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10.泣く子に黙る親こそ真 その1

【前回の記憶】

「ははは、はは………………あの、ほんと、気をつけます……」

「ねえパパ」


 ある日、学校から帰ってきた娘にそう声をかけられて、父親は顔をふっと上げた。


「……どうした」

「パパってさ、何のお仕事してるの?」


 表情の変化は少ないがその眼差しのあたたかさを信じている娘は、父親に向かって無邪気にそう尋ねた。すると、父親は少しまごついてから、低い声で質問を返した。


「…………どうしてそんなことを聞くんだ?」

「宿題だよ。パパとかママのお仕事を聞いて、作文書かなきゃいけないの。ママはいないから、パパに聞くしかないでしょ?」

「………………」


 質問に対しきっちりと返答できる賢い娘に感心しながらも、父親は困ったように眉をひそめた。


「そういえば今まで教えてもらったことなかったし、私も気になるんだよね。パパのお仕事」

「…………」

「パパ? ねえ、早く教えてよ。じゃないと宿題終わらない」

「……宿題はいつまでなんだ?」

「もうちょっと先。でも早めに終わらせていっぱい遊びたいの!」

「……………………」


 計画的に宿題に取り組む姿勢を見せる娘を内心褒め称えながら、父親は再び黙り込んでしまった。娘は怪訝そうな表情を浮かべ、父親のことをじとっと見つめた。


「ねえ、なんで教えてくれないの」

「…………」

「……まさか、お仕事してないとか?」

「……仕事はしている」

「じゃあ教えてよ!」

「……それは……」


 言葉を詰まらせながら逸らそうとした父親の視線を、「なんで」というか細い声が引き戻す。改めて娘の方を見やると、その瞳が水面のように揺れ始めていることに気がついた。


「お仕事のこと聞かれるのってそんなに嫌? たった一人の家族にも言えないようなことなの? …………っ」

「……おい、どこへ」

「友達の家に泊まりに行ってくる。……どうせ、今日もこれからお仕事なんでしょ?」


 喉の奥から絞り出すような声でそう言うと、娘は自分の部屋の方へ早足で歩いて行き、やがて扉が閉まる音がした。荷物を用意し始めたようだった。頬に垂れた一筋の涙を、父親は見逃さなかった。


 一人きりになった部屋で、父親は深く息を吐き出す。娘が多少感情的になっていたとはいえ、今回の件に関しては確かに自分に非があった。にもかかわらず、聡い娘は頭を冷やすために距離を置こうと、そう考えている訳である。娘に気を使われていることをすぐに理解したが、それが分かったところで今の状況がどう変わるわけでもない。父親は額に手を当て天井を見上げるしかなかった。


 反省を何度か繰り返しているうちに、しばらくして娘が部屋から出る音が耳に入った。どうやら真直ぐ玄関に向かおうとしているらしかったので、父親は覗き込むように顔を出し娘の背中を見つめたが、娘は決して父親の方を見ようとはしなかった。それでも無視するのには気が引けたのか、「……行ってきます」とだけ呟くと、扉の向こう側へと消えていった。


「…………不甲斐ない父親だな」


 本当に一人きりになった家で、父親は心の片隅に浮かび上がったそんな言葉を呟いた。




「――お次のナンバーはこちら。エアストロ『エンドロール』、オテールズ『帰郷』。二曲続けて、どうぞ」


 路地裏でラジオの子機から発される音楽を聞き流しながら、男は軽く肩を回した。音楽番組を装って情報を流している指示役によれば、東に待機していた者が任務を完遂したため、他の者は帰ってよし、とのこと。複数人で任務にあたっていると、こうやって実働がないこともよくある。しかし、完遂に貢献したものより低額とはいえ、金は支払われるので特に問題ない。


 男は一仕事終えて早めに帰れることを嬉しく思ったが、直後愛しい娘が家にいないことを思い出し、少しだけ落ち込んだ気分になった。そのせいで手元が狂ったのか、電源を切ろうとしていたのに謝ってラジオのチャンネルを回してしまった。


「あー、あー。……みなさんこんばんは。『のんべえラジオ』です。初めて聞く方のために説明しておくと、居酒屋『エンコント』に居候してお酒飲みながらだらだら雑談してるだけの放送です。ちなみに酔っ払いしか出てきませんので、悪しからず」


 なんだか締まりのない成人男性の声が聞こえて来て、男はなんとなく興味をひかれた。ラジオの番組にしては少々バックグラウンドが騒がしすぎるような気もするが、話している男性はそんな状況に慣れているようである。この後の用事も特にないので、男はしばらくの間その声に耳を傾けてみることにした。


「えっとー、最近酔った勢いでうざ絡みしてくる人が多いんで改めて言っときますけど、自分は基本的に独り言を話すようなスタンスなんですね。だから、自分の話を聞いてくれとか、悩み相談に乗って欲しいとか、まあそもそも自分のところに来るのが間違ってると思いますけど、どうしても聞いてくれって言うんならちゃんと酒頼んでください。そしたら否が応でも聞きますんで。……というわけで、早速ですが本日の酒はこちら」


 男性は酒について紹介すると、早速その場で飲み始めたようだった。酒が入るとラジオなんてやっていられなさそうなものだが、その男性はむしろ饒舌になるタイプらしい。一定の落ち着いた調子で話し続ける男性の周りで、野次が飛んだり、歓声が沸いたり。男性を中心に様々な声が出たり入ったりするのを聞いていると、男は何だか目を細めたくなる気持ちがした。熱に浮かされた笑い声に紛れて、「ヒロキ」と話し声の主を呼ぶ声が時折聞こえてくる。


「……『ヒロキ』…………『エンコント』……」


 低い声でそう呟きながら、男は空を見上げた。月は高く、一人ぼっちの夜はまだ長い。男は軽く息をつくと、子機の電源を切って路地裏の暗がりを抜け出し、明るい大通りに足を踏み入れたのだった。

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