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14.まぼろし

【前回の記憶】

「そうだ。紙を折って作品を作りいろんな人を笑顔にする、『折り紙マイスター』という仕事だ」

「……精霊を見たことがある? んなわけねえだろ。お前にエルフの血が混じってるわけでもあるめえし」

「嘘じゃねえよお! 小さい頃、こう……ぼんやり光が近寄って来てさあ。静かにしてると笑い声なんかが聞こえて来て……」

「ガキの頃の記憶ならどうせ思い込みだって。ま、大方ミルキー・ソームでも見たに違いねえな」

「いやいや、あれはマジだったって! 頼むから信じてくれよお」


 ラジオでの話が一段落着いたとき、ヒロキはふと近くのテーブルでそんな会話が交わされているのを耳にした。


「ミルキー・ソーム?」

「なんだ、ヒロキ。ミルキー・ソームを知らねえのか?」

「ええ、はい。まあ」


 疑問をそのまま呟けば、まるで知っているのが当然とでもいったように常連が話しかけてきた。すると、その隣の客も「ミルキー・ソームを知らねえと酒好きは名乗れねえぞお」と声を上げた。


「ミルキー・ソームってお酒なんですか?」

「ああ。幻の酒だよ」

「……幻の酒?」


 元居た世界と大して変わらない空気を感じていたこの世界で、ヒロキが日々異世界らしさを感じさせられるのは、ほとんどがこうした新しい知識だった。酒に関する話題だと言うこともあって、ヒロキは興味ありげに客の言葉を反復した。


「そうだ。ミルキー・ソームってのは謎が多い酒で、男の浪漫に溢れてる代物なんだぜ」

「ミルキー・ソームってのはすんげー美味いらしいんだが、なんでも飲んだら一日も経たずに死んじまう運命だとか」

「へえ、そんなお酒があるんですか」

「と言っても、嘘か本当かは知らねえがな。作り方の記録も曖昧だし、飲んだやつの記録もほとんど残ってねえ」

「なるほど。死人に口なし、ってことですね」


 ヒロキの言葉を聞くと、客は「お、上手い表現だな」と言って、にししっと上機嫌に笑った。


「じゃあ、さっき言ってた『ミルキー・ソームでも見た』っていうのは、つまり……『そんなのありえない』みたいな?」

「まあ、そんなところだな。『どうせ幻覚でも見たんだろ』って感じだ」

「へえ」


 ヒロキはそんなそっけない返事しか返さなかったが、常連たちはヒロキが新しいものに触れて無自覚にも随分楽しんでいるらしいことを察した。しかし彼らはいい大人なので、あえてそれには触れず、変わらない様子で話を続けた。


「でもよお。実際、ミルキー・ソームが手に入ったらどうする?」

「なんだ、急に」

「『なんだ』って、お前冷めてんなあ。ミルキー・ソームを飲むかどうかってのは、酒好きだったら究極の選択だろお? 極上の酒の一回に命をかけるか、ほどほどの酒を楽しみ続けるか」

「あー……俺は、飲まねえだろうな」

「ほぼ即答かよ。随分あっさりしてんのなあ」

「そりゃあ、今はもうかみさんだっているしよ。こういう楽しみは、命あってこそだろ?」

「けっ。惚気を混ぜやがったよ、こいつう」


 からからと笑う姿を目の前に、もう一人の客は唇を尖らせた。意外にもこの話題を気に入ったのか、今度はヒロキが客に尋ねる。


「そういうあなたは飲むんですか?」

「うーーん……そう言われると、正直迷うよなあ。すげー美味いって噂は聞くが、実際どんな味がするかもわからねえわけだしよお」

「なるほど」

「その感じだと、お前も飲まねえのかよ」

「かもなあ、あはは。……あ! そいつを売りさばいて一攫千金、一生飲み放題! ってのは?」

「はは、それはいい商売になりそうですね」

「お前ってほんと、そういうときだけは賢いよな……あ、ヒロキだったらどうする?」

「自分は飲みますね」


 ヒロキの回答があまりに迷いのないものだったので、二人の客は意外そうな顔をした。


「おいおい。ここは腐っても語り合いの場だぞお? そんな適当に答え出していいのかよお」

「適当じゃないですよ。ちゃんと真剣に考えてますって。自分は飲みます」

「……ここまで潔いのは珍しいな。どうしてだ?」


 一人が関心を示して、ヒロキに訊いた。ヒロキはグラスを少しだけ傾けて喉を潤してから、「別に大した理由じゃないですけど……」と話し始めた。


「……自分は、別に酒の味が好きで飲んでるわけじゃないんです。生きてる時間を楽しくするために、酒を飲んでるんです。だから、そんなに面白い酒を飲めるのならそれ以上に楽しいことはないでしょうし、その気持ちのまま死ねるのなら、それはそれで本望というか運命というか……」

「でも飲んだら死ぬんだぞ? そこまで追求するほど、酒を飲むのは特別なもんかね」

「まあ、わかってくれとは言いませんが……。自分にとっては十分すぎるくらい特別なんですよ、酒は。だから、もしそのミルキー・ソームって酒に出会う機会が訪れれば、自分は迷わず飲むでしょうね」


 ヒロキはそう述べると、いつもと変わりない様子でへらりと笑った。かなり酔いが回ってきているらしい常連は、眉をぴくりと跳ねさせて、「…………ふうん」と息を吐き出した。


「……ちょっと。聞いておいて『ふうん』って何ですか。もっと他にないんですか」

「おいおい、酔っ払って今までの記憶全部落っことしてきちまったかあ? 今までの自分の行動振り返ってみろよお」

「ヒロキ、あいよ」

「マルガさん。ありがとうございます」

「あっ、おい、俺の話無視しやがったなあ!?」

「じゃあ次のお酒が来たので、この酔っ払いさんたちの話は置いておいて……」

「なあんだよお! こちとら常連だぞお! もう少し構えよお!」

「はははは。面倒臭い男は嫌われますよ。さて、次のお酒は――」


 ヒロキはそれきりあっさりと話を切りかえてしまい、常連二人との絡みを無理に引き延ばそうとはしなかった。その粘着的でない感じもヒロキの良い部分だとは理解されているので、客は諦めて手元のグラスを煽った。すると、片方が相手の肩をつついて、こっそりと耳打ちする。


「……なあ。ヒロキって、異世界人なんだっけか」

「そうだったはずだが。どうかしたか?」

「……あの、あの目はよお…………あいつにも、懐かしいもんがあるのかねえ」

「…………さあな? ……俺たちはきっと、『ミルキー・ソームでも見た』んだよ」

「…………じゃあ、そういうことにしとくか」

「……ああ、そういうことにしておけ」


 今宵もにぎやかな店の片隅、そんなふうにして常連二人の考えは、この騒がしい店内の誰にも伝わらないまま密かにアルコールと共に飲み込まれたのだった。

【気紛れアルコールギャラリー⑤ チャンメロエ(chanmeloe)】

 アルコール度数はイェーレと同じくらい。サプリー(*)の葉の煮汁を熟成させてつくる。無色透明。意識すれば甘いかもしれないという程度で、味もほとんどしない。そのため、単体で飲まれることはめったにない。見た目を重視したメニューのベースとして用いられる酒として有名。「チャンメ」「メロエ」と略して呼ばれることもある。酒言葉は「刺激を求めて」。


*サプリー(supry)…綺麗な水辺に生える植物。長く伸びた茎に丸い葉がついている。葉の部分にアルコール成分が含まれており、温めることで効率的に取り出せることがわかっている。水色の小さな花がいくつも咲く様子が可愛らしく、観賞用として花屋でも売られている。

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