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来太と魔法使い

『遠い昔、このマツリダという都市には魔法使いが住んでいました。彼らはその身を隠し、人間に紛れてひっそりと暮らしています。今もきっと、あなたのすぐ側でキラキラと輝く魔法を纏っていることでしょう』

 来太は日に焼けて色褪せた絵本を静かに閉じた。いつ買ってもらった物かはっきり覚えていないほど古い絵本。ただ、祖父がくれたものというのは確かだった。幼い頃にこの絵本と祖父の話す魔法使いの話に触れてから、来太は魔法使いにえらくご執心だった。


 文字の読み書きが出来るようになってからは自分の住むマツリダという都市の古い文献を読み漁っては、魔法使いに関する情報を集めていた。しかし、絵本や年代記には魔法使いは『いた』と記述はあるものの、大したことは書いていない。いたという痕跡が殆ど残されていないのだ。それもそのはずで、魔法使いの魔法に恐れた人間は約百年以上前に『魔法使い狩り』を企て、彼らの殲滅を図ったという。何故そんな事件に発展してしまったはどんな文献にも記されていない。更に言えば、現在はすでに魔法使いを見たことのある人間もほとんど生きていない。彼らは謂わば、誰も見た事のないとされる、遠い昔に絶滅した恐竜と同じような幻の存在なのだ。

 でもやはり来太は捨てきれない思いがあった。絵本に描かれた箒に跨り空を飛ぶ姿や、杖を一振りするだけでキラキラと輝くドレスや馬車を出してしまうその姿にどうしても憧れを抱いてしまう。なんとも言えない感情が、胸を躍らせる。なんだろう、これは。強い思いがある気がした。

「会ってみたいなぁ……」

 何度も読み返してくたくたに寄れてしまった表紙を撫で、ボソリと呟いた。気がつけばいつも魔法使いという幻に捉われてばかりだった。



 来太の仕事は『まちの掃除屋さん』。簡単に言うと、何でも屋だった。頼まれた仕事は大体こなし、言い値で対価をもらう。身体も大きく頑丈な彼にはピッタリの仕事だったし、好きなメカ弄りが興じて作り上げた自前の掃除機を使っての人助けは気持ちが良かった。その掃除機は背負える仕様になっているが、その重さは約十数キロとかなりの重さである。色んな機能を搭載させてしまった代償だった。まぁ、使うのは来太たった一人なのだが……。


 その掃除機を使って今日も来太はとある町の掃除を行っていた。霧が濃いこのマツリダでは、ガラクタをその辺りに放置する不法投棄が多い。ガスマスクのような厳ついマスクをし、自慢の引力でガラクタやゴミをかき集め、ホースの上部に取り付けたスイッチで焼却機能に切り替えて燃やす。更にいえばこの町は何故かその霧に混じって不思議な黒い粒子が飛んでいた。町特有のものなのだろうか…。自分の住む近辺では見たことのない黒い粒子。気にならないと言えば嘘になるが、人は問題なく生活できているようだった。来太は早朝から昼にかけて同じ作業を繰り返していた。

「来太くん、お疲れ様。少し休憩したらどうかな」

「あ、どうも」

 依頼主はその町に長年住む老人だった。手には差し入れと言ってラップに巻かれたおにぎりが二つほど並んでいる皿を持っていた。

「うちの家内が握ったんだが」

「良いんですか、頂きます」

 マスクを外し、掃除機の電源を落として皿を受け取った来太は嬉しそうに笑った。腕につけていた時計は正午を過ぎている。通りで腹も空くわけだった。

「ガラクタはいつものことだけどなぁ、この黒い粉みたいなのはつい最近飛び始めたんだ」

 老人が言ったのは、来太も先程からずっと気になっていた黒い粒子だった。どうやらこの町の住人も正体を知らないという。空気中に漂う、黒い粒子を触っても何も起きはしないし、人体には害は無さそうだったが、色といい急に現れたもので確かに不安になる。

「片付けながら何か探れたら探ってみますよ」

 もらったおにぎりを頬張りながら来太が言った。見たところ大して広い集落ではない。掃除のついでに回ってみたとしても時間はそれほど掛からないだろう。

「良いのかい?」

「ええ。ついでですし、おにぎりのボーナスも貰えたので」

 美味しいです、と付け加えて答えると老人は嬉しそうに目を細めた。すると、少し離れたところから来太を呼ぶ声が聞こえてきた。

「すみませんっ!あの、お掃除屋さん、今の作業が終わったら見てきて欲しいところならあるんです。もうすごい変な匂いがして鼻が曲がりそうでっ」

 タオルを口に当て、住民の女性が駆け込んできた。ぜえぜえと息を整えながら、お願いしますと繰り返す。

「これ、掃除屋さんは今休憩中だぞ」

「ご、ごめんなさいっ。でもうちの裏の路地が凄い匂いを放ってて、ついさっきまで何とも無かったんですっ」

 彼女を嗜める老人に「大丈夫ですよ」と声をかけ、来太はおにぎりを口に放り込み、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。同時にガラクタの山に掃除機を向けてスイッチを軽く押し、一瞬で焼却すると、女性の方に向き直った。

「たった今、片付いたので案内してください」




 女性に案内された場所は人通りの少ない狭っ苦しい路地だった。建物はあるが、ほとんどが使われているように見えない。というか、人が住んでいるようには到底見えない。老人が言うには廃墟に近い場所らしい。

「あのマンホールからおかしな匂いがしてっ」

 女性は離れたビルの隙間から遠くに見えるマンホールを指さした。

「あれ、ですか」

 よく見るとマンホールの隙間から粒子が外に流れ出ているのがわかった。女性はこれ以上近づくのは無理です、と言って後退る。確かに鼻の奥を強く刺激するような匂いが辺りに充満していた。マンホールから流へ出ているそれは、下水ような不快感の強い匂いではなく、不思議な独特な香りが漂っていた。臭いわけではないが、鼻の奥が痺れるような感覚で、女性の言っている鼻が曲がりそうというのは納得できた。

 老人と女性には服の袖を鼻と口に当てるよう言い、出来るだけ粒子を吸い込まないよう伝える。来太は先程から使用していたガスマスクを装着してマンホールへ続くビルとビルの隙間に立った。この間もマンホールの隙間から黒い粒子は止まることなく流れ続けている。

「あの、地下に行く方法ってマンホール開ける以外何かありますか?」

 来太の問いに女性と老人は顔を見合わせる。すると、老人の方が口を開いた。

「確か、この奥にある建物が地下に繋がるとか……。でもその辺りは私が子どもの頃からそんな感じじゃだったし、案内も上手いことできん」

「ええ、その辺は地図にすらもう載らないような場所ですから」

 女性の方も眉を寄せ、不安そうに言った。しかし、来太は「そうなんですか」と返事をするだけでどんどんマンホールの方へと足を運んでいく。

「お二人はそこにいてください。そこから来ちゃダメですよ」

「あ、あぁ」

「あ、あと一時間してオレが戻ってこなかったら救助隊呼んでください」

「えっ、掃除屋さん何する気ですかっ?」

「ちょっと見てきます!」

「ええっ!」

 二人が止めようと声をかけるが、来太は颯爽と路地の奥に建つ建物へ向かって行った。



 二人を置いて来太が向かった先は殆どが崩れかけの建物が立ち並ぶ通りだった。だだっ広い都市だとは思っていたが、ここまでとは。空気中に舞う霧も、町との濃度の違いは一目でわかる程濃い。その霧の中に見えるあの黒い粒子もここ一帯に集中しているように思える。キョロキョロと足早に辺りを散策していくと、小さなビルの地下へ続く階段から黒い粒子が帯状になってふわふわと飛び出しているのが見えた。来太は掃除機の設定を『弱』にして、その粒子を吸い込みながら階段を降り進んだ。

 階段を降り切ると、長い廊下に出た。ポケットに忍ばせていたライトで足元を照らし黒い粒子を辿る。ライトを照らした廊下の先にはドアが二つ見えた。その奥のドアの隙間から黒い粒子が流れ出ているようだった。更にドア付近にダクトが数本見え、そこを辿って地下に充満した粒子がマンホールから町へと流れていったとも考えられる。来太は掃除機の吸引力を『弱』から『強』へ切り替えて、その元凶が居るであろう扉に手をかけた。ドアノブを引いて、恐る恐る中の様子を伺うと電気はついているものの人の気配は感じられなかった。というより、黒い粒子が立ち込めていて周りが全く見えない状態だった。来太は掃除機を使って粒子を吸い込みながら中へ足を踏み入れた。

「うわぁ……」

 思わず声が漏れた。粒子をある程度掃除機で吸い込んでいくと視界が晴れていき、来太の目の前に大量の植物が現れた。長身の来太を優に超える物もあれば、くるぶしまでの丈しかない物もある。部屋の奥にはぱんぱんに土が積められた袋が積み上げられており、辺りには使われていないプランターやじょうろらしきものが転がっていた。

「あ、これだ……!」

 来太は植物の鬱蒼とする部屋の中で黒い粒子を放つ植物を発見した。粒子を吸い込みながらその植物に近づいていくと、来太の足に何かが触れた。来太が足元へ視線を落とすと、そこには自分の肩程まであるだろう身長の銀髪の少年が横たわっていた。

「うわぁあっ!だ、大丈夫ですかぁっ!」

 来太は持っていた掃除機のホース部分から手を離し、少年を抱き抱えた。胸に耳を当てると心音はかろうじて聴こえてくる。しかし、顔色は酷く真っ青だった。

「もしかして……っ」

 来太は少年を抱き抱えると外に出て、もう一つのドアを開けた。すると、生活感のある部屋が現れた。コンクリートの床に不自然に置かれた四畳程の畳。その中心に小さなテーブルがちょこんと置かれいる。家具は見たところ少ない。クローゼットやベッドらしき物は見えず、たぶん奥の部屋にあるのだろう。キッチンはあるようだが、埃まみれで使われている様子は伺えない。冷蔵庫も見えたが、今は中を確認している暇はなかった。

「少しの間ここにっ……」

 来太はそのテーブル付近に少年を寝かせると、すぐさま先程の怪しい植物が茂る部屋へと戻っていった。

「きっとコレがいけないんだなっ!」

 掃除機の設定を『超強』に切り替えると、怪しげな黒い粒子を放出するあの植物へと向けた。

「おりゃっ!」

 来太がスイッチを押すと、強風が部屋を取り込み、勢いよく吸い込まれていく。目の前の植物達は強風により薙ぎ倒された。根が張った植物はなかなか吸い込み口に入ろうとはしない。来太は黒い粒子を放っていた植物が掃除機に吸い込まれたのを確認すると、隣の部屋へと急いで移動する。先程の少年はまだ青い顔をして目を閉じたままだった。

「とにかく、病院に……っ」

 来太が少年をもう一度抱き抱えると、その小さな身体からもの凄い大きな音が響いた。

「えっ……?」

 立て続けにグルルルと鳴くのは彼の腹の虫の様だった。

「もしかしてキミ、空腹で」

 すると、それに答える様に小さな掠れた声がした。

「み……ず、はら……へっ……た」

 瞼こそは閉じていたが、譫言で呟くそれは彼の本心であろう。部屋に響くこの腹の音は、何かを食べさせるまで鳴り止みそうにない。

 来太は彼をもう一度その場に下ろした。

「ちょ、ちょっとだけ待ってて!

 そう叫ぶと、勢いよく部屋を飛び出した。



「あ、帰ってきたっ!」

 来太に言われた通り、ビルの前で待っていた二人が彼の姿を見るなり安堵の表情で出迎えた。

「すみません、お待たせしました。元凶を叩いてきたので、もうあの匂いと黒い粒子は大丈夫だと思います」

 それを聞いた二人は顔を見合わせ喜び、来太の手を握り、何度もお礼を言う。

「大したことはしてないので…」

「いえ!ありがとうございます!何かお礼を…っ」

「あ、そしたら、この近辺でお米と野菜が買えるお店を教えてくださいっ」

「え、そんなことで良いんですか?」

「はい、大至急でお願いします!」



 都合が良かった事に、彼女の家は八百屋でその横には米屋が並んでいた。更に有り難い事に、先程のお礼だと言われ代金も要らないと言われた。流石にそれは出来ないと財布を取り出したが、彼女は一向に退こうとしないためここは好意に甘えることにした。来太は待てるだけ食料を調達すると、彼女達に別れを告げ、先程の地下室へと向かっていった。

 部屋に着くなり、使えそうな調理器具を探す。試しに埃のかぶったシンクの蛇口を捻ると、辛うじて水道は通っているのが分かった。電気もつくようだし、きっとガスも通っているのだろう。ただガスに関しては全く使っているような感じがしない。蹲み込んでそのシンク下の扉を開くと、鍋はあるがフライパンはなかった。しかもその鍋は中も周りも錆び付いていてどう見たって使えそうにない。冷蔵庫を開けると、中はいつから入っているのか分からない瓶が数個入っているだけだった。 

「ダメだ……全然、何もない」

 仕方なしに来太は食材をそのまま置くと、少年の身体を起こし、水だけを飲ませた。小さな口にボトルの口を近づけ、少しずつ飲ませる。喉の動きを確認してゆっくりと数回に分けて飲ませてやると、口を閉じて彼は首を静かに振る。来太はもう一度彼を寝かせた。今度はつなぎのベルトに引っ掛けていたタオルを出し、それを畳んで枕にする。

「ここにボトルは置いておく…。ごめんね、もう少し待ってて」

 来太は掃除機を背負って自宅へと走った。家には確か持ち運べるコンロもあったし、鍋もある。あの部屋には調味料すら無かった。一体どうやって暮らしていたのだろうか。

幸い自宅まで距離は殆どなく、来太の足で走って十五分程だった。

 家にあった大きなリュックに必要そうなものを有りったけ入れると、今度は自転車に跨った。壊れるたびに自分で直すため、色やパーツの大きさがバラバラで、乗りこなすのに常人は一ヶ月はくだらない代物だ。ガタガタに曲がったハンドルを握り、ペダルを思いっきり踏み込むと、来太はさっきよりも短い時間で少年のいる部屋へ着いた。

「よっし」

 着ているつなぎの上半身を脱ぎ、袖を腰に巻きつけるとTシャツ姿になった来太はもらった野菜をシンクで洗い始めた。




 鍋がコトコト音を立て始めた頃だった。スープの味付けに使ったコンソメの良い香りが部屋中に広がり、横たわっていた少年の鼻を掠めた。スン、と鼻を鳴らして匂いを嗅げば再び腹の虫が大きな音で鳴り出した。

薄っすらと目を開けると、そこは見知った天井。いつもより力の入らない身体を残りの力を振り絞って起こすと、彼はぎょっとした。

「あ、目、覚めたかな?」

 自分の知らない大男がにこにこと台所を占拠して立っていたのだ。少年はあんぐりと開いた口をパクパクさせながら大きな目を見開いてその男を見る。冷や汗がありとあらゆるところから噴き出てきた。

 だ、誰だ、こいつは…!

 な、なななんでこんなところに、人間がっ!

「……っ!」

 何かを言いかけようとしたが、少年は力が抜けてその場にへたり込んだ。

「だ、大丈夫っ?」

 男は駆け寄って少年の肩を支えようとした、が、少年はそれを許さなかった。男の手を払い、小さな身体を縮こませる。顔を腕で隠して、視線だけを男に向けた。

「ご、ごめん。驚かせてしまって……。隣の植物に囲まれた部屋で倒れていたところを発見したんだ。俺は成瀬来太、この町に掃除屋としてやってきて」

「しょ……植物……?」

 少年は来太のその言葉に反応し、顔を上げた。勢い余ったせいで、力んでしまい同時に腹の虫が鳴り響いた。

「ねぇ、スープがもうすぐ出来るんだけど食べるかい?」

 少年はぴくんと身体を強張らせ、再び来太から距離を取った。何も言わずに彼をキリッと睨みつける。

「あ……」

肩と膝が震えているのを見て、来太はそれ以上は近づかず、距離をとってから彼の目線に合わせて蹲んだ。

「あのさ、お腹空いてるんだよね?食べない?」

 ふふっと笑いかけるが、少年の鋭い目つきは変わらない。しかし身体は正直という物で、彼は口ではなく代わりに腹の虫で返事をした。





 来太の作ったスープを鍋ごと一気に飲み干し、皿に用意した米と塩で作った塩むすびも全部平らげた少年は、小声で「ごちそう……さま」と小さな声で遠慮がちに言うと、着ていたローブのフードをかぶって部屋の隅にいそいそと移動した。小さな身体のどこにあの量が入るのかは不明だが、先程の青白い顔が血色も良くなったのを見て来太は一安心した。

「足りなかったらまた作るから」

「お前は……何者だ」

 少年は部屋の隅から来太に尋ねた。膝の震えが止まらない様で、抱える様に座るその姿に来太は戸惑った。

「ええっと、先っきも言ったけど俺は」

「……人間、か?」

「え、あ、はい。人間です……けど?」

ゴクリ、と喉が鳴る音が響く。少年は震える膝を更に強く抱え込んだ。その緊張感に来太は苦笑いを浮かべる。

「あのー……キミは」

「人間……人間ってあの人間……え、人間?いやなんでこんなとこに……。結界はあったはずなのにアイツが寄越した呪符はもしかしてガラクタだったのか……?いや、まずなんでどうしてバレた……なんでっ」

 少年はフードを深く被り、ぶつぶつと早口で何かを呟き始める。恐る恐るその顔を覗き込むと大きな声で叫ばれた。

「そ、そんな、ビックリしないでくれよ……人間人間って宇宙人でも異世界人でもあるまいし」

 苦笑いをしながら来太が言うと、少年は動きを止め口をパクパクとしながら来太を見た。フードで隠れているが、その顔には先程よりも冷や汗がどっと溢れて滴る様子が見て取れた。

「……大丈夫?」

 来太が心配そうに言った。少年は両膝をつき、その場に崩れ落ちる。

「やばいやばいやばいやばい」

 心臓が破裂するかの如く早く脈を打ち、少年は深呼吸をしながら呼吸を整えようとするが落ち着く様子はない。

「お、落ち着いて!ゆっくり呼吸するんだ」

 リュックから取り出したマグカップに水を入れ、来太は少年に差し出すが彼はそのマグカップを受け取ろうとしない。

「少しでも良いから、水を飲んで」

 しかし頑な彼はマグカップを押し返した。

「い、らない!」

「良いからっ、また倒れちゃう!」

 来太は大きな声を出し、少年を黙らせると無理矢理マグカップを持たせた。突然の大声に驚いた少年は目を丸く見開きながら、マグカップをしっかり掴んでいる。

「ご、ごめん……。でも、また倒れるよりは良いだろう?」

 少年は眉を寄せ、大きな図体を縮こませながら謝る来太の方をチラリと見て、ゆっくりとカップに口をつける。彼の喉の動きを見た来太は、安心して柔らかな表情に戻った。




 マグカップの水を飲み干した少年は、落ち着いた様でその場に座り直す。外れたフードを再び深く被り直し、警戒心は剥き出しのまま来太に言った。

「お前……何しにここにきた」

「え、あぁ、仕事のついでの成り行きっていうか……。町の方にもキツい匂いと黒い粒子が飛んできていて、様子を見てきて欲しいって頼まれて。そしたらキミが倒れていたってそんなところなんだけど」

「……黒い粒子?」

「そう、黒い粒子。あぁ、でも安心して!さっきその粒子を飛ばしていた植物はこの掃除機で処理しておいたから……」

「なっ、処理しただとっ!」

 少年は目の前にいた自分よりも大きな来太を突き飛ばし、部屋から飛び出すと植物の茂っていたあの部屋へ駆け込んだ。

「なっ……!」

 勢いよくドアを開けると、そこには土だけが入った煤汚れの酷いプランターと、もともと散乱していたプランターが四方八方に転がり、綺麗に並べられていたはずの植物達がこれまたしっちゃかめっちゃかに倒されているのが視界に飛び込んだ。きちんと立っている植物は一切目ない。荒れ果てた部屋の前に茫然と立ち尽くす少年に来太は声をかけた。

「その、勝手に……ごめんなさい。でも、なんであんな危険そうなものを」

「煩いっ!あの魔草はもうすぐ採取できたんだぞ、もうじきに実がなるはずだったのにっ!あそこまで育てるのに何十年分の魔力がかかったと思ってるんだっ!人の気も知らないで……これだから人間はっ!」

 少年はフードを押さえながら来太に詰め寄った。

「ご、ごめんなさい……でも、その魔草?魔力って……?」

 後退りながら来太が言うと、少年はつられて「しまったっ!」と大きな声を出し、口を塞いだ。

「も、もしかして本物のま、ま、魔法使いですかっ!」

 少年はフードが取れる勢いで首を思いっきり振った。顔は倒れた時と同様に蒼白で冷や汗はダラダラに流れている。キラキラと輝く期待に満ちた瞳で来太は少年の方へ一歩近づいた。

「く、来るなっ!」

 少年はそう言ってまたフードを慌てて被ると、また来太を突き飛ばし、先程の部屋に走って逃げ込んでしまった。

「えっ、ちょ、魔法使いさんっ」

 ドアを叩く音が部屋に響く。少年は来太の荷物を持ち、彼の叩くドアを開けたかと思うと、リュックを思い切り来太へ投げつけた。

「うわっ!」

 リュックを慌てて受け止めた来太はその場に尻餅をつく。冷たいコンクリートにぶつけた尻はジンと痛んだ。

「もう、ここには来るな!」

 少年は震える声でそれだけ言うと力強くドアを閉めて鍵をかけた。ガチャンという鈍い音が地下の廊下に響く。

その日、来太が幾度か声をドアにかけても中から返事が返ってくることはなかった。





 次の日、来太は大皿いっぱいにおにぎりを作って少年の部屋へやってきた。やってきたと言っても、もちろんドアは開くことはない。それでもノックをして声をかけた。

「こんにちはー!あの、昨日は本当にすみませんでした。お詫びに、沢山おにぎりを作ったので一緒に食べませんかっ!」

 来太の声は地下の廊下に反響する。

「おーい」

 ドアに向かって声をかけ、耳を当ててみるが中の音すらしない。来太は昨日の少年の言動を思い出した。

『呪符』というものを使ったのだろうか。だとしても自分が来ているということは分かっているはず……。

腕を組み、ドアに寄りかかりながらその場に座る。

「聞こえてたら返事してほしいなぁ……なんて」

 来太は大きく伸びをし、深く吸い込んだ息をゆっくり吐く。ふふふ、と嬉しそうに笑って一人話始めた。

「昨日は、本当に……すみませんでした。俺、爺ちゃんに貰った絵本の魔法使いが大好きで、ずっとずーっと憧れていたんです。箒で空を飛ぶとか、すっげーって思って。ちょちょいって手や杖を振ればなんでもできちゃうし、カッコいいなって。爺ちゃんからは『マツリダにはまだ魔法使いがいる』って言われ続けてたから、俺つい興奮しちゃって……その、ごめんなさい」

 来太の声はだんだんと萎れていく。返事はやはり返っては来ない。暫く様子を見ようと思ったが、ここまで無反応を決め込まれているため、そうとう嫌われたか家にいないかのどちらかだと踏んだ。

 来太はリュックから小さなメモ帳を取り出し、そこに『酢飯で握ったので朝まで持ちます』と書き、皿の下に挟んだ。こんなに涼しい地下室だ。すぐに痛むことはないだろう。

「あの、もし、聞こえてたらなんですけど。お腹すいたらここにおにぎり沢山あるので、食べてください。ちゃんと明日まで日持ちする様にしてあります」

 返事はやはり返って来ない。自分が居ると出て来られないのであれば、そう思って来太は少年の住む部屋から離れた。

「あ、お皿は明日回収に来ますからねー!」

 地下の廊下で、再び来太の声だけが響いた。





 次の日、来太が少年の部屋に向かうと大皿の上のおにぎりがそっくりそのまま置きっぱなしになっているのが見えた。来太はあからさまにがっくりと肩を落とす。やはり、昨日の今日という訳にはいかないようだ。こうなってしまったのは自分のせいだと、複雑な気持ちにもなる。

 しかし、一昨日確認した時に彼の部屋には食料と言えるものが何一つ無かった。あんなに大きな腹の音を立て、野菜スープとありったけの米を炊いて作った塩むすびを綺麗にカラにした大食漢である。この量を見たらきっと我慢などできる気もしない。

 もしかして、昨日は一歩も外に出ていないのだろうか……?

 来太は背負ってきた掃除機を横に置き、ドアを数回ノックした。

「おはようございます!今日はサンドイッチを作ってきました!ここに置いておきますね」

 手に提げていたバスケットをドアのすぐ横に置く。少しの隙間でも手を伸ばせる位置はここだろうと考えてみた。

「ハムとチーズに、カツサンド。カツは近所のお肉屋さんのやつなので間違いないですよ。あ、ジャムは自分で作ったんです。いちごとブルーベリー。ブルーベリーは庭で育ててたもので、コレが甘酸っぱくてジャムにしたらこれまた劇的な変化で……」

 ペラペラと話すが、返事をする者は誰もいない。ドアは今日も硬く閉ざされているようだ。

「おにぎりは俺の朝ごはんにしますね」

 苦笑いをドアに向け、来太はその場に座り込むと大皿のおにぎりにかかったラップを綺麗に取った。冷たくなったおにぎりはいくら酢飯とはいえ、少し堅い。お世辞にも美味しいとは言えない程に味は落ち、口にするたび虚しい気分になる。無駄になるよりはと思って来太は食べれるだけおにぎりを頬張った。

「今日は俺、掃除屋の仕事なんです。依頼は午後からなんですけど、少し遠い場所みたいなのでもう行きますね。サンドイッチ、食べてください」

 来太はそう言ってドアに話しかけると、大皿と残ったおにぎりを持ってその場を離れた。


 次の日も様子を見にいくと、サンドイッチは手付かずのままだった。来太は新しい食べ物を置いてはドアに向かって話しかけ、昨日の分は自分の朝ごはんにあてがった。時々傷んでしまうものもあったが、来太は日を開けることなく通い続けていた。




 そんな習慣が一ヶ月ほど続いた頃だった。少年は連日通う彼が気になり始めた。あの時の野菜スープも塩むすびも久々に口にした食べ物だったからなのか、懐かしさと美味しさで腹も気持ちも膨れ上がったのを覚えている。しかし、相手は人間だった。どんなに優しくされたとしても、自分とは別の生き物なのだ。そう思って、ドアの前で声をかけてくれる彼の話に耳を傾けてながらも、心の中で太い一線を引いていた。


 しかし、来太はある日そのドアの前にぴたりと来なくなった。最初は珍しく寝坊でもしたのかと思ったが、全く物音さえしない。もしかしたら急に仕事が入ったのだろう。たぶんそんなあたりだ。それに、人は飽きやすく冷めやすい。相手にされなさ過ぎで諦めたかもしれない。それはそれで好都合だった。今のうちに離れてくれさえすれば、忘れてくれさえすれば自分もまたひっそりと静かに暮らしていける。彼が憧れてやまない魔法使いに対する気持ちも、きっと歳を取る度にどんどん遠く離れていくはずだ。

 少年は出しかけた溜息を飲み込み、大きく伸びをすると寝室のベッドに潜り込んだ。


 次の日も来太はやって来なかった。少年はそれでも自分には関係ないことだと言って、ベッドに潜り込む。その次も、その次の日も、そのまた次の日も……。来太はやってこなかった。


 それは来太が来なくなり数週間が経った頃の、ある日の朝だった。大きな音がドアの向こう側で鳴り響いたのだ。音に驚いた少年は慌ててドアを開くと、そこにはベコベコに凹んだ大きな掃除機と、ボロボロのつなぎを着た泥と傷だらけの来太が倒れていた。

「おい、お前っ!」

 少年はドアを開け放し、来太に駆け寄った。

「あ、魔法……使いさん。こん……にちは」

 傷だらけの来太は弱々しく掠れた声を出した。額や頬には切り傷が数カ所もあり、乾いた血がぺったりとくっついている。太くて長い木の枝が足元に転がっているところを見ると、ここに来るまでに杖代わりにしていたのだろう。杖を必要とするその足のどちらかは、捻挫もしくは打撲、最悪骨折をしているに違いない。

「何があった、何をされたんだっ」

 少年の問いに来太は小さな唸り声を返す。

「お前、階段から……」

 少年はさっきの大きな音が階段から盛大に転がり落ちた衝撃音であることを察した。

「ちょっ……と、色々、です。自分で、つくった怪我、ですから……」

 青い顔で目を閉じる来太に、少年は必死に呼びかけた。

人間は脆くて直ぐに死んでしまう。

 そんなことをどっかの誰かが言っていた気がするが、今は思い出している場合ではない。少年は来太を部屋の中に引き摺り込むと、部屋の中にある大きな本棚から分厚い本を数冊取り出すと、それを積み上げ別の棚の上から古い木箱を取り出した。中を開くと、小さな小瓶に液体やら粉末やら怪しげな物が溢れてるほど詰め込まれている。

「確かあったはず……っこれだ」

 箱をひっくり返して少年が取り出した小瓶には薄紫色の液体が入っていた。

「おい、口開けろ」

 少年は来太にそう言い、小瓶の蓋をあけた。

「いいか、口に入った瞬間飲み込め。絶対に含むなよ」

 返事はないが、少年は来太の唇に小瓶を当て口の中に液体を流し込んだ。ゴクンという喉の動きを確認し、少年はその場に座り込む。

「もう、喋れるだろ。その薬、人間にはどうか知らないが……確か即効性抜群、すぐに痛みは引くはずだ」

「う……」

 少年の声に反応した来太は何かを話そうと口を開いた。

「……いい、ゆっくりで。焦るな。その薬、古いからもしかしたら効果が遅いかもしれない」

 少年はふぅ、と息を吐く。確証の無い薬を焦って与えたため心臓部はいつもよりも大きく脈打っていた。

「あの……これ……」

 来太がゆっくりと腕を動かし、つなぎの内ポケットに手を入れた。痛みは感じはしないが動きは鈍い。少年は来太に少しだけ近づいて、内ポケットから取り出された物を受け取った。

「……なんだ、これ」

「あの日……俺がダメにした植物に似てるのは……これしか見つからなくて……ご、めんなさい」

 辿々しい口調で痺れる唇を動かしながら来太が言った。

「……は?」

「残りは、また…怪我が治ったら探しに」

「馬鹿か!お前がダメにした植物は魔草だっ!そんじょそこらの人間がほいほい採ってこれる代物じゃない!探せるわけないだろっ!」

 少年は来太が渡した植物をぎゅっと強く握り、大きな声で怒鳴り散らした。

「なんで、こんな……バカなことした……っ。こんな怪我、下手したら死んでいただろ!」

「すみ、ません……。でも、俺のせいで魔法使いさんの、大事なものをなくしてしまったから……」

 弱々しくえへへと笑う来太に、少年は苛立った。それと同時に目頭が熱くなり、数年ぶりかに涙が溢れ頬を伝った。

「そういうのは……迷惑だっ……。毎日毎日朝から来ていたくせに……っ。普通、一回出なかったら、もう出るわけないだろ……!俺は、お前みたいな人間が苦手なんだっ!」

 少年は溢れる涙をローブの袖で拭く。しかし数年ぶりの涙は一向に止まらない。悲しいわけではない。熱くて、苦しくて、止まらなかった。

「魔法使い、さん……。俺、やっぱり、あなたと仲良くしたくて……。でも……苦手じゃ、ダメっスかね……」

 すると、少年は鼻をすすって来太の鼻を思いっきり摘んだ。

「あはは、痛くない……やっぱ魔法って凄いですね」

「……そんな良いもんじゃ無いけどな」

 初めてみた少年の笑顔に、来太は気が緩んでそのまま目を閉じた。




「凄い!これが魔法っ!」

 三日程寝込んだ来太は、起き抜けに大きな声で騒いだ。骨折していたはずの足すらも痛みが殆どない。即効性があると言って飲まされてはいたが、古い薬で効果が遅かったのか、それとも来太が人間だからなのかは分からない。だとしても常人ではあり得ないほど早く回復を遂げ、地下の部屋をのしのしと歩き回っている。

「魔法薬だからな……っていうか煩い」

 にこにこと嬉しそうな来太に大きな溜息をつく。

「だって、骨折って普通は治るのに数ヶ月かかるんですよ!凄いなぁ、やっぱり」

「でも、お前の憧れとは違うだろ」

 少年は素っ気なく言った。確かに杖を一振りしたわけでもない。ただ、魔法使いの薬を飲ませただけだった。しかし、来太の表情は変わるどころか更に嬉しそうだった。

「聞いててくれたんですね、俺の話っ!」

「……あれだけ煩かったら嫌でも聞こえる」

 ふふふ、と来太の笑い声がして少年は口をへの字に曲げた。

「やっぱり、魔法使いさんは」

 すると、来太の腹からグルグルと大きな音が鳴った。

「す、すみません」

 頬を赤く染め、あははと笑って誤魔化すが無理はない。三日間寝込んだのだ、どうしたって腹は減る。

「……あの、魔法使いさん。また俺が作ったらその食べてくれますか?」

 来太は少年の顔を覗き込んだ。今度は少年が頬を赤らめ、顔を背ける。

「……その、魔法使いさんって呼ぶのはやめろ」

「でも、魔法使いさんは魔法使いさんで」

「ステビアだ」

 かぶせるように少年が言った。

「オレはステビア。魔法使いさんって名前じゃない。それと、オレはお前のスープと握り飯以降何も食ってないからな!」

 文字通りステビアと名乗った少年は踏ん反り返り、来太にそれだけ言うとローブのフードをかぶった。

「はいっ、ステビアさんっ!」












「お前、オレが食わなかったもの、結局どうしたんだ」

「あぁ、あれは……俺の朝ごはんになったり、痛んでないのは知り合いに差し入れしたりしました。胃袋が丈夫なやつがいるんですよ」

「……そうか。その、無駄になったものは……悪かった」

「あはは。気にしないでください。でも、今度は残さず食べてくださいね」

「……おぉ」


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