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22.つゆのあと その3

【前回の記憶】

「…………かんぱい」

「あ、の」


 先に動いたのは、ヒロキだった。


「ん? どした?」

「恋人は、いますか」

「いないけど。絶賛募集中って感じ?」

「……自分は」

「うん?」

「自分は、駄目ですか」

「…………んふふっ、ふふっ、あははっ!」


 彼女は深夜にも関わらず大声をあげて笑った。ヒロキは馬鹿にされているのかと思って彼女をじろりと見たが、彼女はひとしきり笑い終えた後で、目を閉じていてもわかりそうなくらい嬉しそうな声を発した。


「……ふふふっ、うん、いいね。いいよ。私も君がいいと思ってた」


 そんなロマンチックとはほど遠い告白にも関わらず、彼女は至って楽しそうに首を縦に振ったのだった。


 弱っている時に優しくされたせいか、それとも彼女の魅力が功を成したか、ヒロキが彼女に惚れて告白し、付き合うことになった。あの日酒を飲み終えてすぐ、彼女と別れる間際の出来事だった。どうしてあのタイミングで告白しようなんて考えたのか、ヒロキ自身にも未だによくわからない。人生に自棄になったとも言えるし、酒の勢いだったと言えるような気もする。あるいは、一目惚れというやつへの憧れだったのかもしれない。


 そういうわけで、始まった時の感情は、正直言ってよく覚えていなかった。しかし、付き合ってからの日々の鮮やかさは、ヒロキにとって決して嘘ではなかった。同じ大学の一つ上の先輩であること、サークルには入っていないこと、食べ歩きが好きなこと、本を読むのは苦手なこと、お酒は好きだけど強くないこと、高校生の頃からあのコンビニでバイトしていること。そんな彼女のプロフィールは付き合い始めてから知ったが、知れば知るほど惹かれていく感覚はヒロキにとって初めての感覚だった。彼女が笑うたび、気づけば自分も笑っているのが不思議だった。


 しかし、付き合い始めて一年と少しが経とうとしていた時、ヒロキは突然彼女と音信不通になった。


 彼女の連絡は気紛れな方だったが、数日たってもメッセージに既読がつかないなんてことはそれまでになかった。何度かかけた電話もつながらない。大学構内でよく落ち合っていた場所にも頻繁に顔を出してみたが、彼女の姿は見当たらなかった。数少ない友人に茶化されず本気で心配されるほど、ヒロキは柄でもなく動揺していた。ヒロキはこうなるまで、彼女に対しどれだけ惚れこんでいたかに自覚的ではなかったのである。


 彼女が死んだと聞いたのは、それからすぐのことだった。通学で利用していたバスが事故に遭い、彼女はヒロキの知らぬ間にこの世を去っていた。


 彼女の死を知ってしまった日、表情をそぎ落とされたヒロキは、すぐにでも彼女のあとを追いかけようかと思った。しかし、いつもの癖で立ち寄ってしまったコンビニで、あの日と同じパッケージの酒を目にして、ヒロキは足を止めた。


 不吉な何かに足をからめとられて動く気力をなくしていたあの日、「人生、死ぬときは死ぬからさ」と、彼女はそんなことを言っていたような気がする。それから豪快に笑った姿を思い出して、ヒロキは自分の考えていたことが一気に馬鹿々々しく思えてきた。これってつまり遠距離恋愛ってやつか、と考えなおせば、どこか遠くの彼女が声を上げて笑っている様子が目に浮かんだ。ならば、アルコールに弱い彼女の代わりに色んな酒を飲んで、土産話でもしてやろう。そんなことを考えていたくせに、結局彼女の好きな酒を2缶手に取ったのだった。


 彼女の来ることのないアパートの一室で、プルタブを持ち上げてぷしゅ、と音を鳴らす。そして、もう一つの缶を小さな机の上に置くと、手元の缶をそっと近付けた。


「…………かんぱい」


 かこん、と安っぽい音が響き、ヒロキは少しだけ目元を緩めた。




 「お願いしますよー、ヒロキさーん」とか「続きが気になって夜しか眠れねえよー」とか、そんな風に絡んでくる声が止んだことに気づき、ヒロキは回想から現実世界へと意識を戻した。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、片付けが一段落したらしいマルガがこちらへ向かって来ていた。


「あ、終わりました?」

「残念なことにね」


 皮肉を言いつつマルガはヒロキに結び付けたおんぶひもをほどき、赤ん坊を自分の背に戻した。赤ん坊はまだすやすや眠り続けていて、ヒロキはその動じなさに少しだけ感心した。


「まあ、助かったよ。ちょうど帰ってきたみたいだから」

「そうですか」

「あんたたちもさっさと帰る支度をしな。本当に店じまいなんだから」


 しっと手を払う仕草をすると、マルガは赤ん坊を送るため店を出て行った。帰れと言われたにも関わらず、マルガが去った途端に客たちは諦めきれない様子でしつこく「金なら払うから教えてくれよ」「俺だって恋バナしたーい」と再び話し出す。


「嫌ですよ。そんなひけらかすようなものでもないですし」

「けっ、真面目かよ」

「なんだよー。『愛してる』くらい言えねえのかよー」

「そういう台詞は自分のいた場所では気障すぎてちょっと……。でもまあ」


 言葉の途中で酒を飲み、一息つくと、ヒロキは落ち着いた声で言った。


「…………死んだら、その時はまた探しに行きますよ。きっと」


 グラスの縁に残った酒が透明な壁を伝って、一筋の光を描いていた。

【気紛れアルコールギャラリー⑦ サンブール・ワイズ(sunbule wize)】

 スパークリングワインと同じようなものだが、炭酸はやや弱い。ヒートナック(*)特有の可愛らしいピンク色が特徴。ヒートナックの葉や花をグラスに添えて出す店もある。「サンブール」「ワイズ」と呼ばれる場合もある。酒言葉は「独り占めしたい」。


*ヒートナック(heetnuck)…果実の一種。ツタ植物で、実が出来る前には白い小ぶりの花が咲く。大きめのサクランボのような形で、ピンク色をしている。匂いや味は、桃に近い。一般的な果物で、街でも売られているのをよく見かける。

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