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23.砂糖じゃ刺激に代われない その1

【前回の記憶】

「…………死んだら、その時はまた探しに行きますよ。きっと」

「あー……生き返ったあー…………」


 女性は頬を赤らめて満足げに息をつくと、空になったグラスをテーブルに静かに置いた。泥酔しているのではと思われるほどの酒を飲んだ女性だったが、幸か不幸か、記憶も思考も至って鮮明である。女性はうっとりするような仕草で肘をつき熱を帯びた頬に手を添えて、もう一度息を吐き出した。


 すると、男性がやって来て、隣の席を埋めた。どういうわけか注文をする気がないらしい男性を見て、店主は迷惑そうに顔をしかめる。それに気づいた女性が、「ごめんなさいね。待ち合わせをしていたの」と言って特上の笑みを送った。店主がふいと目を逸らした隙に、女性は男性の手を握って指を絡ませ、二人は外へ連れ立って行った。


 黙ってしばらく歩くと、庶民を見守るあたたかな街燈が減り、徐々に人気が少なくなって来る。影のさす夜道で、女性が先に口を開いた。


「もう。なんで来ちゃうのよ」

「お嬢が勝手に城下街へ下りて、一人で飲み歩かれるからです」


 女性が手を放して不満げな声をあげると、男性は呆れた様子でそう返した。いつものことだとはいえ、気に喰わない女性は負けじと言い返す。


「それの何がいけないの?」

「女性が夜遅くに一人で出歩くなど、言語道断です。しかも、お酒も飲まれた状態で……不埒な輩に狙われたらどうするのです?」

「さあ? わからないわね。私みたいな素敵なレディに易々と話しかけて来るような馬鹿な男にはまだ出会ったことがないから。それに、私だってそこら辺の訓練生と張り合えるくらいには鍛えているのよ?」


 早歩きでわざと距離を話そうとする女性に、男性は「はあ」とため息をついてつかつかと歩み寄る。


「そういう問題じゃありません。あなたの婚約者が心配するでしょう、と言っているんです」

「ああ、それは………………それはちょっと困るわね」


 歩く速度を緩めて考え込むような仕草をしてから、女性はしゅんと眉尻を下げた。ようやく隣に並んだ男性は、ほっと息をついて言葉を続ける。


「お嬢がお酒を嗜まれるのは分かっています。ですから、飲みたいものをおっしゃっていただければお部屋にご用意いたしますのに……」

「そうじゃないのよ」


 説教くさい男性の声を遮って、女性は一歩前で振り返ると、艶やかな笑みを浮かべた。


「私は、ああいう場所で飲むお酒が好きなのよ」




「ローナ!」


 従者が開けた玄関の扉の先には、既に婚約者が待ち構えていた。女性が顔を上げて目が合うと、婚約者は喜びを前面に押し出した様子でにっこりと爽やかな笑みを浮かべる。その素直すぎる感情表現は、どこか犬のような可愛らしさも備えていて、女性はくすりと笑みをこぼした。


「今日も可愛いね。その服、すごく似合ってる」

「ありがとう。あなたこそ、相変わらずの美男子ね」

「ふふっ、ありがとう。さ、行こうか」


 爽やかな笑顔でそう言うと、婚約者はそっと手を取り優しくエスコートし始めた。歩調に合わせて透き通るような金髪が風でなびくと、女性の上品なワンピースの裾も楽しそうに揺れる。いつもは女性の行動に呆れている従者も、並んで街へ向かっていく二人の背を見送るこの時ばかりは、微笑ましいものだと頬を緩ませずにはいられなかった。


 城下街でも浮かない私服をわざわざ揃えてお洒落をした二人は、自分たちの足で街を練り歩く。詩人の歌声に立ち止まって手を叩いてみたり、気ままにウィンドウショッピングをしたり、カフェのテラス席で一休みしたり、花屋で花を贈り合ったり。二人のデートはいつも、貴族とは思えない非常にカジュアルなものばかりだった。


 おしゃべりをしながら、女性はちらと婚約者の顔を盗み見る。婚約者は貴族の間でも噂になるほどの美男子で、女性もつい見惚れてしまう時がある。その上、婚約者は感情表現が素直で、乙女心をくすぐるのがとても上手だった。女性は元々婚約者なんて御免だと思っていたのだが、彼と出会ってから不満を抱いたことは一度もなく、むしろ自分と趣味が合うのを嬉しく思ったくらいであった。こんな婚約者と結ばれるのなら、もしかするとあんな狭苦しい鳥かごで従順に一生を過ごさなくても済むのでは、と未来に希望を抱いてしまうほど、彼は女性に取って眩しい存在だった。


「ローナ、あれ」


 そんな声で、女性は夢かと思うほど幸せな現実世界に引き戻される。しかしそれもつかの間、婚約者の目線の先にあるものを見て口角をひきつらせた。


 反対の通りからこちらを見つめていたのは、噂の新興貴族の一人娘だった。好みは別れるかもしれないが、可愛らしい顔立ちだと言えるだろう。庶民に紛れるような服装をしている二人とは対照的に、令嬢はレースやリボンなどの装飾をほどこされたどこかメルヘンチックとも取れるようなドレスを着ている。


「よく気がついたわね?」

「あっちが先に気づいていたみたいでね、視線を感じたんだ。それにしても、こんなところで会うなんて奇遇だなあ」

「…………そうね」


 自分で尋ねておいて、女性はひどく安堵した。他にいい女がいないか探していたら、なんて理由だったらどうしようかという心配は杞憂だったようである。女性は胸を撫でおろしながらも、もやもやした感情で向こう側にいる令嬢を見つめた。


 令嬢はふわりと笑うと、指先でドレスの裾をつまんで頭を下げた。貴族同士の挨拶はどうも堅苦しい、と内心愚痴を洩らしながらも、女性はなんとか笑顔を保って礼を返した。しかし、どう見ても令嬢が頭を下げた相手は女性ではなかった。


 というのも、どうもあの令嬢は婚約者に惚れているらしいのである。すれ違うたびに熱烈な視線を送られ、何度もアプローチしている姿を見かけてしまっては、さすがの女性もそう気づかずにはいられなかった。しかし、当事者であるはずの婚約者は恋人一筋で、自分が好意を向けられていることなど微塵も気がついていないようである。女性は正直、これを喜んでいいものかどうかわからなかった。


 二人が礼を返してすぐ、令嬢は笑顔を残して後腐れのない様子で再び歩き出した。それを合図に、女性と婚約者もあるべき時を取り戻したように動き出す。じゃれ合いながら並んで飛ぶ鳥のように、通りには親し気な笑い声が響き渡った。


 しかしその日、令嬢と別れる間際に向けられたねっとりとした視線が、奇妙なまでに瞼の裏にこびりついて離れなかった。

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