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蛟竜、雲雨を得(後編)

 早朝から叩き起こされたステビアは膨れっ面のまま、されるがままに紫苑によっていつもの服を剥ぎ取られ、『すいまぁ』の白い文字がプリントされた黒いティーシャツを着せられていた。

「ステビアさん、とっても似合ってますよ」

 お世辞なのか、本心なのかもわからない紫苑の褒め言葉を聞き流し、ステビアはいつものローブを上から羽織ろうとした。

「バカ。ンなもん着てたら余計目立つだろ。これかぶっとけ」

 乃亜がローブを取り上げ、ステビアに被せたのはこれもまた『すいまぁ』の白い文字が刺繍された黒のキャップ帽だった。

「心許ない……」

「目立ちたくないなら同じ格好しとけ」

「たまには良いじゃないですか。ほら、私なんてポニーテールにしちゃいました」

「大していつもと変わらないだろ」

 膨れっ面が更に膨れ、ステビアは渋々キャップ帽を目深にかぶった。玄関に移動し、重い足をいつも履いているブーツに通す。

 これから行くのは人間がいつも以上にいる場所だ。大丈夫、だろうか……。

 ステビアの心臓が早く脈を打った。ばくんと跳ねるその音は、まるで大きな太鼓を身体の中で叩かれているようだった。怖いという気持ちは無い。人間には少し慣れてきた。しかし、不安はあった。パニックを起こしてまた更に記憶を失くすなんて事があったら……。

 ブーツの紐をゆっくりと結ぶ。指が思うように動かない。

 焦るな……。今日はこの二人と一緒だ。何かあってもうまくやってくれるだろう。

「ステビアさん」

 紫苑の声にハッとしたステビアは思いっきり顔を上げてしまい、首を痛めた。

「な、なんだ。綿飴は三つ食べるぞ」

 首を摩るステビアを見て、ふふ、と笑い、蹲み込んでぐちゃぐちゃに絡まったブーツの紐に手をかけ綺麗に結び直した。

「今日、何があった日か知ってますか?」

「今日?……いや」

 キャップ帽のつばを上、紫苑が結んだ紐をまじまじと見つめる。少しきつめに結ばれて、足の甲が靴と一体化しているようだった。

「……覚えてないですよね」

「なんの話だ」

 ステビアが聞き返すが紫苑は立ち上がって首を振った。

「いえ。なんでもありません。今日は沢山遊びましょう」

「遊びじゃなくて、稼ぐんだっつーの」

「もぅ、ノアくんは空気が読めないんですから」

「どっちがだ!ほら、屋台設営に行くぞ」

 玄関を強く開け放し、乃亜が昨日用意した二台の台車を外に出す。ステビアは紫苑に見つからないよう、靴紐を少し緩めると二人に続いて家を出た。




 放流祭の開会式が終わり、放流が開始されたのは来太が地下に入ってから三時間が過ぎた頃だった。予定時刻ぴったりに地上で吸引器のスイッチが押されタンクの水が引き上げられ始めた。

「放流開始されたわ。とにかく今はホースが暴れないように抑えて頂戴ね」

 紅愛が指揮をとり、地下の作業員が巨大ホースを支える。彼女が無線で結斗とやりとりをして地上との連携を図っていた。来太はこの作業の間にタンク用清掃道具の搬入を手伝う事になっている。ゴオッという水の音が連続して響き、周りの音がうまく聞こえない。

 あぁ、始まったんだな……。

 最近はここで祭の開始を迎える来太は開会式の様子よりも、この水が吸い込まれて地上に昂っていく音で祭の幕開けを感じていた。



 放流を開始して二時間が経過した。地上ではそろそろ水路上流部で魚の放流が開始され、釣り大会が始まる頃だった。例年なら、タンクの水位も来太が入って作業を開始しても問題ない頃だったが、吸引器の調子が悪いのかまだ人が入るには深いと言える水位だった。身長の高い来太でさえ、足がつくかさえ怪しい。

「おかしい……」

 来太の横で紅愛が呟いた。同じ事を考えていたようで、壁にかけられた時計を確認し、さっきよりも一層深く眉間にシワを寄せる。タンク周辺が持ち場の作業員もその異変に気がつき始めていた。

「結斗、聞こえる?今の水路の状態と吸引器の様子を教えて欲しいのだけど……」

 紅愛が無線を使って結斗を呼びかけた。

『至って順調にしか見えないけど?吸引器も問題ないよ。何かあった?』

 数秒後、砂嵐の音と一緒に聞こえた結斗の言葉に紅愛と来太は顔を見合わせる。吸引中は作業員が交代でホースを支えているため、水漏れや詰まり等のトラブルはすぐに見つかるはずだった。

『少し吸引力上げてみるよ?』

 結斗の声と同時にホースがピンと張り、勢いが増したのが分かる。

「ありがとう。様子を見るわ」

 紅愛は無線を切り、清掃隊員を集めた。

「予定より少し遅れてしまったけれど、五分後には作業開始するわ。全員、中に入る準備をして」

 清掃隊員と来太は彼女の言葉を合図に各々持ち場に付いて中へ入る準備を開始した。掃除機の最終チェックを地下に入ってすぐに行っていた来太は、タンクの中をぼうっと見つめていた。

 吸引器は問題ない、結斗はそう言っていた。確かにスイッチの切り替え一つで威力が瞬時に変わったのは見て分かったし、地下と地上のやり取りだ。ここの作業員は誰も手を抜くなんて事はしない。じゃあ、なんで……。一体何が原因で……。

『どこ……なの?』

「えっ……」

 来太は辺りを見渡した。自分に話しかけてくる人は居ない。

「今……」

 明らかに声がした。あの声だ。昨日、霞神社で空耳だと疑った、あの声だ。

『なんでなの……どうして……なの?これからどうすればば良いの』

 どこから聞こえているのかは分からない。でもはっきりと聞こえてくる。その声は昨日よりも近くに感じた。

「何の、声だ……?」

 来太の周りにいた清掃隊員が動いた。紅愛の指示で、中に入るために備え付けられている階段に数人が登り始めている。階段は天辺まで続いてはおらず、中に入りやすいよう丁度真ん中位置に出れるようになっていた。中にも階段があり、水さえなければ上り下りは楽にできる。

『たすけて、どこに連れて行かれるのっ』

 さっきよりも大きな声が来太の耳に響く。周りの人間達には聞こえていないようで黙々と作業をしていた。

今の声……。

 来太はじっとタンクの水を見つめた。吸引ホースの力で中の水が渦を巻いている。その中心部だった。何かが見えた気がした。

「なっ……!」

 何だかは分からない。でも、何かがいた。必死で吸い込まれまいとする何かが。

「紅愛さんっ!何かいます!」

「え?」

「ほら、よく見て!渦の中心っ」

 来太は指示をする紅愛の腕を取り、タンクへ近づけて中を見るよう言う。

「来太くん、もしかしてまだ気分が優れないんじゃ」

「そんな事ないですよっ!ほら、そこに!」

 水中の泡が多くてハッキリと見えないが確かに中には何かいる。しかし、紅愛は不思議そうな顔をして溜息をついた。

「ふざけてるの?」

「本気ですよ!助けてって言ってる!」

「はぁ……。いくら来太くんでもここでふざけるなら一発食らわせるわよ」

 紅愛が来太の腕に軽くパンチをする。次はないぞ、という事だろうが今はそんな事を言っている場合ではない。

「でもっ!」

「来太くん」

「クレアさん!す、水位が上がりましたっ!」

 清掃隊員の一人が声を荒げた。当たりがまた騒めき始める。

「どういう事なのっ」

「わかりませんっ」

「出してる水が増えるわけないでしょうっ!」

 紅愛が難しい顔をしながら水位の確認をしに清掃隊員のもとへ向かう。

 やはり、この中がおかしい。何かいる!

 来太はその場から階段に回り込み、足をかけた。

「あ、ちょっと」

「すみません、後で叱られますからっ!」

 清掃員の制止をにこりと避け、足早に階段を駆け上がる。下から紅愛の血相を変えた大きな声が聞こえたが、来太はタンクの天井に辿り着くと躊躇なく中に飛び込んだ。

「来太くんっ!」

 ドボンという大きな音と水飛沫に紅愛の声が掻き消された。

 吸引ホースの勢いで作られた流れに乗り、来太は中心部に確認した何かを探した。水中でも水飛沫による泡が発生していてなかなかはっきりとそれが確認できなかったのだが、何か縮こまっている姿が見える。そしてそれを捉えた直後、外で聞こえた声がもっとはっきりと来太の耳に入ってきた。

『たすけて……一人は嫌なの!』

 来太は訳もわからず手を伸ばした。渦の回転が強く、力が入らない。

 届け……助けるから……っ。届いてっ!

 強く伸ばした手に何かが触れた。すると、急に勢いよく身体が引っ張られて視界が真っ暗になった。上へ上へと引っ張られる。身体がいう事を聞かない。口や耳にも、鼻にも水が入り込み、視界がぼやけて力が抜けかける。それでもさっき掴んだ何かは離してはいけないと、必死でしがみついた。


 暗い視界が一気に晴れた。勢いよく投げ出された身体は宙を舞い、空を仰いだ。来太は吸引ホースの出口から放り出されたのだ。

「来太ァ!」

 結斗の必死な声が遠くで聞こえたが、返事が出来ない。多くの人がどよめく中、来太は水路に勢いよく落ちた。





「来太、起きろっ、来太っ!」

 肩を揺さぶられ、目が覚めた。ゆっくりと開けた視界には青白く焦った顔の結斗の顔と、何故か紫苑の顔が入ってきた。

「あ…………れ….……」

「あぁ、目が覚めましたね」

 にこりと紫苑が微笑んだ。

「どこか辛い場所はありますか?」

「……いえ、ありません……」

 そう答えると、紫苑の後ろで結斗に身を隠しながら自分の様子を伺うステビアを見つけた。どこかの救護テントらしいこの場所は、周りから見えないよう、きっちりと布で覆われていた。

「この大馬鹿っ!」

 結斗が怒鳴った。驚いたステビアは紫苑の足にしがみつく。怒鳴った結斗は、ふぅ、と一息つくと静かに口を開いた。

「何をしたのか分かってるのか、お前」

 来太はゆっくりと上半身を起こし、紫苑に支えられながら結斗に向き直った。

「ごめ……んなさい」

「危うく命を落とすところだったんだぞ。俺が朝言った事、聞いてなかったのか」

 来太は黙ったまま頭を下げた。

「まったく……。この仕事、初めてじゃないだろ?なんで飛び込んだ」

 来太は黙ったまま何も言わない。

「おい、来太」

「あの、心中お察しします。ですが今は休ませてからでも」

 紫苑の言葉に結斗が黙りこくる。握った拳が震えていた。

「後でまた来る……」

 そう言ってテントから結斗は出て行った。

「すみません……」

「いいえ。丁度すいまぁの屋台がお祭り本部付近でしたので」

 紫苑はテント内に置かれた机から水の入ったボトルを取り、来太に差し出した。

「派手に飛んだな」

「あはは……まぁ、はい……」

 来太はステビアの冗談にも付き合う気力すら残っていなかった。勝手に勢いよく飛び込んだのは自分。そして、何も助けられなかったのだ。確かに何かを掴んだ気がした。助けてと言う声がしたのもはっきりと聞こえたはずだった。しかし、外に出てみれば救護テントに運ばれたのは自分だけらしい。やはり、幻を見たのだろうか。

「しかし、驚きました」

「あはは……。魔法使いより先に空を飛んだから、ですか?」

「何言ってるんだ。お前が引っ張り上げて来たんだろう?」

「……は?」

 すると紫苑が来太の横になっていたベッドの下から『何か』を取り出した。

「あの、紫苑さん……、一体何を?」

 見たところ、紫苑は腕には何も乗っていないのに、腕に『何か』を乗せている動作をしていた。

「少し、呪符を貼らせてもらったんですよ」

 そう言って腕の少し上あたりで何かを捲るような動きをした。

「なっ」

 来太はギョッとした。紫苑の言う呪符が剥がれ始めた途端、彼の腕の中に現れたのは小さなマスコットのような龍だったのだ。青い鱗に長い髭。爪は鋭く、口も大きく避けている。しかし、絵本や小説に出てくるような大きな龍とは雰囲気も全く違って、ステビアよりも小さな身体をしていて可愛らしい。

「えっ、あ、えと、えぇっ!」

「お前が連れて来たんだぞ」

「え、えぇっ、俺がっ?」

「えぇ。しっかりと抱いてましたよ。結斗さんには見えていなかったようですが、念のために声や姿が分からないようにしておきました」

 驚きのあまり開いた口が塞がらない。確かにタンクから何かを連れてきた筈だった。しかし、さっきは必死でとにかく助け出さなければいけないという一心と、流れの早い水のせいで姿形が分からなかったのだ。

 紫苑の腕に抱かれたその龍はぐずぐずと鼻を鳴らし、大きな瞳から涙をポロポロと流している。

「まだ泣いてる……」

「泣き虫さんですねぇ」

 頭を撫でられると、それが皮切りとなっておいおいと声を出して泣き始めた。

「うぇぇぇっ。なんなのっ、シンタが居ないのぉっ。うぇぇぇっ」

 小さな手で出てくる涙を拭うが、漏れてくる嗚咽と涙は全く止まる気配がない。

「汚い泣き方だな……」

「ステビアさん、失礼ですよ」

 紫苑は後ろの机からティッシュを持ち出し、濡れた自分の腕を拭きつつ、龍の顔を軽く拭いてやる。

「それで……彼はどこで?」

「……貯水タンクの中です。助けてっていう、霞神社と同じ声がして……」

「ふぅん。なら、こいつがお前の話していた『百年龍』じゃないのか?」

 ステビアが龍の髭を摘んで引っ張りながら言った。

「まさか……。百年龍ってぐらいですから、もう少し大きいでしょう?」

 すると、紫苑がくすくすと笑った。

「龍の寿命を考えたら……ステビアさんよりも歳上だと思いますけどね」

「えっ……」

 目の前でぐちゃぐちゃになりながら泣いている龍に再度視線を向ける。

「それにしても泣きすぎだろ。これじゃ、タンクの中の水、おかしくなったんじゃないか?」

「ど、どうしてそれをっ」

「この青い鱗は水龍の証だ。水龍の涙は川を作ると言われている」

「水龍の涙……」

 ステビアの話からすると、タンクの中にいた水龍が泣いていたせいで、大きな吸引器を使った後に水位が増した事になる。こんな小さな身体をした龍が、あの巨大なタンクの水嵩を増やしたという事実が俄かに信じ難い。でも、自分が飛び込んで引っ張り上げたのはこの龍だ。それはきっと間違いないのだろう。

「そろそろ落ち着きましたか?」

 紫苑が水龍の頭をまた優しく撫でる。あのへんてこな嗚咽を漏らしていた龍は、鼻をずぴっと鳴らした。

「シンタは、どこなの……」

「シンタさん……ですか?」

「……いないの?いつも目が覚めるとおはようって言ってくれるの」

 水龍はするりと紫苑の腕を抜け、来太の膝の上に立つと、スンスンと鼻をひくつかせながら来太の身体に近づいていく。

「こいつ、シンタと同じ匂いがするの……」

「シンタって、人間か?」

 ステビアの問いに、水龍は首を傾げた。

「わからないの」

 三人は目配せをしてから、頭を抱えた。水龍が探しているシンタというが魔法使いであれば、この百年龍と知り合いでも説明がつく。しかし、だとしたらそのシンタという魔法使いはもうこの付近には居ないのかもしれない。

「シンタはどこなの、会えないの?」

 来太の腰の周りをぐるぐると回りながら、シンタと同じ匂いを何度も確認する。

「あの……どうしましょう……」

 助けを乞うように紫苑とステビアの顔を見つめるが、何とも言えない状況に苦笑いを返すばかりだった。




「仕方ありませんね……我々でシンタさんの手掛かりを探しましょう」

 やれやれと、紫苑は溜息をつきながら水龍をまた抱き上げた。

「はぁ?何言ってんだ!これから綿飴を」

「えぇ、ついでに買いに行きましょう、ついでに」

 また泣かれてしまったら、せっかくのお祭りが大雨になってしまう、と紫苑が付け加えるとステビアは渋々と文句を言いながらキャップ帽を被り直した。

「あの、俺も」

「ダメですよ」

 ベッドから出ようとした来太を紫苑が止めた。

「後で合流しましょう。あなたには別のやる事があるはずです」

「……はい」

 自分が何をやらかしたのかを思い出す。結斗にまずきちんと謝らなければいけない。きっと彼は今頃さっきの大惨事を治めてくれているはずだ。それに、紅愛にも申し訳がない。

 素直にベッドに入り直す姿を見て、紫苑は眉を寄せた。

「また後で」

 紫苑はテントの布をめくり、ステビアを先に通した。

「はい、お願いします……」

 紫苑は肩を落とす来太を隠すように、テントの布を下ろし、どこからともなく手に出した呪符を再び水龍の額に貼り付けた。

「すみませんが、念のため貼らせてください」

 腕に乗っていた水龍は返事の代わりにぐずぐずになった鼻をずぴ、と鳴らして姿を消した。

「どこに行くんだ?」

「まずは霞神社ですね」

 すると、ステビアが嫌そうな顔をした。

「そんなに神社が嫌いですか?」

「別に。なんとなくだ」

 言葉とは裏腹にステビアはへの字口のまま顔を背けた。すると、ステビアのキャップ帽のつばが何かに当たり、頭から落ちた。

「あ、ごめんなさい。大丈夫かしら」

 ぶつかったのは黒髪の長い女性だった。ところどころが濡れた作業着を着て、額には汗を滲ませている。彼女は自分にぶつかって落としてしまったステビアの帽子を拾い上げると、土埃を叩いて差し出した。

「……っ!」

 見知らぬ人間にしっかりと顔を見られたステビアは思わず紫苑の足元に隠れる。

「すみません、こちらも不注意でした」

 仕方なしに紫苑がステビアの代わりに女性から帽子を受け取ろうと手を伸ばすと、女性は紫苑の顔を見て一瞬、動きが止まった。

「……どうかしました?」

 帽子を受け取りながら紫苑が声をかける。女性は目を逸らし、「いえ、急ぎますので」と早口で答えるとその場からそそくさと立ち去り、来太のいるテントに入っていった。

「シオン、どうした」

 女性の行った先をじっと見つめる紫苑の手から帽子を取り、被り直す。

「……なんでもないですよ。さ、行きましょう」

「あぁ」

 明らかに紫苑の様子がおかしかったが、今はその水龍を先にどうにかしなければならないと思い、ステビアは何も聞かず彼の後を黙ってついて行った。




「まったく……肝が冷えたわ」

 救護テントにやってきた紅愛は来太に呆れ顔をしながら言った。息を弾ませながら話す彼女を見て、来太はまた胸を痛める。紅愛は手に持って来ていた紙袋をどさっと足元に置いた。

「すみませんでした……。さっき結斗にも怒られたばっかで……」

「でしょうね……。監督者が首根っこ引っ掴んででも止めろって怒鳴られたわ」

 腰に手を当て、いかにも不満そうな顔をする。あの結斗と紅愛にがそんな事を言われてしまったことを深く反省する。

「ごめんなさい……。あの、作業はっ」

 身体を起こし、立ち上がろうとするのを抑えられた。

「良いから。あ、着替え持って来たから後で着替えなさい。結斗の作業着だから小さいかもだけど」

「紅愛さん、あのっ」

「もうじっとしてろ。お前はクビだ。掃除機は明日、家まで持って行ってやる。来年までウチの依頼は無し」

 結斗の声がし、入口の方へ視線を向けると、さっきより眉間のシワが減った結斗が立っていた。

「まぁ俺の指示が聞けないなら来年も、要らないけどな」

 テントの中が静まりかえる。彼の強い視線が痛くて、来太は目を逸らした。クビと言われて仕方ない。自分が悪いのは分かっていた。

「それで。なんで飛び込んだのか話す気になったのか」

 意思を確認する言い方だったが、話せとそう言われている様に感じた来太は、乗り出した身体を引っ込め、ゆっくりと口を開いた。

「昨日、霞神社で誰かを探す声を聞いたんだ」

「声?」

 眉をぴくりと動かした結斗と紅愛に来太は頷く。

「信じられないと思うんだけど、タンクの中から同じ声が聞こえたんだ。必死で、誰かを探していて……助けを求めていた。放って置けなかったんだ……」

 言い切った途端に不安になった。こんな歳して何を言ってるんだと、魔法使いにうつつを抜かしているから、図体ばかり大人になったと、そう呆れられると覚悟して恐る恐る二人の顔を見上げた。

「……そうか」

 結斗は額に手を当てると、近くにあった椅子を引っ張り出して腰掛けた。

「俺はてっきり連日続いた屋根修理の疲れが溜まって、おかしくなったのかと思ったよ……」

 深く溜息をつくき、紅愛に水を寄越すように言った。

 あぁ、やっぱり呆れられてしまったのだろうか。兄貴分として恥ずかしいとか、そんな風に。

「お前、龍を見たのか?」

「……どういうこと?」

 結斗の言葉に来太が目を見開く。その言い方は、まるで水龍がいるのを分かっていたような口振りだった。紅愛から水の入ったボトルを受け取ると、結斗はそれを一気に半分まで飲んだ。

「いや、実行委員会の爺さん達がな」

 結斗は足を組み直し、紅愛にボトルを手渡した。

「あの年寄りの集まりの中に、そんな事を言う人がいたの?」

 紅愛は床に置かれたボトルを机の上に置き、結斗の後ろで腕を組む。怪訝そうな顔をしていて、全く信じていないような言い方だった。この地域に住む年寄りはこぞって昔話を話したがらない。昔からある魔法使いがいたという言い伝えを嫌う人間もいる程。マツリダではそれが普通で、当たり前だった。

「……まぁな」

 来太は昨日結斗から百年龍の話を聞いた時のことを思い出した。

「でも、会長さん達は百年龍のこと知らないんじゃなかったの?」

 にこりと笑って結斗は続けた。

「あぁ、それは昨日までの話だ」

「昨日、まで?」

 結斗はゆっくり頷く。

「この手の昔話は何故か年寄りが嫌うだろ。だから伏せていたみたいだけど、俺がさっきのトラブルを説明しに行った時に、あの爺さん達、本部テントで百年龍のせいだって騒いでいたんだ」

 加えて結斗は来太が地下のタンクから吸引器のホースによって引き上げられた際、祭り会場に足を運んでいた老人達の中には顔を真っ青にしてなにかに縋るように手を合わせる者もいたと言った。

「まぁ、混乱していたのは一瞬だよ。機械トラブルってことにして場内アナウンスをしたらすぐに収まったし。ただ、本部の爺さん達のあの慌て方はおかしかった」

 結斗は本部にいた会長に龍の話を聞き返しても、直ぐには答えてくれなかったと言う。機械トラブルならそれで良い、それ以上は無い。そう念を押すように言われたそうだった。

「それ、何か知ってるって言ってるようなものね」

「だろ?爪が甘いよな、爺さん達も」

 結斗があははと笑いながら肩を落とした。

「あのさ、結斗」

 来太はベッドから出ると、紅愛の持ってきた紙袋からつなぎを取り出した。少し丈が小さいが、腰で袖を巻いてしまえば着れなくは無い。

「休んでて良いんだぞ」

「ううん。もう大丈夫。だからさ、その会長さんに俺を会わせてくれないかな」

「はぁ?」

 結斗の声が裏返る。大きな声を出したため、紅愛に「煩い」と嗜められた。

「俺が聞いた声が百年龍なら、どんな龍なのか知りたいんだ」

「あのな……この辺には昔話が好きな年寄りがいないんだ。どう考えても門前払いだろ」

「結斗、頼むよ」

 来太は頭を下げた。

「おい」

「さっきみたいな無茶はもう絶対にしない、反省もしたし……だからっ!」

 沈黙が流れる。すると、口を先に開いたのは紅愛だった。

「私からもお願いするわ。来太くんが飛び込む直前に何かを感じ取っているのは見て分かったし……。それがあなた達の言う百年龍なら、知る権利はあるはずよ」

 来太が紅愛の顔を見上げると、目が合ってにこりと笑う。

「ったく……紫苑さんも、クレアも俺のことより来太の事ばっかり……美人侍らせちゃって本当、嫌なやつかよっ」

「それは日頃の行いよ」

 ふふふ、と紅愛が笑う。

「まぁ、そう言う俺も来太贔屓なんだけどさ」

 ニヤリと結斗が笑って、下がったままの来太の頭をガシガシと強く撫でた。

「怒らせないことだけが条件だからな」

「分かった……善処する」

「善処じゃなくて、絶対だ。テントの外で待ってるから、着替えたらすぐ行くぞ」





 ごった返す人混みに揉まれ、やっとたどり着いた霞神社は、午後になると更に人口密度が高くなっていた。 

「どうするんだ、これじゃ人探しなんて無理だぞ」

 両手に持った綿飴を口に入れながらステビアが言った。神社に入ったものの、参道に並ぶ屋台の列から外れ、人気のない方で様子を伺う。大鳥居を見上げながらステビアは神社をぐるりと見渡した。祭りの屋台が並んだ神社は、神聖な場所とは思えない雰囲気だった。

「えぇ。困りましたねぇ」

 足を止めて二人が思案していると、紫苑の腕の中で静かにしていた水龍が口を開いた。

「ここ、オイラの寝床があるところなの」

 水龍の声は呪符のおかげで紫苑とステビアにしか聞こえていないが、不審がられないよう出来るだけ声を落として話をする。

「やはり、霞神社があなたのお家でしたか」

「ならシンタの手掛かりもここにあるのか?」

 ステビアは片方の綿飴を平らげ、もう一方に取り掛かった。

「奥の方に池があるの。そこでよく遊んだの」

 水龍が小さな指を本殿の方に向けたが、二人には声しか聞こえない。

「案内してください。その通りに向かいますから」

「真っ直ぐ奥なの。池はそこにしかないの」

 水龍がそう言うと、ステビアと紫苑は顔を見合わせて、人混みを避けるため屋台の裏を通り、本殿の方へと足早に進んで行った。


 水龍の案内の通りに向かうと、本殿と拝殿の間に小さな池が見えた。その池の中に小さな祠が建てられている。その祠が水龍の言う寝床らしい。しかし、塀で囲われ人の入れないところにあるため、ステビアが水龍を抱き、紫苑に肩車をさせてようやく確認が出来た次第だ。

「入れないの……」

「すみません。でもここが水龍さんのお家であるならば、シンタさんに関する何かはあるはずです」

「……何かってなんだ」

「そうですね……例えばですが、思い出の品とかでしょうか」

 ステビアを肩から下ろしながら紫苑が言った。

「何か思い出せないのか?」

 ステビアは抱えていた水龍を紫苑に渡し、ずれたキャップ帽を被りなおした。

「シンタはオイラと川を作るお手伝いをしてたの」

「川を?」

「そうなの。あの池でオイラが泣くとたくさん雨が降るの。それが川になるの」

 紫苑は遠くに見える祭り会場の水路を眺めた。今頃は釣り大会も終わり、舟のレースの準備が始まっていた。舟が次々に運ばれているのを見て、乃亜が昨晩どの舟に賭けるか悩んでいたのを思い出す。

「確か……マツリダって昔から川が無かった気がするのですが」

「あぁ。あの水路も海には繋がってない」

 ステビアは祭りのマップを取り出した。マップには屋台の情報以外に、水路の全体図も載っていて、見るからにマツリダの外へは繋がっていないことがわかる。埋め立てた可能性を考えても、マツリダからは海は見えない上にだいぶ距離がある。その可能性は全く無いと言っていい。

「考えられるのはシンタさんと水龍さんがこのお祭りの関係者ということでしょうか」

「やっぱりただ祀られてた水龍って訳じゃないのか?」

 水龍は紫苑の腕からするりと抜けるとステビアの頭に飛び乗った。

「あっ、お前なっ!姿が見えないからってなぁ!」

「お祭りは知らないの。こんなに人はいなかったの。いつもシンタと一緒に魔法のお手伝いしてたの」

「魔法の手伝いって?」

 紫苑が蹲み、ステビアの頭上に目線を合わせる。

「魔法使い達が川を作るのを手伝うの。あの池でオイラのお腹をくすぐるのがシンタなの!」

 余程それが楽しかった思い出なのか、水龍が嬉しそうな声で言った。

「池でくすぐられた水龍が笑って涙を流して雨に変えた……。魔法使いがそこにいたのか?」

 ステビアが紫苑のシャツの裾を強く掴んだ。

「マツリダには多くの魔法使いが居たんです。水龍さんが幼い頃に出会っていても不思議ではありません。ただ……」

「ただ、なんだ」

「そうなるとシンタさんは……」

 紫苑の言葉で察したステビアは口を継ぐんだ。

「シンタがどうしたの。オイラがまたこの池にいれば会いに来るの?」

 姿の見えない水龍は、複雑な表情をした紫苑とステビアを見上げていた。




 結斗に案内され、紅愛と来太は本部のテントにやって来ていた。テントの前方には来賓席と書かれた紙が貼られた長机が設置されており、前に見かけたことのある年配者が二人座っていた。二人は目の前の水路でレースの開催準備をぼうっと眺めている。長机には酒瓶が数本並び、お茶のみ茶碗をお猪口代わりにしている様だった。

「上河原会長」

 結斗が声をかけたのは、白髪で長い白い髭が特徴の老人だった。その横には副会長であろうグレーの髪をした老人が座っていた。

「常盤くんか。また何かあったのか?」

「すみません、お疲れのところ。先程の騒ぎを起こした者が、謝罪にと」

 太くて白い眉がぴくんと動く。数本だけ長い毛が飛び出していて揺れていた。視線が来太にぶつかると、来太はすぐさま結斗の横に並んだ。

「成瀬来太です。その……先程はご迷惑をおかけして大変、申し訳ございませんでした」

 深々と頭を下げる。その横で紅愛も頭を下げたのがわかった。

「私の監督不行届きです。申し訳ございません」

「もう良いだろう。機械の不備だと聞いたし……わざわざすまないね」

 顔を上げると、会長が目を細めて微笑んでいた。来太と紅愛がもう一度ぺこりと頭を下げた。紅愛が一歩下がったのを確認すると、来太が口を開く。

「あの、会長さん。聞きたいことがあるんです」

「何かな」

「百年龍について、教えてください」

 来太のド直球な質問に上河原会長は目を見開いた。

「なっ……と、常盤っ!こいつはなんなんだっ!」

 怒鳴ったのは会長横の副会長席に座っていた老人だった。怒鳴られるとは思っていなかった来太は思わず顔を痙攣らせた。早速怒らせてしまい、紅愛が呆れ顔で自分の背中を見つめるのを感じ取る。

「あはは。飲み過ぎですよ。これじゃあ、レースの予想なんて出来ないんじゃないですか?」

 机の端に並べられていた酒瓶を持ち上げ、ラベルを見ながら結斗が呑気に言った。その様子を後ろでやはり紅愛が露骨に呆れた目をして見ている。

「今すぐここからこいつを連れて行け」

 副会長は来太を指差し、結斗に強く言い放った。しかし、結斗はニコニコと笑顔のまま首を横に振る。

「まだ彼と会長のお話が終わってないので」

「こいつに話す事は無い。第一、百年龍など与太話に過ぎん。下らない。まったく、まだそんな話を持ち出す馬鹿者がいるのか……」

「ならいいじゃ無いですか、与太話ぐらいで怒鳴らないでくださいよ」

「なにをっ」

 また何かを怒鳴り散らそうと、副会長が椅子から立ち上がった時だった。

「まぁまぁ。先に騒いだのは私達ですよ。もう良いでしょう」

 上河原会長がその場を宥めた。彼は持っていたお茶のみ茶碗の酒を煽ぐと、席からゆっくり立ち上がった。

「少し席を外します。第一レースの勝敗は、後で教えてください」

 それだけ副会長に伝えると、彼は来太と結斗、そして紅愛に手招きをして本部テントから出て行った。



 本部テントから出た四人は、祭り会場近くの小さな公園にやってきた。レース開始時刻も間も無くで、公園には人が殆どいない。わざわざ人の少ない場所を選ぶあたり、余程人の耳には入れたくない話なのだろう。

「ここなら良いだろう」

 上河原会長は公園のベンチに腰掛け、来太を手招きして隣に座らせた。

「まず、私から良いかな」

 来太が頷くと、上河原会長はにこりと笑った。

「どうして百年龍なんて気になったんだ」

 上河原会長の問いに、来太は結斗の顔を見上げる。

「俺が話しました。祭りの打ち合わせ中に耳にした百年龍の話を。それに、さっきこいつが地下から飛び出た時に騒いでた事も」

 少しの沈黙があった。結斗の唾を飲み込む音が聞こえ、来太の表情も強張る。その様子を見て、上河原会長はため息をつくと、口を開いた。

「なるほど……。それで、何が知りたい?」

 上河原会長は来太の顔を覗き込む様にして尋ねた。

「あの……会長さんは百年龍を見たことがあるんですか?」

 恐る恐る聞く来太に上河原会長は首を横に振った。

「見た事はない。だが、見た事のある者を知っていた」

「じゃあ、会長さんはその人から聞いたんですね?」

 上河原会長は静かに頷いた。ピリッとした緊張感が四人を纏う。喉の奥が熱くなるのを感じて、来太はゆっくり息を吐いた。

「父から聞いたんだ。昔、父が君達ぐらいの若い頃の話だが……。一緒にマツリダの川を作ったと言っていた。私の子供の頃は、その龍を見た事が有ると言う大人も沢山居た」

 三人が顔を見合わせた。彼の話を聞いて来太は胸を高鳴らせる。初めてだった。昔話を祖父以外から聞かされるのは。学校の先生や周りの大人はフィクションを好み、歴史的な昔話を遠ざける。魔法使いも空想でしかないと言われ続けていたこの土地で、幻獣を見たという人物の話はかなり希少だった。

「まぁ、昔の話だ。百年以上前の話だよ。私が子供の頃はこの時期になると百年龍の話をされていた。百年龍は百年生きるという意味ではなくて、百年に一度、大嵐を巻き起こすと言われていた龍と聞いている」

 自分の横で真剣に話を聞く来太を見てクスリと笑う。

「大昔に起きた大嵐で何人もの人間が犠牲になったと聞いている。龍が嵐の中上空で大きく鳴くと広範囲に雷が落ち、暴風雨が吹き荒れた。龍が暴れる姿を見たという人達も沢山いたそうだ……。そして、龍はその大嵐から人に姿を見せなくなったらしい」

 上河原会長はそう言って空を見上げた。雲一つない綺麗な昼間の空だった。まったく、嵐が来るような気配はしない。

「確かに歴史文献を遡れば、この地域は百年に一度の頻度で大きな嵐に遭っていた。そのせいでか、百年龍の話はあまり好まれていない。父と一緒にいた龍は臆病者のくせに人懐こい奴だったと聞いたが……」

「人間と仲良く暮らしていただけなのに……」

「そうだな。川の無いマツリダに川を作ろうとしてくれた優しい龍だと私も思っている。でも、それは本当かは分からない」

「どう言う事ですか……」

 来太が首を傾げた。すぐ側では訝しげそうな顔で紅愛がベンチに座る二人を見ている。

「そんな文献は何処にも無い。嵐の記録はあっても、龍が暴れたなんて事は一切このマツリダには残っていない。残す事が出来なかったり、残す必要の無い事だったのかもしれないな。やはりこの目で見ない限りは空想で生きるだけの魔獣だ」

 上河原会長は腰掛けていたベンチから立ち上がろうと、膝に手を置く。それを見た結斗が尽かさず手を差し出した。

「私の知っているのはこれぐらいだ。百回記念の祭りだからこそ、龍が目覚めると言い出した輩もいた。しかしそれはあり得んのだよ」

 つい先日まで来太には最近起きた暴風雨のせいで屋根の修理が建て込んでいた。屋根だけで済んだ家はまだマシだった。倒壊した所もあれば、飛んできた店の看板や車のせいで崩れたところもある。どれだけ対策をしようとも自然の力に勝てないのが現実である。これが龍の力で再び起こされてしまっては堪ったものではない。でも何故、そこまではっきりとあり得ないと言うのかが不思議でならなかった。

「安心しなさい。さっきのトラブルは君達が起こした事故だろう。龍は出てこないはずだ。今年がその嵐が起きる百年だったとしても」

 上河原会長は相変わらずの表情で、来太に微笑み、支えてくれていた結斗に礼を言った。

「それじゃあ、もう良いかね。レースの結果が知りたいんだ」

 ベンチから離れ、公園を出て行こうとする上河原会長を来太は引き止めた。

「やっぱり、どうしてこんな話が今は語り継がれていないのか不思議でなりません……」

 すると足を止めた上河原会長は振り返って答えた。

「言っただろう。よく思わない者もいる。私の父のように深く百年龍に関わっていなければただの天災を生み出す悪魔としてだけ、言伝えられてるからな……。そんなもの、居ない方が安心だろう?まぁ、心配しなくても良い。もう出てくる事もない」

 にこりと微笑むその笑顔が酷く冷たく感じ、来太は目を逸らした。

「あの……何故……。そう、出てこないってはっきり言えるんですか……」

「そりゃ、百年龍は私の父が封印したと言っていたからだよ」

「封印……」

 上河原会長は止めた足を進め始める。

「あの、最後にもう一つ良いですか」

「最後だね?」

「はい。会長さんのお父さんの名前を、教えてください」

 すると、上河原会長は足を止めてもう一度振り向きながら不思議そうに答えた。

「上河原信太だが….…それを聞いてどうするんだい?」




 上河原会長が公園を去った後、三人は黙ったままぼうっと何かを考えていた。暫くして沈黙を破ったのは紅愛だった。

「私、そろそろ地下へ戻るわ」

「あぁ。任せた」

 結斗もそれに同意する。来太の容体を案じてから持ち場を離れすぎていた。

「来太くん、あなたは大人しくしてなさいよ。望み通り百年龍がどんな物かは分かったでしょう?声を聞いたのかも知れないけど、本当にいるとしたら嵐がくるのよ。これ以上、変な事に首を突っ込んじゃダメ」

 攻めるように紅愛は来太を下から詰め寄るため、思わず仰け反りながら彼女の煽りを受ける。

「だ、だけどまだ、その声が聞こえた意味が……それに、助けてって言われたって言ったじゃないですか」

「それが会長さんのいう封印を解いてほしいって叫びだったら……どうするつもり?この状況で嵐でも来てみなさい。大惨事よ。ほとんど死ぬわね」

 来太は言い返せなかった。紅愛の言っている事は最もだと思ってしまう。だとしても、もう封印とやらはとっくに解いてしまっている。百年龍らしき龍を発見し、その龍が今、この近辺で魔法使いと一緒に人探しをしているなんていう不思議な現状を、目の前の二人に説明どころか明かすことすら出来ない。

「クレア、言い過ぎだ」

 黙って何も言い返さない来太の代わりに、結斗が口を挟んだ。

「そうね……ごめんなさい。もう行くわ」

 紅愛は一言謝ると、その場から足早に去って行ってしまった。

「紅愛さんっ」

「来太」

 追いかけようとした瞬間に肩を掴まれる。来太が振り向くと結斗は険しい顔をから一変し、困ったように眉をハの字に寄せ、力なく笑った。

「女の子に酷い言われ方したお前、見るの新鮮で愉快だなぁ」

「その酷い言い方したのはお前の部下だろっ」

「まぁ良いだろ。あれも結構心配性だからな。お前が変な無茶しなきゃ明日にはケロッとしてるさ」

 紅愛が去って行った方を見ながら結斗が言った。

「とにかくだ、もう変な無茶やめろよ」

「……分かってるけど」

「分かってるならもう言わない。俺はすいまぁの屋台で鯛焼きを買ったら持ち場に戻る。明日は労いの弁当を地下に持ってこいよ。それでチャラだ」

 そう言って来太の背中を軽く数回叩くと、ひらひらと手を振りながら公園を出て行った。

 結斗の後ろ姿を見送りながら、来太は頭を強めに掻いた。

 どうしたら良いのだろう……。会長さんのお父さんが施した封印を俺が解いてしまったとしたら……。本当に、このマツリダに最悪の嵐が起きてしまうのだろうか……。



 どうしたものか。

 ステビアと紫苑は、池が見えた本殿を囲う塀に寄っ掛かりながら唸り声を上げていた。相変わらず呪符を貼られてたままの水龍はその二人の足元をうろうろと歩くため、敷き詰められた砂利の音が一人でに鳴っている。

「シンタはまだなの、早く会いたいの」

 二人は顔を見合わせて溜息をついた。

「どうしましょう……。本当のことを話してしまえば彼は」

「大泣きで大惨事だな」

 水龍に聞こえないよう、小さな声で話をする。こればっかりはステビアもお手上げだと言わんばかりに頭を抱えた。こんなに小さな水龍といえど、龍という未知の動物なのだ。何があるかは予測が出来ない。二人がどう切り出そうか困り果てていると、水龍が鼻を鳴らした。

「シンタが来たの!」

 水龍がぴょこぴょこと飛んでいる様で、足元の砂利が大きく鳴った。来るはずのない人物の名前を呼ぶ水龍の声につられ、神社の屋台列の方へ視線を向けると、人をかき分けやって来る来太の姿が見えた。

「もう体調は良いんですか?」

 やって来たのがシンタではなく来太だと分かると、水龍はその場で飛び跳ねるのをやめてしまった。

「はい……っ、お騒がせしましたっ。でも、そんなことより、シンタさんが誰かわかりましたっ」

「本当か?」

「ちょ、待ってください。一旦落ち着いて」

 紫苑が慌てる中、来太は一度大きく頷いて、深呼吸をした。

「はい。その、百年龍についても」

「来太くんっ」

「本当なの、シンタがいたの?」

 すると、足元から聞こえる小さな声に来太はビクンと身体を強張らせる。水龍が呪符で姿を消している事をすっかり忘れていたため、今更ながらに顔を青くした。

「だから落ち着けと言ったじゃ無いですか……」

 文字通り頭を抱えるようにして紫苑が苦笑いをする。

「シンタがいたの?どこなのっ」

「あの、すみません……えっと」

 焦る来太などお構いなしに、水龍は息を弾ませてせがんでくる。砂利が一人でに細かく飛び、その場でぴょこぴょこと飛び上がっているのが分かった。

「早く会いたいのっ、オイラずっと待ってたの」

 水龍の爪が軽く来太の服に引っかかり、つなぎの裾がパタパタと上がった。

「とりあえず、お前も落ち着け。まずは百年龍の話だ。何を聞いてきた」

 ステビアが水龍を嗜め、来太の顔を見上げた。来太は「すみません」と一言謝ると、先ほど聞いてきた話を二人にと一匹に話し始めた。



「なるほど……。百年に一度、大嵐ですか」

「お前、そんな身体でそんな力持ってんのか?」

「オイラは知らないの。覚えてないこともあるの。そんな事よりシンタはどこにいるの?」

 ステビアは水龍の声を頼りに手を伸ばし、彼の身体を触るとそのまま抱き抱えた。

「シンタについては今からこいつに話してもらう。でもその前に、だ。条件がある」

「条件?」

 紫苑と来太が水龍の代わりに首を傾げた。

「条件ってなんなの?」

「お前が、何があっても受け入れる覚悟だ」

「ステビアさん、流石にそれは」

 来太が止めに入ろうとすると、紫苑がそれを制した。

「変な知り方をするよりはもう、この方が良いでしょう」

「でも……」

 すると水龍はせがむのをやめ、何かを考え始める。小さな唸る声が漏れた。その数秒後、ステビアの腕の中から水龍が鼻息をフン、と鳴らすと静かに答えた。

「分かったの。何があっても良いの。オイラは知りたいの」

「絶対だぞ」

「分かってるの」

 水龍のその答えを聞くと、ステビアは来太に黙って頷き、話をするよう促した。来太はゆっくりと深呼吸をしてから、蹲んでステビアの腕に視線を合わせると、真剣な面持ちで口を開いた。

「シンタさんは……」

 ゴクリと、生唾を飲み込む。来太は眉を寄せて、誰よりも悔しそうな表情で答えた。

「人間でした……。魔法使いならまだ生きていた可能性がありましたけど……。あなたを最後に封印したのは多分、他の人達から守るためだと思います」

 目をぎゅっと瞑りながら、来太が言い切った。すると、ステビアの腕の中にいた水龍がぐすっと鼻を鳴らす。

「……お前、約束」

「分かってるのっ。分かってるの……オイラが長く眠りすぎたのっ。でもシンタはもう、居ないの……っ」

 ポロポロと涙が溢れ、ステビアの腕を濡らす。紫苑が持っていたハンカチを使ってその腕を拭き、仕方なく呪符を剥がして水龍の涙を拭った。

「ごめんなさい……。もっと上手い伝え方があれば良かったですね」

「だ、大丈夫なのっ。でもっ、でもっ、やっぱり我慢できないのぉっ!うぇっ、うぇっ、うぇえぇ」

 出会った時の様に、水龍は大きな声で泣き始めた。来太は奥歯を噛みしめながらその様子を見ている。

「泣くなと言っても無駄だな……」

 ステビアは心配そうに水龍を撫でながら水路の様子を伺った。

「こればかりは仕方ありません。彼も心の整理を必死につけようとしていますから……」

 わんわんと泣く水龍を見ていられず、来太はその場から少し離れた。真実であっても彼にとっては大事な人だったのだ。その大切な人がもういないという事実を口にして、本当に良かったのだろうか。離れたところから聞こえる泣き声が、来太の胸に嫌という程突き刺さる。

「おい、泣き過ぎだ。これ以上は流石にまずいぞ」

 ステビアが水龍に声をかけるが、泣き出した彼の耳には届かない。溢れて溢れて仕方ない涙をボロボロと落としていく。すでにステビアのすぐ足元には大きな水溜りが出来ていた。

「綿飴とか好きですかねぇ」

「んな事言ってる場合か。手っ取り早くこいつを眠らせるとか出来ないのか?」

「私がこんなお祭りの日にそんな薬品持ち歩く変人みたいなことすると思いますか?」

 紫苑とステビアが水龍を抱えながら、ああでもない、こうでもないと言い合っている最中だった。雲ひとつなかった上空からごろごろという不穏な音が響いたのだ。

 いち早くその音に気がついた来太が空を見上げると、小さな黒い雲が現れ、物凄いスピードで大きく膨れ上がっていた。

「ステビアさん、空がっ!」

 来太が叫ぶ時には霞神社一帯を覆う大きな雨雲が上空に現れ、陽を隠した瞬間にポツポツと小さな雨粒を降らせ始めた。

「とにかく、屋根のある所に行きましょう!」



 紫苑が手早く呪符を水龍の頭に貼り付ける。来太達は拝殿の方に向かうが、屋台列を歩いていた人達が同じように雨粒を凌ごうとしてごった返していた。

「仕方ない、ノアの屋台に向かうぞ!」

 ステビアの一声で三人は霞神社を抜け、本部テントすぐのノアの屋台へと向かった。雨粒はだんだんと大きさを増し、勢いをつけて地面に叩きつけるように降り始める。腕や顔に当たる滴が痛く感じた。次第に強い風が吹き、周りの木々が大きく揺れ、倒れてくる心配まで襲ってくる。祭り会場には一時中断のアナウンスが流れたが、風の音と混ざってはっきりと聞こえない。身動きも上手く取れなくなった三人は、神社近くの民家の屋根の下へ潜り込んだ。

「流石に……我々が甘かったですね」

「あぁ、ここまでとは思ってなかった」

 ステビアの腕の中で水龍はまだ大きな声で泣きじゃくっている。悲しくて、辛くて、一人が寂しくて。感情が全部外へと出て行く様に、彼の声が大きくなればなるほど風が強く吹いた。すると、ゴオッという嫌な音を鳴らしながら、暴風が吹き荒れ、すぐ近くの屋台がひとつ飛ばされていくのが見えた。

「これ、ノアくん飛ばされてるんじゃ……」

「まさか……」

 来太は苦笑いを返すが、あながちあり得なくも無い気がした。後に続く様にいくつかの屋台が暴風に乗って飛ばされて行くのが見え、余計な不安が膨れ上がる。

「おい、いい加減さっきの覚悟とやらを見せろ!」

「うぇえぇっ、分かってるのぉ!でも、止まらないのぉ!」

 しゃくり上げながら飛ばされない様にステビアの腕をしっかりと握り、嫌々と首を大きく降りながら水龍が泣き喚く。

「お前しか止められないだろ!」

「ダメなのぉっ!」

「ステビアさん、落ち着いて!」

 来太が止めに入ろうとしたが、大きな風にその声が打ち消される。被っていたキャップ帽がどこかに飛んでいってしまい、ステビアが舌打ちをした。

「オレ達は人間より寿命が長いんだ、生きてる以上そうやって人間とは別れを繰り返すしかない!仕方ないことなんだ!」

「うぇえぇっ、うぇっ、ぅ、うぇ」

「お前が覚悟したのはそういう事だろ!オレだってな、三百年そうやって生きてきたっ!お前と違って眠ってなんかない、ずっとずっとずっとだ!そこにいるシオンだってそうだ!」

 ステビアが大きな声で叫ぶ。少し口を開けるだけで雨水が入ってきた。暴風雨は全く止む気配はなく、服や下着が身体中に張り付いて気持ち悪い。

「でもっ、オイラと一緒にいた魔法使いもいないのっ、魔法使いだってずっと一緒にいれないの!もうオイラは一人なのっ!」

 水龍の言葉にステビアは唇を噛み締める。きっと、水龍と一緒にこのマツリダを支えた魔法使いも逃げる事が上手く出来ず、魔法使い狩りに遭ってしまったのだろう。しかし、水龍はそんな事を知らない。おそらく彼はその前に眠りについていたのだ。

 きっと、巻き込まれないために……。

 当時の記憶が無い自分がそんな話をしたところで全く説得力に欠ける。紫苑に目配せを図るが、強く打ち付ける風でうまく目が開かない。そんな時だった。

「なら、俺が一緒にいます!」

 黙っていた来太が叫んだ。

「人間で、寿命も短いかもしれません!でも、生きている限りは百年龍を語り継いで、たくさんの人に水龍さんの話をします!それに、毎日は難しいかも知れませんけど、霞神社にも通います!」

 強く吹く風に逆らいながら、腹の底から大きな声を出し、雨粒が顔に当たって溺れそうになりながらも必死で来太が訴えた。

「だから!一人にはしません!」

「でも、ライタもシンタと同じなの!人間はいなくなっちゃうのっ」

 ぐずぐずっと先程よりははるかに聞こえやすい声で水龍が言った。すると、いつもは静かにクスクスと笑う紫苑が大きな声で笑いながら言った。

「私とステビアさん、それからこれからノアくんも紹介しますっ!魔法使いの中でもまだピチピチの若者ですよ!すぐ消えたりなんてしませんっ!ですよね、ステビアさんっ!」

「あぁ、一人にしない!」

 ぎゅっとステビアが強く水龍を抱きしめた。すると、水龍の方に向かって今までよりも強い風が吹き付け、思わずステビアが手を離してしまった。

「水龍っ!」

 風によって呪符が剥がされ、水龍が空に向かって飛んでいった。ステビアの声が聞こえても水龍はぐんぐんと上空へと昇っていく。

「あいつ、何しようと……」

 小さな水龍が空高く昇り、耳が割れる程の雷が鳴り響くと同時に大きな鳴き声を上げた。マツリダにいた全ての人達が耳を塞ぎ、身体を強張らせた。その数秒後の事だった。重くのしかかる様な曇から落ちていた大粒の雨が止み、風が途端に静かに凪いだ。雲の切れ間から青空が顔を出し、昼間と同じ明るい日差しが降り注ぐ。

「止んだ……」

 ステビアに続いて来太と紫苑がその場で滑り落ちる様に座り込む。祭り会場の方からは人々の安堵の声と共に安否確認が忙しなく始まった。

「どこに……消えたんでしょうか」

 来太が空を眩しそうに目を細めながら見上げた。空高く昇って行った水龍はいつの間にか姿形が見えなくなっていたのだ。

「えぇ……探しましょう。ついでにノアくんも……。彼が飛ばされていなければ、鼻が頼りになると思いますし」

 紫苑が立ち上がる。知らぬ民家に立ち寄っていた自分たちも移動しなければと、来太がステビアを立ち上がらせた。

「クソ……あいつのせいで帽子が飛んでいった」

「またノアくんに貰えばいいじゃないですか」

「なら俺も欲しいです」

「そりゃ、屋台が無事でノアが飛ばされてなければの話だろ」

 静かに笑って、三人は民家から離れると水路の方へと足を運んだ。

 水路の水はレースが開催されていた時よりも水嵩が上がり、暴風雨によって飛ばされたものが沢山浮いている。クビと言われ来太は明日の早朝には結斗の呼び出しが来ると予想して、げんなりとした表情を浮かべた。

「お前らどこ行ってたんだっ!」

 水路を眺めていると、いきなり後ろから怒鳴られる。振り向くと全身びしょ濡れの乃亜が身体にピタリとくっついたティーシャツの裾を絞りながら立っていた。

「ノアくん、すみません。色々あってお手伝いが出来なくて」

「ったく……お前も変なの掴んで地下から飛び出してくるしよぉ!……更に嵐に遭うわ、その変なのはまた空飛ぶわ……」

 乃亜が紫苑を押し除け、来太に詰め寄った。言い返せず苦笑いを返していると、通りすがりの人が「あっ!」と声を上げて空を指さした。釣られるように来太達が空を見上げると、水龍が昇っていた方にマツリダを囲うほどの大きな虹が掛かっていた。

「凄い……綺麗」

 思わず口が空いたまま見惚れてしまう。一人、また一人とその虹を見上げ感嘆の声を漏らしていた。



 次の日、来太の予感は的中した。朝早くからクビの撤回連絡が入り、急遽祭りの後片付けに駆り出されたのだ。

「いやぁ、昨日はあれから散々だったな。本部テントの爺さんの中には龍がお怒りだ!だの、龍が空を昇っているぞ!だの……大変だったんだぞ」

 ケラケラと笑いながら顔中に泥を跳ねさせ、結斗が言った。放流祭の会場は昨日起きた嵐のせいで中止を余儀なくされた上に、例年よりも片付けに手間取って実行委員会での後処理は後日に回して結斗も現場に出てきていた。

「でもまぁ……百年龍はいたんだな」

「え?」

 結斗がニカッと笑う。

「俺、それっぽいものを見たんだ。一番凄い雷が鳴った時、天に向かって泳ぐ龍。たぶんあれが百年龍だと思う。お前は見てないのか?」

 来太はぽかんと口を開けたまま結斗を見た。すると、結斗がニヤニヤと笑いながら来太の背中をバシバシと叩く。

「フフフフ。来太ぁ、声が聞こえたとか言って……残念だったなぁ。会長にもあんだけ話を聞いておきながらさ~。いやぁ、実に惜しいなぁ。お前は俺より持ってない男とは……!」

 一番最初にタンクで溺れていたのを助けたのは自分だと言ってやりたいところだったが、この結斗の態度からして話を聞いてくれるようには見えず、ひとまずそのまま飲み込んだ。

「はいはい、俺はどうせ運が悪いよ」

「あはは。そう卑屈になるな。でも……そうだな、もし昨日見た龍が本物なら……魔法使いもいる気がしてきたよ、俺」

 結斗はそう言ってまたニカッと笑うと、足元にあった屋台のゴミを拾い上げ、手に持っていたゴミ袋に詰め込むと、パンパンに膨れ上がった袋を引き摺るようにゴミ収集場へと運んで行った。

「そう言う結斗は鈍いよな……」

 あれだけ『すいまぁ』に通って置きながら…。

 くすりと笑って来太も足元のゴミを拾い上げると、結斗の後を追って行った。





『よぅ、水龍』

 そんな声が聞こえた。

 ついさっきまで聞いていた声だったと思う。自慢の鼻をヒクヒクと動かそうとしたが、身体は重くて動かない。

『探しましたよ。まさか水晶に姿を変えているとは思いませんでした』

『ノアの鼻が効いて良かったな』

『こき使いやがって……』

 知らない声もした。聞いたことない声だった。

 ライタ……でもないの。誰だれなの。

『返事、しないな』

『また眠っているのでしょうか….…?』

 そうなの。少しだけ眠いの。

 返すように大きな欠伸をしたけれど、彼らには聞こえないらしい。

『まぁ、起きたら教えろよ。どうピーピー泣くからすぐ分かるかもだが』

『ふふふ。そうですね。その時こそ、ノアくんをちゃんと紹介しましょう』

『ったく……終わったなら帰るぞ。まだ屋台の片付け終わってねぇんだからな』

『じゃあ、またな』

 うん。また今度なの。

『ゆっくりお休みください』

 そうするの。

 今度はライタとステビアと。それからシオンとさっきの魔法使いも。

 みんなで沢山色んな話をしたいの。

 オイラはまた遠い未来で目を覚ますの。でも、いつもの事なの。沢山の仲間がいて、沢山の仲間と一年ずつ交互に目を覚ますの。だからオイラの番がまた来たら、今度はきっと泣かないで、みんなと一緒に笑って遊ぶの。

 シンタとライタと同じ匂いのする人間に、また会いたいの……。


 霞神社の奥の池で、龍が静かに眠りについた。




 その日の帰り道だった。

 結局、祭りで満足に食べることが出来なかったと文句を言うステビアに紫苑が買い与えたのは、小さな小袋に入った綿菓子だった。

「気をつけてくださいね。それ、口の中で爆破しますから」

「は?」

 屋台で買ってもらった物と見た目が違い、不服そうに受け取ったステビアを見て、紫苑は笑いながら言った。

「ったく、嘘に決まってんだろ」

 乃亜に気にするなと言われるが、ステビアは不安そうにパッケージをじっと見つめた。確かに描かれている雲のイラストは星を飛ばして驚いた表情をしている。

「これは……食べれるのか?」

「少なくとも爆破まではしない」

「ええ。少し火花が散るぐらいですよ」

 くすくすと笑いながら紫苑が答えると、乃亜がすかさず肘鉄を食らわす。

「痛いですよ、ノアくん!」

「くだらねぇこと言ってるからだろ」

「食べても……大丈夫か?」

 ステビアはというと、封を切ろうとしてはいるが、表情が強張っている。その様子を見て紫苑は肩を震わせていた。

「平気だっつってんだろ。お前もビビりすぎだっつーの」

 そう言って乃亜は、ステビアから綿菓子を取り上げると、封を切ってひとつまみ分口の中へ放り込んだ。

「あっ!」

「ほらな、ただ音が鳴るキャンディが入ってるだけだよ」

 口を少し開けて中を見せる。爆発とは程遠いパチパチという小さな弾ける音が聞こえた。

「おぉ……。なぁ、それ火薬の味するのか?」

「しねぇよ。良いから食ってみろって」

 乃亜は溜息をつきながら綿菓子をステビアに渡した。ステビアは恐る恐る乃亜と同じ量を袋から取り、口の中に放り込む。綿飴がじわっと溶けて、舌に甘いフルーツの味が広がるのと同時に、溶け残った小さなキャンディがパチパチと弾け始めた。

「お、わ、わわっ」

 カラコロ鳴る音が口の中で響く。初めての感覚に目をぱちくりとするステビアを見て、紫苑と乃亜が笑った。

「これ、どうなってるんだっ」

「ふふふ。気に入りました?」

 コクコクと首を振り、袋に手を入れてまた口の中に放り込む。

「単純」

「煩いぞ!」

 ステビアはカラコロと音を鳴らしながら言い返した。

「あぁ、気をつけてくださいと言えば……ステビアさん」

「なんだ?」

 袋の綿菓子をつまみながら、ステビアが聞き返す。

「来太くんの様子がおかしくなったらすぐに連絡してください。もしくは周りで異変があったらでも」

「……あいつがどうかしたのか?」

 すると、紫苑は一拍置いて静かに笑った。

「今回みたいなことにまた巻き込まれては大変ですし」

「……そうだな。わかった」

「えぇ。用心に越したことはありませんから」

 最後の一欠片を口に入れ、ステビアは空になった袋を乃亜に渡した。

「ちょ、おい!ゴミぐらい自分で捨てろっ」


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