18.泣く子に黙らぬ親も誠 その4
【前回の記憶】
「この酒瓶が届いたってことは、このために金払ってるんですよね? まずこんなくだらないことに金を使うのは無駄なんでやめたほうがいいと思います。はい」
「…………っ」
ニアははっと目を見開いてから、悔しそうに涙をにじませた。それを間近に見ていた客は放っておくことなど出来ず、ヒロキにブーイングを入れた。
「おいヒロキ! お前、相手が子どもだってわかってて言ってんのか!?」
「はあ。子ども」
ヒロキは気の抜けた声を出して、目を丸くした。
「子どもなんだ、へー。……てかこれ、子どもとか大人とか関係あります?」
「ったく、あいつは相変わらずだな……おい坊主、泣くんじゃねえぞ?」
客はそう言ってニアの頭をがしがし撫でた。母親とは違った少し豪快な撫で方に、ニアはますます泣きたくなる気がした。
「あいつはいつもああなんだ。気にすることはねえ」
「っはい、すみません……」
そう口にしたものの、ニアの手の甲は既に濡れていた。それでも客の言葉通りに涙を隠そうとする健気な姿は、酔った客たちの心をいとも簡単に射抜いたのだった。
「お前はなんでこんなに可愛い子どもをそう易々と見捨てられるのかね!? 俺には理解できん!!」
「え、それってあなたの感想ですよね? 自分は別に……」
「うるせーっ!! 泣いている子どもがいたら手を差し伸べる!! それがこの世界の道徳なんだよ!!」
「うわあ酔っ払いに道徳説かれた。異世界差別はんたーい」
けらけらと笑っていたヒロキは、さらに噛みつこうとした客を咳払いで制した。
「えー、まあ。こんなことになるだろうとは思ってたんで、今からちゃんと答えますよ。はい」
それを聞いて、援護射撃にまわろうとしていた客たちもゆっくりと拳を元の位置に戻す。ヒロキは少し呆れたような顔をしながら、話し出した。
「この人はハーフエルフで、人間からもエルフからも差別を受けている、と。……へー、精霊とか存在するんですね。まあ、精霊が使役出来ないなら、他のものを従わせればいいんじゃないですか?」
「…………他の、もの……?」
ニアはそう呟いて少しだけ顔を上げる。すると、目線が合って、ヒロキは当事者の存在を認知した様子で言葉を続ける。
「ほら、例えば…………子どもを守るのが仕事だと思ってる大人って、どこにでもいるじゃないですか」
「…………っ!」
ニアの瞳に光が差す。周りを頼ってもいいんだと思わせるその言葉は、今までほとんど助けを求められる場所がなかったニアにとって、欠けていたパズルの最後の一ピースとなったのだ。発言者がそんなことを考えていたか否かはさておき。
「……っ、ヒロキ! 俺はあんたを見直したぜえ!」
「お前ってばよお…………成長したもんだなあ……っ」
「え、何の話です?」
突然噛みしめるように泣き出した大男たちに、ヒロキは困惑する。
「何って……ヒロキが大人として手を貸すって話だろ?」
「は? 自分はやりませんけど」
ヒロキが背中を揺らしながらあっけらかんと言うと、大の男たちが揃いも揃って「…………は?」と低音を吐き出す。
「さ、さっき言ってたじゃねえか。『子どもを守るのが仕事だと思ってる大人』って……」
「あー。『どこにでもいる』とは言いましたけど、自分がそうだなんて一言も……。自分の仕事はここで相談に乗るところまでなんで、これ以上手を貸すつもりはないです」
「あーくっそまた騙しやがったな!?」
「いや、そちらさんが勝手に勘違いしたんじゃないですか」
ヒロキがさらっと言い返すと、客は胸倉をつかんで身体をゆすり始めた。一応手加減はされているらしいものの、酒の入った身体を揺らされるのはなんとも気持ちが悪く、ヒロキは酔っ払いって面倒だなと思い浮かべながら、眉をひそめた。
すると、唐突にこん、と音が鳴り響いた。決して大きな音ではないが、どこかまっすぐな音である。それに引き寄せられ、客たちの動きが鈍くなり、やがて視線が集まる。音を鳴らしたのは、どうやらカウンターテーブルに置かれたあのグラスらしかった。そして、その傍でぬっと巨体が持ち上がる。
その強面の男性はのっしりと歩を進め、ニアのもとへたどり着くとゆっくりと跪いた。客たちは唾を飲みこんで様子を見守る。
「…………ニア、と言ったか」
「は、はい」
椅子にちょこんと座りながら、きちんと返事をした。まだ緊張を纏った声に、男性はふっと声を洩らした。
「……どこの薬屋か、聞いても?」
「えっと。もう一つ先の通りの角にある、この街で一番大きい薬屋さんです」
「………………そうか」
男性は少しの間目を伏せて考えた後、ニアと目を合わせて、怯えさせないよう優しくゆっくりと言葉を紡いだ。
「…………疲れてないか?」
「そ、そんなには……?」
「…………なら、今から行こう」
「……えっ!? い、今からですか? 薬屋さんに?」
ニアが驚きの声を上げると同時に、一部の客たちは耳を揺らす。ニアはあわあわと手を動かしながら、男性に伝える。
「でも僕、もう断られちゃいましたし……店主さんだってもう帰っちゃってるかもしれません……」
「……あそこの店主ならこの時間はまだ店にいるはずだから、問題ない。それに、交渉なら俺にもできる」
「だけど、お金が……」
ニアがそう言いかけたとき、もう一つの足音が近づいてくる。
「ニアくん、どうぞ」
「……え? これって……」
「さっきはうっかり忘れてたんだけどね、初めてのお客さんにはサービスしてるんだ。……受け取ってくれるかな?」
ラッドが目を細めて小さな手にそっと小銭をのせると、ニアは本当に受け取っても良いものかと迷って数秒目を泳がせた後、それをおずおずと手の内におさめてへにゃりと笑った。途中、「俺はそんなサービス一度も……!」と横槍を入れようとした客は両隣がきっちり口をふさいでおいたので、問題ないだろう。
頬をほんのり赤らめてぐっと涙をこらえていると、ニアは急に浮遊感を覚えた。しかし、驚いたのもつかの間、男性に抱えられて随分高くなった視野には子どもらしく好奇心がうずいた。しばらく「わあ……っ!」と声を洩らしながら辺りを見渡していたが、やがて我に返ると服の裾をきゅっと掴んで恥ずかしさを誤魔化した。それを見守る周りの客たちの目は、なんともまあ生あたたかかい。ニアはややぎこちない声で「あの」と男性に声をかけた。
「……どうした?」
「お名前を聞いてもいいですか……?」
「…………俺はドン。好きに呼んでくれ」




