26.砂糖じゃ刺激に代われない その4
【前回の記憶】
「…………証拠が、ないじゃないっ!!」
「…………ミルキー・ソームで暗殺?」
マグリスのそんな言葉に、店内の客たちの好奇心がうずき出す。こっそりと耳を傾けている客たちに気がついているのか否か、ローナがため息交じりに話し出した。
「そうよ。彼女はミルキー・バップって言い張ってたけど、あれはどう見てもミルキー・バップじゃなかったわ。代わりに、あの幻のお酒の特徴とぴったり一致しているの。本物かどうかは正直わからないけれど……でも、『証拠がない』『間違えただけです』なんて、信じられる?」
「俺はその場に立ち会ってるわけじゃねえから、なんとも言えねえが……そもそも、ミルキー・ソームは実在すんのか?」
「どう、なのかしら…………そう言われるとちょっと自信がなくなってきたわ」
マグリスの疑問は最もだと思い、ローナが頬に手を添えて悩まし気な表情を浮かべる。すると、盗み聞きしていた客の一人であった老人が二人の会話に口をはさんだ。
「…………実在するぞい」
「……え?」
「爺さん、何か知ってんのか?」
「いや、実在するというのは語弊を招くかのお。作り方は存在する、とでも言うべきか」
「それって、作り方はあるけど普通だったら作れない……ってこと?」
「ほっほっほ、お嬢さんは賢いのお」
ローナがはっとした様子で呟くと、老人は満足げに笑った。周囲の客たちにも、僅かにどよめきが広がる。「おいクソジジイ、ボケてんじゃねえだろうな?」「はっ、年寄りの言うことをまともに受けてちゃ生きてけねーよ」と野次が飛んでくると、老人は微かに震わせながらも人差し指をすっと立てた。
「ミルキー・ソームが幻の酒と呼ばれる所以はな、その致死性と作り方じゃ。あれを作るにはな、三種の精霊の涙が必要になると言われておる」
「精霊の涙……? それって難しいことなのか?」
「なら、お前さんは泣けと言われて泣けるのか?」
老人にそう問い返されると、マグリスはぐっと言葉を詰まらせた。「つまりは、そういうことじゃ」とマグリスの反応に頷き、老人は話を続けた。
「精霊の祝福と違ってな、精霊の涙というのは、それはそれは手に入れるのが難しいものなんじゃ。そもそも、エルフ以外の人種はめったに精霊と言葉を交わせんしのお」
「ちなみに、エルフはミルキー・ソームを作らないのかしら? いい商売になりそうなものだけれど」
「エルフはプライドが高い奴が多いからのう。わざわざ人間ために酒を造ったりしないじゃろう。それに、エルフと精霊のつながりは非常に強い。もしミルキー・ソームを作るために、例えば、そう、苦痛を与えてな、無理に涙を奪ったとするじゃろ? すると、そやつの周りの精霊はどんどん離れていく。そして全く寄り付かなくなったとき……そのエルフはエルフとしての生を失うと言ってもよかろうな」
「そうなの?」
「……そうですよ」
ローナがきょとんとしていると、どこからか小さく声が聞こえた。「おっ、ニアじゃねえか」と言ってマグリスが向いた方にローナも顔を向けると、特徴的な尖った耳が目に入る。
「あの子は?」
「ニアってんだ。城下町にはまだ知り合いが少なくてな、ときどきこの酒場に遊びに来てるらしい」
マグリスが紹介したのを察してか、ニアはローナに向かって頭を下げた。随分礼儀正しい子だなと感心して、ローナもそれに応える。
「……ええと、エルフの話ですよね? エルフは精霊と話ができることをとても誇りに思っているんです。だから逆に言えば、精霊と言葉が交わせないエルフはその、見下されて…………エルフの村では暮らせなくなってしまうんですよね」
ニアはそう言うと、眉尻を下げながら笑った。すると、それを見た一部の客が鼻を啜り出したので、ローナは「もしかしてあなた……」と言いかけたが、すぐに優しい微笑みに切り替えた。
「…………いえ、そう、そうなのね。ありがとう」
「いえいえ! むしろ、ちょっと変な空気にしちゃってすみません」
「あら、気にしなくていいのよ? 酒場で泣いてる男なんてごまんと見てきたから」
ローナが冗談っぽくそう伝えると、ニアは小さく笑みをこぼした。すると、また「あのー」と新たな声が飛び込んでくる。
「こっちのゲスト、とらないでもらっていいですかね?」
「はっ! すっ、すみません、ヒロキさん……!」
「おっ、なんだ。ヒロキ、遂に嫉妬か?」
「邪魔すんなって。今あの姉ちゃんの話がいいところなんだからよ!」
「そうそう。それにニアくんだって美人なお姉さんと話した方が楽しいに決まってんだろ?」
「お前は一人で喋ってろバーカ」
「うわあ、最後の人はただの悪口じゃないですか」
へらへらと笑いながら、ヒロキは次々飛んでくる声をのらりくらりと躱している。ラジオで聞いた声はこの人か、と気づいたローナが近くを通りがかったマルガを呼びつけた。
「彼に相談できるって聞いたんだけれど、どうしたらいいかしら」
「ああ、それならこの『ラジオ』ってやつだね。注文するかい?」
「ええ、お願い」
ローナはマルガに説明を受けると、タグにすらすらと文字を書き連ねた。それを隣で見やりながら、マグリスはグラスを傾けた。
「随分とお綺麗な字だな」
「そう? ありがとう」
「…………」
「あら、何も聞かないのね」
「……散々言い聞かされたんだよ。『女は嘘で着飾ってなんぼだ』ってな」
「ふふ、よくわかってるじゃない。お姉さん、これでいいかしら?」
「あいよ、確かに」
ローナがうきうきした様子でタグを渡すと、マルガはにっと笑ってそれを受けとり、酒と一緒にヒロキのもとへ運んだ。
「……あっ、さっきのお姉さんが注文を? あ、そう」
マルガが耳打ちした情報にヒロキがそんなそっけないコメントをすると、怪しげな美女の虜となった群衆はブーイングをした。ヒロキは少しばかり呆れた顔で改めて客たちに向けて声を発する。
「はいはい、すみません。お酒ありがとうございまーす。では皆さんお待ちかねのお姉さんのお悩み相談ですよーっと」
そんなふうに話の続きをぶら下げると、男たちは途端に静かになった。ヒロキはますます呆れたようにため息をつきながらも、タグに書き記された事項を読み上げたのだった。
「えーっと、『ミルキー・ソームで暗殺をふっかけてきた女をつるし上げるにはどうしたらいいかしら』と。…………え、つるし上げたい感じなんですか?」
「ええ。何かおかしい?」
「いや、お姉さん、お上品で大人しそうなのに意外だなって。何か理由でも?」
「まあね。人の恋人をつけ狙うような小娘はきっちりシメておかないと」
女性が清々しい笑顔でそんなことを言えば、周囲の人々は口笛を吹いて大いに盛り上がった。ヒロキも「……あー、なるほど」とこぼして、心なしかそわそわした様子で身体を揺らしている。
「そうですねー……ミルキー・ソームってあれ、飲んだら死んじゃうっていう幻の酒ですよね? だったら、自分は人にのませる前に本当に致死性があるか確認しますね。こんなこと言うとアンチ来そうで怖いんですけど、その辺の小動物とか使って。で、その死体を隠すと思うんで、まずはそういうのを探して見たらいいんじゃないかなー、と思います。はい」
「なるほど……確かに、証拠は集めれば集めただけ有利よね」
足を組んで顎に手を当てながら、ローナはそう呟いた。そのどこか妖艶にも思える美しさにノックアウトしたらしく、テーブルにだらしなく突っ伏しているのがちらほら見える。
「あの、僕も気になることがあるんですが……」
「どうぞどうぞ」
「えっと、そのミルキー・ソームって、既存のものを使われたんでしょうか?」
「ごめんなさい、それは分からないの。彼女は『取引相手が間違えただけ』と言っていたけれど……私からすれば正直それすらも疑わしいわ。でも彼女はエルフではないはずだし……」
「これはあくまで一つの可能性なんですけど……エルフと契約した、ってことはありませんかね?」
「契約? でも契約してミルキー・ソームを作ったとしたら、エルフの村にはきっといられなくなるって……」
「確かに、精霊との使役関係はエルフの特徴として根強いです。ただ、他にもいろいろあって、その優先順位は個人によって異なります。エルフも生き物なので」
「……つまり、精霊との関係を打ち捨ててでも優先したい何かがあったなら、契約が実現された可能性があるってことね?」
「そうです。エルフにはこだわりや執着が強い人も多いので、もし本当にそういうものがあったのなら、精霊との関係は二の次だったとしてもおかしくはないと思います」
納得した様子で頷くローナに安堵してから、「それと」とニアは言葉を続ける。
「証拠になるものなら、エルフは契約順守が原則なので、もしかしたら契約書が残っているかもしれません」
「契約書……! ありがとう、探してみるわ」
「お役に立てたのなら、良かったです」
ニアがにへらと笑ったその時、店のドアが開かれた。ローナは入口の方を見て、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「……いいところに来たわね」
「何が『いいところに来たわね』ですか。また一人で飲み歩いて……。まったく、帰りますよ、お嬢」
「ええ、そうしましょう」
「…………? なんだか今日はやけに素直ですね?」
「そう? まあ、やりたいことが出来たのよ。手伝ってちょうだい」
「やりたいこと?」
怪訝そうな顔でそう尋ねる従者に、ローナはこくと鼻歌でも歌い出すかといった感じで頷く。そしてちょうどドアの前でぴたりと足を止めると、深く息を吸い、客たちの方を振り返って、堂々と叫んだ。
「あのいけ好かない令嬢をぶっ潰しに行くわよ!!」
凛としたローナの決意の声に、客たちは雄たけびを上げる。「いいぞ、やったれ!」「一発かましてこい!!」と歓声を送る客たちの一致団結したような雰囲気に呆気にとられながら、従者は訳が分からないままローナに手を引かれて店を後にしたのだった。
「………………あれ、大丈夫か?」
「怒った女性は怖いって知ってるでしょ? ま、なんとかなりますよ。きっと」




