2.酒に溺れて何千里? その2
【前回の記憶】
「ええと、異世界から来ました。……多分」
ヒロキは結局、つっこみどころを失って、そのまま馬車に乗り込んだ。警戒心はないのか、というのはこういう時のためにある台詞なのだろうが、こんなところでせっかく発見した第一異世界人を逃すのはもったいないと思ったのだ。それから、この人多分すごいお人好しだろうし、とも。
「あ、自己紹介がまだでしたね。僕はラッドと言います。お兄さんのお名前を聞いても?」
「ヒロキです。もうそんなに若くないですし、お兄さんなんて呼ばれるのはちょっと……」
「えっ、ヒロキさんおいくつですか」
「29です」
「え、あ、年上だったんですね……」
ラッドは少し肩を強張らせるような仕草をした。
「ちなみにラッドさんはおいくつなんですか?」
「僕は27です」
「なんだ。27も29も大して変わらないですよ。歳の差なんて気にしなくて大丈夫です」
ヒロキがそう伝えると、ラッドは小さく笑みをこぼした。それから、はっと思い出したような真剣な表情になって、ヒロキの話題に戻した。
「ヒロキさんは異世界から来られたんですよね。うーん、どこからお話しましょう……」
「あの。異世界って、驚かないものなんですか」
「そうですね……昔は驚いて大変な騒ぎになったと聞いていますが、今はそうでもありません」
「今は?」
「ええ。現在は世界各地の情報がそれなりにちゃんとまわって来ますし、歴史も重ねましたから、異世界人がやってきたという事例がかなり多いことが分かってきているんです。さすがにこうして出会ったのは初めてですけど、存在は知っていた、って言えばいいんですかね?」
「なるほど……」
「一部ではまだ英雄と祭り上げて戦争へ向かわせたり、神だと祈りをささげて祭事が行われたりしているらしいですが……僕の住んでいるところではそういうのは特にないですね。基本的には一般人として扱われるはずなので、そこは安心して大丈夫ですよ」
ラッドの話を聞いて、ヒロキは少しだけ肩の力を抜くことが出来た。ただの社畜に魔王討伐なんて任されたらどうしようかと、ほんの少しだけ思わないではなかったのである。
「ラッドさんが住んでいる街というのは、今向かっているところですか?」
「ええ。あそこはアスカウィカと言って、この世界では比較的平和な国ですよ。僕の家はその城下街にあります。まあ、必ずしも治安がいいとは言い切れないのが残念なところではありますが」
「お、何か思い当たる節が?」
「僕、姉と二人で居酒屋を経営しているんです。だから、ほら、お酒が入るとどうしても……ね?」
眉尻を下げて笑うラッドに、ヒロキは「あー、なるほど」とこぼして頷いた。どうやら、異世界でも酔っ払いが面倒ごとの種になるのは変わらないらしい。
「姉弟で居酒屋経営か……すごいですね」
「まあ、小さな居酒屋ですけどね。……両親が最後に残してくれた、大切な場所なので」
「……そうでしたか」
「………………」
「………………」
「すっ、すみません! 別にこんなしんみりした雰囲気にするつもりではなかったんですがっ! ほんと、こんな話初対面の人にするとか……」
両手で頭を抱え始めたラッドを横目に、見ていて飽きない人だな、とヒロキの中で第一異世界人への好感度がかなり上昇していた。しかし、この落ち込み状態でこれ以上放置するのもなんだか可哀想なので、「まあまあ」と適度に宥めて次の話題を振ることにした。
「ラッドさんは今日どちらに行かれてたんですか」
「あ、えっと、隣街の酒屋さんに会いに行ってきました」
「お、商談ですか。なんだか居酒屋の経営者っぽいですね。どうでした?」
「あー、それが……あんまりうまくいかなくて」
ラッドはこめかみのあたりをかきながら、自信なさげに話を続けた。
「以前姉さんと二人で隣街に行ったとき、偶然美味しいお酒を見つけたんです。それが、お酒にそんなに強くない僕でも何杯も飲みたくなっちゃうようなもので。是非うちでも扱いたいって話になったんです。いつもだったらそういう話し合いは姉さんが行くんですが、今回はちょっと行ってみたらどうだと言われてしまって……姉さんに言われると断れないっていうか……」
「あー。ラッドさん、確かに頼まれたら断れなさそう。というか、超お人好しですもんね。普通、その辺の異世界人拾って帰ったりしないですもん」
「うっ……ま、まあそうですよね……。でも、僕がやらなかったら誰かが困るんじゃないかって思ってしまって……」
「うーん。断らないのも迷惑なんで、断っちゃっていいと思いますけど」
「え?」
ラッドは目を丸くしてヒロキの方を見つめた。いかにも予想外の返答、と言った感じの表情を浮かべている。ラッドの反応にヒロキも「え?」と困惑しながら、考えていたことを述べた。
「誰しも得意不得意はありますよ。でも、それって仕方がないことでしょう? 出来ないことまで抱え込んで、後で『やっぱりできませんでした』って言われたら、それってただの時間の無駄じゃないですか。かえって迷惑でしょう。だから、出来ないことは初めから『助けて』って言えばいいんですよ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でぽかんとしているラッドに、ヒロキはちょっと言い過ぎたかなと反省した。そこで、少しくらいはフォローせねばと言葉を加えた。
「あー……とはいえ。今回のお姉さんの目的は多分、取引を成立させることじゃなかったんじゃないかな、と自分は思います」
「ち、違うんですか?」
「これは推測ですが……例えばほら、両親が亡くなった時、お姉さんも仕入れの仕方を知らずに苦労した、とか」
ヒロキがそう言うと、ラッドは何か思い出したように「……あ」と声を洩らした。
「自分は一人っ子だったので実際の所はわかりませんが、二人三脚で頑張ってきた弟のお人好しすぎる性格くらい、ちゃんと把握している気がします。だから、お酒を仕入れてもらうことではなくて、商談の現場を知ってもらうことが目的だったのでは? いわば社会勉強ですね」
「社会勉強、ですか」
「見るからにラッドさんって営業には向いてなさそうですしね。押されたら押されっぱなしになりそう、っていうか。自分の取引相手がラッドさんだったら、鴨が葱背負って来たって大喜びしますよ」
「かもがねぎ……?」
「いい金ヅルになりそうってことです」
ヒロキが端的に説明すると、ラッドは「うわあ……」とこれまで見たことのない表情を浮かべた。しかし、数秒後には立ち直ったようで、顔色は随分穏やかなものになっていた。
「まあ、ともかく。断らないのが迷惑ということもある、今回は酒の確約が目的じゃなかった……ってところで気持ちの区切りをつけてみる、というのがいい気がします。あくまで私見ですけどね」
「……そうですね。そうしてみます。ありがとうございます」
ラッドはそばかすのある頬を温かみのある色に染めながら、ゆったりと笑みを浮かべてそう言った。ヒロキはラッドの気分が戻ったことに、そっと胸を撫でおろした。
気がつくと、街の喧騒がくぐもった音で馬車の中に響き始めていた。暫くして、馬車が緩やかにとまる。どうやら、目的地に到着したらしかった。
ラッドと共に馬車を降りると、先ほどの平野とは見違えるようなにぎやかな光景がヒロキの視界いっぱいに広がった。舗装された街道の両脇には、煉瓦造りの建物がずらりと立ち並んでいる。それは決して高級で高尚な感じではなくて、庶民的な温かさを持つ色を放っていた。騒めき声に耳を澄ませてみると時折笑い合う声が聞こえ、ラッドが「比較的平和な国」と表現したのも納得の風景だった。
「あれが、僕の家です」
随分先の景色まで眺めるのに没頭してしまっていたヒロキに、ラッドはそう声をかけてすぐ近くを指さした。その先には看板が掲げられている。それは見知らぬ文字のように見えたが、英文字のようにも見える。さらに不思議なことに、ヒロキはそれを日本語として読むことが出来た。しかし、ヒロキは特に驚くこともなく看板の文字を読み上げた。ここまで現実的な異世界を目にしてしまっては、もはや信じられないものなどないのである。
「えっと……『居酒屋 エンコント』?」
その時、街の喧騒に紛れない真直ぐな鈴の音が聞こえた。看板の真下のドアが開くと、そこにはラッドと同じ赤髪とそばかすを持つ女性がいた。
「ああ、やっぱりちょうど帰ってきたところだったか。馬車の音が聞こえたよ」
「ただいま、姉さん」
「ん。おかえりラッド。ところで……」
姉弟の微笑ましい会話が繰り広げられるかと思った矢先、ラッドの姉の鋭い眼光がヒロキを貫いた。
「……そいつは誰だい」
「ね、姉さん? この人はヒロキさん。さっき帰り道で会って……」
「ちっ、また悪い虫に付きまとわれたか」
「違うってば。ヒロキさん、異世界から来たらしくて困ってそうだったから……」
「『異世界人』なんて、どうせ詐欺の文句に決まってるだろう? ったく……おい、あんた。うちのお人好しの弟から金を巻き上げようだなんて、覚悟はおありだろうね」
「ちがっ、あのっ、ちょっと、話を聞いて! 姉さん!!」
見知らぬ男につかみかかろうとする姉と、それを必死におさえる弟。確かにこんなに強気な姉から頼みごとをされたら断るのには相当勇気がいりそうだな、とヒロキは考えていた。そして、ヒロキはただ立ち尽くして、二人の動きをまるで他人事のように眺めながら、何気なしに呟いた。
「『また』って、他の人も拾ってきたことあるのかな……」