは腹が立たないでもなかったが、ようやくお目当ての酒にありつけるとあって、いくらか眉間の皺も薄くなったようだった。ヒロキは特にマグリスの機嫌をうかがうこともなく、続きを話し始めた。


「あいにく自分、一歩間違えれば金を貪るだけの居候になってしまうような身分なんで、あなたが自分の前で勝手に酒を飲もうが暴れようがかまわないんですけど、自分は今からここで働かなきゃいけないんです。その辺は大丈夫そうですか?」

「はっ、真面目だな。俺は一人で飲むのには慣れてっから、別にそんなことは気にしねえよ。だが、酒を飲みながら仕事だって? 一体なにをするってんだ」

「隠すほどのことでもないですけど、この店でラジオをやらせてもらってます。まあ、ほぼ雑談を垂れ流してるだけですけど」

「雑談ねえ。それならついでに俺の話し相手になってくれてもいいんじゃねえのか?」

「そうするとマグリスさんの声もこの辺の地域に垂れ流されることになりますけど、良いんですか?」

「かまわねえが。……手前、一体何の心配をしてんだ?」

「ほら、酔っ払いの口ほど滑りやすいものはありませんから。マグリスさんはどんなお話をしてくれるのかなあと思って」

「……上等だ」


 マグリスが煽られたことに気づいて低く唸る。そこへ、瓶とグラスを持ったマルガが戻ってきた。二人が交わした会話を知らないマルガは、何だか二人の間の雰囲気が変わったことを察したが、とにかく何事も起きませんようにと祈りながら、何をするでもなく他の客の世話のために引き返して行った。


「あー、あー。……こんばんは。こちら『のんべえラジオ』。居酒屋『エンコント』に居候してお酒飲みながらだらだら雑談してるだけの放送、始めていきます。今日はマグリスさんとお話する回になったので、ラジオの注文もないですし、他の人にはかまってあげられないかもしれません。なので先に謝っときますね。すみません」


 瓶に入っていたもはや酒と呼べるかわからない液体をグラスになみなみ注ぐと、二人はそれを周囲に見せつけるかのように掲げた。そして、ヒロキの相手を独占されたことに対する野次の声が飛び交う中、グラスのかち合う音が響き渡った。

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