ダイヤモンドリリー
これは来太がステビアのもとにやって来る、だいぶ前の話。
その朝、ステビアはいつも通り魔法薬草に魔力を振りかけていた。ずらりと並んだプランターの一つが神々しく光を放ち、ピンク色の可愛いらしい蕾を数個ほどつけたのだ。花が咲く魔法薬草は珍しくもないが、こんなに光を放つものは滅多にみない。ステビア自身も育てた中では初めてのことで、思わず手を止めてその蕾の様子を伺った。もう少し魔力を与えたらどうなるのかと気になり、更に力を与えてみる。少しずつ蕾が膨らみ、花が開きかけた。すると、小さな音が花の中から聞こえてくる。
「んーっ」
明らかに何かの声だった。魔法使いと言えど、植物が喋り出すなんて摩訶不思議なことは信じていない。ステビアは目を細めて蕾を覗いた。
「きゃあっ」
先程よりも甲高い声が聞こえ、その拍子に花が開き、中からキラキラと光る羽を背中に生やした小さな女の子が飛び出してきた。
「わっ!」
勢いよく飛び出したため、ステビアも尻餅をつく。軽く打った腰をさすりながら自分の周りを飛び回る小さな生き物を目で追った。
「お、お前……なんだっ」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんです。覗かれるとは思っていなくて……」
ステビアの膝の上に降り立ったのは小さな少女。ピンク色のふわりとした髪に、赤みがかった肌。花弁がスカートになった可愛らしいドレスを身に纏っている。その大きさはステビアの人差し指ほどだった。
「私はこの花の妖精です。名前はありません」
彼女はスカートの端を持ち、ぺこりと綺麗なお辞儀をした。
「無いのか?無いと不便だろ」
「たった今生まれたばかりなので……そうだ、私に名前をください」
彼女は乞うように手を合わせた。
「オレが?」
「はいっ是非」
「ウーン……なら……ハナコ」
「ハナコ?」
「花から生まれたからな」
「素敵なら名前っ!ハナコ、ですね!ありがとうございますっ」
ハナコと名付けられた妖精は羽を小さくはためかせ、ステビアの顔の近くを一周回った。
「オレはステビアだ。ハナコ、よろしくな」
「はいっ!ステビアさん」
「絶妙どころか、果てしなくダセェな……」
「ノアくん。聞こえますよ」
魔法薬草の回収に、珍しく二人でやってきた乃亜と紫苑は、ハナコの姿を見た時よりも彼女の名前を聞いた時の方が驚いていた。
「それにしても妖精とは珍しいですね……」
紫苑はハナコを生み出した花をまじまじと見つめる。見た感じ変わった所はない、いつも扱っているただの魔法薬草だった。携帯用の小さな図鑑を白衣の内ポケットから取り出して確認をしても、花も葉も普通の魔法薬草のようだった。ただ、図鑑には妖精が生まれるといった記述はどこにもない。
「そいつ、害はないのか?」
「ハナコを悪くいうな」
「得体の知らないモノには変わりねぇだろ」
乃亜は身を乗り出してステビアに言った。
「害はないでしょう。ステビアさん、ハナコさんはきっと貴方の魔力に反応して生まれています。明日も同じようにこの薬草に魔力供給してあげてください。それがきっと彼女のご飯になりかわるかと」
にこりと微笑む紫苑の話をふんふんと頷きながら真剣に聞くステビア。その肩にはハナコを乗せている。
「それでは私達はこれで失礼しますが、何かあったら遠慮なく頼ってくださいね」
「わかった」
「ノア様、シオン様。ありがとうございます」
ステビアの肩に立ち、礼儀正しく深々と頭を下げるハナコ。乃亜はその様子を見て、フンと鼻を鳴らすと優しく手を振る紫苑の腕を引っ張って部屋から出て行った。
それからステビアはハナコと部屋で話をしたり、住んでいる建物の屋上へ散歩してみたりと行動範囲は狭いものの、常に一緒に行動するようになった。植物の面倒を見るのはステビアよりもハナコの方が上手く、足りていない魔力量や必要な栄養が細かく分かるため、彼女の指示通り育てた薬草は、紫苑からも好評だった。
一人で住むステビアにとって、同じ屋根の下で暮らす話し相手は新鮮で嬉しくて、いつも同じ事をただ繰り返していた毎日が全く別世界に来たかのように温かくて、物凄く楽しく感じた。
そして、毎晩彼女はステビアが眠る耳元で「妖精の魔法です」と囁いて頬にキスをした。
丁度、ハナコが来てから一ヶ月を過ぎた頃だった。
身体の小さな彼女は、ステビアがいつだか紫苑にもらった小さなドロップ缶の上に、厚めの端切れ布を敷いた簡易的なベッドで睡眠を取っていた。いつもであれば、ステビアより早く起床し、彼を起こしにベッドへとやってくる。しかしその日はステビアの方が早くに目を覚ました。
「……ハナコ、まだ寝てるのか?」
すやすやと気持ちよさそうに眠る彼女の表情を見て、ステビアの顔も思わず綻んだ。
「たまには寝坊も良いか」
ステビアは眠い目を擦りながら、隣の薬草部屋に向かっていく。手のひらをグーパーと開いたり結んだりしながら軽く手の運動をし、部屋の中の魔法薬草に魔力を注いだ。特にハナコの生まれた花には念入りに魔力を注ぎ込む。
ステビアの魔力によって彼女の花は通常の花よりもはるかに長い間、綺麗で可愛いらしい花を開いていた。鼻歌まじりで魔力を降り注いでいると、後ろの方からステビアを呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、妖精の粉を振り撒きながら、ハナコが欠伸をしながらやってきた。
「ステビアさん、おはようございます。すみません、寝過ぎてしまいました」
「ハナコ、おはよう。急いで別にやることもないから大丈夫だ」
ステビアがそう言うと、ハナコはお礼を言いながら彼の肩に腰掛ける。頬をかすめた甘い香りは花の香り。それはほっこりとしていて、お腹のそこが暖かくなるような優しい香だった。
次の日、ハナコは昼前に目を覚ました。その次の日は昼を跨ぎ、その次の日は夕方に差し掛かった。起きたあとも寝足りないのか欠伸をしょっちゅうするようにもなっている。更に活動時間もだんだんと短くなっていた。基本的に部屋が明るければ長時間動いてられたハナコだったが、日が暮れる時間になれば気を失ったように眠り始める日もあった。そのせいで夕方に目を覚ました日は、目を覚ましても直ぐに眠ってしまうという具合だった。
彼女の異変に気がついたステビアは、ローブのフードをかぶって、数年と数ヶ月ぶりに紫苑と乃亜の店へと向かうことに決めた。いざ行こうとなると足が上手く進まない。何度もフードを被り直しドアノブに手を伸ばすがそれを握ることが出来なかった。
よく考えろ、慌てて行くことは無い。
もしかしたらハナコはただ本当に眠いだけなのかもしれないし、そういう品種の植物だったのかもしれない。そう、慌てる必要はないのだ、きっと。たぶん。
適当にそれらしいことを並べてみるが、自分勝手な屁理屈に嫌気が差した。ステビアは息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
以前は気軽に出歩いていたのだろうし、乃亜や紫苑が今でも出歩いているのだ。だから、絶対に……大丈夫。
数回に渡り自分に言い聞かせると、ステビアはその震える手でドアノブを回した。
ドアノブを回すまでに数時間がかかったため、もう時刻は深夜に差し掛かる頃だった。部屋の扉を閉めた途端に心臓は破裂するのではないかと思う程に煩く鳴り出した。なんせ何年も、何十年も殆ど外に出ていなかったのだ。近くを散歩することはあっても、住んでいる建物の屋上がギリギリの外出先だった。何故外に出ることを辞めたのかも、外に蔓延る人間という種族が苦手になったのかも全く覚えはないのだが、数年引きこもっていたステビアにとって、街灯も月の光すらも眩しく感じて仕方ない。ステビアは人目につかないよう出来るだけ街灯の少ない道を使い、身を隠しながら足早に数回程しか足を運んだことのない彼らの店へと向かった。
深夜に呼び鈴が鳴った。乃亜はベッドから抜け出し、紫苑は調合の作業を止めて各々が部屋から顔を出す。
「……この時間だろ、お前の客じゃねぇのか」
「まさか。営業時間外ですよ」
二人は顔を見合わせる。お互いに自分の客ではないと言い張り、なかなか出ていこうとしない。頑なに紫苑が部屋から出ようとしないのを見て、乃亜はため息をつくといつでも飛びかかれるように犬の姿に変化した。
「ったく……目が覚めた……」
「ふふふ、頼もしいですねぇ」
何故かお約束なので、と言いながら紫苑は小さな片手鍋とおたまを持って乃亜の後ろを慎重に歩いていく。二人が恐る恐る玄関にたどり着くと、引き戸には小さな影が月に照らされ映り込んでいた。
「あれは……」
紫苑が口を開くと、スンスンと乃亜が鼻を鳴らし、引戸の方に近づいた。戸の向こう側の人物の匂いを嗅ぎ分けたのか、乃亜は犬から人型へと戻り、慌てた手付きで鍵を抜いて引戸を開けた。
「ステビア……?おまっ、どうした」
紫苑は乃亜の声に目を見開いた。無理もない、絶対に外に出ようとしないステビアがフードを目深に被り、身体を震えさせながら戸の前に立っていたのだ。急いで家の中に入れると、安心したのかステビアはその場にへたり込んだ。
「おい、大丈夫か」
乃亜がステビアに駆け寄ると、酷く身体が冷え切っているのが分かった。肩を貸しながら担ぎ、引き摺るようにして居間へと連れて行く。紫苑はバタバタと部屋の奥から毛布を持って戻ってきた。
「ノアくん、これを」
乃亜は受け取った毛布でステビアの震える身体を包んだ。乃亜に支えてもらいながらその場に座り、ステビアはガチガチと歯を鳴らしながら口を開いた。
「そ、外、寒すぎ……だっ」
「まったく……何年もロクに外に出ていないんですから、無理しないでください。春先でも夜は冷えるんです。そんなことも忘れたんですか」
毛布に包まったステビアの顔を覗き込み、紫苑は呆れながら言った。
「通信連絡とか考えなかったのか」
「……わ、忘れて……た」
くしゅん、と小さなクシャミをしながらステビアは答えた。外に出なければと思った途端に、それしか考える事が出来なかった。もっと冷静に、落ち着いて考えれば良かったのだが、そんな余裕は一ミリたりとも無かった。ステビアの返答に乃亜も溜息をついた。数秒前まで必死に毛布の上から腕や足を摩って温めてくれていたのに、その手まで緩む。
「とりあえず、何か温かい物を持ってきますから……落ち着いてから何があったか話してください」
「わ、わかった」
念のため、と言って体温計を乃亜に手渡すと紫苑は台所に引っ込んでいった。
「ハナコがな、おかしいんだ」
暫くして落ち着いたステビアは、毛布を羽織ったまま紫苑に淹れてもらったホットミルクを飲みながら静かに言った。ちゃぶ台にお茶請けとして出した鯛焼きにも珍しく手を付けない。
「ずっと眠そうなんだ。つい最近までは朝早く起きていたのに、だんだんと起きる時間も遅くなってきてて……きっと病気なんだ、だからシオン。薬草で薬を作って欲しい」
両手で持っていたマグカップを置いて、頭を下げる。
「ステビアさん……」
「薬草ならまたオレが育てるからっ」
大きな瞳が潤んで見え、紫苑は何かを言いかけたがそれを飲み込んでしまった。
「なぁ、シオン」
「ステビア」
乗り出して紫苑に懇願するステビアを乃亜が制した。
「邪魔をするな」
「お前は一回落ち着け」
「落ち着けるわけないだろ、此処まで来たんだぞっ」
「いいから、座れ」
乃亜に腕を引かれ、ステビアはその場に座り直される。振り払おうにもその力は強かった。
「離せっ」
「話を聞け、俺もこいつもアイツが別に病気だとは思ってないっ」
乃亜の言葉にステビアは抵抗するのをピタリやめた。
「……じゃあ、なんだって言うんだよ……。花から生まれ出て来た時と明らかに様子が違うんだぞ!」
大きな声を出し、乃亜に食ってかかる。掴まれた手を振り払い、ステビアは乃亜に馬乗りになった。
「ちょ、ステビアさんっ」
「あんなに元気だったんだぞ、何とも無い訳ないだろ!」
ステビアを乃亜から離そうと紫苑は背後に回り込むが、苛立ちに任せて放出された魔力がバチバチと火花を飛ばし、触ることが出来ない。
「お、まっ……魔力を引っ込めろっ!」
「煩い煩い煩いっ!」
馬乗りされたまま身動きの取れない乃亜は、紫苑の手が弾かれた火花を思いっきり食らい、腹の辺りがビリビリと熱い。
「ンのォ、退けっ!」
「うぁっ」
乃亜は乗っかるステビアを蹴り上げた。ステビアが離れた後も腹のあたりが熱く、ビリビリと痺れている。
「二人とも、いい加減してくださいっ」
立ち上がって再び向かって行こうとするステビアの首根っこを掴み、紫苑が仲裁に入った。
「もういい大人でしょう。何年生きてるんです?」
「だって、こいつがっ!」
ばたばたと手足を動かし、紫苑から逃げようとするが今度はそう簡単にはいかない。じっとしないステビアをギロリと鋭い目で睨む。
「ステビアさん、今回はあなたが悪いですよ。ノアくんの話も、私の話もちゃんと聞いてください」
「お前らがオレの話を」
「いいから黙りなさい!」
紫苑の怒鳴り声に驚いたステビアは、唇を尖らせたまま、暴れるのをやめた。
「まったく……ノアくん、お腹大丈夫ですか?」
ステビアを下ろして紫苑は乃亜に駆け寄ると、手のひらから緑色の光を出して乃亜の熱く痺れる腹にその光を当てた。
「あぁ、火傷したぐらいだろ……」
「ステビアさんの魔力をあまり舐めたらダメですよ」
紫苑の治癒魔法により、痛みは緩和されてきたが、籠った熱はまだ引かず、ジンジンと微かな痺れが残った。その様子を罰の悪そうな顔でじっと見ているステビアに向かって、乃亜は溜息混じりで言った。
「ったく……よく考えろ、簡単だろ。ハナコが眠そうにしてるんだ、だったら眠らせてやれ。人間も魔族も眠れば色々回復する。植物から生まれた妖精も同じじゃねぇのか」
乃亜の言葉にステビアは黙った。理解したいが、それで彼女を助けることになるのか不安になる。確かに妖精も魔族の一種だ。同じように魔力さえあれば生きていけるはずだ。頭では理解していた。自分だって眠ることで力を蓄えている。でも、彼女は少し違う。胸のあたりが騒ついて、じっとしていられない。だから此処に来たというのに……。
「ステビアさん、私はノアくんに賛成です」
紫苑の顔を見上げると、困った様に眉をハの字に寄せている。
「やはり、疲れている方には睡眠が大切ですし。我々も魔力維持のために睡眠を取るわけですから」
後押しする様に紫苑が言うと、ステビアは二人の顔を見つめる。彼らの言いたいことは腑に落ちる。寧ろ、わかり切っていた。ここで納得をしなければ、自分のただの我儘であることも。
「……わかった」
静かにそう答えたが、ステビアの拳は硬く握られ少しだけ震えていた。
「ステビアさん、今日も遅くに起きてしまって……すみません」
ゆっくりと羽を動かしながらハナコはステビアの手のひらに降りた。
「いや、大丈夫だ。ハナコ、眠いなら寝て良いぞ、オレは長生きだからいつまでも待てる」
「長生きって、私をどれだけ眠らせるつもりなんですか」
ふふふと言って彼女は笑ってまた欠伸をした。
「満足するまで寝たらいい」
「でも……」
「大丈夫だって言ったろ」
「……寂しくないですか?」
少しだけ泣きそうな、困った顔でハナコは言った。小さな手のひらでステビアの頬を撫でる。
「そりゃ、寂しくないって言ったら……嘘になるけど。今まで一人だったからな。大丈夫だ」
「それなら……ステビアさんが寂しくないように魔法を掛けてから眠りますね」
彼女は少しだけ離れて、ステビアの顔をまじまじと見つめると、頬に手を当ていつものように優しくキスをした。
「おやすみなさい、ステビアさん」
「あぁ、おやすみ。ハナコ、良い夢見ろよ」
ふふふと笑った彼女はまたステビアの手のひらに戻ると、その場で丸くなり小さくなって眠りについた。
次の日の朝、ハナコの花は綺麗に頭を下げた形をしたまま萎れていた。
「ステビアさんってユニコーンとか見たことありますか?」
タピオカドリンクの載っていた古い雑誌を眺めながら来太が言った。日にも焼け、黒ずんで所々が見えなくなっているそれは、数ページが重なって固まっている。ステビアが住む以前に使っていた人間の持ち物であろうそれは、来太による大掃除の末に発掘された物だった。来太の眺めていた『夢カワイイ』が特殊されているページには、角と天使の羽を生やした馬のキャラクターが大きく載っている。
「ない」
「へぇ〜」
「……妖精ならある」
「え、妖精っているんですかっ!」
「いるだろ、普通に」
「えぇっ……それって魔法使いの中では普通なんですか。俺、見たこと無いですけど……。どんな妖精だったんですか?」
ステビアは少しだけ黙り込む。
「花の妖精だ」
口を開いたかと思えば、あっさりとその一言だけだった。
「花ですか。うわぁ、綺麗だろうな〜」
「あぁ……綺麗で、優しい子だった」
ステビアはいつだったか紫苑に頼んで作ってもらった球根の標本を見上げながらそう言った。