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21.つゆのあと その2

【前回の記憶】

「…………傍にいたい相手がいるので」

「…………へ」

「…………は」


 ヒロキの突然のカミングアウトに、客二人は変な声を出した。それからひゅっと息を吸いあげ、思わず大声をあげそうになる。しかし、ふっとヒロキの背中で揺れるオレンジ色の細い髪が視野に入って、両手で口元を覆いギリギリのところでなんとかこらえたのだった。やや離れた場所にいたマルガは客の様子が豹変したことに気がついたようだが、赤ん坊に害がないと知ると、すぐに片づけ作業に戻っていった。


「どっ、どどどど、どういうことだよ……!?」

「お前、か、彼女いたのかよ……っ!?」


 ひどく動揺しながら、客たちはテーブルに身を乗り出し、ヒロキに詰め寄った。勿論、声量は抑えたままである。顔の周りが急に酒臭くなって、ヒロキは眉をひそめながら「えっと、まあ、はい」と答えた。


「まじか……っ! 裏切られた……!」

「うーわ最悪。俺仲間だと思ってたのに…………」


 そんなことを言いながら、二人は各々悪役みたいに唇を噛みしめたり、戦い終わった後の選手みたいに天を仰いだりした。ヒロキはそれを目にして、一瞬不満げな表情を見せた後、呆れたように息を吐き出した。


「そんなに意外ですかね?」

「意外どころの話じゃねえって。まさかお前に女の影があるとは誰も思っちゃいねえだろうよ」

「っはー、一番女っ気がなさそうなのになあ」

「いや、別に誰彼かまわずひっかけてるわけじゃないんで……」


 客がさらに顔の距離を近づけてこようとしたので、ヒロキは慌てて手で制した。今日はもうこれ以上酒臭いのも男くさいのも勘弁なのである。客は背負った赤ん坊に免じて椅子に座り直してくれた。ヒロキはほっと胸を撫でおろしながら、思い通りに動けないというのは随分と面倒だな、と変なところで子育ての大変さを学んでいた。


 すると、もう一人の客が「あっ」と言ってヒロキの方へ目を戻した。


「ならお前、早く元の世界に戻らねえとまずいんじゃないか?」

「確かに。にしては、全然焦ってる気配がねえな」

「焦って帰れるものでもないんでしょう? なら焦るだけ無駄じゃないですか。それに…………」


 そこまで言うと、ヒロキは残り半分をきったグラスの酒に口を付けた。もったいぶるように話を止められ、客は「なあ、教えてくれよー」「気になるじゃねえかよー」と喚き始める。ヒロキはそれを無視して、懐かしむように元の世界での記憶の海に潜り込んだ。




 あの日は確か、雲の多い夜だった。時計の針が天辺を過ぎたころ、ヒロキは嫌気が募ってアパートの一室を出た。大学進学をきっかけに上京しての一人暮らしだったから、引き留めてくれるような人もいなかった。


 講義の小テストの結果が良くなかった。バイトでへまをして叱られた。友人に予定をドタキャンされた。サークルで飲まされて吐いた。両親が電話で小言を言ってきた。塵も積もれば、とはよく言うが、ここまでくると最早特定の何かが嫌になったとかではなく、人生を総括するところに謎の嫌悪感を覚え始めているような感覚だった。その結果が、この深夜徘徊である。街燈の少ない道で自転車に轢かれて怪我をして動けないところを、さらに車で引きずり回されて、体がぐちゃぐちゃになってしまえばいい。そんな馬鹿なことしか考えられなくなっていた。


 当てもなく歩いていると、ふと瞼の裏が白く染め上げられる。目を開けてみると、それはコンビニの明かりだった。気がつかないうちに、また一店舗近所に増えていたらしい。何か面白いものでもあるかと思って立ち止まってみたが、外から見えるポスターは近々行われるツアーライブの告知とか、店内で割り引かれている商品の紹介とかそれくらいで、特に目新しいものもなかった。ヒロキはまた夜道に意識を戻そうとした。しかし、自動ドアが開いた音の後、それを一つの声が引き留めた。


「お兄さん、こんばんは」


 その「お兄さん」が自分のことを指していることは明白だったが、返事をする義理もないだろうと思って、ヒロキは無言で振り向いた。コンビニの出入り口の脇に、一人の女性が立っていた。どんよりとした天気に似合わない、清々しい満面の笑みだった。


「何してるんですか?」


 ヒロキが彼女の女性を無視していると、彼女は無遠慮に近づいてきた。警戒心のなさそうに見えるのが、ヒロキにとってはかえって怖かった。


「今暇です? ならちょっと、一杯付き合ってください」


 女性はそう言って、やや強引にヒロキの手に何か冷たいものを握らせた。コンビニの明かりで照らしてみると、それは度数の低い女性に人気の酒だった。女性の手にも、同じ物が一つ握られていた。


「え、あの、ちょっと」

「え、何? もしかして未成年だった?」

「いや、二十歳ですけど。って、そうじゃなくて」

「じゃあいいじゃん。ほら、ここ座って」


 女性はヒロキの話を堂々と遮ってパーキングブロックの端に腰かけると、ポンポンともう一つのパーキングブロックを軽く叩いた。


「……ここで、飲むんですか?」

「そうだけど。駄目?」

「普通に営業妨害では……?」

「私この店でバイトしてるけど、この時間はお客さんほとんど来ないから大丈夫。あと店長も、『自分で買ったお酒? ならいいよ。どうせ客来ないし』って」


 その店長とかいう人の物真似を披露した女性は、何故かちょっと満足気だった。ヒロキは、この店大丈夫かな、と思わないではなかったが、考えるだけ無駄なのかもしれないと、早々にまともな返事を期待するのは諦めたのだった。


 ヒロキが隣のブロックに座ったのを見てうんうんと頷くと、女性は缶を開けた。車のエンジン音も、人の足音も、猫の鳴き声一つ聞こえない。そんな静かすぎる夜の街に、ぷしゅと音が響く。遅れて、もう一発、ぷしゅと鳴る。


「かんぱーい」

「…………かんぱい」


 かこん、と安っぽい音で始まる、世にも奇妙な出会い方だった。

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