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29.夢に溺れて何度でも その2

【前回の記憶】

「今日は私のおごりよ! 好きなだけ飲みなさい!!」

「……あ、いたいた」

「……ああ、この前の。随分ご機嫌ですね?」

「ええ、まあ。おかげさまでつるし上げに成功したわ」

「ははは、それはよかったです。……ところで、今日はおごりって本当です?」

「あら、私が嘘をつくとでも?」

「思いませんねえ」

「そういうことよ」

「やったー」


 ヒロキが本当に喜んでいるのかどうかわからないいつも通りのへらへらした笑い方をしていると、近くを通りがかったマルガが心配そうに声をかけた。


「お嬢さん、本当に良いのかい? こう言っちゃなんだけど、最近は客が増えてきてるのもあって、それなりの額にはなるよ?」

「マルガさーん、この別嬪さんに免じて今日はタダ酒飲ましてくれよお」

「馬鹿言え、こっちは商売なんだ。美人が来るたびに割引してたら店が持たないよ。何せうちは『酒場の紳士』行きつけの酒場だからね」

「くっそー。やっぱマグリスのせいかよ」


 会話に横入りしてきた客は、そんな戯言を言いながら不貞腐れている。ローナは上品に口元を押さえて笑うと、楽し気な様子でマルガに言葉を返した。


「御心配どうも。でも大丈夫よ、お金ならあるから」

「そうかい?」

「不安なら先払いでもいいわよ?」

「……いや、疑うようなこと言って悪かったよ。形見の店だから、潰す訳にはいかなくてね」

「そんな! 潰れたら困るわ。私もここの常連になりたいんだから」

「ははっ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


 初来店の時からローナの身なりから裕福であることは察していたが、それでも年若い女性だからと気にかけていたのだが、いらぬ心配だったようである。彼女の気丈に感心したマルガは、気の抜けたように笑ってそのまま去って行った。


「……というわけで、今日はお姉さんのおごりだそうでーす。じゃんじゃん飲みましょう」


 女性同士の話し合いがまとまったところでヒロキが改めてそう告知をすると、客たちはわあっと喜びの声を上げる。中には、タダ酒にありつけたのがよほど嬉しかったのか、「ありがたや……ありがたや……」「ローナ様が神々しすぎる」「僕は一生ローナ様の下僕です!!」なんて声も聞こえる。しかし、ローナは慣れているのか、さして気にしていない様子でヒロキに話しかけた。


「それで、ヒロキ。何か欲しいものはある?」

「何ですか、急に」

「お礼よ、お礼。ヒロキのラジオがきっかけでことが進展したから、要望があれば応えようと思ったのだけれど」

「何でもですか?」

「あえてそうは言わないけれど。一体何をさせる気なのよ……?」

「欲しいものねえ…………」


 ローナのツッコミを無視してそう呟くと、ヒロキは背中を丸めて黙り込んだ。顎に手を添えままじっと数秒考え込んで、「あ」と声を上げた。


「じゃあ、ミルキー・ソームで」

「ミルキー・ソーム……?」


 ぐっと眉をひそめたローナに、ヒロキは「あー……やっぱりないです?」と何でもないような口調で告げた。ローナは戸惑いながらも答える。


「いえ、まあ……私が貰ったことになってる暫定の品ならあるにはあるけれど…………」

「じゃあそれください」

「…………あなた、正気?」


 さらに怪訝な表情を浮かべてそう尋ねるローナに、ヒロキはわざとらしく目をぱちぱちさせた。


「……自分、何かおかしなこと言いました?」

「ミルキー・ソームなんて貰ってどうするのよ」

「飲みますけど」

「誰が?」

「えー、この流れで自分以外にいます?」

「…………あなた、正気?」

「それ二回目ですって」


 気がつけば、興味ありげに二人の会話に耳を傾けていた周囲の客たちもすっかり静まり返っている。ヒロキだけが本気で理解していないようなのを察して、ローナは大きくため息をついた。


「ミルキー・ソームを飲むってことは、つまり、死ぬってことなのよ?」

「そうですねえ」

「『そうですねえ』って……。自分で自分の命を捨てるなんて馬鹿な行動だとは思わないの?」

「別に……。というか、自分の国ではまあそういうこともそれなりにありましたし」

「…………あなた、いったいどんな場所で生きて来たのよ」

「異世界ですね、あはは」


 けらけらと笑うヒロキにローナはまたため息をつく。周囲の客たちも、案外ヒロキは過酷な世界を生きぬいてきたすごい人なのかもしれない、なんて冗談交じりに思いながら言葉を失っている。


「…………あなた、正気?」

「あ、それ三回目もある感じなんですね」

「まったく……これは真面目な話なのよ? あなたが欲しいものを否定する気はないけれど、本当にそれで後悔しない? 私は二度も三度も願いを叶えてやるような女神様じゃないって、ちゃんとわかってる?」

「ははっ、わかってますって」


 ヒロキはにまにましながらそう返事すると、酒を煽ってグラスをことりとテーブルに置いた。それから一息ついて、いつも通りの口調で話し始めた。


「自分は、酒があればだいたいどこでも楽しく過ごせるんで……。ぶっちゃけそれさえあればいいです。世にも奇妙なお酒を飲んで死ねるなら、それで充分です。それ以上面白い人生はないと思いますし」


 酒がまわってきたせいか、ヒロキはずずっと鼻を啜った。あんまりすらすらと言葉を並べるので、周りの誰も何も言えずにいた。しかし、そんな空気を打ち破った人物が約一名だけ存在した。


「…………ヒロキさんって、変わらないですね」

「と、言いますと?」

「最初から最後まで変人です」

「突然とんでもなく失礼なこと言いますね。さては誰か飲ませました?」


 頬を赤くしたラッドがへにゃりと笑みを浮かべると、マルガが呆れたように額をおさえる。ヒロキがこの居酒屋にやって来てから数えても、随分見慣れた光景である。それでようやく気が緩んだのか、酒場には少しだけ音が戻り始めた。


「ヒロキさんって、そういうとこありますよね」

「なんですか、ラッドさん。悪口ですか?」

「違いますよお。話してて飽きないって褒めてるんです」

「えー、本当かなー」


 なよなよした声で二人が話しているのを眺めているうちに、なんだかローナも肩の力が抜けてきた。確かにヒロキは出会ったときからこういった人物だったかもしれない、と思い直して、ローナは覚悟を決めた。


「……分かったわ。ミルキー・ソームはあなたにあげる。飲むつもりのない私が持っていても仕方がないもの」

「え、良いんですか?」

「何? 今更怖気づいた?」

「いやいや、まさか本当に幻の酒をいただけるとは思わなくて。いつ届きます?」

「今日よ」


 すると、どこかで息の洩れる音が聞こえた。ローナが振り返ってにっこり笑いかけると、目を合わせた従者は心底面倒そうな顔をして見せた。しかし、命令とあっては仕方がない。従者は丁度水が尽きたグラスを丁寧にテーブルに置き、重い腰を上げ外へ出て行った。


「じゃあ、ミルキー・ソームは今日の締めと言うことで?」

「本人がそうしたいのなら、私はそれでもかまわないわ」

「是非是非」

「ふふっ、今日は眠れないかもね? さ、飲み明かすわよー!」


 ローナはそう言って見せびらかすかのようにグラスを掲げると、珍しくヒロキも控えめにグラスを持ち上げて水面を揺らした。すっかり元の雰囲気に戻った店内のあちこちで、本日もう何度目かわからない「乾杯」の声がこだまし始める。


 夜は長い。宴は続く。

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