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3.酒に溺れて何千里? その3

【前回の記憶】

「ちがっ、あのっ、ちょっと、話を聞いて! 姉さん!!」

「私はマルガ。ラッドの姉だ」

「ヒロキです。異世界から来ました……と言って、信じてもらえるかわかりませんが」


 ラッドの必死の説得により、三人は開店前の店内で話し合いをすることになった。一時は殴り合いになったらどうしようかと不安に思わないではなかったが、ラッドのお人好し加減を知ったヒロキとしては、姉がこうも過保護になるのも納得だったので、たいして気分を害することはなかった。


「変な所で地面見て立ち尽くしてたとか、荷物が一切ないとか。とりあえず状況がおかしかったってことはわかった。だから、あんたが異世界人だって可能性は否定しないでおく」

「それはどうも」

「けど、ラッド。仮にヒロキが本当に異世界人だったとして、ここに連れて来てどうするつもりだった?」

「そ、それは、その……住む場所がないなら、しばらく家にいたらどうかなって……」

「馬鹿。その日だけ近所の子供を預かるのと違ってね、働き場も見つけてない居候一人養うのにいくらかかると思ってるんだ。うちだって稼ぎは少なくないけど、豪遊できるほどの金持ちでもないんだから、無駄な金を費やさないに越したことはないんだよ」

「うっ……」


 お人好しすぎるラッドに対し、マルガは非常にしっかりした頼れる姉といった感じで、ヒロキはとても感心した。肩をすくめているラッドに、マルガはため息をつきながら話を続ける。


「……まったく。優しいのは確かにあんたの良いところだ。でもね、その考えなしに行動するところはいい加減どうにかしな」

「ごめん、姉さん……」

「とりあえず、イェーレ3つ持ってきてくれるかい?」


 ラッドはマルガの指示に「うん」と返して、キッチンの奥の方へ行ってしまった。マルガはその背中を見送ると、改めてヒロキに向き直った。


「さっきは話も聞かずにつっかかって悪かったね。ラッドはああいう子だから、よくない奴らに目をつけられやすいんだ」

「それはまあ、何となく察したというか……。でも、うん、素敵なご家族ですね」

「なんだ? その様子じゃ両親が死んだことも伝わってるのかい? はあ、あいつはなんでもすぐ話しちまうんだから……」

「でもそういうところが放っておけない、って顔してますね」

「……あんた、案外悪い人だね。そういうのは気づいても黙って胸にしまっておくもんだろう?」

「ははは、すみません」


 ヒロキが笑うと、マルガは多少気の抜けたような表情を浮かべた。と、そこへジョッキグラスを手にしたラッドが戻って来る。三つのグラスを軽々と運んでいるところを見ると、確かにラッドがこの店で働いているらしいことが分かった。


「ヒロキさん、どうぞ」

「あ、ありがとうございます。これは……?」

「イェーレっていう、乾杯の時の定番の酒さ。うちは居酒屋だからね。それらしいもてなしくらいはするよ」


 ヒロキは、まだ明るいうちから飲む酒はきっと罪の味だろうと思いつつ、目の前の二人がそこはさして気にしていなさそうだったので、客人らしく享楽に浸らせてもらうことにした。マルガがにっと笑いグラスを持ち上げると、ラッドも席に座ってグラスに手をかけた。ヒロキは、イェーレをきっとビールのようなものだろうと認識しながら、同じようにグラスを掲げた。


「それじゃ、異世界人の来訪を祝して……」

「「「乾杯!!」」」


 目の前の二人にならってグラスをぐいと傾ける。乾杯の掛け声やマナーなどが自分の元居た世界とほとんど変わらないことに少し安心しながら、酒の味を堪能した。


「……美味いな。美味しいです」

「そりゃあ良かった。飲み慣れた感じがするが、酒は好きかい?」

「ええ、まあ。元の世界でも酒はよく飲んでましたし。といっても、こんな風に誰かと飲むのは随分久しぶりですが」

「ええ、そうなんですか? ヒロキさんってお話上手だから、いろんな人から引っ張りだこになりそうだと思ってました」

「あー、色々疲れていたというか、縁に恵まれなかったというか……実際に会って飲みながら話すことは少なかったですね。ネット上で悩みを聞くくらいならやってましたけど」

「ネット?」


 ラッドがほんのりと頬を赤く染めながら、こてんと首を傾げた。ヒロキはその反応で、ここが改めて異世界であることを理解した。


「あー、えっと。いろんな場所にいる人と文字でメッセージを送り合ったり、声の情報を送って話したりできるツール、っていうんですかね」

「へえ、便利なもんだね。ちとラジオに似てるかい?」

「え、ラジオ?」


 今度はヒロキが首を傾げる番だった。知らない単語が出てきたと勘違いしたのか、マルガはバックヤードから大きな本のような機械を持ち出してきた。


「これが、『ラング・ジルト・オーディオ』、略して『ラジオ』って呼ばれてるもんだ。数十年前にラング・ジルトって人が発明した機械でね、親機で記録した音がほとんど時差なく子機に届くっていう、なかなか面白い機械なんだ」


 本を平置きにするような感じで機械をテーブルに置くと、マルガはそれを開いた。マルガが持って来たのは親機らしく、サイズは随分大きいが、なんだか古いパソコンのように見えなくもない。パソコンの画面があるところには三つほど液晶画面があり、キーボードがあるべき方には調節バーのようなものが複数ついている。マルガの説明を噛み砕いて、これ一台でラジオ配信ができるらしい、と理解したヒロキは、興味ありげにそのラジオをまじまじと眺めた。


 すると、突然ラッドが声を上げた。


「……あ。ヒロキさん、ラジオで放送したらどうですか?」

「え、自分が?」

「ラッド。あんたもう酔ってるのかい?」

「えへへ、ちょっとだけ……でも、ヒロキさんがこの店でおしゃべりしてくれたら、もっとおいしくお酒が飲める気がするんだよなあ。いくら居酒屋のにぎやかな雰囲気があったって、一人のお客さんは寂しいだろうし。それにほら、店の外の子機まで接続範囲を広げておけば、良い宣伝になるかも」

「宣伝か。確かに、ラジオをやってる他の居酒屋はないだろうから差別化になるだろうし、ついでに新しい客を呼び込めるとしたら悪くない。とはいえ、ここは本人の意志次第だな。ヒロキ、どうだい?」


 中身が半分ほどになったラッドのグラスを見やってから、マルガはヒロキと目線をあわせて問いかけた。


「マルガさんも酔ってらっしゃる?」

「なあに、私は酒には強いからこんくらいじゃ酔わないよ。ただ、悪くない案だと思っただけさ」

「さっきは『居候一人養うのにいくらかかると思ってるんだ』とか言ってませんでしたっけ」

「それは『働き場も見つけてない居候』の話だよ。従業員になるなら話は別だ。宣伝がてらこの店でラジオを放送してくれるなら、衣食住はこっちで用意する。高くはないが、給料も出すよ」


 ヒロキはマルガの提案を聞くと、顎に手を当てて考え込んだ。文字通りの一文無しである今のヒロキにとっては、なかなか悪くない条件である。だが、あえて立ち止まって考えるのならば、ここは酒場なのである。


「あの、一ついいですか」

「なんだい」

「お金は要らないです。この世界の人間じゃない自分が持っていても仕方ない気がしますし」

「え」

「だから、代わりに酒をください」


 ヒロキが丁重に笑みを浮かべてそう言い放つと、マルガは目をぱちくりさせた。ラッドは数秒おきにちびちびと酒に口をつけており、もう二人の話は聞こえていない様子だった。


「……ヒロキ、あんた酔ってないかい?」

「あ、この世界ってチップとか投げ銭あります? 何ならそれも酒にしてほしいです」

「あのねえ、異世界人。酒に溺れるのも大概にしときな?」

「ははは、その点に関してはもう手遅れですよ」

「………………正気かい?」

「正気です。自分は酒さえあれば、どこにいたってだいたい楽しく過ごせるので」


 援護射撃をするようにヒロキが今日一番の笑顔を見せると、マルガは観念したようにその条件を飲み込んだ。ただし、酔っ払った勢いで揉め事を起こしたら酒を取り上げる、と約束して。


 その日の晩から始められたヒロキのラジオは、徐々に噂が広まっていった。今やラジオ放送のためのスペースとして定着した店のテーブルの一つには、今日も酔っ払った客たちがかわるがわる立ち入って、野次を入れて、ヒロキに突っかかってくる。元の世界では考えられないほど、ヒロキにとってにぎやかすぎる酒の時間だった。


 ヒロキは初め、異世界人であることを秘密にしておこうと考えていた。もし異世界人を売りにして客たちとの間に壁を作ってしまえば、「相談屋」の二の舞になるだろうという判断だった。しかし、その心配は無用だった。どうやら、思考を放棄しかけている酔っ払いにとっては、異世界人であろうがなかろうが、大した問題ではなかったらしいのである。それはある意味対等で、居心地のいい関係だった。


「なあ、あんた。酒を飲むためにラジオをやってるって噂を聞いたが、本当か?」


 とある客がヒロキの肩に腕を回し、そう話しかけてきた。


「ああ、本当ですよ。自分は酒さえあれば楽しい生活が送れると思ってるんで」

「なかなか潔いな。それにしても、酒なんて飲みながらラジオで話ができるのか?」

「意外とできるもんですよ。これでも口は回りますから。あ、頭は回ってないんで、あんまりまともに受け取られても困りますが」

「へえ。それにしちゃあ相談相手として有能すぎるくらいだな。俺の話も聞いてくれっか」

「あはは。まだお仕事前なので嫌ですね。話聞いてほしかったらおじさんも酒くださいよ」

「お、商売上手だな。わかったよ。今日は気分がいいから乗ってやろう。兄ちゃん、ラジオ一杯!」

「はい! ただいま!」


 客のどこか浮ついた声に返事すると、ラッドが駆けよって客に大きめのタグとペンのようなものを渡した。


 実は、ヒロキがラジオを放送していると、泣きながら悩みを聞いてくれと縋り付いてくる酩酊した客が増えてきてしまったのである。馴れ馴れしくされるのは別にかまわなかったのだが、そういう酔っ払いがあまりに増えると、ラジオの話の進行に支障をきたす可能性が出てきた。


 そこで考え出されたのが、「ラジオ」というメニュー。これを注文すると、ラジオを放送しているヒロキに酒とメモが届き、話を優先的に聞いてもらえる、というシステムである。ヒロキは酒が飲めて、マルガは店の売り上げが上がって、客は酒の肴が増えて……どこもかしこも笑顔で溢れかえっている。


 あまりにもうまく回り過ぎている商売に困惑しているのは、最初にヒロキにラジオ放送を提案したラッドだけであった。しかし、ほろ酔いの空気で満たされた店内ではそんな考えも容易に流れてしまうもので、楽しそうなのでまあいいか、と思うと、店員を呼びつける声の方へラッドはまた駆け足で向かっていくのだった。


「あー、あー。……はーい、こんばんは。ここの店主に名前をせがまれたので、『のんべえラジオ』なんて名前をつけてみましたが……我ながらダサいね。とりあえずまあ、居酒屋『エンコント』に居候してお酒飲みながらだらだら雑談してるだけの放送、今日も始めていきます。では早速本日の酒を。こちらは――――」




 これは、異世界の居酒屋でラジオ番組を運営することになった、とある男性のお話。

【気紛れアルコールギャラリー① イェーレ(yealle)】

 味や臭いは、ほとんどビール。比較的安価で、アルコール度数も高すぎず、定番の酒。一番よく見かけるイェーレの原料はエクサー(*)だが、種族などの要因によるバリエーションが豊富で、それぞれ原料や製造方法が少しずつ異なる。例えば、巨人族が好んで飲んだという「ハカ・イェーレ(haka yealle)」は、特別な樽で熟成させることにより赤みがかった色になる。獣人族が親しむ「シャド・イェーレ(shad yealle)」は、アルコール度数が低めに調整されている。エルフ族の間では、その地域にしか咲かない花を浸すことで色が薄まり香りが強められた「ロワーフ・イェーレ(lowerf yealle)」がよく飲まれている。また、喉がしびれるほどアルコール度数が高い「ジルト・イェーレ(juilt yealle)」という改良種もある。酒言葉は「あなたと話したい」。


*エクサー(echser)…麦のような植物。藤の花のように垂れ下がって実がなる。黒い皮を剥くと薄茶色の実が出てくるので、それを加工して酒にする。

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